第二十話 逆境開戦
「リンツ! 反乱軍が参りましたわ!」
午後……というよりは、ほぼ夕方に近い時刻になって、姫様が僕が割り当てられた部屋へと飛び込んで来た。
男性の二人部屋だった筈なのだが、もう一つのベッドは空いたまま。もちろん、ティモさんの分だ。
切羽詰まった姫様の声は、「……ふぁ?」という間抜けな声を最後に途切れる。
「あ、あなた達、こ、こんなところで何をしておられますの!?」
目を丸くする姫様。その視線の先にいるのはもちろん僕……なのだが、姫様のいう『あなた達』というのは無論、僕の事ではない。
テーブルでお茶を嗜む僕の膝の上には、ミュリエが座って足をぷらぷらと揺すっている。そして僕らの隣には、ティーポットを手にしたエルフリーデとロジーさんが控えていた。
「何って? メイドが坊ちゃまのお世話をするのは当然でしょう?」
エルフリーデが挑発するように顎を突き出し、ミュリエは姫様を見るなり頬を膨らませて、僕の身体にぎゅっとしがみつく。
なにせ、昨日の今日である。
はっきり言ってマグダレナさんのせいだけど、みんな、姫様を警戒しているように見えた。
「と、とにかく! 急いで城壁の上へ来てくださいまし!」
姫様に急かされて、僕らは中庭へと出ると、そのまま壁沿いに据え付けられている石段を駆け上がる。
城壁の上には、弓を携えた兵士達と、マグダレナさんが待ち受けていた。
「次代の王、昨日はよく眠れましたか?」
「お陰様で……」
口ではそう言いながら、僕は胸の内で「あなたのせいで眠れませんでしたよ……」と毒づく。
少なくとも、夕方近くになって交わすような挨拶ではないが、この人が、昨晩『姫様とメイド嬢の両方を娶れば全部解決ですわね。なんでしたら、今晩夜這いしてみてはどうです?』などと、焚きつけたせいで、あらぬ妄想が膨らんで、結局眠りについたのは朝方。実際は、つい一時間ほど前に目覚めたばかりだ。
尚、目を覚ました時には、既にミュリエは僕にしがみついていて、ロジーさんとエルフリーデが、じっと僕の顔を覗き込んでいた。
無論、部屋には鍵を掛けていた筈なのだけど……。
とにかく、心臓に悪いからやめて欲しい。
「それで、敵はどちらに?」
ロジーさんがそう尋ねると、マグダレナさんは、なぜか微妙な顔をした。
「それが……」
僕は城壁の端へと歩み寄り、下を覗き込む。
城門から北へ向かって伸びる一本道。それを目で辿っていくと、ずいぶん離れたところに数両の馬車と兵士達の姿があって、その更に手前に一人の兵士が半旗を掲げて、こちらの方へと歩いてくるのが見えた。
「ずいぶん少なくありませんか?」
「ええ、あくまで目算ですけれど、五十人ぐらいですわね。到着予想時刻もずいぶん過ぎておりますし、何かを企んでいると思った方が良いでしょう」
「何か?」
僕が問いかけると、マグダレナさんは小さく肩を竦める。
「わかりませんわ。念のため正面だけではなく、四方にも兵を割いて監視させておりますけれど、今のところ、何もおかしなものは見つかっておりませんの」
そうこうする内に、こちらへ向かって歩いてきていた兵士が城門の前へと辿り着いた。
そして、手にした半旗をぶんぶんと振った。
三日月と鷹の意匠。
東クロイデル王国の国旗である。
戦時の使者は半旗を掲げる。そして、半旗を掲げるものを攻撃してはならないというのが、戦時慣例だ。
「いやぁ、どもども、お待たせしちゃって悪いねー」
その兵士の口から飛び出したのは、まるで気心の知れた友人と、待ち合わせでもしていたかのような、親しげな言葉。
予想外のその一言に、僕は思わずその兵士を凝視する。
甲冑ではなく、苔のような色の作業着を着込んだその兵士は、とても若かった。
おそらく歳は僕と同じぐらい。少年兵と言っても良い年齢だ。ロジーさんと同じような銀髪で、女の子みたいな顔をした少年だった。
少年兵の一言で削がれた緊張感を紡ぎ直すように、マグダレナさんが低い声で城壁の下へと問いかけた。
「それで、どういったご用件でしょう?」
「あらら、なんか冷たいね? 中央の人達って、割とおおらかだって聞いてたんだけどなー」
「私は、東の方々は真面目だと伺っておりましたけど?」
「そう! そうなんだよねー。ユーモアっていうの? みんなそういうのが足りないんだよね、ウチの子達ってさ」
城壁の上の兵士達の間に漂う空気を、あえて言葉にすると『なんだこいつ?』という一言に集約される。
だが、どういうわけか、マグダレナさんの表情は険しくなる一方。次第に彼女の言葉にも、刺々しいものが混じり始める。
「こちらは待ってなどおりませんし、御用がないのなら、お帰り頂きたいですわね」
「ははっ! そんなに眉を顰めてたら、皺が増えちゃうよ? おばさん」
途端にマグダレナさんのこめかみの辺りから『ビキッ!』と、人体からは、決してする筈の無い音が響いて、姫様がビクリと身を跳ねさせた。
「うわー、めっちゃ睨まれてるよ、僕」
少年兵は首を竦めると再び、マグダレナさんへと笑顔を向けた。
「ま、いいや。僕の用ってのは降伏勧告だよ。僕らの要求は『妖精姫』の引き渡し。そこにいるんでしょ? 彼女の身柄を引き渡してくれさえすれば、君たちは見逃してあげる。なんなら今後百年、この城砦には絶対に手をださないなーんていう、念書を書いてあげてもいいよ?」
「ふざけるなっ!!」
声を荒げたのはマグダレナさんではなく、兵士の一人。その声はすぐに周囲に伝播して、
「クソガキ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「マグダレナ様を侮辱するなんて! ぶっ殺してやる!」
と、城壁の上の兵士達が口々に声を荒げる。だがそれを、
「お黙りなさい!」
マグダレナさんがそう一喝して、再び少年へと問い返した。
「少年。大きな口を利くのは、若い方の特権ではありますけれど、その人数でどうするおつもりです? 泣いてお願いされても、城門は開けて差し上げられませんわよ?」
「あはは、確かに戦争は人数でやるもんだけどさ。僕らには、魔術ってのがあるんだよね」
少年のその言葉を、マグダレナさんは鼻先で嗤った。
「魔術? そんな恩寵の紛い物で何をする気かは知りませんけれど、こちらには等級Aの恩寵保持者がいるのですよ?」
「うん、知ってる知ってる。王都で僕も見てた。たいしたものだと思ったよ」
そして、僕の視線に気づいたのか、彼は僕の方を向いて、人懐こい笑顔を浮かべた。
「でも、今日は使わない方がいいね。使ったら死ぬかもよ?」
ゾクリ……。
僕に向けて放たれたその言葉に、背中を冷たいものが滑り落ちていくような感覚を覚えた。
――なんだ? 一体。
マグダレナさんの方へと、目を向けると彼女の顔色が、随分蒼ざめているのが分かった。
「まあ、とにかく、交渉は決裂ってとこかな?」
少年兵が、マグダレナさんの方を向いてそういうと、彼女はどこか緊張したような面持ちで口を開く。
「……あなた、ずいぶん性質が悪いですわね」
「ん? そうかな? まあ、せいぜい頑張ってよ。あ、そうそう。おばさんは僕の好みのタイプだからさ。全部終わってまだ生きてたら、ペットとして飼ってあげてもいいよ?」
「ふざけんなァアアア!!」
少年の言葉にブチギレたのは、マグダレナさんではなく、その直ぐ傍にいた若い兵士。クセの強い栗色の髪の少年兵だ。彼は掌を城門の下の少年兵の方へと向けた。
「おやめなさい!!」
マグダレナさんが必死の形相で声を上げる。
半旗を掲げた者を攻撃するのは慣例に反する。だが、マグダレナさんが声を上げたのは、それを気にしたからでは無かった。
だが、もう遅い。
黒髪の少年兵は『恩寵』を発動させる。その挙動を見る限り、恐らく炎を司る『恩寵』だろう。だが、彼の掌から、炎が飛び出す事は無かった。
彼が『恩寵』を発動した途端、『ぐしゃり!』と水気を含んだ音を立てて、彼の眼球がはじけ飛んだのだ。
「ぎゃああああああ!! 目が! 目がああああ!」
彼は血の滴る眼窩を押さえて暴れまわると、血を撒き散らしながら城壁の内側へと落ちていく。
「リッケルト!」
マグダレナさんが彼の名を叫ぶ声だけがその場に居座って、城壁の上は静まり返った。
「うぅ……こわい……よ」
ミュリエは僕の身体に、顔を擦り付けて身を震わせる。正直、今起こった出来事に、誰も思考が追いついていない。
「だから言ったのに。使ったら死ぬかもって。まあ、効果があって良かったよ。魔術の効果を意図的に暴走させる方法なんだけどさ。『恩寵』にも効果があるかどうか、正直わかんなかったんだよね。うんうん、テストへのご協力、感謝するよ」
「貴様ッ!」
マグダレナさんが、血がにじむほどに唇を噛みしめると、少年兵はいかにも楽しそうに嗤う。
「あはは! でも本番はここからだよ。おばさん。それと『神の恩寵』。あんまりあっさり死なないでよね。テストにならないからさ』
彼がそう言い放った次の瞬間、いきなり空が昏くなった。
見上げれば、その昏い空を背景に、光が走って図形を描いていく。丸、三角、逆三角、再び丸。そしてその周囲を見たこともない文字が回転する。
「な、なんですの……」
エルフリーデが、僕の背後で不安げなつぶやきを漏らしたその瞬間、図形を突き破って、何かが落ちてくるのが見えた。
お読みいただいてありがとうございます!
ものすごく不穏な始まり方ですが、この先の逆転にご期待ください!
応援してやんよ! という方は是非、ブックマークしていただけるとうれしいです。励みになります! よろしくお願いします!