第二十九話 怒鳴られて、ホッとする。
日の出とともに、僕らは食堂に集まっていた。
今日、何をやるのか。その打ち合わせの為だ。
集まった顔ぶれの中に、ティモさんはいなかった。
だが、その理由はわざわざ確認するまでもないだろう。
ティモさんは明後日、東クロイデルに向けて出発する事になっているのだけれど……。
うん、ギリギリまでのんびりしててもらおう、牢屋で。
ティモさんの代わりという訳ではないのだろうが、マグダレナさんのすぐ隣に、見慣れない男性が座っていた。
二十歳そこそこの、いかにも堅苦しい雰囲気を纏った眼鏡の兵士。
真面目さというものを型にはめて焼き上げたら、きっとこんな顔になるのだと思う。
マグダレナさん曰く、新たに任命した副官で、名前はパーシュ。庶民出身なので『恩寵』は持っていないが、算術に秀でているとのこと。
将来、経理と財務を任せられるように、今から経験を積ませておきたい。それがこの大抜擢の理由らしい。
マグダレナさんらしいと言えば、らしいけれど、貴族出身の士官たちの反発が、気になるところではある。
ともかく、今日が本当の意味での『神聖クロイデル王国』の第一歩なのだ。
やりたいこと、やらなければならないことは山ほどある。
一人でできることは限られているけれど、みんなに協力してもらえれば、きっとうまくやり遂げられる。僕はそう信じている。
僕は皆の顔を静かに見回す。
みんな、じっと僕が口を開くのを待っている。
パーシュさんだけが異常な程、緊張した顔をしているけれど、それもそのうち慣れてくれることだろう。
「じゃあ、まず最初に、エルフリーデ!」
「えっ!? わ、わ、わ、私ですの?」
自分に声がかかるとは、全く思っていなかったのだろう。エルフリーデは、おもいっきり狼狽えた。
「うん、エルフリーデには飲み水の確保をお願いしたいんだ。五人ほど人を連れて、湖に水をくみに行ってほしい。で、一部屋用意してもらうから、そこに水を運び込んで……」
「浄化すれば良いのですね」
「うん。でも湖には鰐がいるそうだから、気をつけて」
僕がそういうと、エルフリーデは蕩けるような微笑みを浮かべた。
「えへへ……お義兄……坊ちゃまに心配されちゃいました」
途端にロジーさんが彼女に、ジトッとした目を向けた。
「で、次はロジーさん。ロジーさんは十人ほど連れて、ナツメヤシの実の収穫をお願いします」
「え? お待ちください。私はぼっちゃまと一緒に……」
「ロジーさん、ナツメヤシに詳しそうでしたし、実を干す作業のやり方を他の人にも指導しておいて欲しいんです」
途端に、ロジーさんはあからさまに口を尖らせる。
「私はご心配いただけないのですか?」
「え、あ、ああそうですね。気を付けてください」
だが、それでもロジーさんは何やらご不満な様子。
ともあれ、僕は次の人へと話を進める。
「えーと、レナさん」
「おう!」
「でっかい鰐、捕まえて来てください」
「ハードル高けぇ!?」
「いや、食べられるらしいので、食用として試してみたいなと。それとも、やっぱりレナさんでも、鰐には勝てませんか?」
その瞬間、レナさんのこめかみの辺りでミチッ! と、なにかが軋むような音がした。
「てめぇ! 上等だ。絶滅させてやんよ!」
「一匹でいいんですってば……」
煽れば引き受けてくれるとは思っていたけど、想像以上にレナさんの可燃性が高すぎて、ちょっと引く。
僕が引き攣った笑いを浮かべていると、ミュリエがおずおずと手を上げた。
「私は……?」
「ミュリエには僕を手伝って欲しいんだけど」
「うん。がんばる!」
そう言って彼女は、気合を入れるように拳を握ると、むふーと鼻から息を噴き出した。
その途端、
「はいはいはい! はーい! 私は何をすればよろしいんですの?」
「え? あ……」
姫様が手を上げながら勢いよく立ち上がり、僕は思わず口ごもる。姫様に、何か作業をしてもらおうという発想そのものが無かったのだ。
「えーと……じゃあ、ぼ、僕のお手伝いを」
「わかりました! 全力でお手伝いさせていただきますわ!」
楽しそうに目を輝かせる姫様。
やばい。姫様に手伝ってもらえるような作業を何か考えないと……。
「マグダレナさんも、僕と同行してください。現地での兵士の皆さんへの指示をお願いします。それと、誰か土系統の『恩寵』が使える人はいませんか?」
マグダレナさんが、パーシュさんへと視線を向ける。
「レヴォは土系統だったかしら?」
「はい、確かそのはずです。呼んで参りましょうか?」
「あ、まだ大丈夫です。農地で作業する人達の内に、その人も含んでおいてくれれば、それで充分ですから」
「かしこまりました」
「あと、農業が得意な人を、誰か紹介してほしいんですけど」
「農家の出身者は多いですから……。でも一番といえば、バルマンかしら?」
バルマンという名前が出た途端、パーシュさんは思いっきり顔を顰めた。
「マグダレナ様、確かにバルマン翁の知識と技術は、達人の域だと思いますが、なにせ彼は口が悪いので……。流石に陛下の御前に出す訳には……」
――達人? それは願っても無い。
「かまいません。この後、そのバルマンという方を呼んでください」
◇ ◇ ◇
エルフリーデとロジーさん、それにレナさん。
それぞれに数名の兵士が付き従って出発するのを見送った後、僕らも城砦のすぐ外へと歩み出た。
この場にいるのは、僕とミュリエ、姫様。それにマグダレナさんとパーシュさん。最後に老人が一人。
実際は老人というには少し若いのかもしれないけれど、髭はもじゃもじゃなのに、頭髪は一本も無く、朝陽を反射して輝いている。
体つきはがっちりしているのに、やたらと手足が短い。言うなれば、小さなお爺ちゃんと言った風情。
「えーと……バルマンさんは農業が得意なんですよね?」
「誰に向かってものを言ってやがる! くだらねぇこと聞くんじゃねぇよ。脳みそ、旅に出てんのか? テメェはよ」
途端に、パーシュさんが「あー」と呻きながら、天を仰いだ。
僕は思わず苦笑する。確かに口が悪い。
一つ尋ねただけで、こんなにポンポン怒鳴られるとは、流石に思っていなかった。
「じゃ、教えて欲しいんですけど、この辺りの土で造れる作物って何が適していますか?」
「あん? この辺り? この赤土でか?」
いかにも不機嫌そうにそう応じると、バルマンさんはひび割れた土を指でほじくって、土の欠片を口の中へと放り込んだ。
「うわぁ……」
背後から姫様とミュリエのそんな声が聞こえた。
バルマンさんは何かを確認するように、口をモゴモゴとさせた後、ペッと土を吐き出す。
そして、
「ダメだな」
そう言って首を振った。
「ダメ……ですか? 赤土だから?」
「そうじゃねぇ。見りゃ分かんだろうが。テメェの目ん玉ァ飾りか? 元々はそれなりに粘土質で、良い土だったみてぇだが、こんだけ乾燥しちまっちゃぁ、使いもんになんねぇよ」
「それなら、湖から水路を引いて……」
「そうじゃねぇ。土がもうほとんど死んでやがる。目にぁ見えねぇが、土の中には作物を育てる精霊みてぇなのがいるんだ。そいつらがいねぇ訳じゃねぇが、なにせ数が少ねぇ」
僕は農業についての知識は全くないので、土に植えて水をかければ勝手に育ってくれるぐらいの感覚だったのだが、そういう訳ではないらしい。
だが、ほとんど死んでやがる。
ということは、まだ死んではいないという風に聞こえる。
「死んではいないんですね?」
「死んじまったら、土じゃなくて砂になるんだよ。そんな事も知らねぇのか、テメェは」
死んでいないのなら、なんとかできるかもしれない。僕はその場に手をつくと、その精霊というものを自分なりに想像しながら『恩寵』を発動させた。
「じゃあ、バルマンさん。この辺りの土ならどうです?」
僕は今『恩寵』を発動した辺りを指し示す。僕が何かをしたということが分かったのだろう。バルマンさんは相変わらず気難しそうな顔をしながらも、土くれを手にとって、パクリと口に放りこんだ。
そして、何か考える様な顔をした後、僕の方を向いてニッと笑った。
「坊主、テメェが何したかは知らねぇ。だが、まだ水は足りねぇが水路を引くってんならいけるだろう。植えるならライ麦だな。ありゃあ、痩せた土地でも良く育つ。ライ麦なら種もみを確保してある。植え方を教えてやっから、兵舎裏の倉庫から取ってきやがれ」
「わかりました!」
僕が言われるままに駆け出しかけると、パーシュさんが驚きの声を上げる。そして、バルマンさんに向かって詰め寄った。
「陛下! お待ちください! バルマン翁! さっきから聞いていれば、無礼にも程があるでしょう!」
「何がだ? 教えを乞うてきたヤツに、なんでワシがへりくだらにゃならん?」
「あなたねぇ! 陛下が一言命じれば、あなたの首なんてあっさり地に落ちるんですよ?」
「ハッ! この程度で人を殺そうってヤツなら、遅かれ早かれ殺されらぁ。テメェらがこの坊主を担ぎ上げるのは勝手だが、ワシはそんなこたぁ知ったこっちゃねぇ」
ギロリと睨みつけるバルマンさんに威圧されたのか。パーシュさんは身を仰け反らせた。
「と、とにかく種籾は、僕がとってきますから!」
パーシュさんが駆け出すと、バルマンさんは「フン」と鼻を鳴らす。その光景に、僕とマグダレナさんは、目を見合わせて苦笑した。
パーシュさんが戻ってくるのを待つ間に、ミュリエが突然、僕の服の裾を引っ張った。
「お義兄さま……お義兄さまは、あのお爺ちゃん怖くないの?」
姫様の方へと目を向けると、彼女も小さく頷いている。
確かに、普通なら結構怖いのだろうけど、下男の頃には、使用人達の態度はもっと酷かったし、あれぐらいは何ともない。
それに、今となっては、あれだけ気兼ねなく話をしてくれる人は貴重なのだ。
王様と呼ばれるようになってから、距離を取る人ばかりだったので、むしろ心地良いとさえ思える。正直、ホッとする。
「僕、ああいうタイプの人って、結構好みなんですよね」
そう言った途端、姫様とミュリエが、大きく目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。
お読みいただいてありがとうございます!
応援してあげる! という方は是非、ブックマークしていただけるとうれしいです。励みになります! よろしくお願いします!