第三十四話 でも、姫様は好感度が上がる。
マグダレナさんに、日干し煉瓦を増産するための人員選抜をお願いして、僕らは早速、バルマンさん達に、麻の栽培をお願いしに行くことにした。
この時間なら、彼らは農地で収穫作業を行っているはずだ。
僕らが農地に辿り着くと、兵士の皆さんが一斉に直立不動の態勢になって、キップリングさんが小走りに駆け寄って来た。
貴族らしい細面は相変わらずだが、真っ黒に日焼けして、彼の表情は、どこかいきいきしているように見えた。
「陛下! ご視察でございますか?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど……」
そう言いながら農地の方を見回すと、つる草のようなものが畝を覆うように、生い茂っている。
「これは?」
「はい、ひよこ豆でございます」
「ひよこ……どこ?」
すると、ミュリエがキョロキョロと周囲を見回し、キップリングさんは、ニコニコしながら答える。
「ミュリエ様、ひよこでは無くひよこ豆。そういう名前の豆でございますよ」
「なにそれ? しらない」
「まあ……ご存じないでしょう。ですが、西クロイデルの西部では、よく食べられているものなのだそうです」
「ふーん」
「どうしてそんな変わったものを?」
「はい、陛下。なにせ、この農地のお陰で、豊作に次ぐ豊作。もはや食糧庫には、食べきれぬほどの作物が山積みでございます。このままでは、せっかくの作物を腐らせることにもなりかねませんので、できるだけ長く保存できるものを。そうバルマン殿に相談したところ、それならひよこ豆が良いだろうと……」
「なるほど! いつ人が増えるかも分かりませんし、貯蔵できる食べ物はいくらあっても困りませんしね。流石、キップリングさん!」
「あ、ありがとうございます!!」
少し顔を赤くしながら、満面の笑みを浮かべるキップリングさん。その向こう側に、バルマンさんがゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた。
「おーい、キップ。なにサボってやがんだ……ってなんだ、坊主じゃねぇか」
「こんにちは、バルマンさん」
僕がそういうのとほぼ同時に、キップリングさんがバルマンさんに声を荒げた。
「バルム! いい加減、陛下への口の利き方を直したまえ!」
「堅苦しいこと言うなよ。どうした? なんか用か?」
僕は二人に状況を説明して、麻の栽培をお願いしてみた。
「なるほど……燃料ですか」
「ははっ、坊主にしちゃぁ、良い目の付けどころだな」
麻と言い出したのはマグダレナさんだが、わざわざ訂正する必要もないだろう。僕は笑ってごまかす。
「しかし、バルム。たしか……麻は」
「ああ、種の備蓄が少ねぇ。まずは明日、ありったけの種を植えて、それを一旦収穫して種を取る。で、収穫した種をあらためて植えるかたちになるから、坊主に渡せるのは四日後だな」
「充分です。それでお願いします!」
◇ ◇ ◇
農地からの帰り道。
隣を歩いていたロジーさんが、僕の顔をじっと見詰めているのに気が付いた。
「どうしたんです?」
「坊ちゃま……すごく楽しそうですね」
「そう見えます?」
「はい、ご機嫌そうで私も嬉しいです。日干し煉瓦ができたからですか?」
「うーん、それもあるんですけど、気づきました? バルマンさんとキップリングさん、お互いの事を渾名で呼び合ってたんですよ」
僕の言ってることの意味が分からなかったのか、ロジーさんは少し困った様な顔になった。
あの二人は、平民と貴族なのだ。
もちろんバルマンさんの性格もあるのだろうが、それが身分の違いなどお構いなしに、互いのことを渾名で呼び合っているのだ。
『仕事は仲間を造る』
商人だった父親が、良く口にしていた言葉だ。
たぶん、ゴドフリートさんが目指していた理想の国というのは、こういうことが、特別ではない国なのだろう。
そうこうする内に、僕らは城砦へと辿り着いた。
少し早い時間だが、特に見て回るところもないので、部屋に戻ることにした。
僕が扉を開けると、そこには腰に手を当てて、見下すような視線を投げかける姫様の姿があった。
そして――
「おい坊主! テメェ」
と、姫様は僕の鼻先へと指を突きつけてくる。
ああ……ここにもいたよ。
僕がちらりと目を向けると、エルフリーデとミュリエが、真っ青な顔をして身を震わせている。
おそらくエルフリーデ達は姫様とも、事前に話をしていたのだろう。
二人の肩をがっちりと掴んだロジーさんの殺気が、どんどん膨らんでいく。
だが、姫様がそれに気づく様子はない。
そして、姫様は口を開いた。
「こ、この、えーと、えーと、あ、あなたなんて! えーと……おかえりなさいませっ!」
「…………………」
「あ、うん。ただいま」
どうやら、姫様には悪口のボキャブラリーは、ほとんど無かったらしい。
うん、姫様。なんか満足そうな顔をしてるのがかわいいです。
ロジーさんの方へ目を向けると、これには彼女もにっこり。
ただ、ロジーさんにがっちり肩を掴まれたままの、二人の顔色だけが悪かった。
◇ ◇ ◇
――更に二週間が過ぎた。
レナさん達が出発して、ほぼ一ヵ月。
僕は暇を見ては城壁に登って、中央クロイデル王国のある北の方角を眺めている。
だが、どれだけ眺め続けても、未だに人影の一つも見えなかった。
結論から言えば、煉瓦を焼く。という工程は上手くいかなかった。
燃料には、オガラと呼ばれる乾燥させた麻の茎を使ったのだが、どうやっても一定以上に火力が上らない。
直接炎が当たっていた部分の硬度は増しているが、それはほんの一部に過ぎなかった。
これに関しては、シモネさんに検討を続けてもらうしかないだろう。
だが、全てが無駄になった訳ではない。
日干し煉瓦も水周りには使えないというだけで、十分な強度を持っているし、麻の栽培はとても有益なものになった。食用にも、燃料にも使える油が大量に採れて、茎から引きはがした繊維からは糸を造ることができた。
今では麻も作付けのローテーションに組みこまれていて、大量に栽培されている。
衣料品の備蓄はあるにはあるが、それもいつかは底をつく。
そう思えば、衣料品の製造に取り掛かる切っ掛けができたのは、むしろ幸運だと言えるだろう。
マグダレナさんが衣料品の製造を任せたのは、モルドバさんという女性……にしか見えない男性だ。
はっきり言って……あれは反則だと思う。
身長はスラリと高く。腰に届きそうなほどの長い黒髪。透き通るような肌の美人。ただ……声だけが低いのだ。
マグダレナさん曰く、彼は仕立て屋の息子で、織物にも明るいとのこと。
それを聞いて、ロジーさんが僕にそっと耳打ちした。
「聞き覚えのある名だと思いましたが、あれは……坊ちゃまに可愛がられたい派の中心人物です。情報によると、好みのタイプは坊ちゃま。坊ちゃまを目にすると興奮して、動悸、息切れ、歯痛、生理痛その他諸々の症状が出るそうです」
それは聞きたくなかったよ……ロジーさん。
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