第十七話 最初から最悪
月明かりの下に、黒煙が棚引いている。
遠ざかって行く村を眺めて、僕は木箱を背に、足を投げ出して座り込んだ。
御者台の脇で揺れる二つのカンテラ。その淡い光だけが光源の薄闇の中で、僕は小さく溜め息を吐く。
――やってしまった……。
致し方が無かったとは言え、あれだけの騒ぎを起こせば、僕らがあの村に居た事、そしてノイシュバイン城砦を目指している事は、もはや隠しようもない。
もう少し上手く立ち回れなかったのかと、後悔した。
「胸をお張りください。坊ちゃま。弱きを助け、強きを挫く。力があっても簡単に出来ることではありません。流石は私の坊ちゃまです」
「ロジーさん……」
見上げれば、薄闇の中でロジーさんが微笑んでいるのが見えた。
だが、それも一瞬。
エルフリーデが、荷台の支柱に吊られたカンテラに火を入れて、周囲が明るくなった途端、ロジーさんの顔から表情が消える。
彼女の視線を目で追えば、そこには僕のお腹に頬を寄せるようにしがみついている女の子の姿があった。
「こ、怖かった……」
それは、先ほど救い出した女の子。
彼女の身体は小刻みに震えていた。それはそうだろう。あれだけの男に囲まれて、ナイフを突きつけられれば、生きた心地などしなかったはずだ。
「もう大丈夫だから」
「う、うん」
僕はロジーさんの視線を気にしながら、彼女の栗色の髪に指を這わせる。すると、彼女は一瞬ビクンと身体を跳ねさせた後、ぽーっと頬を赤らめた。
なにこれ……かわいい。
長い前髪の間から覗く瞳は真ん丸。身体の小ささと相まって、小動物みたいだ。
ただ……体格を思えば、僕の太ももを挟みこんでいる柔らかい感触には随分、違和感がある。
それはかなり……狂暴な大きさに思えた。
僕が、明後日の方向へと思考を飛ばしていると、僕らの上に誰かの影が落ちた。
「お久しぶりですわね……ミュリエ様」
見上げれば、腰に手を当てたエルフリーデが、やけに冷たい目で女の子を見下ろしていた。
「エ……エルフリーデさ……ま!?」
ミュリエといえば、エルフリーデと仲が良かったというボルツ伯爵家の次女だったはず。
だが、エルフリーデを見た彼女の反応はというと、とてもでは無いが仲が良かったとは思えない。
彼女は、より一層怯えるような表情になって、ギュッと僕の服の裾を握りしめた。
ああ、なるほど。大体わかった。
いじめている側は、いじめている自覚が無いというヤツだ。
彼女は怯える目で、エルフリーデと僕の間を何度も視線を行き来させた末に、おどおどと口を開いた。
「エ、エルフリーデさまがいて……『虹彩異色』ということは、もしかして、リンツ・ラッツエル……さま?」
僕は思わず苦笑する。
そうか……アデルハイド様の妹だもの。僕の事を話に聞いていてもおかしくはない。
「僕はもう、ラッツエル家の人間ではないから、リンツでいいよ」
すると、彼女は困った様な顔をして、首を傾げる。
エルフリーデは、そんな彼女を見下ろして言った。
「ところでミュリエ様。そろそろ、坊ちゃまから離れていただけませんか?」
「どう……して?」
「いいですか。坊ちゃまは、この世界で最高の男性。等級Aを越える唯一の男性なのです。あなたや私のような低等級のゴミクズが、お傍に近づくだけでも、恐れ多いことなのですのよ」
ちょっと待って!?
どんだけ持ち上げる気なの!?
だが、エルフリーデの発言をよくよく吟味してみると、『低等級の奴が、上の人に馴れ馴れしくすんじゃねぇよ』となる。
見事なまでの等級崇拝。うん……全くブレてない。
ミュリエが不安げに僕の方を見上げてくるので、僕は小さく頷いた。
「落ち着くまで、このままでいいよ」
「やさしい……だいすき……」
ミュリエが、再び蕩けたような目で僕を見つめてくる。
さすがに真正面から「だいすき」なんて言われると、どうしていいのか分からない。
戸惑いながら周囲を見渡すと、ロジーさんは完全に無表情。姫様はニコニコと微笑んでいる。あれ? 笑ってるんだよね、それ。
だが、そんな僕の戸惑いに構うことなく、ミュリエが更に言葉を紡いだ。
「こ、こんなかっこいい人が、お義兄さまになってくれるなんて……ミュリエは、とってもうれしい」
「お義兄さま?」
僕が問い返すのと同時に、エルフリーデの片方の眉が跳ね上がるのが見えた。
「だって、リンツさまは、お姉さまの婚約者なんでしょう?」
「いや、アデルハイド様との婚約は、ずっと前に破棄されてると思うんだけど……」
だがその一言に、ミュリエは一瞬ポカンとした顔になった後、ブンブンと首を振った。
「そんなことない。お姉さまは、ずっと輿入れの準備をしてる」
僕とロジーさん、それにエルフリーデは互いに目を見合わせる。
……まさか、婚約破棄が伝わってない?
すると、僕らの正面に仁王立ちしたままのエルフリーデが、感情の無い目でミュリエを見下ろす。
そして、
「厄介なことになる前に、排除いたしましょう」
と、怖い事を言い始めた。
ミュリエは盛大に顔を引き攣らせて、僕の服の裾を握りしめる。
「こらこら、怖がらせちゃダメだってば!」
「でも……」
「そんなことをされても、僕はちっとも嬉しくない」
「も……申し訳……ございません」
僕が窘めると、エルフリーデはこの世の終わりみたいな顔をして、しゅんと項垂れた。
「……で、ミュリエ。お姉さんは無事なの?」
「……わからないけど、たぶん大丈夫。お姉さまの『恩寵』は風に乗れる。そう簡単には捕まえられない」
「飛べるってこと?」
「違う、風に乗れる。どこに飛ばされるかは風次第。だから、今どこにいるのかは分からない」
えぇぇ…………。
それは、ただの行方不明というのでは……。
なんとも言えない微妙な空気が漂ったその時、唐突に男の笑い声が盛大に響いた。
目を向ければ、御者台にほど近い辺りで胡座を掻く、例の伊達男の姿があった。
「レナちゃんよぉ。おもしれーな、こいつら。こんなやべえ状況なのに、いくらなんでも緊張感無さすぎじゃね?」
「お前が緊張感を語るな!」
「おいおい、馬鹿いっちゃいけないよ。俺は常に緊張感に満ち溢れてるぜ」
「はは、尋常じゃない数の恨みを買ってるからな。気づいてたか? ここにもオマエをぶっ殺したい人間が一人いるんだぞ」
「へー。そりゃ知らなかったな」
レナさんがギロリと睨みつけると、伊達男は肩を竦めた。
「まあ、いいや。そこのえーと、リンちゃんだっけ?」
「リンちゃんって……」
伊達男の馴れ馴れしさに、流石にリンツも呆れる。だがそんなことは御構い無しに、彼は話を続けた。
「一応言っとくと、あそこでリンちゃんが騒ぎを起こしたからって、状況が悪化したわけじゃないぜ。安心しなよ」
「そうなんですか?」
「ああ、最初から最悪だもの。悪化のしようなんてないさ」
思わず、その場にいた人間が、一斉に眉を顰める。どうやらこの男は、口を開けば、誰かを不快にせずにはいられないらしい。
「まあ、俺個人についていやあ、その最悪な状況に、見事に巻き込まれたってとこかな。だから、リンちゃん達にはせいぜい頑張ってもらわなきゃならなくなったって訳だ。でないと俺が死んじゃうもの」
「死ね!」
エルフリーデが吐き捨てる。だが、伊達男はそれを全く無視して話を進めた。
「リンちゃんさぁ……そもそも東の『魔術』を甘く見過ぎなんだよねー。炎一つ出すのに大量の触媒と詠唱が必要。きみらの認識なんて、大体そんなもんだろう?」
「違うのですか?」
姫様が問いかける。
「いんや、合ってるよ。炎を出そうとすればそうなる。結局、東の研究でネックになってるのが、『実体化』なんだよねー。だからまあ、『恩寵』を手に入れて研究材料にしようとしてる訳だけど。ひっくり返してみりゃあ、『概念主体』の魔術について言えば、大した詠唱や触媒も無しに、かなり高度な事が出来る」
「概念主体というのは、どういうものをいうのですか?」
「うーん、そうだねぇ。跳びぬけてるのは、通信と動力としての用途かな」
「通信? 通信ってなんです?」
僕がそう問いかけると、伊達男はガクッと肩を落とした。
「ああ……そうかぁー、そこからかぁー……。一口で言うと遠くにいる人間と瞬時に話をする魔術ってことさ」
「『恩寵』でいえば、『念話』みたいなものですわね」
エルフリーデが口を挟む。
「俺はそっちを知らないけど、たぶんそれでいいんじゃないかな。で、それを応用した魔術に『追跡』ってのがあるんだわ。物に対して、その持ち主の居所を特定する魔術なんだけどねー、もちろん王宮には姫様の私物が残ってるだろ? つまり、何処に居ようが、姫様の居所はバレバレってわけさ」
僕らは思わず息を呑む。
「まあ。夜が明ける頃にゃあ、あの村は魔術兵団と反乱軍に囲まれてた訳だけど、調子に乗ってネタをバラしちまえば、その混乱に乗じて、お姫様には俺と一緒に来てもらうつもりだったんだけどねー、いやー失敗、失敗」
そう言って、カラカラと笑う伊達男。
どうやら、彼は本気で、周囲の空気が氷点下にまで下がっていることに、気付いていないらしい。
「よし、突き落としましょう!」
「「お任せください。坊ちゃま!」」
僕がそう言うと、ロジーさんとエルフリーデが伊達男を取り囲んだ。
「ちょ、ま、まて、暴力反対! 弱い者いじめ、ダメ、絶対!」
「姫様を攫おうとしてた人と、一緒の馬車にいるなんて不安しかありませんからね、降りていただけますか?」
「ちゃんと話し聞けってば、ここからが、本題なんだって、なあ、レナちゃーん! 助けてよ!」
すると、レナさんは親指で首を掻き切るポーズをした。
「お、俺は通信を使った情報網を持ってる! 東の動きは逐一分かるんだぜ? それに魔術兵団って、どんな連中か知ってんのか? 知らないだろう? 俺の情報がなきゃ、城砦に逃げ込んだところで、あっさり全滅しちまうぞ」
身振り手振りも忙しく、必死で喋りまくる伊達男。
すると、ロジーさんが大きなため息を吐いた。
「いいでしょう。とりあえず、突き落とすのはやめます。但し、砦に着くまでは、拘束させていただきますけど」
「ロジーさん!?」
僕の驚きの声と、伊達男の安堵の息が重なって響いた。
そして、ロジーさんは僕の方へと向き直ると、真剣な顔でこう言った。
「坊ちゃま。私は坊ちゃまの為になるのなら、たとえそれが猛毒だと分かっていても、呷って見せます」
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