第十八話 ノイシュバイン城砦
「見えて参りましたわ!」
御者台のエルフリーデが声を上げると、僕らは我先に馬車の前方の方へと押し寄せた。
エルフリーデの指さす先。そこにはまるで海岸線のように途切れる草原。その向こうにはひび割れた赤土の荒野が、見渡す限りに広がっている。
そんな荒れ果てた風景の中に、出島の様に張り出した丘の上にそびえ立つ、武骨な石積みの城壁が見えた。
「すごい……大きい」
「しっかし、なんか古臭ぇ城砦だな、ありゃ」
僕の裾を掴んだまま目を丸くするミュリエ。そのすぐ隣で、レナさんがどこか気乗りしない声を洩らす。
「ええ、統一クロイデル王国時代の修道院を、城砦として改修したものと聞いております。もしかしたら、我が国の建造物としては、一番古いかもしれません」
姫様がそう答えると、レナさんが「うへぇ……」と肩を竦めた。
ただ、城壁の外からは、城砦そのものはほとんど見えない。
中央部の尖塔が、わずかに覗いている程度。
目測だが、城壁の高さは十七シュリット(約十二メートル)程。六角形のそれぞれの角に、方形の塔がそびえ立っている。
村を脱出してから、丸二日。
馬を『生命の樹』で何度も癒しながら走り続け、僕らは遂にここまで来た。
――遠かったなぁ……。
僕が感慨に浸っていると、ミュリエがくいくいと服の裾を引っ張る。
「ん? どうしたの?」
「なんでこんなところに、城砦を造ったの?」
……なんでだろう?
確かに隣国と接している訳でもなく、その向こう側にあるのは無人の荒野。何かが攻めてくるとは考えにくい。
僕がちらりと姫様の方へと目を向けると、彼女はくすりと笑って言った。
「一応、この城砦には三つの目的がありますのよ」
「三つも?」
「ええ、一つは砂漠に住む蛮族『砂狼族』の侵入を防ぐこと。もう一つは、この荒野が、三つのクロイデル王国の南部に跨っているからだと言えば、わかりますよね?」
姫様が諭すような口調でそう言うと、ミュリエはおどおどした様子で答える。
「荒野の方から攻めてくる?」
「ええ、歴史上一度もありませんけどね。荒野は気候も厳しい上に、補給できるような中継地もありませんから、実際には不可能と言った方が良いかもしれません」
「不可能?」
ミュリエが首を捻る。
うん、僕にも訳がわからない。
「不可能なら、目的の内に数える必要は無いんじゃないですか?」
僕がそう言うと、姫様は小さく首を振った。
「『不可能』というのは、一瞬にして『可能』へと変わるものなのですよ。そして、最後の一つですけれど、現在ではこれが主目的ですわね」
「なんです?」
「……左遷先ですわ」
姫様の声がわずかに沈む。それと同時に、背後から伊達男――ティモの声が聞こえた。
「おーい、リンちゃん。一応伝えとくけど、今入った情報だと、追手の位置は大体一日遅れ、編成は反乱軍の兵士が百名程度。東の人間は三名しかいないらしい」
今、入った情報?
ティモは荷台の最後尾辺りに胡座を掻いていて、両手首は縛られたままだ。ロジーさんがずっと監視してくれている。
だというのに、一体、どうやってそんな情報を手に入れたというのだろう?
「少ない……ですわね」
僕の疑問をよそに、姫様がぽつりと呟く。
すると、ティモが肩を竦めて応じた。
「まあ、移動速度を重視したんだろうさ。ノイシュバイン城砦に、逃げ込ませる気は無かったんだろうねぇ」
「では、城砦に逃げ込んでしまえば諦めるかも?」
「とりあえずはね。あとで、大部隊率いて戻ってくる可能性はあるけどさ。あと、ついでに言っとくと、東のこの三人は兵士じゃないらしい」
「どういうことですか?」
「さぁ? そこまでは分かんないねぇ」
そうこうする内に街道を逸れて、馬車は城砦の門の方へと近づいていく。
すると、前方からギギギと軋む様な大きな音が聞こえてきた。
「城門が開きましたわ!」
「なんだ? ここに姫様がいることが伝わってるってのか?」
エルフリーデが声を上げると、レナさんが首を捻る。そして、どういう訳か、姫様が苦笑した。
「あの方は、なんでもお見通しですからね……」
「あの方?」
「私の先生です。ジーベル伯爵家の次女、マグダレナ様ですわ」
姫様は誰に対しても呼び捨てだが、流石に自身の師に対しては、そうではないらしい。
僕は、前方の門の方へと目を向けた。
門の奥には、多くの人影が見える。目を凝らして見ると、そのほとんどが甲冑を着込んでいるように見えた。
「姫様、坊ちゃまの安全のためにお伺いします」
ロジーさんが、唐突に姫様に問いかけた。
「なんです?」
「この城砦の方々は、本当に姫様のお味方なのでしょうか?」
ロジーさんの言わんとしていることは分かる。
反乱軍の大半も、元々は王家に仕える衛兵達。この城砦の兵士達だけは、大丈夫というのであれば、それはそれなりの理由が必要ではないのか。
だが、姫様に動じる様子は無い。彼女はニコリと微笑んでこう言った。
「まあ、先生がいらっしゃれば、大丈夫でしょう」
◇ ◇ ◇
やがて、僕らは城門を潜って、城壁の内側へと入る。
城門を潜ったその先は、石畳の広場のようになっていて、そこに甲冑姿の兵士達が整列していた。
『ディートリンデ・フォン・クロイデル殿下の御到着!!』
兵士達の一人が大声を張り上げると、左右からラッパの音が響き渡り、太鼓がシンプルな四分のリズムを刻み始める。
「ははっ、結構な歓迎だな、こりゃあ」
レナさんがどこかはしゃぐような調子でそう言うと、人が多いのが怖いのか、ミュリエが「あう」と赤ん坊のような声を洩らして、ぎゅっと僕の腰にしがみついた。
広場の中央。そこに馬車を止めると、一人の女性が僕らの方へと歩み寄って来た。
「ディート、お待ちしておりましたよ」
「先生……お久しぶりでございます!」
それは紫のローブを纏ったどこか艶っぽい女性。年の頃は二十代のたぶん、後半。黒い髪は腰を隠すほどに長く、口元の黒子が目を引いた。
彼女は姫様の男装を目にして、わずかに苦笑する。
「ずいぶん、ご苦労なさられたようですね。副官のクリューガーの供として、王都へ行った者から報告を受けております。御父上のことは残念でございました」
そして、彼女は馬車の中を覗き込むと、一人ひとりを順番に見回して僕のところで、その視線を止める。
そして、にこやかな笑顔でこう言った。
「ようこそ、次代の王。我々、ノイシュバイン城砦の兵は、あなたを歓迎いたします」
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