第二十五話 城砦蟲
誰もが言葉を失ったまま、宙空に現れた光球をただ呆然と見上げていた。
ティモさんの声が聞こえたのは、僕だけ。
今この場が、火にかけられる直前の鍋の中みたいなものだと知っているのは、僕だけだ。
『逃げろ!』
僕はそう叫びかけて、それがただ混乱を誘うだけだと気付いて思いとどまる。
叫んだところで、一体、何処へ逃げれば良いというのだろう。
逃げ場など、どこにもありはしない。
ならばこの状況で、僕に何ができる?
『神の恩寵』をどう使いこなせば、この状況を変えられる?
いくら手を伸ばそうとも、あの光球には届かない。
何か飛べる生物を生み出して、光球を破壊させる?
ダメだ。
わずかな衝撃でも与えれば、あの光球は途端に爆発してしまうことだろう。
僕が独り懊悩している間にも、光球は心臓のように拍動を繰り返しながら、膨れ上がっていく。
視界の隅の方に、石の隙間から這い出た虫達が群れをなして、それこそ慌てるように城壁を乗り越えていくのが見えた。
どうやら人間よりも彼らの方が、鋭敏にこの危機を感じ取っているらしい。
……なんだ?
今、僕の頭の中をとんでもないアイデアが過った。
そんなことが出来るのか?
出来るかもしれない。
『恩寵』を限界まで使い切れば、頓死してしまうことだって有り得る。そう聞いている。
だが、もはやこれしか道は残されていない。
僕は周囲を見渡して、声を限りに叫んだ。
「みんな伏せて! なんでも良いから掴まってください!」
突然叫び始めた僕の方へと目を向けて、誰もが戸惑ったような顔をする。
「かしこまりました!」
だが、いち早くロジーさんがその場に身を伏せると、皆も顔を見合わせながら、次々にその場に身を伏せていく。
そして、僕も同様に身を伏せると、石畳へと指を這わせて、『神の恩寵』を発動させた。
『生命の樹!!』
石畳から根を伸ばし、それを城砦全体にまで広げるイメージ。蔓延った根は血管へと変わり、血液が心臓へと流れ込んで、鼓動を開始する。
途端にグラグラと大地が揺れた。
城砦そのものの軋む音が響いて、砂礫が宙を舞う。
そして突然、下から突き上げるような振動が、僕らの身体を跳ね上げた。
「きゃあああああ!」
「な、なんだ! 地震か!?」
あちらこちらから、悲鳴と戸惑いの声が木霊する。
「坊ちゃま!」
ロジーさんが僕の身を庇う様に、必死に上へと覆いかぶさってきた。
その瞬間、城砦そのものがぐらりと傾いて、城門とは逆側。荒野に面した一角が勢いよく跳ね上がる。
そして、
キシャァアアアアアアアアアアアアアァ!
と、甲高い咆哮が響き渡った。
◇ ◇ ◇
俺とレナちゃんは城砦とその上で膨れ上がる光球から、少しでも遠くへ離れようと、必死に馬を走らせていた。
アレはシャレにならない。
連中の指揮を執っているヤツは、絶対どうかしてる。
過去にアレを見たのは一度だけ。
俺がまだ、東クロイデルの王立学院で、学生をやってた頃の話だ。
そもそも、あの『人工太陽』は、十数年前の魔導実験の際に、偶然出来たものだ。
その時は確か、小指の先程の大きさのモノだったはずだが、それでも研究棟は全壊。多くの死傷者を出した。
もちろん指導教員はクビになって、学院は以降の研究を禁じ、資料は全て破棄されたと聞いている。
だというのに、魔法陣を通じて転移してきたのは、まさにあの時の光。臨界寸前の人工太陽に違いなかった。
それも、以前とは比べ物にならない大きさだ。
あんなものが暴走したが最後、後には何も残らない。
それをレナちゃんに話したら、彼女は律儀にも城砦の方へ戻ろうとした。
バカげている。冗談じゃない。
俺らが戻ったところで、死体が二つ増えるだけ。
いや死体も残らない。
焼け焦げた塵がわずかに増えるだけだ。
だから、俺は彼女を説得した。
詐欺師の俺にしてみれば、本気になれば、彼女を説得することなど訳もない。
なにせ、彼女は剣士だ。
詐欺師にとっては一番与しやすい、単純な連中の一人なのだ。
剣士を騙すには、剣士の美学に触れる言葉を使ってやればそれで良い。
「俺達が死んだら、誰があいつらの骨を拾うんだ?」
これで良い。これだけで良いのだ。
彼女は血がにじむほどに唇を噛みしめながらも、一目散に荒野の方へと馬を走らせ始めた。
俺は彼女の背に掴まりながら、背後を振り返る。
光球がその眩い光で、城砦の影を色濃く大地に焼き付けているのが見えた。
もはや臨界寸前。
俺達だって、衝撃波の届く範囲から逃れられるかどうかの瀬戸際だ。
「リンちゃん……悪く思うなよ」
ちょっとした感傷混じりにそう呟いた途端、俺は思わず目を見開いた。
激しい地鳴りとともに、城砦そのものが浮き上がった。いや浮き上がったように見えたのだ。
目を凝らして見てみれば、立ち昇る土煙の向こう。城砦の下から、甲殻類のような節の付いた足が無数に生えて、蠢いているのが見えた。
「えええええっ!?」
俺が声を上げたのと同時に、城砦は、まるで嘶く悍馬のように、数十本もの前足を高く持ち上げて、
キシャァアアアアアアアアアァ!
と、甲高い咆哮を上げる。
そして、無数の脚を蠢かせて、恐ろしい勢いで走り始めたのだ。
◇ ◇ ◇
激しい振動とともに城砦そのものが疾駆し始め、宙空に浮かぶ光球が、徐々に遠ざかって行く。
「じ、次代の王! なんですこれは! 何をしたのです!」
「後にしてください!」
顔を引き攣らせながら問い掛けてくるマグダレナさん。だが僕の方には、丁寧にそれに答えているような余裕なんて無い。
やはりこれは、規模が大きすぎるのだ。
まるで真綿が水を吸う様に、僕の力が城砦に吸い上げられていく。
全く終わりが見えない。
城砦は砂煙を上げて疾走し、光球はどんどん遠ざかって行く。
すぐに城壁の影に隠れて、僕のいる中庭からは光球の姿が見えなくなった。
その光に照らしださえる昏い空と、空に描かれた複雑な文様の端がわずかに見えるだけだ。
随分と遠ざかった。だが、まだ安心はできない。
「もっと、もっと速く!!」
僕がそう叫ぶと、
キシャァアアアアアアアアアアアァ!
それに応えるように、城砦が再び咆哮を上げる。
途端に、振動は激しさを増し、一気に速度が上る。
だがそれと時を同じくして、
――光球が臨界を突破した。
世界が白い光に包まれて、周囲から音が消える。
水を打ったような静寂。
だが次の瞬間、耳を劈く様な大音響とともに、視界に色彩が戻ってくる。
爆発した。――そう認識したのは何秒か後の事。
音が物理的な衝撃になって城砦全体を激しく叩き、城砦の後部が、なすすべも無く宙へと浮き上がる。
つんのめるような形になった城砦は、
キャアアアアアアアアアアアアアアアア!
と奇妙な悲鳴を上げながら、前方の脚で地面を掴み、大きく前へと傾いた城砦の上では、悲鳴を上げながら兵士達が前へと転がっていく。
衝撃波に晒された最後尾の城壁がはじけ飛び、崩れ落ちた石のブロックが紙のように舞い上がる。
悲鳴と共に幾人もの兵士達が宙空へと投げ出され、どこかへ弾き飛ばされていくのが見えた。
慌てて皆の方へと目を向けると、『石化』の『恩寵』で自分の手を石畳に固定したミュリエ。そして、彼女の身体に掴まった姫様とエルフリーデが、その身を宙に泳がせているのが見えた。
だが、衝撃波が収まると同時に、今度は宙へと浮き上がっていた城砦の後部が、一気に地面に叩きつけられる。
襲いかかってくる激しい衝撃に、内臓が悲鳴を上げた。
そして城砦は、しばらく跳ね回った末に、徐々に動きを止める。
激しい振動が止むと、高く立ち昇った土煙が、砂礫となって、パラパラと僕らの上へと降り注いだ。
――助かった……のか?
僕は、静かに顔を上げる。
「み……みんなは?」
「大丈夫……のようです。坊ちゃま」
僕の上に覆いかぶさったままのロジーさんが、そう応えた。
見回してみれば、僕のすぐ傍で、マグダレナさんがゆっくりと身を起こすのが見える。
姫様もミュリエもエルフリーデも、肩で息をしてはいるが、大きな怪我は無さそうだ。
だが、背後を振り返れば、被害は甚大。
最後尾の城壁は吹っ飛んで、跡形もない。兵士達の中には助からなかったものもいるのだろう。
呻き声や仲間を探す兵士達の声が幾つも聞こえて来て、胸が締め付けられるような気がした。
空隙と化した城壁。その向こう側へと目を向ければ、そこに広がる風景は、更に酷い。
広範囲に渡って地面が抉れ、まるで深皿のようになっている。高熱に溶けた石が、真っ赤に灼熱して、各所から黒い煙が立ち上っているのが見えた。
あのまま光球の下にいたならば、僕らは今頃、塵となって風に舞っていたのだろう。
そう考えた途端、僕の背中を冷たい汗が滑り落ちた。
目を凝らして見てみれば、大きくえぐれた大地の向こうに、幾つもの影が立ち並んでいる。
城砦を襲った甲冑たちだ。
だが、彼らがこちらに向かってくる気配はない。
彼らも呆気に取られているのかもしれない。
もしそうなら、僕らにとっては好都合なのだけれど。
「でも、悔しいな……」
思わず口をついて出たのは、そんな言葉。
僕らしくはないのかもしれないけれど、本音だ。
なんとか凌ぎはしたが、これが戦争だと思えば、完敗と言わざるを得ない。大事な人達を傷つけられたのに、それに見合うだけの報いを受けさせることも出来ていない。
だが、僕ももう限界。
意識を繋ぎ止めるのが精一杯という有り様だ。
すると、僕の上に覆いかぶさってくれていたロジーさんが、静かに身を起こす。彼女は意外そうに僕の顔を覗き込んだ。
「坊ちゃま……くやしいのですか?」
「……そうだね」
彼女にしてみれば、本当に意外だったのかもしれない。
下男に落とされた時にも、僕は何一つ抗うことは無かったのだから。
ロジーさんは小さく頷くと、背後に向かって声を上げた。
「エルフリーデ! こちらに来て、坊ちゃまのお世話を」
「は、はい! メイド長さま」
ロジーさんが立ち上がるのと、入れ替わりにエルフリーデが僕の傍に座る。そして、僕の頭をその膝の上に乗せた。
正直、エルフリーデに膝枕をされるのは、何とも居心地が悪すぎる気がしたけれど、抗おうにも、僕は疲れ過ぎていた。
「坊っちゃまが悔しいとおっしゃるならば、それを取り除くのは私、このロジーの務めでございます」
ロジーさんは、そう言って城壁の向こうに立ち並ぶ甲冑達を睨みつける。
「坊ちゃま。夜会の日、私は自身の『恩寵』が変化した事を知って、思わず身震い致しました。上位の等級を手にしたからではありません」
こちらに背を向けたまま、ロジーさんが右腕を空へと掲げる。
「坊ちゃまが『神の恩寵』を手に入れられた今、この私の『恩寵』が、まさに生涯を坊ちゃまに捧げよという、神のご意志に違いない。そう思えたからでございます」
そして、彼女は、『恩寵』を発動させた。
――神の右腕!
お読みいただいてありがとうございます!
今回で第二章終了の予定でしたが、すみません。
長くなり過ぎたので二話に分けさせていただきました。
あと一話、ご容赦ください。
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