第三十五話 私達以外の誰かがいます
「では明朝、兵士を一同に集めて、これを発表する。それでよろしいですね?」
「ええ、お願いします」
念を押すような口調のマグダレナさんに、僕はニコリと微笑み返す。
そもそも、これは僕が言い出したことなのだ。
異論などあろうはずがない。
あれから、更に一週間ほどが過ぎたある日の午後。
僕らは、食堂で会議を行っていた。
この場にいるのは、いつもの顔ぶれ。
すなわち、僕とマグダレナさん、そして姫様とロジーさん、最後にエルフリーデとミュリエの六人である。
尚、定例の会議ではないので、パーシュさんの姿は無い。
思うところがあって、急遽、僕が会議を招集したのだ。
僕は、テーブルの上に広げられた羊皮紙の上に視線を落とす。
そこには今日、話し合った結果が記されている。
・宰 相 マグダレナ
・財務部 部長 パーシュ
・農営部 部長 キップリング
農営部 顧問 バルマン
・資材部 部長 シモネ
・建築部 部長 レヴォ
・衣料部 部長 モルドバ
僕は、なにも目新しいことをしようとしている訳では無い。
これまでに仕事をお願いした人達に、ちゃんとした役職を与えて、兵士達を組織し直そうというだけの話だ。
今さらという気もするが、これはお墨付きを与えるという意味あいが強い。
元々、貴族であり士官であるキップリングさんとシモネさん、レヴォさんは問題無いだろうが、バルマンさんはともかく、パーシュさんとモルドバさんは庶民の出身である。
反発もあるだろう。
そんな彼らに、それを跳ねのけられる理由を与えてあげたいのだ。
それに、バルマンさんはかなり自由にやってくれているが、他の真面目な人たちは、なかなかそういう訳にはいかない。
だが、素人の僕の承認を待っているのは、無駄な足踏みをしているようなものだ。
最終的な責任は、任命する僕が持つので、自由に頑張って欲しい。
そういう事だ。
最初、マグダレナさんは頑なに宰相という役職に就くことを固辞していたが、こればっかりは仕方がない。
そもそも兵士達は皆、本来はマグダレナさんの部下なのだ。
「王と宰相は違います。宰相は民によって選ばれるべきなのです」
マグダレナさんは、そう主張していたが、
「今、兵士の皆様がお選びになっても、やはりアナタに決まると思いますけど?」
というロジーさんの一言に反論できず、最後には『国としての体裁が整うまで』という条件で、引き受けてくれた。
今後は特別なことが無い限り、彼らの自由にやってもらおうと思う。相談には乗るが、僕も横やりを入れたりしないし、彼らの頭を飛び越して、指示を出すこともしないつもりだ。
彼らは彼らなりに考えて、苦労して、何度も失敗しながら、きっと、この国を発展させてくれるはず。
僕は、そう思っている。
一通りの話を終えて、会議も終了。そういう雰囲気が流れたところを見計らって、僕はエルフリーデの方へと向き直った。
「エルフリーデ、頼みたいことがあるんだけど」
僕がそう言った途端、エルフリーデは目を見開いて硬直した。そして、次の瞬間には、勢いよくテーブルの上へと身を乗り出す。
「わ、私にですの!? な、なんでも、お、お申しつけくださいませ!」
「うん、お前には僕の目に、そして耳になって欲しいんだ」
途端に、エルフリーデは困惑と歓喜の色が、あい半ばする、なんとも複雑な表情を浮かべた。
頼りにされるのは嬉しいが、意味は分からないといったところだろうか。
「えーと……。つまり、みんなの仕事ぶりを把握して、僕に報告する役目を頼みたいんだよ」
途端にエルフリーデが納得したとでもいうように、満面の笑みを浮かべた。
「かしこまりました! 善からぬことを企んだり、失敗したり、坊ちゃまの為にならないことをする者があれば、速やかに排除せよと、そういうことですのね!」
「ちがう、ちがう! むしろ失敗は、大きな問題になりそうでもない限り見て見ぬ振りをしていいんだ。みんながどんな風に頑張っているのか、どんなことに困っているのか。そういうことを知らせて欲しいんだ」
途端に、エルフリーデの表情が曇る。
「他の方の手柄を私から坊ちゃまにご報告する。そういうことでしょうか?」
「うん」
好感度を上げたいと号泣した人間に、他の人間の手柄を報告せよというのだ。それは表情も曇るだろう。
だが僕は、彼女のそんな様子に気付かないふりをして、こう続けた。
「ただし、僕が調べさせてるということは、ここにいる六人の他には、一切気付かれないようにしてほしい。万が一、それがバレたら……」
「バ、バレたら?」
「お前には、ここを出て行ってもらうことになる」
エルフリーデは「ひっ!?」と、短い悲鳴のような声を上げると、顔を蒼ざめさせて項垂れた。
食堂はしんと静まり返り、ミュリエがエルフリーデと僕の間に、戸惑いの視線を往復させている。
「では……本日の会議はこれで」
マグダレナさんがそう言いかけたところで、この食堂に蟠る凍てついた空気を全く無視して、ロジーさんが手を上げた。
「坊ちゃま、私からも一つ議題がございます。少々気になる事が……起こっております」
◇ ◇ ◇
「あの……姫様、ありがとうございます」
「リンツさまは、私の旦那さまになる方ですもの。お力になれたのでしたら、それはとても喜ばしいことですわ」
会議が終わり、それぞれがそれぞれの仕事へと戻る中、僕と姫様は二人、城壁の上へと上がっていく。
別に何か目的がある訳ではない。
僕は、北の方角を眺めるのが、習慣になりつつあるのだけれど、それに姫様が付き添ってくれたというだけの話だ。
今日の会議での決定事項。
役職を与えることと、エルフリーデを報告役に任命すること。
これは、いずれも姫様のアイデアだ。
そもそも人の上に立つ者の視点や考え方、そんなものが僕にあろうはずもない。
だから、いくつか気になっていることを、生まれながらの王族である姫様に相談したのだ。
そして、手の付けられるところから手をつけるために、今日の会議を招集したと……まあそういう訳だ。
それ以上の言葉もないままに、僕らは城壁にもたれ掛かって、ただ北の方角を眺めている。
相変わらず、何かがこちらに向かってくることは無かったけれど、城砦の周りの風景には、少しばかりの変化が起こっていた。
何人もの兵士達が行き来して、地面に描いた区画に従って、日干し煉瓦を並べている。
そのうち一つは、既に日干し煉瓦の壁が腰の高さにまで積み上がっていて、家屋の輪郭らしきものが出来上がりつつあった。
街づくりが始まっているのだ。
ちなみに試作として建てられた家屋の第一号は、農地のすぐ傍。農地で作業する兵士達の詰所だ。
泥を接着材に日干し煉瓦を積み上げて床と壁を造り、そして、屋根を造るという段になって、レヴォさんから一つの提案があった。
せっかくなので、余った麻の茎で、屋根を葺いてみるのはどうかと。
結果としては、麻葺きの屋根は、風通しも良く、適度に陽の光も通す、快適なものに仕上がった。
兵士たちの評判も上々なので、今建築中の家屋も、全てこの形になるだろう。
だが、何もかもが順風満帆という訳では無い。
木材が無いので、木戸や扉を造ることはできず、この新たに立てた家屋については、窓と扉の部分は開けっ放し。
麻でカーテンを作って、塞ぐことになってはいるが、あくまで風で砂が吹き込んだり、家の中が見えるのを防ぐ程度でしかない。
この辺りの事も、近いうちになんとかしなくちゃならない。
僕がそんなことを考えていると、姫様が静かに口を開く。
「リンツさま。ロジーの言っていたことですけれど、私には、あまりにも突飛すぎるような気がするのですが……」
「そうですね。ちょっと考えにくいことですけど……。でも、ロジーさんがああやって言うぐらいだから、きっと確信があるんだと思います」
「信じておられるのですね」
「はい!」
僕が大きく頷くと、姫様は――。
「……少し羨ましい気がします」
と、どこか寂しそうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
僕とロジーさんは物陰に隠れて、裏庭の方をじっと眺めていた。
会議の席で、ロジーさんはこう言ったのだ。
『この城砦に、私達以外の誰かがいます』
その根拠はナツメヤシの実が、毎日少しずつ減っていること。
「誰かがつまみ食いをされたとか、鳥に啄まれたとか、そういうことではありませんの?」
姫様のその問いかけに、ロジーさんは静かに首を振った。
「鳥の姿など一羽たりとも目にしたことはございませんし、この城砦の人間は今や、坊ちゃまのお陰で、毎日の食糧を余らせてしまうような有り様です。そんな状況で、わざわざおいしくも無い、生乾きのナツメヤシの実を食べようという者などおりません」
なんとも輪郭のぼやけた話ではある。
だが……、ロジーさんの言う通り、侵入者がいるという事ならば、放置しておく訳にもいかない。
そこで僕らは、今夜、裏庭を見張ることにしたのだ。
僕自身が見張ると主張すると、当然のようにみんなに反対された。
だが、見張る人数が多くなれば、相手に察知される可能性が高くなる。しかも相手の正体が分からないのだ。相応に対処できるだけの力が必要になるだろう。
レナさんがこの場にいれば、迷うことなくお願いするところなのだが、居ないものは仕方が無い。
というわけで、みんなの反対を押し切って、僕と言い出しっぺのロジーさんの二人で、裏庭を監視することにした。
裏庭には照明はなく、夜ともなれば、わずかな星明りに照らされるだけの暗闇。
とはいえ、見張り始めてから二時間も経てば、目も暗さに慣れてきている。
見える範囲には、ナツメヤシの籠と、時折吹く風に揺れる、干された麻の繊維だけ。
「……なにも現れませんね」
僕がそう口にした途端、ロジーさんが自らの唇に指を立てた。
――お静かに。
目でそう言いながら、彼女は顎をしゃくって、僕にナツメヤシの籠の向こう側を指し示す。
そちらの方へと目を向けると、暗い裏庭を取り囲む城壁。その壁面に、白い裂け目が広がり始めているのが見えた。
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