第十三話 義妹の聖水
さて、第二章スタートです。
章題に若干のネタバレ感がありますが、それはともかく、まずは、息抜き程度の軽いお話から、始めさせていただこうと思います。
どうぞ、よろしくお願いします!
エルフリーデは木製のカップに水をすくうと、そこへ人差し指をつっこんだ。
そして、待つこと三分。
「さあ、お召し上がりください! 坊ちゃま!」
その木製のカップを、おもむろに僕の方へと差し出した。
お前が指つっこんだ水を飲めと!?
なにこれ? 新手の嫌がらせ?
思わず頬を引き攣らせる僕に、エルフリーデが微笑みかける。
「ご心配はいりません。坊ちゃま。私の『恩寵』――『雫一滴』は、触れた水を浄化する力がございます」
エルフリーデの『恩寵』は確か、『大瀑布』という、宙空に巨大な滝を出現させて、相手を水圧で押しつぶす。そんな超凶悪な物だったはずだが、等級Eへと落ちた今、そんな風に変わったらしい。
僕は思わず、救いを求めてロジーさんの方を見る。
そもそも、僕の方は、エルフリーデに対してわだかまりが消えた訳じゃない。いじめようという気は無いにしろ、できるだけ近づきたくない相手なのだ。
しかし、
「坊ちゃま。エルフリーデは坊ちゃまのお役に立ちたいのです。そこは、主として、一気に飲み干すぐらいの度量を見せてくださいませ」
ロジーさんは窘めるように、そう言った。
っていうか、いつのまに主になったんだ僕は……。
◇ ◇ ◇
屋敷を出発して以降、僕達の旅路は順調だった。
風は冷たいが、雪が降るまでには至らず、すれ違う者もいなければ、それ以前に、生き物の姿を見かけることも無かった。
御者を交代しながら夜通し走り続け、二日目の夕刻。
街道を外れた川辺に馬車を止めた僕らは、『暗くなる前に夜営の準備を始めましょう』というロジーさんの提案に従って、ふた張りのテントを設営し、夕食の準備を始めた。
そして、いざ食事をとろうという段になって、エルフリーデが水を差しだしてきたのである。
「さあ、坊ちゃま。ぐいっとお飲みください。ぐいっと!」
「あ、ああ」
もはや逃げ場もない。
僕はエルフリーデの手からカップを受け取ると、意を決して、その水を口の中へと流し込む。
「いかがですか?」
「え……あ、うん」
いかがですかと言われても、水は水だ。頷くより他にない。
だが、僕が頷くと、エルフリーデは頬を紅潮させて、蕩けるような微笑みを浮かべた。
「エルフリーデ・ラッツエル。水に触れるのは、指ではなくとも良いのですか?」
興味津々といった様子で見ていた姫様が、エルフリーデへと問い掛ける。
「はい。身体のどこでも大丈夫でございます」
エルフリーデがそう答えると、ロジーさんがキラリと目を光らせた。
「では、あなたを樽の中に漬けておけば、いつでも綺麗な水を坊ちゃまにご提供できるということですね」
「坊ちゃまがお望みでしたら……喜んで!」
二人とも、正気に戻って!? それ、只の水責めの拷問だから!
僕はレナさんの方へと救いを求めるような目を向ける。すると、レナさんは頭を掻きながら、めんどくさそうに口を開いた。
「なぁ、おまえらリンツにそんなもん飲ませんじゃねぇよ……ちっとは考えてみろ」
ありがとう! レナさん! がつんと言ってやって下さい!
「こいつに飲ませるにゃーもったいねぇだろ! 売れるぞ、それ!」
…………はい? 何をおっしゃってるんです?
「大きな町に行ってだなぁ、皆の目の前で、たらいの水にそいつの足をつけさせて、その水をボトルに詰めて売るのさ!」
「実演販売!?」
ロジーさんが「その発想は無かった!」みたいな顔をした。
「ごくり……メ、メイド印の義妹の清水…もとい義妹の聖水として売れば、きっと飛ぶように売れます」
売れないよ!? 売れない……よね?
だが、テンションを上げるレナさんとロジーさんを見据えて、エルフリーデが、はっきりと言った。
「イヤです」
うん、そりゃイヤでしょう。
だが、
「私の聖水は、お義兄さ……坊ちゃまのものです! 坊ちゃま以外には一滴たりとも飲ませません!」
何、言っちゃってんの!? っていうか自分で聖水って言っちゃってるよ!?
そして、エルフリーデは僕の方へと向き直ると、花のような笑顔を浮かべてこう言った。
「これから先、坊ちゃまの飲み水は、全て! 私が浄化してさしあげますので、ご安心を!」
◇ ◇ ◇
カンテラの灯りだけが、深い闇を照らしている。
絶望しかない夕食が終わると、僕らはさっさとテントに入ることにした。
だが、テントは二張り。
当然、誰が、どちらのテントで寝るかは問題となるわけで……。
「では、坊ちゃまと私で、こちらのテントを使わせていただきます」
半ば予想していたことだが、ロジーさんが、一方的にそう宣言すると、どういう訳か、「まあ、仕方ないよね」みたいな空気が流れた。
みんな! おかしいことに気付け!?
いやいや、落ち着け、リンツ。このままじゃいけない。
僕もたまには言うべきことは、ちゃんと言わねばならない。
「ロジーさん。テントは四人用ですから、女性のみなさんでひと張り。で、申し訳ないですけど、僕一人でひと張りを使わせて貰いたいんですけど?」
「な!?」
ロジーさんが、愕然とした表情を浮かべる。
だが、彼女はすぐにいつもの無表情な顔に戻って、僕の鼻先へと顔を突きつけてきた。
「……坊ちゃま、今夜は冷えます」
「だから?」
「私が添い寝して、温めてさしあげます」
「生命の樹で、毛布を人肌にしますから大丈夫です」
途端に、ロジーさんは膝から地面へと崩れ落ちた。
勝った。大勝利である。
僕は打ちひしがれるロジーさんを尻目に、さっさとテントに入ると、宣言した通りに、毛布に対して『恩寵』を行使する。
人肌の温かさの毛布。
……うん。自分でやっといてなんだけど、かなり不気味な代物だ。
さて、言うべきことは言った。
でも、まあ……分かっている。
朝起きたら、きっと僕の隣には、ロジーさんが眠っている事だろう。
まったく……仕方のない人だ。
思わず苦笑して、僕は眠りにつく。
だが、翌朝目を覚ました時、僕の隣にロジーさんの姿は無かった。
「あ、あれ?」
僕は慌てて跳ね起きると、テントを出てロジーさんの姿を探す。
すると、彼女は何事もなかったかのように、朝食を作っていた。
「おはようございます。坊ちゃま。昨晩はよく眠れましたか?」
「あ……うん」
当たり前の筈なのに、普通の筈なのに。
僕は、なぜかモヤモヤした。
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