第二十六話 そして、僕らの国が産声を上げた。
「神の右腕!」
右手を高く掲げたロジーさんの声が、高らかに響き渡る。
ゴクリ。
僕は、思わず喉を鳴らした。
夕闇の空。
そこに巨大な蒼い光の環が、幾重にも浮かび上がり、紫電が周囲で明滅する。
やがて、蒼い環の中央に、巨大な影が浮かび上がり始めた。
息を呑んでそれを見守っていると、突然、地軸を揺らすような轟音が響き、激しい光が世界を白く染める。
「きゃっ!!」
その途端、エルフリーデはビクリと身体を跳ねさせると、悲鳴とともに膝にのせていた僕の頭を抱きかかえて蹲った。
「いやぁあああ! お義兄さまぁ! 雷やだぁぁぁ!」
「おちつ……むぎゅっ!?」
取り乱すエルフリーデ。むにゅんと柔らかい感触が僕の顔全体を覆って、声を上げる間も無く、視界を塞がれる。
あれ? こんなに大きかったっけ?
……などと言っている場合ではない。
塞がれたのは視界だけじゃない。これダメな奴だ! 息ができない! 死ぬ! 元義妹に殺される!
僕は必死にエルフリーデの背中を叩いた。だが、エルフリーデに力を緩める気配はない。
決して、彼女の力が強いという訳ではないのだが、僕は余りにも弱りすぎていた。
遠くで太鼓を打ち鳴らすような凄まじい轟音が響き渡り、ガタガタと城砦そのものが揺れる。
その振動を背中で感じながら、為す術もなく、僕はそのまま意識を手放した。
◇ ◇ ◇
僕は静かに瞼を開いた。
意識が朦朧としている。
起き抜けの霞がかった視界に映るのは、見覚えのある天井。僕とティモさんに割り当てられた城砦の一室だ。
自分が何をしていたのか? なんでこんなところにいるのか?
すぐには思い出せなくて、考えながら再び目を閉じる。
その途端、僕の脳裏に右手を空へと掲げるロジーさんの姿が過った。
そうだ! ロジーさんが『恩寵』を使ったところで、僕はエルフリーデに昏倒させられたのだ。
確かに彼女は、雷が苦手だった。わざとではない。
そう思いたいが、相手がエルフリーデだと思うと、途端に疑わしい気がしてくる。
実はエルフリーデは、まだ僕のこと嫌ってるんじゃないか?
そう思えてくるのだ。
……考え過ぎだろうか?
うん……まあ、とにかく死ななくてよかった。
『義妹のおっぱいで窒息死』という死因は、流石に取り返しがつかない。
ましてや以前のエルフリーデなら、嬉々として墓石に刻むぐらいのことはやりかねない。
僕は『おっぱいで死んだ男、ここに眠る』、そう書かれた墓石を想像して、思わず身震いした。
あらためて目を閉じると、背中に微かな振動を感じる。
どうやらこの城砦は、僕が意識を失った後も、問題なく走り続けていたらしい。
それはすなわち、あの後、甲冑達の追撃を受けることは無かった。そういうことなのだろう。
結局、ロジーさんの『恩寵』がどんなものかは、分からなかったけれど……。
僕が寝返りを打とうと身を捩ると、右の二の腕辺りで何か柔らかい物が、むにょんと弾む感覚があった。
「お目覚めですか? 坊ちゃま」
慌てて声のした方へと顔を向けると、鼻と鼻が擦れるぐらいの至近距離に、ロジーさんの顔があった。
……いやいや。そんなことでは、もう動揺しませんよ。
朝起きたら隣にロジーさんが寝ているという状況は、過去にも何度かあった訳で……。
下着姿だったというケースも、既に経験済みだ。
だが、
「ああ……おはようございま……うぇえええええええええ!?」
僕は思わず声を上げた。
案の定、ロジーさんは下着姿。
褐色の肌によく映える白の下着姿だ。
そこまでは、まあ良しとしよう。
彼女は、僕の右腕にしがみついていた。
もちろん、ただしがみついていただけなら、ここまで慌てはしない。
二の腕は彼女のふくよかな胸の間に挟み込まれ、手首から先は彼女の太腿の間に挟み込まれて、手の甲がとんでもないところに触れている。
「ロ、ロ、ロ、ロ、ロジーさんっ!?」
思わず、声を上ずらせる僕。
だがその時には既に、左腕にも同じような感触があることに気付いていた。
――ま、まさか、姫様まで!?
慌てて左に顔を向ける。
すると、
「姫様かと思ったのでしょう? 残念、私ですわ」
「マグダレナさんっ!?」
流石にこれは予想していなかった。そこに居たのはマグダレナさん。彼女も菫色の下着姿で、ロジーさん同様に僕の左腕を挟み込んでいた。
「な、なんです!? これ!?」
大混乱である。
僕は慌てて跳ね起きようとした。だが、両腕を二人の年上美女にがっちりと挟まれていて、全く身動きが取れなかった。
「あら? 年上はお嫌いかしら?」
「坊ちゃまに限って、そんなことはありません」
ロジーさんが、即座に否定する。
「むしろ、坊ちゃまは三歳ぐらい年上がお好みです」
やけに具体的!?
「ふ、二人とも、な、何してるんですか!」
「坊ちゃまは魔力を使い果たしておられました。このままではお命に係わる。そういう状況でしたので……」
「私達で癒して差し上げておりましたのよ。我が王」
「むしろ今、物凄い勢いで神経がすり減っていってるんですけど!?」
するとロジーさんが、「なに言ってんの?」とでも言いたげな顔をした。
「坊ちゃま。人間は微々たる量ではありますが、常時魔力を放出しております。肌と肌を接触させることで、それを吸収することも可能なのです」
なに、その嘘くさい話!?
「ええ、ですので、私とメイド嬢。魔力の放出量が多い上位等級者二名で、我が王を癒して差し上げていたという訳ですわ」
マグダレナさんまで、「当り前でしょ?」と、いわんばかりの顔をしてそう言った。
えぇぇ…………。
自分の内側を探ってみると、確かに完璧とは言わないまでも魔力は回復している。
マジで……?
「では私の役目は、ここまでですわね」
呆然とする僕の顔を覗き込んだ後、マグダレナさんは、そう言って微笑んだ。
彼女が身を起こすと、菫色の、やけに布地の少ない下着から、零れ落ちそうなほどの大きな果実が、僕の目の前で盛大に弾む。
僕の目がそこに釘付けになると、ロジーさんが、ギュッとぼくの右腕を抱きしめて、微かに唇を尖らせた。
「坊ちゃま。目がいやらしいです。そう言う目は、私にのみ向けていただければ結構です」
すると、マグダレナさんは、何か微笑ましいものでも見たような顔をして、口を開いた。
「まあまあ。ともかく我が王もお着換えください。皆も心配しておりますので、ご無事な姿を見せてあげていただきたいのです」
「皆?」
「ええ、あれだけの力をお示しになられたのです。兵達は皆、我が王、あなたの事を『地上に降りられた神』なのだと信じております」
「ファッ!?」
「まあ、私がそう喧伝したのですけど」
なんてことすんだ、アンタ!?
僕が唖然としていると、彼女は僕の鼻先にまで顔を突きつけて言った。
「我が王。既に申し上げた通り、あなたには新たな国をお造り頂きます。そして東と西を相手に中央クロイデルを取り囲む、三つ巴のパワーゲームに持ち込んでいただく。それしか中央クロイデルの人々を救う手段はありません」
「……互いに牽制しあう状態を造る。ということですか?」
僕の問いかけに、マグダレナさんは静かに微笑む。
「ずいぶん大雑把ではありますけれど、そういう事です。……ですが、それには我々も東と西、それに対抗できるだけの国力を持つ必要があります。軍事力ならば、上位の恩寵所持者が三名いるというだけでも伍するのでしょうが、それだけでは国としては成立いたしません」
「と、いうと?」
「必要なのは国民です。幸いというと、ずいぶん語弊があるのでしょうが、中央には今回の反乱で行き場を失ったものも多くいるでしょう。中央クロイデルの正統後継者である姫様と『神の恩寵』を持つあなたが、新たな国を興したとなれば、こちらへ移ってくるものも少なくはない筈です」
僕が言葉に困っていると、ロジーさんがスッと、服を差し出してきた。
それは、今まで来ていた野良着とは似ても似つかない、金糸に彩られた絹のローブ。
「あの……ロジーさん、これ僕の服じゃ……」
「坊ちゃま。王様が野良着ではおかしいと思いませんか?」
どういう訳か、ロジーさんもマグダレナさんの意見に賛同しているらしい。
一体、僕が眠っている間に、二人の間でどんな話が為されたのだろうか……。
僕らが部屋を出ると、そこは中庭に面した二階の廊下。
朝陽に照らされる窓の外、崩れ落ちた城壁の向こうに、赤土の荒野が果てしなく広がっているのが見えた。
「もう、ずいぶん南の方まで来ているみたいですね」
「ええ、成り行きではありますけれど、それも好都合です。簡単には攻めて来られないぐらい距離をとれば、当面は国力の充実に時間を割くことができます。幸い、過去に送った調査団の報告によれば、荒野の南側に大きな湖があることが分かっておりますので、まずはそこに王都を拓くことからはじめましょう」
窓から下を見回せば、昨日の戦闘を思い起こさせる、荒れ果てた中庭。そこで多くの兵士達が車座になって、話に興じている。
どうやらティモさん達も合流できたらしい。
兵士達の輪の一つに、ティモさんの姿が見えた。
「ま、リンちゃんと俺は親友同士だからな。今回だって俺が! いいか、この俺が! 身を挺して、『恩寵』を阻害してた魔道具をぶっ壊してやったんだぜ!」
「流石、ティモの兄さん! パネェっす!」
そんなやり取りが聞こえてきて、僕は思わず苦笑する。
すぐ隣のロジーさんは、害虫を見る様な目で、ティモさんを眺めていた。
親友かどうかはともかくとして、ティモさんに助けられたのは間違いない事実だ。
僕には彼が、レナさんが言うほど、悪い人だとは思えなかった。
中庭の、隅の方へと目を向ければ、野戦病院さながらに負傷兵たちが、敷かれた白布の上に横たわっている。
衛生兵と思われる男女に混じって、ミュリエとエルフリーデ、レナさん、それに姫様までもが、甲斐甲斐しく看護にあたっているのが見えた。
だが、
エルフリーデが、恩寵を持たない兵士を看護?
あの、エルフリーデが?
それは正直、目を疑う光景であった。
やはり、昨日のアレは、わざとでは無かったのだろう。
彼女は彼女なりに、変わろうとしているのかもしれない。
この後、僕も負傷者の治療に回ろう。そう決めた。
今日中に全員は無理かもしれないけれど、僕の『恩寵』を使えば、どれだけ重傷であったとしても、命さえあれば治すことができる。
「我が王。この城砦の兵士達は、あなたの国の最初の民。元気なお姿をお見せになって、安心させてやってください」
「はぁ……」
僕は、ついつい気乗りのしない返事をしてしまう。
流されるままに、王様ということになってしまっているけれど、本当に、僕に王様なんて務まるのだろうか?
浮かない顔の僕をよそに、マグダレナさんは、中庭に向かって声を張り上げた。
「皆さーん! 我らが王のお出ましですわよ!」
途端に兵士たちが立ち上がって、一斉に歓声を上げる。
「皆さんもご存じのとおり、陛下は地上に、我々の下に、降り立たれた神です」
うわっ……否定したい。
たぶん今、僕の眉はハの字を描いている。
「そして、我々を導いてくださる王でもあります。あなた達はその栄光ある最初の民となるのです!」
この人、どんだけハードルを上げれば気が済むんだ……。
「そして、我が王は、今! ここに! 神聖クロイデル王国の建国を宣言されました!」
してないよ!? 今、初めて聞いたよ!?
とんでもない早さで、外堀が埋められていく。
驚愕の表情を浮かべる僕に、ロジーさんがそっと耳打ちした。
「神の恩寵を持つ坊ちゃまが王なのですから、神聖という言葉はピッタリです。姫様を娶られて、正統なクロイデル王家という看板を背負えば、ますます完璧。流石はマグダレナさまです」
……というか、僕が姫様を娶るのは、ロジーさん的には問題ないのだろうか?
それはそれで、なんだかモヤモヤする。
歓声を上げる兵士達を満足げに見回した後、マグダレナさんは僕の方へと向き直って、ニコリと微笑んだ。
「それでは我が王、民に何か一言お言葉を」
なに、その無茶ぶり!?
中庭の方へ目を向けると、兵士達が期待に満ちた目で、真っすぐに僕の方を見ている。
思わずたじろぐ僕に、ロジーさんがそっと耳打ちした。
「坊ちゃまご自身のお言葉で良いのです」
……そうだ。
真剣な表情で僕の言葉を待ってくれている人達。
だが、僕が言えることなど、たった一つだけしかない。
「がんばります」
みんなにしてみれば、拍子抜けかもしれないけれど、僕らは自分の出来る事を、頑張ってやっていくしかないのだ。
戸惑うような空気の中で、レナさんが大きな音を立てて拍手してくれた。それは次第に広がって、中庭が拍手で満ちる。
かくして、荒野のど真ん中、走る城砦の上。
万来の拍手の中で、僕らの国が今、産声を上げた。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。
これにて第2章終了となります。
そして次章、第三章からは、国造りがメインとなっていきます。
引き続き、第三章もどうぞ、よろしくお願いいたします!
※書籍版第一巻はここまでの話ベースに大幅に改変しております。
(出るかどうかは売れ行き次第ですが)二巻以降は完全に書き下ろしの全く別のストーリーにするということが決定しておりますので、WEB版はWEB版として、書籍版は書籍版としてお楽しみいただければ、とても嬉しいです。