第三十 話 謎の農業生命体
「皆さん、頑張っておられますわね!」
ミュリエと手をつないで、僕らの前を歩いていた姫様が、どこか弾むような調子でそう言って振り向いた。
バルマンさんにライ麦の種の撒き方を教わった後、僕らはそのまま、農地にする予定の場所へと移動した。
僕らが農地に着く頃には、既に兵士達が作業に取り掛かっていた。
マグダレナさんにお願いして、事前に農地開拓に従業してもらう士官を三名選んで貰い、僕らが到着するより先に、進めておいて欲しい作業を説明しておいたのだ。
作業とは言っても、その内容はとても単純だ。
最初の農地として、縦二十シュリット(約百四十メートル)、横六十シュリット(約四百二十メートル)の長方形を、線を引いて地面に描いてもらうという事が一つ。
もう一つは、その長方形の範囲に湖から水を汲んで、満遍なく撒いておく事だ。
今、兵士達は桶に水を汲んでくる者と、柄杓で水を撒く者の二手に分かれて、一生懸命に作業してくれている。
僕らの姿に気が付くと、士官の一人が「作業やめッ!」と大きな声を上げ、兵士達は柄杓や桶を手にしたまま、僕らの方へと向き直って、直立不動の姿勢をとった。
「ご苦労様です。進捗はどうです?」
「ハッ! 作業はほぼ完了しております!」
答えたのは細面の、貴族らしい顔立ちをした三十台前半の士官。確か名前はキップリングさんだった……と思う。
彼は僕にそう答えた後、ちらりとパーシュさんの方を盗み見る。
あまり良い雰囲気の視線では無さそうだ。
うーん。やはり庶民あがりのパーシュさんが抜擢されたのは、面白くないのかもしれない。少し気を付けた方が良いのかも。
「ご苦労さまでした。じゃあ、僕もやるべきことを済ませてしまいますね」
僕は、彼に微笑み掛けると、独り農地の方へと足を踏み入れた。
僕が何をするのか気になっているのだろう。兵士達は、慌てて線で囲った農地の外へと出ると、息を呑んで僕の方を見守っている。
水を撒いたばかりだというのに、地面は早くも乾き始めていて、水溜まりが出来ているような場所も無い。
こんな状態では、普通ならこの土地を農地化することなんて、まず無理な話だろう。
僕は農地のほぼ中央まで来ると、地面に手をついて『恩寵』を発動させる。
『生命の樹!』
ついさっき、城砦の前でやったのと要領は同じ。
土の中に住まうという『作物を育ててくれる精霊』。それを自分なりにイメージする。そして、そのイメージで農地を覆う。
……よし。これで大丈夫だと思うのだけれど。
城砦に生命を与えた時に比べれば、全然問題は無いのだけれど、それなりの広さの土地に『恩寵』の力を行き渡らせるのは、かなり消耗が激しい。
僕は乱れた息を整えると、キップリングさんの方へと声を掛けた。
「キップリングさん。それじゃ、皆さんでここを耕して貰えますか? 石とかがあれば、線の外側に投げ捨てちゃってください」
「かしこまりました!」
キップリングさんがそう応えると、兵士達は手にした桶や柄杓を山積みにして、その隣に並べられている鍬や鋤を手に取る。
そして、農地の方から土に鍬を突き立てる音が、ざくざくと響き始めると、バルマンさんが不愉快げに顔を歪めた。
「まったく、見てられん! おいテメェ! 腰が入ってねぇんだよ。テメェの筋肉は飾りか! バカ野郎!」
そういって兵士達の方へと、小走りに走っていく。
「違うってんだろうが! だから腰が入ってねぇんだよ! テメェはよッ!」
「うるせぇぞ、ジジイ!」
途端にバルマンさんと、若い兵士達が怒鳴り合う声が聞こえて来て、僕は思わず首を竦める。
マグダレナさんにちらりと目配せすると、彼女は苦笑しながら、バルマンさん達の方へと歩いて行った。
うん、あっちはマグダレナさんに任せよう。
「パーシュさん。土系統の『恩寵』が使える人は、どの人ですか?」
「はい、陛下。ただいま呼んで参ります!」
パーシュさんはそう言うと、鍬を振り上げる兵士達の中から、一人の士官を連れてきた。
うん……すごい威圧感。
なにせデカい。
たぶん身長は三シュリット(約二メートル)ちかくあるだろう。手足は丸太ほどの太さがあって、顔もデカい。
だが顔立ちは優しい。
目は開いているのかどうか分からない程細く、しかも垂れ目がちなせいで、にこやかに笑っているように見えた。
「自分はァ、レヴォ・ギルトでありますゥ!」
「こんにちはレヴォさん。早速ですけれど、土系統の『恩寵』を持ってるんですよね?」
「はい。とはいってもォ、等級Dですのでェ、穴を掘るぐらいしかできませんけれどォ……」
「素晴らしい! 完璧です!」
「と、仰いますとォ?」
「土を掘ってもらって、水路と溜め池を造りたいんですよ」
すると、パーシュさんがおずおずと口を挟む。
「しかし、陛下。いくら水路を掘ったところで、この土ではすぐに染み出してしまうと思うのですが……」
パーシュさんの心配ももっともで、先程兵士達が撒いてくれた水も、多少鍬の刃の入りが良くなったという程度で、今はもう乾き始めている。
「うん、だからね……ミュリエ、こっちにおいで」
「なぁに? お義兄さま」
「ちょっと、手伝って欲しいんだけど」
「うん……手伝う。ミュリエが手伝うと、お義兄さまはうれしい?」
「うん、とっても嬉しいよ」
そう言って頭を撫でると、ミュリエは擽ったそうにはにかんだ。
「パーシュさんが掘った溝の内側を、ミュリエの『石化』で固めていって欲しいんだ。できる?」
「がんばる!」
僕はパーシュさんに、どこにどういう形で水路を這わせて溜め池を造るか。それを説明して、以降の指示をお願いした。
そして、僕は残る一人。姫様のところへと戻る。
すると、姫様が目を輝かせて詰め寄ってきた。
「私は何をすれば、良いんですの?」
僕は思わず苦笑する。
「兵士の皆さんが耕し終わったら、僕らも一緒に種蒔きをしましょう。それまでは応援ですね」
「分かりましたわ! みなさーん! 頑張ってくださいませ!」
ぴょんぴょんと跳ねながら声を上げる姫様の姿に、兵士達はちょっと驚いているように見えた。
午前中には農地を耕し終わり、一度城砦に戻って昼食休憩。午後からは、兵士の皆さんには畝づくりに入ってもらう。
畝の作り方の指導を、バルマンさんにお願いすると、「仕方ねぇな」と、口では不満げにそう言ってはいるものの、彼はどこか張り切っているように見えた。
兵士の数は三十人。
二十シュリットの畝を、一人二本ずつ造るという計算だ。流石にこれだけの人数が居れば、畝づくりも早い。
あっという間に終わり、次は種蒔き。
「どうすればよろしいんですの?」
「へぇ……まずは、畝の真ん中に、人差し指の第一関節ぐらいの深さの溝を掘ってくだせぇ」
「こうですの?」
「そう。姫様ぁ筋がいい! で、そこに親指の第一関節ぐらいの幅を開けて、種を撒いていくんでさぁ」
「うふふっ わかりましたわ! こうですわね!」
「そうです。へーうめぇもんだ!」
ちょっとぉ……バルマンさん、僕の時と態度が違いすぎません?
畝が出来るやいなや、姫様は待ってましたとばかりに自分からバルマンさんの傍に行って、種の撒き方を聞き始めたのだが、流石に姫様が相手となると、あのカミナリ親父も好々爺のようである。
そして、夕暮れ時には予定していた作業は、全て終了した。
「坊主、後はちゃんと水やりをして、雑草が生えてきたら抜いてやる。で、芽が出るまでは十日前後。一ヵ月もすりゃぁ葉が増えてくっから、そしたら麦踏だ」
「麦踏?」
「ああ、麦ってのはな。テメェみたいにヌクヌク育てられたお坊ちゃんとは訳が違うのさ。踏まれりゃその分、なにくそって強くなりやがる」
思わず、僕の表情に苦いものが混じる。
バルマンさんには僕の素性なんて、何も話していないのだから、そう思って当然。
ロジーさん達が「坊ちゃま、坊ちゃま」と呼んでいては、そりゃ良家の御子息だと思うだろう。
周囲を見回すと、相当疲れたのだろう。レヴォさんに背負われて、ミュリエがすやすやと眠っていた。
◇ ◇ ◇
城砦に戻ると……鰐がいた。
中庭の中央に、七シュリット(約五メートル)はある巨大な鰐が、腹を見せて横たわっていたのだ。
そして、その腹の上には、「どうだ参ったか!」と、言わんばかりの、ものっすごいドヤ顔のレナさんが胡座を掻いていた。
その日の夕食は急遽、鰐肉のソテーとパンに変わった。
食べてみると、鶏のささ身みたいな味で意外とイケる。わずかに臭みはあるが、それは料理の仕方で、どうとでも出来そうな気がした。
そして、
「ナツメヤシの方はどうですか?」
僕は、隣に控えていたロジーさんに、今日のことを聞いてみた。
「はい、問題ございません。大量です。八割ほどは籠に入れて、裏庭で干しておりますが、残りの二割は明日にでも煮詰めて、ジャムにいたします」
「それは楽しみですね」
僕がそういうと、ロジーさんはすまし顔で視線を上に向けた。僕は知っている。これは彼女が喜んでいる時の仕草なのだ。
僕もなんだか嬉しくなって、微笑んでいると、
「坊ちゃま、お水をどうぞ」
そう言って、エルフリーデが木のコップに注いだ水を差しだしてくる。
……彼女の指は、すごくふやけていた。
◇ ◇ ◇
「しばらくは、朝夕の水やりですね」
兵士の皆さんと一緒に、僕と姫様も農地へと出かけようとすると、ロジーさんやエルフリーデ、レナさんといった、昨日別行動した人たちも、ゾロゾロと後をついてきた。
そして農地に辿り着くや否や……
「うわぁ……。ライ麦ってこんなに簡単にできるんですね」
姫様がそう歓声を上げた。
そこには、金色の穂を揺らす一面のライ麦。
大豊作である。
「…………」
いや、いや、いや! どう考えてもおかしいでしょ? コレ!
「ぼ、ぼ、坊主、テメェいってぇ何しやがった!」
バルマンさんが胸倉へと掴みかかるような勢いで詰め寄ってくる。
でも、僕にだって、何が何やらさっぱり訳が分からない。
「何もしてませんってば! 僕はただ、バルマンさんが仰ったとおりに、土の中の『作物を育ててくれる精霊』を再生しただけで……」
すると、マグダレナさんが腑に落ちたとでもいうように、ポンと手を打った。
「ああ、それでわかりました! バルマンが精霊と言ったのは、喩えですわよ? 土の中には、目に見えないぐらいの小さな生物がいて、それが栄養や空気を作り出して、土を肥やしてくれる。そういう意味です」
「は? いや……だって、僕は地面の下にいる精霊を……」
「新たに生み出してしまったみたいですね」
マグダレナさんは苦笑する。
つまり、この農地の土の中には「作物を育ててくれる謎の生命体」が発生しているということらしい。
え? なにそれ、こわい。
自分がやったこととはいえ、これは完全に予想外。
だが、マグダレナさんに、全く動じる様子はなかった。
それどころか、
「でも結果としては上々でしょう。種を植えて一日で収穫できるなら、年間で百五十毛作ぐらいできますわね」
謎の生命体を、こき使う気満々だった。
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