第二十八話 妖精姫のうひゃひゃ。
今は午後、太陽は中天をわずかに過ぎた辺りに居座っている。
本格的な開拓作業は明日以降にするとしても、陽が落ちるまでには、まだずいぶん時間がある。
時折吹くそよ風が、ひび割れた土に芽吹いた雑草を揺らす他には、動くものも無い風景。
だが、周囲に何も潜んでいないとは言い切れないし、もしかすると、食糧になるような物も見つかるかもしれない。
何より安全確保のためには、周囲の状況をちゃんと把握しておくべきだろう。
「マグダレナさん。周囲の探索をお願いしたいんですけど」
僕がそう言うと、彼女は静かに首を振った。
「我が王、お願いではなくて、お命じください」
「いや……でも……」
「我が王。アナタは勘違いしておられる」
「勘違い……ですか?」
「ええ。命じるというのは、王として、アナタが全ての責任を引き受けるということです。それとも、あなたは謙虚さを隠れ蓑に、部下へと責任を押し付ける卑怯者でありたいのですか?」
――卑怯者。
その言葉は、流石に受け入れがたい。
マグダレナさんは、多分、僕を王様として教育しようとしているのだろう。だから、そんな極端な言葉を選ぶ。
姫様が彼女のことを『先生』と呼ぶように、本来、彼女は骨の髄まで教育者なのだ。
「……わかりました。マグダレナさん、周囲の探索を命じます」
僕がそう言うと、彼女は満足そうに頷いた後、士官たちを呼び集めて指示を出す。
士官の数は十一名。内、一名が率いる隊を除いて全ての隊に、湖周辺の探索を命じていた。
湖はここへ来る前に想像していたよりも、ずっと大きい。
向こう岸まではおそらく半マイレン(約八百メートル)ほどもあるだろうか。
城砦を出た十の隊は、それぞれに左右へと分かれて行った。
残った一隊は、城砦の警備に当たるということらしい。
城砦が移動していた時には、それほど警戒する必要も無かったのだけれど、いざ停止してしまうと、城壁の一面が完全に崩れ落ちていることは、防衛面では大きなマイナスとなる。
いつになるのか、全く目処は立たないけれど、城壁の修復が終わるまでは、兵士達に交代で歩哨に立って貰うことになるだろう。
やがて、日が暮れる頃になると、探索に出ていた兵士達が次々と戻ってきた。
最後の隊が戻ってくると、マグダレナさんは僕の部屋へと報告に来てくれた。
彼女がまとめてくれた報告に拠れば――。
水辺には夥しい数の動物の足跡が残っていたらしい。それは野牛のものだと推測されるとのこと。恐らく水場として使っているのだろう。
湖にはかなりの数の魚。但し、それを餌にする鰐も多く生息している。
水辺に近寄る際には、警戒が必要とのこと。
鰐かぁ……。
エルフリーデを適当に泳がせておけば、ひと月もすればそのまま飲めるぐらいに水も綺麗になるだろう。そう思っていたのだが、そんなに甘くはないらしい。
流石に僕も、『生命の樹』で再生できるから、エルフリーデなら多少齧られても良いと、そう割り切れるほど鬼畜ではない。
最後に、湖の周囲で自生しているナツメヤシが、大量に実をつけているという報告があった。
「どうやら丁度、実のなる時期のようですね」
「ナツメヤシの実って、食べられるんですよね?」
僕がそう問いかけると、マグダレナさんは「さぁ」と首を傾げる。すると、僕の背後でロジーさんが口を開いた。
「食べられます。乾燥に一年近くかかりますが、ドライフルーツにすれば甘くておいしいです。一応、生でも食べられますが、もし食べるのであれば、ジャムにした方が良いと思います」
彼女は料理も得意だが、王国内ではほとんど流通していないような果実にも精通しているのは、なんだか不思議な気がした。
◇ ◇ ◇
その日の夜は、マグダレナさんの提案で、ささやかな宴を開くことになった。
中庭の真ん中に火を焚いて、敷物を敷いて料理を並べ、お酒を解禁する。
兵士達は目的地に到着した安堵もあってか、大いに盛り上がっていた。
僕はしばらくその場にいた後、マグダレナさんに後を任せて、早々に部屋へと引き上げることにした。
居づらいという訳では無い。
だが、僕がいると緊張する人もいるだろうし、何より、少し考えたいことがあったのだ。
僕が自室の扉、そのノブに手を掛けたところで、パタパタと音を立てて、ロジーさんが追いかけてくるのが見えた。
彼女の様子は、普段と何も変わらない。
ティモさんが、なにやらしきりにロジーさんにお酒を勧めていたようだが、どうやら彼女は相当強いらしい。
「坊ちゃま、どうなされたのです? なにかお気に召さないことでもございましたか?」
「いえ、ちょっとやっておきたいことがあったので。ロジーさんも僕のことは気にせず、楽しんできてください」
「お断りします」
彼女は、きっぱりとそう言った。
ここで無理に戻らせようとしても、言う事を聞いてくれる人じゃないのは、良く分かっている。
僕はただ苦笑して、そのまま部屋へと足を踏み入れた。
部屋に入ると、僕はそのまま執務机へと向かった。
すると、ロジーさんは、いつでも僕の要望に応えられるようにと、僕の背後に控える。
いつもの事なので特に気にはならないけれど、もっと楽にしてくれていいのにと、そう思う。
だが「楽にして」と「お気遣いは無用です」、そういうやりとりは、当の昔に通り過ぎてしまった。
無駄だと分かっていて、今さら繰り返す必要もないだろう。
僕は机の引き出しからインク壺と羽ペン、それと羊皮紙を取り出して、「よし!」と気合を入れる。
明日からは、国造りが始まるのだ。
僕は、僕の出来ることを全力でやる。
そう決めた。
王様として国をつくるという事実に、最初は戸惑いしか感じなかったけれど、いざ心を決めてしまうと、途端にワクワクしてきた。
「計画的にやらないとね……」
今の人数のままなら、新たに住居を立てる必要もないのだけれど、マグダレナさんの言う通り、国に必要なのは、そこに住む民だ。
ここに到着する直前の会議で、東クロイデルにはティモさんが、西クロイデルにはレナさんが、そして中央クロイデルには、マグダレナさんの部下達八名が行ってくれることに決まった。
出発は三日後。
まずは馬車で中央に入って、そこからティモさんとレナさんは東西に分かれることになっている。
東と西に行く二人には、単純にそれぞれの国王宛の親書を届けてもらうだけだが、中央に入る八名の兵士は、各地を周回しながら、新しい国の噂を流してもらうことになっている。
何もかもうまくいって、新たに人が来るとしても、一ヵ月以上はかかるだろう。
それまでにはある程度、町としての体裁を整えておきたい。
僕は羊皮紙の真ん中に横長の楕円を描く。これが湖。次に、その上に黒い丸を描く。これが僕らのいる城砦だ。
「この城砦を城に見立てて……城下町として、城の周りに放射状に町を広げていきたいな」
広げていきたいも何も、まだ何もない荒野でしかないが、夢だけはものすごい勢いで膨らんでいく。
黒い丸を取り囲むように、半円形を描く。これが町だ。
だが、そうなると次の問題が出てくる。
「農地と町はちゃんと分けておきたいなぁ。農地は水辺からそれほど離す訳にはいかないし……。だとしたら城から結構離れたところになっちゃうのか……」
半円形の外側、湖に沿って、いくつかの長方形を描く。
これが農地。
「うーん、やっぱり先に小屋を建てた方がよさそうだなぁ……。農具を置いたり休憩するようなヤツを。日陰も無いようなところで、ずっと農作業なんてできないよね」
僕が背もたれに身体を預けて天井を仰ぐと、背後からクスリと笑う声が聞こえてきた。
「何か、おかしかったですか?」
僕が振り向いてそう問いかけると、ロジーさんは微笑みながら首を振った。
「いえ、坊ちゃま。楽しそうだなと思いまして。こんなに楽しそうな坊ちゃまを拝見するのは、初めてだと思います」
「そう……ですか?」
「ええ、坊ちゃまは嫌がっておられるものだと思っておりましたので、少し意外な気がします」
「最初は確かに嫌でしたよ。でも、逃げられることでもありませんし、泣いて嫌がるぐらいなら、出来る事を頑張ってやった方がいいんだろうなと……」
「うふふ、流石、私の坊ちゃまです」
私の……か。
最近は、ロジーさんと二人きりになれる機会は、ほとんどない。
気になっていたことを尋ねるには、今しかないのかもしれない。
僕はそう思った。
「ねぇ、ロジーさん。僕が姫様と結婚するって話、どう思いますか?」
「はい。結構なお話ではないかと」
「……ロジーさんは、嫌じゃありませんか?」
「坊ちゃま。私は、誰が坊ちゃまの奥様になろうと一向に構いません。それが坊ちゃまのためになるのであれば、たとえそれがエルフリーデであったとしても、笑って受け入れられます」
「いや……それは流石に……」
「喩えでございます。喩え。私が申し上げたいのは、坊ちゃまのためになって、且つ、私が坊ちゃまのお傍でずっとお世話できるのであれば、何も問題は無いということです」
「じゃあ、もし、もしですよ! 僕がロジーさんのことを好……」
「私は坊ちゃまのことが、大好きですよ。メイドとして」
僕が最後まで言い切る前に、ロジーさんがそう言った。
あれ? もしかして今、僕、距離を取られた?
僕がそう思った途端、ガタガタっと音を立てて、部屋の扉が開いた。
「ただいまぁですわぁ……えへへぇ! でぃーとりんで、さんじょー! よっぱらっひゃいまひたぁ!」
騒がしい声を上げながら、部屋の中に転がり込んで来たのは、姫様。
「姫様、どうしたんですか!?」
どうしたも、こうしたも、見たままである。
姫様は、眠たげな眼で部屋の中を見回すと、
「うひゃひゃ、リンツしゃま、みいつけたぁ!」
そう言うや否や、彼女は僕の方へと飛びついてきた。そして僕の膝の上に飛び乗ると、胸に頬を擦り付ける。
「ちょ、ちょっと! 姫様! しっかりしてください」
「うーあついれひゅ……」
暑いんだったら、くっつかないでくださいよ……。
僕が思わず呆れると同時に、姫様は突然立ち上がって、
「あひゃひゃ、もう寝るぅ、寝ちゃうのですぅ。ろじー、きがえさせてぇ!」
そう声を上げると、思いっきり着ている服を捲り上げた。
目を背けようとしたものの、もう遅い。赤みがかった白い肌になだらかな膨らみ。その先のピンクの蕾が目に焼き付いた。
僕は必死に姫様が捲り上げようとする服を押さえつけ、ロジーさんの方へと声を上げる。
「ロジーさん。なんとかしてください! っていうか、なんでこんな事になってるんですか!?」
「はい、坊ちゃま。あの詐欺師が、やたらに女性にお酒を勧めてまわっておりましたので、そのせいかと。まあ、マグダレナ様が監視されておられましたので、あの男の毒牙にかかるような者は居らぬとは思いますけれど……」
っていうか、ロジーさん……。
あなたが今、話掛けているのは、甲冑の置物です。
どうやら、見た目が変わらないというだけで、ロジーさんもかなり酔っぱらっていたらしい。
この悪夢のような状況は、姫様がガクリと眠りに落ちてしまうまで続いた。
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