第二十三話 軽い神様。
お待たせしました!
ティモさんが言うには、
『魔力増幅装置』というのが、荒野に幾つか設置されていて、それで取り囲んだ範囲には、魔力が暴走する程の強力な力場が発生する。
『魔力増幅装置』は四シュリット(約三メートル)程もある円筒。
かなりの大きさがあるというのに、城壁の上からそれを発見できなかったのは、おそらく『認識阻害幕』という魔道具で覆われているから。
――なのだそうだ。
「じゃあ、お前、そいつぶっ壊してこいよ」
「レナちゃ~ん。そりゃ無茶ぶりってもんでしょうよ。俺のこの細腕で、守備してる兵隊に敵う訳無いじゃないのよ」
「ちっ……。役立たずが」
レナさんがそう吐き捨てると、ティモさんは罵られているにもかかわらず、ホッと息を洩らす。
だがその途端、レナさんは彼の首根っこを掴んで、壁面に開いた穴の方へと歩き始めた。
「なに安心してやがる。お前も来るんだよッ!」
「ええっ!? うそだろぉ……かんべんしてくれよぉ」
再び、僕らが中庭へ出ると、各所から鉄のぶつかる音と兵士達の悲鳴と怒号が聞こえてきた。
城壁の上では兵士達の奮闘の甲斐あってか、マグダレナさんの無事な姿も見える。
レナさんは中庭を横切って厩舎の方へ向かい、ここまで馬車を牽いてきた馬の一頭を曳き出すと、ティモさんに後ろに乗る様に促した。
「じゃ、リンツ。オレらが出たら、すぐ城門を閉じてくれ」
「わ、わかりました」
そして、いざ城門を出ようという時になって、ティモさんが「あ、そうだ」と言って、上着のポケットを弄る。そして、僕の方へと、小さな筒状のものを投げ渡してきた。
「貸すだけだからな? 頼むから壊さないでくれよぉ。高いんだからさぁ」
「なんです? これ?」
「通信の話をしただろう? そいつは受信機さ。耳にはめときゃ、俺からそっちに連絡を入れられる。レナちゃんが、『魔力増幅装置』ぶっ壊したら、それで知らせてやるからさ」
「あ、ありがとうございます」
僕が、ティモさんの意外な親切に戸惑いながら礼を言った途端、レナさんがいきなり鞭を入れて、勢いよく馬が走り始めた。
「ちょ、ちょ、わわわわわわ!」
「あ……って! てめぇどこ掴んでやがる!」
「んなこと言われたってさぁあああ!」
そして、二人は騒がしい声を上げながら、城砦の外へと飛び出して行った。
◇ ◇ ◇
二人の騒がしい声が遠ざかると、僕は滑車を回して城門を閉じる。そしてすぐに、ロジーさん達が向かった方へと駆け出した。
彼女達が入った兵舎の勝手口から中へと足を踏み入れると、そこは長い廊下。左右の壁面には規則正しい目盛のように、一定間隔に扉が並んでいた。
僕は、そこを一気に走り抜ける。
たぶん、ロジーさん達はどの部屋にも入っていない。
それぞれが兵士の個室だとするならば、どこへ入っても行き止まりだ。彼女達が、逃げ場の無いところに隠れるとは思えない。
廊下の突き当りに辿り着き、正面の扉を開けると、談話室とでもいうような、幾つかのテーブルが置かれた広い部屋に出た。
ここにも、ロジーさん達の姿は無い。
部屋の向こう側には扉が二つ。
僕は、迷わず左を選んだ。
みんなを先導していたのは、エルフリーデだった。
彼女が二つのものから何かを選ぶ時には、必ずと言ってよいほど左側を選ぶ癖があるのを知っている。
短い間ではあったけど、確かに僕らは家族だったのだ。
走りながら、僕は安堵の息を吐いた。
ここまで、例の甲冑に襲われたというような痕跡は無い。
甲冑は全部で十二体。
レナさんが仕留めたのは三体。マグダレナさんのいるあたりに一体。城壁の上には、他にも数体が降り立っているのを見た。
だが、甲冑達が最も多く降り立っていたのは、尖塔を含む城砦の本体とも言うべき部分。
恐らくそちらは、かなりの損害を受けている事だろうが、幸いにもこの建物からは随分離れている。
左の扉を開けて、その向こうへと駆けこむと、城砦の裏庭に面した渡り廊下に出た。
窓の外には、腐ったマンダリンみたいな赤黒い夕陽が浮かんでいて、十三シュリット(約九メートル)ほどもある、扉のない石壁の廊下を照らし出している。
恐らく増設された兵舎と、隣の建物を繋げるためだけに造られた廊下なのだろう。
そこを一気に駆け抜けると、先ほどまでの兵舎に比べて、少し小奇麗な白壁の廊下に出た。
右側だけに扉が並び、その扉と扉の間隔は先ほどより随分広い
おそらく士官用の宿舎なのだろう。
僕がそこへ足を踏み入れたのとほぼ同時に、凄まじい轟音が響き渡って、建物が大きく揺らぐような衝撃が起こる。
それと同時にどこか上の方から、微かに女の子の悲鳴が聞こえたような声がした。
「どこだ!?」
見回せば、扉と扉の間に、上層階へと続く階段が見えた。
僕は焦りに胸を焦がしながら、階段を一気に駆け上がる。
二階も一階と造りはほとんど変わらない。扉と窓の位置関係が逆で、右手には中庭をのぞむ窓がある。
そして、廊下の正面へと目を向けて、僕は思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、身を屈めるようにして、その巨体で廊下を塞ぐ黒い甲冑の姿。
そこから飛び込んで来たのだろう。窓側の壁面が大きく崩れ落ちている。
そして何より、その甲冑の前には、エルフリーデとロジーさんが倒れていて、二人に縋りつく様にして、ミュリエがしゃくりあげているのが見えた。
身体中の毛が逆立つというのは、こういう感覚を言うのだろう。
「お前……ッ!」
手にした剣を構えると、僕は一気に駆け出した。こちらに気付いたミュリエが目を見開く。だがそれも一瞬、すぐに絶望的な顔へと戻ると、彼女は必死に声を上げた。
「き、来ちゃダメぇええ―――!」
『恩寵』も使えない僕が、剣一本でこの巨大な甲冑の化け物を、どうこうできる訳がない。
だから、どうした! そんなことは分かっている。
甲冑はぐったりとした姫様を小脇に抱えている。剣を手にしてはいない。頭がつかえて真っ直ぐに立てないような廊下では、剣を振り回すことも出来ないということなのだろう。
ロジーさんとエルフリーデ。通り過ぎざまに見えた二人の傷は深い。床を汚す二人の血。エルフリーデに至っては、糸の切れた操り人形のように、あらぬ方向に手足が曲がっていた。
――許さない!
「うおおおおおおおおおお!!」
僕は剣を構えて突っ込んだ。
無謀。だれが見ても無謀に見えることだろう。
だが、勝算はゼロじゃない。
レナさんは、僕の目の前で三体もの甲冑を倒した。
彼女は迷うことなく甲冑の喉元を剣で貫いていた。剣の達人の目には、そこがこの甲冑の弱点だと分かったのだろう。
ならば、僕もそこを狙うしかない。
幸いにも、甲冑は廊下に頭がつかえて前かがみの姿勢。懐にとびこめさえすれば、僕の背丈でも剣は届く。
「姫様を! はなせぇええええええッ!」
剣を携えて突っ込んでくる僕の姿を見ても、甲冑に避けようとする気配はない。
傷一つつけられる筈が無い。そう思っているのだろう。
だが次の瞬間、甲冑が大きく右腕を振り上げるのが見えた。
あの一撃を躱すことさえできれば、懐に飛び込める。
恐れるな! 僕。
怖がるな! 僕。
目を瞑るな! 僕。
風切り音を立てて振り下ろされる鋼の拳。ここだ! 僕は大きくサイドステップを踏んで、それを躱した。
鋼の拳は石畳の床を穿って、砕けた破片が飛び散る。やった!! 僕は一気に踏み込んで甲冑の巨体。その懐へと飛び込んだ。
だが、剣で甲冑の喉を突き上げようとしたその瞬間。
――凄まじい衝撃が僕を襲った。
何が起こったのか、分からなかった。
「ぐはっ!」
胃液が逆流して、口の中に酸っぱい液体が溢れ出る。腹部にジンジンと鈍い痛み。ゆっくりと下に目を向ければ、甲冑の膝が僕の腹部にめり込んでいるのが見えた。
――なんだよ……これ。
同じ様に懐に飛び込んだとしても、『剣聖の弟子』と素人では、喉元を突き上げるまでの速さが違う。違いすぎるのだ。
僕がふらりとよろめくと同時に、甲冑の、丸太の様に太い右腕が、まるで小蠅でもふりはらう様に、僕の身体を薙ぎ払った。
反射的に身を庇った左腕が、音を立ててへし折れる。火箸を突っ込まれたかのような凄まじい痛みが、神経を駆け登ってきた。
ぐしゃり。
壁面に叩きつけられた僕は、そのままずるずると床の上に倒れ込んだ。呼吸ができない。息苦しい。咳き込むたびに、喉の奥から何かがこみあげて来て、口の中に鉄錆の味が満ちた。
深まる夕闇の如くに、昏くなっていく視界。
「ぼっちゃ……ま……」
その昏い風景の中に、ロジーさんがこちらに向かって手を伸ばすのが見えた。
結局、僕は誰も守れなかった。
何も無し得なかった。
馬鹿みたいに短い間隔で人生の底辺と絶頂を繰り返して、そして今、底辺の中で死んでいこうとしている。
『神の恩寵』だなんだと言っても、救いの神はどこにもいない。
僕の上に甲冑の影が落ちた。
昏い視界の中に、僕の頭を踏みつぶそうと足を持ち上げる甲冑の姿が見えた。
だがその時、僕の耳の中に「ザザッ……」とノイズが響く。
「いよぉ、リンちゃん! お待たせ~!」
救いの神は、やけに軽かった。
「オレの、こ・の・オ・レ・の大活躍で! 無事、魔力増幅装置はぶっ壊れたぜ! あはは! あとで請求書回すからよろしくね! あたっ!? レナちゃん! そんなにポンポン殴っちゃダメだってば、バカになったらどうすんのさ!」
余りにも状況にそぐわない、騒がしい声。
僕が思わず苦笑したその瞬間、甲冑は一気に足を踏み下ろす。
その足の裏を見据えて、僕は手を眼前に翳した。
無駄な抵抗だと思っただろう?
だが、落ちてくる足の裏が指先に触れたその瞬間――。
『生命の樹……』
弱々しい声ながらも、僕は『恩寵』を発動させた。
お読みいただいてありがとうございます!
エピローグ的な内容も含んであと二話で第二章終了。
第三章からはついに国造りが始まります。
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