第十五話 支えてくれませんか?
「そんな馬鹿な話がありますかぁああ!?」
ロジーさんの素っ頓狂な声が、宿のロビーに響き渡った。
人間よりも、やや豚に近い顔をした宿屋の女将が、いかにも面倒くさそうに顔を歪める。
「イヤなら他に行きな」
「じゃ、じゃあ、この村に他に宿は?」
「無いね」
女将が素っ気なく言い放つと、ロジーさんはこの世の終わりみたいな顔をして、膝から崩れ落ちた。
さて……。
何で、こんな事になっているのかというと。
つい今しがた、僕らは宿屋で部屋を押さえた。
五人なので、二人部屋と三人部屋をそれぞれ一つずつ。
「では! 私と坊ちゃまで一部屋、皆さんで一部屋ですね!」
ロジーさんが、やけに浮かれた調子でそう言った途端、宿屋の女将が口を挟んだのだ。
「ウチは連れ込み宿じゃないんでね。男女は、きっちり分かれてもらうよ!」
ロジーさんは、浮かれた感じのポーズのまま固まった。
「へ?」
「へ? じゃないよ。あんたら、男二人、女三人なんだろう? 男は男同士、女は女同士で同室だって言ってんのさ」
僕と姫様は、思わず顔を見合わせる。
よく考えてみれば、姫様は今、男だった。無論、今さら姫様が女であることを悟られる訳にはいかない。
「そ、そ、そ、そんな横暴な……」
「それがウチの規則さ。壁が薄いんでね。盛られたら、他の客の迷惑になっちまうからね」
「な、な、な、せ、せっかく……」
ぷるぷると身体を震わせるロジーさん。だが、姫様が彼女にそっと耳打ちをする。
「大丈夫ですよ、ロジー。部屋に入ったら私と交代いたしましょう」
「姫様っ!」
ロジーさんが、目を輝かせた途端、女将がとどめを刺した。
「部屋の行き来は遠慮してもらってるんでね。廊下にはちゃんと監視を置いてるから。規則を破ったら即座に出て行ってもらうよ。もちろん部屋代は返さないからね」
かくして、まるで負傷兵のようにエルフリーデとレナさんに、両脇を抱えられて引き摺られていくロジーさん。それを見送って、僕と姫様は深く溜め息をついた。
「大丈夫でしょ……かな、ねぇ、兄さん」
「ま、まあ大丈夫じゃないかな……」
女将の目を気にしたのだろう。男言葉で話しかけてくる姫様に、僕は苦笑しながら頷き返す。すると、そんな僕らに女将が話かけてきた。
「そうそう、一応言っとくけど、女どもの部屋に行くんじゃなくとも、夜の間は外を出歩くんじゃないよ。間違えられかねないからね」
「何にです?」
「貴族さ。昨日あたりから町の連中が来て、この辺りの村を回って貴族狩りをやってんのさ。まあ、あんたらみたいな貧乏くさいのが、貴族とは誰も思わないだろうけど、連中、まだ何にも見つからないって、いらだってるから、気をつけなよ」
◇ ◇ ◇
部屋は、はっきり言って酷かった。
安宿もいいところだ。
ところどころに埃が積もっていて、いかに宿泊客が少ないかが良く分かる。この部屋が使われたのも、随分前なのだろう。
一応食事つきとは言っていたが、部屋に入る前にパンを二切れ渡されただけ。お湯の用意も無く、もちろん風呂もない。宿としては、本当に底辺だと言ってもいいだろう。
部屋に入って最初にすることは、逃走経路の確保だ。
僕は窓を開けて、下を覗き込む。
既に外は暗くなっていて見えにくいけれど、僕ならなんとか飛び降りられる高さ。だが、姫様にはちょっと厳しいかもしれない。僕が先に降りて、受け止めればなんとかなるかな。
そんな事を考えていると、
「貴族狩り……本当にそんなことが行われているのですね」
背後で姫様の沈んだ声が聞こえた。
無理も無い。姫様が救いたいと願っている、反乱軍の人々や庶民。それが少なくとも今は、貴族を、そして姫様を、まるで獣のように狩ろうとしている。そんな事実を突きつけられれば、声だって沈む。
「今は仕方ありませんよ。そのうち分かってくれ……ま……」
僕は姫様の方を振り返って、そのまま硬直した。
「どうしたのです?」
不思議そうに、首を傾げる姫様の顔。
妖精のような、本当に綺麗な顔。
だが、そこから視線を落とすと、なだらかなカーブを描くわずかな膨らみ。その先端には、芽吹いたばかりの桃のつぼみのような突起が見える。
そこから、くびれた腰のあたりまで視線を落として、僕ははたと我に返った。
「んんんなぁああああああ! な、な、なんで脱いでるんですかっ!!!」
「なんでって、服を着替えているんですのよ? 外で過ごした服のままではシーツを汚してしまうでしょう?」
「いや! で、でも! ぼ、僕! お、男!」
慌てすぎて、言葉が断片的にしか出てこない。すると、姫様はクスクスと笑って言った。
「まあ、リンツったら変な人。今までも私の着替えは、爺やが手伝ってくれておりましたのよ。それに、爺やが言っておりましたわ。私は、まだちゃんと胸も膨らんでおりませんので、男と変わりませんって」
騙されてる!? 姫様、その爺やって奴に騙されてるよ!
「と、とにかく早く服を着てください。風邪ひきますから!」
「ええ、ですがリンツ……困ったことが」
「な、なんです?」
「エルフリーデ・ラッツエルが用意してくださった服の着方が、分かりませんの。ちょっとこちらへ来て、手伝ってくださいまし」
◇ ◇ ◇
……どっと疲れた。
あの後、姫様には脱いだ服で胸元を隠して貰って、僕も出来るだけ姫様の方を見ないようにしながら、なんとか着替えさせ終わることができた。
いや、確かに姫様の身体は……その、何というか……綺麗だったけど。
僕が倒れ込むようにベッドに横たわると、姫様が僕のすぐ脇に腰を下ろす。どうにも姫様は警戒心が薄いと言うか、距離感が近い。身分が高い人というのは、こういうものなのだろうか?
「でも、丁度良かったですわ。あなたとは、ちゃんとお話をしておきたかったので」
「お話?」
「ええ、相談と言っても良いですわね。私は間違っているんじゃないかと思う事があるのです。あなたなら、それが正しいのか、間違っているのか、分かるのではないかと思って」
「どういうことです?」
「私は庶民を、そして反乱を起こした者を含めて、この国の皆を救いたい。そう願っています。ですが、皆はそれを望んでいないのではないかと……」
「貴族狩りのことですか? でも、それはまだ、みんな他の国が侵攻してくる可能性に、考えが至っていないだけだと思いますけど……」
「いえ、そうじゃありません。国という物にこだわる必要があるのかなと……」
「国……ですか?」
「ええ、例えば、東でも西でも構いません。この国が他の国に占領されたといたしましょう。もちろん最初は人死にが出るでしょう。ゴドフリートなどは必死に抗うでしょうから、彼らもきっと犠牲になってしまうでしょう」
姫様は静かに目を閉じる。
「……ですが、何年か経てば、元の国のことを誰もが忘れ、新たな国の旗の下で、その国の人間として、もしかしたら、もっと幸せになれるかもしれません」
「何もしない方が良いかも……そういうことですか?」
「何もしないというのは少し違うかもしれませんけど……。少なくとも庶民について言えば、他の国に占領された方が、お父さまが治めておられたころよりは、良くなるような気がします」
「……そうかもしれませんね」
確かに、国王陛下の下では、庶民は家畜も同然、そう言われてきた。自由がない訳ではないが、一部の裕福な商人を除けば、生活は苦しい。だけど……。
「姫様。占領されて良かったかどうか。それを判断するのは、姫様でも、僕らでもありません」
姫様は、静かに顔を上げた。
「僕も最低等級の『恩寵』を発現して、下男に落とされた時には、落ち込みました。でも結果的に、今は『神の恩寵』を宿しています。同じ様に、この国が滅んだって、結果的にはみんな幸せになれるかもしれません」
「やはり……」
「姫様、勘違いしないでください。僕が言いたいのは、何が正しくて、何が正しくないかなんて、後になってみないと分からないっていうことです。自分でいうのは変ですけど、僕も下男に落ちて、死にたいと思う事はありました。でも死ななかったし、逃げなかったんです。あの時、逃げ出していたら、この結果は無かったんだと思います。だから……僕らは自分が正しい。そう思った事をするしかないんだと思います」
僕がそう言って笑い掛けると、姫様は少し驚いたような顔をして、そして、微笑んだ。
「リンツは強いのですね」
「そうじゃありません。僕には支えてくれる人がいたから」
「ロジー?」
「ええ……そうです」
僕が頷くと、姫様は少し考えるような素振りを見せた。
「リンツはロジーのことをどう思っているのかしら?」
「どうって……。そうですね。僕にとっては、ロジーさんは……お姉さんみたいな人……なのかな」
「お姉さん……」
姫様は口の中で反芻するように繰り返すと、意を決したかのように頷く。そして、横たわる僕の背中に手を置いて言った。
「ねぇ、リンツ。お願いがありますの」
僕が身を捩って振り返ると、姫様の表情は真剣そのものだった。
「……私を、これからも支えていただきたいのです」
「いまさらなにを……あたりまえじゃないですか」
「ずーっと、ずーっとですよ?」
僕らだって、いまさら姫様を見捨てることなんて出来っこない。
「もちろんです」
僕がそう言うと、姫様は「ほーーーっ」と大きく息を吐きだした。
「良かった」
「そんな大げさな」
僕が肩を竦めると、姫様は晴れやかな笑顔を浮かべながら、首を振る。
「大袈裟なんかじゃありませんわよ。国を取り戻したら、この国には、象徴が必要になります。『神の恩寵』を持つあなたなら、誰も文句はないでしょう」
「ふぁっ!?」
僕は思わずベッドから跳ね起きる。
なんだ? 急に話が大きくなったぞ!?
「ちょ、ちょっと待ってください!? しょ、象徴って?」
「それはもちろん。王として、私の伴侶として」
僕の目をじっと見つめてくる姫様の表情は真剣そのもの。揶揄うような様子は、これっぽっちもない。
あまりのことに、頭の中で整理が追いつかない。ナニコレ? なんだこれ?
僕が思わず呆然としたその時、外の方が俄かに騒がしくなった。
馬車の車輪が軋む音。たくさんの人のざわめきが、静寂をどこかへと追いやっていく。
慌てて、窓へ飛びついて表通りを見下ろすと、松明を手にした男達が二台の荷馬車。その荷台から降りてくるところだった。
一瞬、僕の脳裏を『魔術兵団』という言葉が過る。だが、彼らの格好を見るかぎり、只の村人たちのようにしか見えない。
「よし! 宿を取り囲め! 猫の子一匹逃がすなよ」
「ここに貴族が隠れてるらしいからな」
男達が発したその言葉に、僕は状況を理解した。
――貴族狩り。
だが、状況が分かったところで、逃げ場はない。
兵士でもない人間を相手に戦うのは、気が引けるけれど……やるしかない。
「姫様! 僕の後ろに!」
「は、はい」
僕は姫様を庇って、部屋の隅へと移動する。
ドタドタと、荒々しい足音が、階段を昇ってくる。
僕はその場に跪いて、床板へと指を這わせる。
扉が開くと同時に、床板に襲わせる。
そう決めて、僕はじっと、扉を睨みつけた。
だが、僕らの部屋の扉が開く事はなかった。
その代わり、別の部屋で扉が開く音がした。
それも二部屋。
「いたぞ! こいつだ!」という声が響いて、その後すぐに、抗うような声が響き渡る。
「ちょ、ちょっとまってくれよぉ、な、話せばわかる。俺はそんなんじゃないんだってば!」
「い、いやっ……放して! 放してぇええ!」
一つは、ついさっき聞いたばかりの男の声。
もう一つには、全く聞き覚えがない。
それは、年若い女性の声だった。
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