第十四話 軽い男の重い話
「路銀が尽きたんで、たまたま目についた貴族の屋敷に飛び込んで、食客になったのが運の尽きって奴さ。っつたく、あのデブ! 『王が望まれることがあれば、剣舞を披露していただきたい』とか抜かしやがって!」
「あはは、それで夜会に居たんですね」
「けっ! バカにしてやがる。剣士を道化師かなんかと勘違いしてやがんだよ、この国の貴族連中はよぉ!」
レナさんは忌々しげに吐き捨てると、勢いよく御者台のシートにもたれ掛かる。
「でも、それって……レナさんが有名人だからでしょ?」
「ばーか、有名なのはオレじゃねぇっつうの。『剣聖の弟子』なんて身の丈に合わねぇ看板背負わされた方は、たまったもんじゃねぇぞ」
「ははは……」
昼下がりの街道を、南へと下っていく馬車。
現在、その御者台には、手綱を握る僕と、レナさんの姿がある。
ちらりと荷台を盗み見ると、木箱の美脚を膝枕にして、すやすやと寝息を立てている姫様の姿。荷台の一番後ろの方では、ロジーさんとエルフリーデが、なにやらひそひそと囁き合っているのが見えた。
……なに話してんだろう?
耳を欹てると、『押して……メなら』とか『今夜こそ……』とか、声の高いエルフリーデの言葉だけが、断片的に聞こえてくる。
僕は、ロジーさんに嫌われる様なことを、何かしてしまったんだろうか?
今朝起きて以来、僕はなんとも落ち着かない気分でいる。
胸の辺りでモヤっとしたものが、ずっと蟠っているのだ。
調子が狂うというのは、まさにこういうことを言うのだろう。
「ん? どうした?」
急に黙り込んでしまった僕の顔を、レナさんが怪訝そうに覗き込んだ。
「あ、いえ。なんでもありません。今、どのあたりまで来てるのかなぁと思って……」
すると、すぐ後から声が聞こえた。
「おそらく、ボルツ伯爵領ですわね」
そこには、いつのまにかエルフリーデがいた。
「……ボルツ伯爵か」
その名には、もちろん聞き覚えがある。
ほんの一瞬だけ、僕の婚約者となったアデルハイド様は、ボルツ伯爵家の長女だ。
まあ、会った事もないし、特に感慨も無い訳だけれども……。
「そういえば、ボルツ伯爵領を縦断する街道には、小さな宿場町が幾つかある。そう伺ったことがありますわ」
「誰に?」
反射的に僕が問いかけると、エルフリーデがすごく嬉しそうに口を開いた。
「ミュリエ様ですわ! アデルハイド様の妹で、ボルツ伯爵家の次女ですの。私達、とーっても仲良しでしたのよ」
「ふーん」
「夜会で久しぶりにお会いできると思っておりましたが、お姿が見えなかったところを見ると、もしかしたら、ミュリエ様は、等級C以下だったのかもしれませんわね」
等級C以下。
それを口にするエルフリーデの口調に、嘲る様なニュアンスはない。
そのフラットな物言いに、僕は意外さを覚えたが、考えてみれば、エルフリーデ自身、今は等級Cどころか等級Eなのだから、当然なのかもしれない。
すると、レナさんが空を眺めながら口を開いた
「宿場町ねぇ……まあ、様子を見てってことになるだろうが、王都の混乱がこっちまで伝わって無ければ、宿をとるってのも悪くねぇんじゃねぇの?」
「……そうですね」
僕が頷くと、エルフリーデがやけに積極的に同意した。
「ええ、それがよろしいですわ。やはり、最初はちゃんとしたベッドの方が良いですもの!」
「最初?」
その途端、僕らの背後で、ロジーさんが美脚に躓いて、ガタガタッ! と、派手な音を立てて転んだ。
◇ ◇ ◇
二つほど丘を越えて下り坂。
その途中、坂道の脇の、棚の様になった場所に集落が見えてきた。低い石の塀に囲まれた小さな村だ。
「あれが宿場町か?」
「ええ、たぶん。いってみましょうか」
村の入り口に近づくと、そこには門衛らしき老人が一人腰掛けていた。
馬車のまま近くまで寄っても、老人は特に立ち上がる様子はない。
僕は馬車を止めて、老人に声を掛ける。
「あの……すみません。僕らは旅の者なんですけど、この村って宿はありますか?」
「ん…………………………ああ」
老人はゆっくりと頷く。
恐ろしくテンポが遅い。
「あ、ありがとうございます」
僕は礼を言って、馬車で村の中へ乗り入れる。
門衛があの調子なら、ここは恐らく平和なのだろう。そう思った。
村に入ると、一本の道の左右に、恐らく全部合わせても十数件の家屋があるだけ。本当に小さな村だ。
停車場らしき広場には、僕らのものの他に、二台の馬車が停まっていた。
一台は飼い葉を山積みにした荷馬車で、もう一台は一頭立ての小さな馬車。
大きさこそ小さいものの、やけに装飾が華美で、はっきり言って趣味が悪い。
「さて、どれが宿屋なのかねぇ……」
馬車を降りると、レナさんが周囲の建物を見回す。だが、その表情がいきなり、不愉快げに引き攣った。
レナさんの視線を目で追うと、こちらに向かって歩いてくる一人の男の姿があった。
仕立ての良い白のチュニックに、汚れ一つない新品のようなボトムス。にやけた口元からのぞく歯がやけに白い。いかにも軽薄そうな伊達者と言った雰囲気の男である。
「いよお! レナちゃんじゃないのよ。元気ぃ?」
男が見た目どおりの軽薄そうな声を上げると、レナさんが苦虫を数百匹ぐらい口に含んだような顔になった。
「……失せろ。さもないと自分の首を抱えて帰ることになるぞ」
「ははっ! 久しぶりに会った、友達にそいつはねえだろ?」
「誰が友達だ、誰が!」
僕はレナさんにこっそり尋ねる。
「お知り合いなんですか?」
「詐欺師だ。あいつとは絶対しゃべんじゃねぇぞ。お前なんか口先だけで、身ぐるみはがれちまうぞ」
「レナちゃーん、聞こえてるよー。詐欺師ってのは酷いんじゃない?」
伊達男は小さく肩を竦めると、僕らの顔を見回して言った。
「ふーん、田舎へ逃げる使用人……を装った、お姫様と、その護衛ってとこかな」
途端に僕の背筋を冷たいものが滑り落ちた。僕が思わず身構えると、レナさんは男を更に睨みつける。
「失せろと言ったぞ」
「ちっ、ちっ、ちっ」
伊達男は舌を鳴らして見せた。
「いけないな。そんな口の利き方しちゃ。せっかくの美少女がだいなしってもんだ」
「一回だけは、我慢してやる。失せろ」
レナさんが凄むと、伊達男はひゅーと口笛を鳴らした。
「まあまあ、待てってばレナちゃん」
そして、伊達男は大袈裟に肩を竦めて言った。
「いったい何を、そんなに怒ってるんだい?」
「何を……だと?」
その瞬間、レナさんのこめかみに、ミチミチと音を立てて青筋が走るのが見えた。
「貴様が何をしたか、忘れてたとは言わせねえぞ、ティモ!」
「あらら、意外と根に持つタイプなのね。でも、あん時ゃ面白かったな。思い出しただけで笑えて来る。あのスケベ親父、なんてったっけ? ええ……っと確か、ヴィーゲルトだっけか?」
伊達男は「くっくっくっ」と、さもおかしげに笑いを噛みしめる。
「いやはや、モテる女はつらいねぇ。もう四年は経つってのに、あいつ未だにおまえさんを探してるんだとよ。じゃじゃ馬でもかまわねえってさ。あんだけボッコボコにされたのによぉ、絶対ドMだぞ、アイツ」
「そのヴィーゲルトに、オレを一体、いくらで売った?」
「人聞きの悪いこといわないでくれよ」
伊達男は、本当に傷ついたような顔をしてみせた。
「未成年のオレを酒で潰して、変態貴族のベッドの上に放りこむってのは、売るとはいわないのか?」
――うわぁ……。
だが、僕らがドン引きしているにも拘わらず、伊達男は何事も無かったかのように話題を変えた。
「なあ、レナちゃん。運んでる荷物は、たぶん。そっちのお坊ちゃんのフリしたお嬢ちゃんだろ? どうだい、俺の情報網があればずいぶん楽に仕事ができるはずだぜ。報酬は……そうだな。出血大サービス! 上がりの二割ってとこでどうだ」
「出血したいなら、いくらでもさせてやる」
そう言って、レナが刀に指を掛けると、伊達男は慌てて後ずさった。
「待て! 待て! まったくレナちゃんってば、けんかっ早いのは変わんねぇのな。まあ、いい。こういうのは、信用だ。じゃ初回はサービスってことにしとくよ」
「サービス?」
「ああ、聞いて損のない話だと思うぜ」
「……言ってみろ」
「東クロイデルの宰相でマルスランってのがいるんだが、これがエラいキレもんでな。この国が陥っている状況ってのは大体、コイツが描いたとおりなわけだ」
いきなり反乱の黒幕の名前が出て来た事に、僕らは思わず顔を見合わせる。だが、そんな僕らを見回しながら、伊達男は楽しげに更に話を進めた。
「で、昨日、そいつがまた動いたのさ」
「なんだ? 侵攻でも始めたのか?」
「侵攻? 馬鹿言っちゃいけない。そもそも東クロイデルの連中はこの国になんか興味がない。西にくれてやっても良いと思ってるぐらいさ。マルスランの目的は一つ。『イラストリアスの魔鏡』だよ。反乱を起こした連中には、魔鏡と引き換えに、この国の保護を約束してたのさ」
「……馬鹿げたことを」
姫様が悔しげに呟くのが聞こえた。
「ところがだ。どこをどう探しても、一向に魔鏡が出てこねぇ。しびれを切らしたマルスランは反乱軍の連中に、虎の子の魔術兵団を貸してやるから何としても見つけ出せと来たもんだ。表向きは人道に基づく支援、治安維持のためってことになってるんだけどね。で、奴が何を見つけ出せって言ったか、それが問題だ。決まってる。魔鏡の在処を知っている人間のところって訳さ。ね、姫様」
僕らは思わず息を呑む。
「……で、そいつらはどこまで迫ってる」
レナさんが問いかけると、伊達男は満面の笑みを浮かべて言った。
「おーっと! サービスはここまで。今日のところは、俺も引き上げるけど、たぶん、こっから生き延びたきゃ、情報って大事だと思うんだよね。俺は」
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