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第三十六話 ……猫ですよね?

 僕とロジーさんが息を呑んで見守る中、壁面に現れた白い裂け目から、ひょこりと顔を覗かせたのは女の子。


 それも、十歳にも満たないような幼女だった。


 紅玉の瞳に、淡雪のような白い肌。ふわふわした銀色の巻き毛が可愛らしい幼女である。


 だが、彼女を決定的に特徴付けているのは、そのいずれでも無い。


 それは、頭の上にちょこんと突き出した獣の耳。


 猫のような綺麗な三角形の耳であった。


 彼女は、キョロキョロと左右を見回した後、意を決するように頷いて、裂け目からぴょんと外へ飛び出す。


 そして、そのままナツメヤシの実が入った籠に、とてとてと歩み寄ると、そっと手を伸ばして、その小さな手に掴めるだけを一掴み。


 ふたたび周囲を見回した後、まるで小動物みたいに四つ這いになって、白い裂け目の方へと戻ろうとするのが見えた。


 だが、このまま大人しく、裂け目の中へ帰してしまう訳にはいかない。


「絡みつけ!」


 突然響いた僕の声に驚いて、慌てて駆けだす幼女。そんな彼女へと、干されていた麻の繊維が、一斉に襲い掛かる。


 いざという時のために、僕は麻の繊維に生命を与えておいたのだ。


「ふぎゃん!? にゃにゃにゃ!!」


 麻の繊維は、まるで触手のように伸びて、驚きの声を上げる幼女の手足に絡みつき、彼女の小さな身体をあっさりと宙づりにした。


「みゃあああああ! みゃああああ!」


 幼女は必死にもがいているが、流石に振りほどく事は出来ないようだ。


「本当に、砂狼族なんでしょうか?」


「そうなんだと思いますけど……」


 ロジーさんの問いかけが微妙な感じなのも、僕の答えの歯切れが悪いのも、たぶん二人して同じことを思っているからだろう。


「猫……ですよね?」


「猫……ですね」


 だって、にゃーにゃー言ってるし。


 誰がどう見たって、狼には見えない。


 それに、彼女のお尻から生えているのは細くて長い、いかにも猫の尻尾そのものである。


 僕らは物陰を出て、幼女の方へと歩み寄る。


 僕らの姿を見つけた途端、幼女は「ふぎゃっ!?」と喉の奥に声を詰めて、一層暴れ始めた。


「んにゃぁああああ! 助けて! クワミぃぃ!」


 少女が切羽詰まった声を上げた途端、裂け目の中から、唐突にもう一人の人物が飛び出してくるのが見えた。


「お嬢!!」


 それは、また女の子。


 但し、幼女ではない。


 おそらく十四か十五、僕と同じぐらいだ。

 

 少年のような銀色のベリーショートに、紅玉の瞳。


 肉食獣を思わせるしなやかな肢体。


 幼女とは対照的な、深い褐色の肌に茶色の猫の耳。


 彼女は手にした曲刀(ショーテル)を振るって、幼女を絡めとっている麻の繊維を断ち切ると、一足飛びに僕らの方へと飛び掛かってくる。


 しなやかなバネが生み出す、恐ろしいほどの速さ。


 僕は咄嗟(とっさ)に地面に手をついて、『恩寵(ギフト)』を発動させようとした。


 だが、その途端、少女の様子に異変が起こった。


 彼女はブルッと身体を震わせたかと思うと、どういうわけか、(ひざ)から崩れ落ちて、剣を振り上げた姿勢のまま、前のめりに倒れ込んだのだ。


 僕とロジーさんが、思わず顔を見合わせると、


「クワミぃぃ!!」


 幼女は慌てて少女へと駆け寄って、彼女を守るように、その身体に覆いかぶさりながら、尖った歯を()き出しにして、僕らを威嚇する。


 彼女達は二人とも、胸元と腰回りを毛皮で覆っただけの際どい服装。


 倒れ込んだままピクリともしない少女の,その剥き出しの背中に目を向ければ、そこが醜く焼けただれているのが見えた。


 何をどうすれば、こんな酷い火傷になるのかと思うぐらい、ほとんど炭化しているといって良いほどの重傷である。


 おそらく彼女は、既に剣を振るえるような状態では無かったのだろう。


 幼女は小刻みに震えながらも、僕らに向かって、牙を剥き出しにしている。


 ――さて、どうしたものか。


 僕が思考を巡らせていると、ロジーさんが彼女達の方へと歩み寄って、その傍で静かに腰をかがめる。


 そして、幼女の目をじっと見つめながら、穏やかな声音(こわね)で語り掛けた。


「大丈夫。私達は敵ではありません。そこの女の子の怪我も、治療して差し上げます」


「……ウソにゃ!」


 幼女は尚も牙を()いて、ロジーさんを睨みつける。


 それはそうだろう。敵と言うやつは、大体、自分は敵ではないと言って近寄ってくるものなのだ。


 実際、今の時点では、僕らが彼女達にとって敵なのかどうか、ロジーさんにだって分かっていないはずだ。


 だが、


「早く治療しないと、その子が死んでしまいますよ?」


 ロジーさんのその言葉に、幼女はビクリと身体を跳ねさせると、(しお)れるように項垂(うなだ)れた。


「クワミ……死んじゃうのにゃ?」


「ちゃんと治療すれば、大丈夫です」


「ほんとにゃ? 信じて良いにゃ?」


「はい」


 ロジーさんが優しく微笑みかけると、幼女は声を上げて泣きだした。



  ◇  ◇  ◇



 そもそもこの城砦の兵士達は、左遷されてきたとはいえ、建前上は、砂狼族から国を防衛するために集められたのだ。


 兵士達に、この二人の姿を見られれば、間違いなく話がややこしくなる。


 そこで僕は、とりあえずこの二人を僕らの部屋へと連れていくことにした。


 女の子は僕が背負い、ロジーさんは幼女の手をひく。


 周囲に注意を払いながら、砦の中へ入って階段を上がる。


 廊下に(とも)るカンテラの(あか)り。その下で振り返ると、幼女の額には、焼けただれた十字の傷跡が刻み込まれていた。


 それは生々しい傷跡。


 おそらく最近つけられたものだ。


 そして、それはまた、僕が背負っている少女の額にも刻み込まれている。


 誰がやったのかは知らないけれど、ずいぶん酷い事をするものだ。


 すぐに治してあげたいとは思うが、そうもいかない。


 特に、僕が背負っているこの少女については、今、怪我を治してしまえば、暴れ出すのは容易に想像できる。


 そして、先ほどの剣技を見る限り、彼女の力量が並のレベルではないことは明らかだ。取り押さえるのは容易なことではない。


 治療は、落ち着いて話を出来るようになってからだ。


 部屋へと辿り着くと、姫様達は目を丸くした。それはそうだろう。無事帰って来たと思ったら、砂狼族と思われる女の子と幼女を連れて帰って来たのだ。


「エルフリーデ、ミュリエ。二人はマグダレナさんを呼んできて!」


「か、かしこまりました!」


「うん」


 途端に、二人は慌ただしく部屋を飛び出していく。


「なんですの!? そのかわいい生き物!!」


 姫様はロジーさんの背中に隠れている幼女を見つけた途端、目を輝かせて駆け寄った。


「怖くないですわよー。出ていらっしゃーい」


 だが、突然突っ込んで来た姫様に驚いたのか、幼女は「しゃー!!」と、牙を剥いて姫様を威嚇する。


 うん、まあ、そりゃそうだ。

 

 拒絶されてしょんぼりする姫様を尻目に、僕は背負った女の子をベッドに横たえた。


 彼女の呼吸は弱々しく、深い褐色の肌には、もはや血の気はない。


 どうみても虫の息だ。


 このまま放っておけば、長くはもたないだろう。


「ねぇ、ねぇ、あなた、お名前はなんとおっしゃいますの?」


「ううっ。コフィ……。コフィ・チュチュアメイ・ンジャメナチノ」


 何度目かの問いかけの末に、遂にコミュニケーションをとることに成功した姫様が「きゃー! かわいいー! 名前ながーい!」と、興奮気味に声を上げると、コフィはびくりと身体を跳ねさせて、再びロジーさんの背に身を隠した。


 うん・・・・・・姫様、そろそろ落ち着いてください。


「コフィ! 今からこの()の怪我を治すから、目を覚ましたら暴れないように言って」


「治すって……?」


 僕は横たわる少女の背中に触れて、『恩寵(ギフト)』を発動させる。


生命の樹(レーベンバウム)!』


 途端に、コフィが驚愕に目を見開いた。


 少女の黒く焼け焦げた背中が、一瞬にして本来の張りのある褐色の肌へと変わっていく。そして、彼女の額に刻まれた十字の傷跡が跡形もなく消滅したのだ。


「にゃ、にゃ、にゃ!? す、すごいのにゃ! なんなのにゃ!?」


「当然です。坊ちゃまの『恩寵(ギフト)』は『神の恩寵(ギフト)』なのですから」


「か、神様!? 神様なのにゃ!?」


 なぜか、ロジーさんが自慢げに胸を張ってそう言うと、コフィは僕の方へと怯えるような視線を向けた。


 それとほぼ同時に、


「う……ううん」


 横たわっている少女が目を覚ます。


 そして、彼女が寝ぼけ(まなこ)で身を起こした途端、


「クワミぃぃぃ!!」


 コフィが、彼女へと飛びついた。


「良かった! 良かったにゃ! クワミが死んだらコフィは・・・・・・うぇえーーん!」


「お嬢・・・・・・」


 少女は泣きじゃくるコフィの姿に、目を細める。


 だが次の瞬間、


「ふぎゃっ!?」


 彼女は僕らの存在に気がついて、身を跳ねさせた。


「大丈夫にゃ、クワミ。この方は神様にゃ! クワミを助けてくれたんだにゃ!」


「は? お嬢・・・・・・一体何を?」


 コフィがそう言うと、少女は戸惑うような顔をした。


 それはそうだろう。


 いきなり「あの人は神様です」なんて言われたら、たぶん僕だって、彼女と同じような顔になる。


「コフィ、ちょっとこっちにおいで」


「はいにゃ!」


 コフィに、もはや僕を疑っているような様子はない。彼女は迷う素振りも見せずに、すぐに僕のそばへと駆け寄って来た。


「えーと、クワミさん? すぐには無理かもしれないけれど、せめて敵じゃ無いって信じてくれると助かります」


 そう言って、僕はコフィの額に指を這わせ『恩寵(ギフト)』を発動させる。


 途端に赤黒く焼けただれていた、コフィの額の十字傷が消滅した。


 クワミは呆気に取られたような表情になった後、ベッドの上で勢いよく跳ね起きた。


「お、お前は何だ! 何者だ! お嬢に何をした!」


「ダメにゃ! 神様にそんな口を聞いたら、罰を受けるのにゃ!」


「お嬢は騙されているんです!」


「だって、クワミの怪我を治して、呪印も消してくれたんだにゃ!」


「・・・・・・え?」


 そう言って、彼女は恐る恐る自分の額へと指を這わせる。


 そして、驚愕に目を見開いたまま、へなへなと腰砕けに座り込んだ。



  ◇  ◇  ◇



 エルフリーデに指示して水とパンを用意させ、彼女達に勧めた。


 彼女達は、互いにちらちらと確認するように目線を合わせた後、恐る恐るパンを一口。次の瞬間には、がっつくように貪り始めた。


 無理も無い。


 彼女たちは、しばらくナツメヤシの実しか食べていないはずなのだ。さぞ、お腹も空いていたことだろう。


 少女の名は、クワミ・チュチュアメイ・ジャランジャラン。


 ……やっぱり長い。


 部族の長の娘であるコフィの、母親方の従姉妹(いとこ)で、彼女の護衛役なのだそうだ。


 パンに夢中になっている二人の姿を眺めて、マグダレナさんは首を傾げた。


「私の知っている砂狼族とは違いますわね」


「やはり……そうですよね」


 僕らも随分、南下したのだ。


 おそらく、中央クロイデルの国境付近に出没する砂狼族とは、テリトリーの違う別の部族なのだろう。


「ねぇ、コフィ。君たちはどうして、あんなところに隠れていたの?」


 途端に、二人はピタリと動きを止める。


 今にも泣き出しそうな顔をするコフィを気遣うようにクワミが口を開いた。


「神よ。お嬢は……いえ、ボクたちは、部族を追放されたのです」

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