第十六話 竜
扉の向こうから、泣き叫ぶ女の子の声と、それを怒鳴りつける男達の声、何かを乱暴に引き摺っていく音が聞こえてくる。
そしてそれは、伊達男の愛想笑い混じりの懇願の声と一緒に、次第に遠ざかって行った。
「リンツ……」
姫様が僕の服を掴んで、不安げに囁く。
それと同時に、
「この奥の二部屋は?」
扉のすぐ外で男の声が聞こえて、心臓が跳ね上がった。
その問いかけに答えた声は、宿屋の女将のものだった。
「ああ、そっちは、どっかの貴族の屋敷から逃げてきた使用人さ」
「使用人? 貴族ってことは?」
「無い無い。気位の高い貴族連中が、あんな貧乏ったらしい恰好するもんか」
「一応確認しといた方が……」
「止めやしないけど、無駄足だよ? まあ、『坊ちゃま』とか呼ばれてるのがいたんで、一瞬貴族じゃないかとも思ったんだけどね。その『坊ちゃま』ってのがまた、貧乏くさいんだ。あんな貴族がいるもんか。ありゃあ、典型的な貧乏人だよ」
貧乏、言い過ぎじゃね!?
それは確かに、僕は元々庶民だし、ついこの間まで下男だったけど……。僕って、そんなに貧乏くさい顔をしてるのだろうか?
はい! 姫様、そんな可哀そうな物をみるような目をしないで!
「それよりアンタ! ちゃんと約束のお金よこしなよ」
「ああ、そうだったな。これからも頼むぜ」
どうやら、この連中を引き入れたのは女将らしい。じゃらりとお金の鳴る音が聞こえて、女将達の声が扉の前から遠ざかって行く。
廊下の方から物音がしなくなると、姫様と僕は目を見合わせて、一斉に安堵の息を吐いた。
「行ったみたいですわね」
「ええ、でも……」
僕はそのまま窓の方へと歩み寄った。そして、そっと窓を開けると、途端に騒がしい音が流れ込んで来る。
「おいおい、待ってくれよ、兄弟。お前らの勘違いだってば。俺がお貴族様? 冗談言っちゃいけないよ。俺は東クロイデルから買い付けに来た、ただの宝石商なんだってば。ほら、この街道の先に蛋白石の鉱床があんの知ってんだろ?」
真っ先に聞こえてきたのは、あの伊達男が声高に喋る声。
そっと下を覗き見ると、暗闇の中に松明の炎が二つの輪を描いているのが見えた。
そして、それぞれの輪の真ん中には、身振り手振りも忙しく喋りまくるあの伊達男と、怯えて小さくなっている女の子の姿があった。
遠くて分かりにくいが、女の子は短い栗色の髪。ただ前髪だけが長くて、目がほとんど隠れてしまっている。
背丈はかなり小さい。僕らよりもずっと年下のように思える。
着ている物は、仕立てのよさそうな水色の夜着。すそと首回りに金糸の刺繍が施されていて、どうみても庶民が気軽に着れるような代物では無い。
流石にあれでは、貴族じゃないなんて言い訳も通用しない。
助けに行くべきか? そう逡巡したその時、扉がギギギと軋むような音を立てた。
慌てて姫様を背に隠すと、わずかに開いた扉の隙間から、ロジーさんが顔を覗かせた。
「坊ちゃま……ご無事ですか」
「ええ、ロジーさん、みんなは?」
「はい、こちらも大丈夫です」
すると、ロジーさんの後をついて、レナさんとエルフリーデが部屋へと入ってくる。
途端に、窓の外から響いてくる伊達男の声に、レナさんがいかにもイヤそうに頬を歪ませた。
「あんにゃろう……。『さらば! また会おう!』とか、恰好つけてどっかへいったと思ったら、まさか同じ宿に居やがったとはな」
そうなのだ。颯爽と村の外に出て行った筈なのに、ここにいるということは、僕らが部屋に入った後、こっそり戻って来たのだろう。
レナさんが呆れたとでもいう様に、肩を竦めたその瞬間――。
――外で、一斉に怒号が響き渡った。
「やっぱり、こいつ貴族だ! 『恩寵』を使いやがったぞ!」
慌てて窓に飛びついて下を覗き込むと、女の子のすぐ傍で男が一人、腕を押さえて蹲っている。
目を凝らして見ると、肘から先が石になっている様に見えた。
「『石化』……ですね。平凡な『恩寵』ですわ。あの様子では等級D、良くて等級Cといったところではないでしょうか」
エルフリーデが、淡々と説明する。
だが、そんなことを言っている場合ではない。
男達が怯んだのは一瞬、次の瞬間には声を荒げて、女の子に飛び掛かっていくのが見えた。
「おい! 手には触れるな!」
「ナイフをよこせ! 早く目を潰すんだ!」
もはや、躊躇など、してはいられない。
「レナさん! みんなをお願いします!」
「お、おい!」
僕は窓を開け放つと、一気に外へと飛び降りる。
騒ぎを起こせば追手に場所がバレる? もうそんなことは、どうでもいい。見て見ぬふりなんて、出来る訳が無い。僕には今、彼女を助ける力がある。理由はそれだけで十分だ。
勢いで飛び降りたのは良いが、二階とは言ってもそこそこの高さ。着地と同時に、じんと足が痺れる。めっちゃ痛い。僕が立てた音に驚いて、何人かがこちらを振り向く。
関係ない。僕はそのまま女の子が居る方へと一気に突っ込む。
手足を抑えつけられ、地面にねじ伏せられた女の子の姿。その上に馬乗りになった男の手には、きらりと光るナイフが見えた。
今にも振り下ろされようとしているナイフ。女の子は顔を引き攣らせて、ナイフの刃先を凝視している。
「うわぁああああああああああああああああああ!!!」
僕は声を上げて突っ込むと、勢いのままに馬乗りになっている男の腹を蹴り上げる。
「ぐげっ!?」
男は踏みつぶされたカエルみたいな声を上げて吹っ飛び、その手から落ちたナイフは、女の子の頬をかすめて地面に突き刺さった。
一瞬の静寂。
横たわる女の子のすぐ傍で、僕は肩で息をしている。空気が足りない。息苦しい。心臓がバカになったみたいに飛び跳ねている。
「な、なんだァ! てめぇは!」
女の子の腕を押さえていた男がいきり立つ。でも僕は答えない。答えてる余裕が無い。
僕だって、見ず知らずの男達に殺気を向けられれば怖い。怖いものは怖い。品が無い言い方をすれば、金玉が縮こまる程怖い。
『生命の樹!』
僕は地面に掌を当てると、『恩寵』を発動させた。
途端に、声を荒げた男の背後で、土がまるで間欠泉のように噴き上がる。
僕は想像した。世にも恐ろしい物を。幼い頃に、亡き父が与えてくれた絵本。そこに描かれていた英雄物語。その見開きの二ページ分を占拠していた巨大な化け物を。
ドドド! と凄まじい音を立てて噴き上がった土は、徐々に形を成していく。
捩じれた二本の角、口の端からはみ出した鋭い牙。
それは竜。
全長十一シュリット(約八メートル)にも及ぶ、巨大な竜だった。
そして、形を成した途端、竜は長い首を振り上げて咆哮を上げた。
ビリビリと空気が震え、男達は「ひっ!」と声にならない声を喉に詰めて、転げまわる。
「死にたい奴はかかってこい!」
僕は周囲を睨みつけながら、声を上げる。
もちろんハッタリだ。
だが、男達は声を上げて転げるように逃げ出し始め、竜の姿に驚いたのだろう。馬車に繋がれた馬が暴れ出して、周囲の建物へと馬車を叩きつけながら走りだす。
それと同時に、男達が投げ出した松明が、家屋の間に積まれた藁に引火して、いきなり炎が吹き上がった。
「……ちょっとやり過ぎた……かな?」
実はこの竜。姿こそ恐ろしいが、戦闘力なんて大したことはない。なにせ素材は土くれだ。たぶん人に食いつけば牙の方が崩れ落ちる。
只の脅しの筈だったのだが、一瞬にして村は壊滅状態。もはや火の手が止まる気配は無い。
ともかく……。
「大丈夫ですか?」
「あ……あり、ありが、ありがとうございま……っ!?」
女の子は、僕の方へと顔を向けた途端、目を丸くして固まった。
「うぁ……か、かっこぃい……」
途端に、彼女は顔を赤らめて、ポーッと蕩けたような目をする。
おほん。……大丈夫。こんなことでは誤解しない。
こういう状況だから、まあ格好良く見える事もあるかもしれない。
変な期待を持つと後でがっかりするのは、自分自身なのだ。
さんざん持て囃された末に、最低の『恩寵』を発現した僕は、もうその手には乗らない。
そもそも、格好いいなんて言葉、今まで言われた事などないのだ。
あのロジーさんですら、「坊ちゃまは個性的だからいいんです」と言葉を濁す始末である。
って言うか、ロジーさん! 個性的ってのは目の話ですよね! そうですよね?
僕があらぬ方向に思考を巡らせていると、脇道から馬車が飛び出してきた。
「リンツ! 早くなさって!」
姫様がそういって荷台から、手を差し伸べる。
そうだ。ぼーっとしている場合じゃない。
僕は竜から『恩寵』を解除して土くれの山に戻すと、女の子を横抱きに抱きかかえて馬車へと走る。
少々乱暴だが、女の子を荷台の上へと転がり上げると、姫様の手をとって僕も荷台の上へと飛び乗った。
「お、おい、オレも連れてってくれよ!」
僕が荷台の上に上ると同時に、例の伊達男が、荷台の枠に手を掛ける。
だが、その途端、馬車が走りだした。
「うぉおおおおおおおっ!? し、死ぬうう!」
そして、しばらく引き摺られた末に、なんとか荷台に上がった伊達男は、御者台の方に向かって声を荒げた。
「こ、殺す気か!」
「ちっ……しぶてぇな」
御者台で手綱を握っているのは、もちろんレナさん。
本当に振り落とそうとしたようにも見えるが、もしかしたら只の嫌がらせかもしれない。
そして僕らは、燃え盛る村を背に、再び夜の街道を走りだした。
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