第十二話 最後に、服を残して居なくなります。
「おい、坊主! なんだこの女は! あ、いてて……。いきなり殴り掛かってきやがって!」
意識を取り戻したハンスさんは、僕を見るなり怒鳴り散らした。
「すみません。屋敷が荒らされてて、警戒してたところだったので……」
いくら不審者とはいえ、一方的にボコったのはこっちだ。
僕が素直に頭を下げると、レナさんはひらひらと手をふりながら、面倒くさげに口を開いた。
「すまないな、おっさん。ま、殺されなかっただけでも良しとしろ。そもそもこんな時に、あんなところから覗いてるヤツが悪い」
「なにぃ! てめぇ! 女の癖に! てめぇが少々強くったって、人数がいりゃあ関係ねぇ。仲間集めて攫っちまうぞ、こら!」
「あ゛ん?」
レナさんのこめかみの辺りで、カチン! と金属音が鳴った様な気がした。途端に彼女の目つきが剣呑なものになって、ハンスさんをギロリと睨みつける。
「な、な、なんだよ。や、やんのか!」
僕は、慌ててレナさんの傍に歩み寄ると、
「待ってください。ここで起こった事や、マルティナ様の行方を聞き出すチャンスですから……」
そう耳打ちする。
「ちっ……」
レナさんは聞えよがしに舌打ちすると、クルリと背を向けて屋敷の方へと歩いて行く。途端にハンスさんが、大きく安堵の息を吐くのが聞こえた。
「ところでハンスさん。マルティナ様は、ご無事なんですか?」
「知らねぇよ! 夫人はお前らを送り出してすぐに、迎えに来た馬車に乗って出かけちまったよ。あれから帰ってきてねぇ」
「馬車?」
「ああ、百合の紋章をつけた、すげえ豪華な高級馬車だ。そ、それよりお前、質問してぇのはこっちの方だぞ! 一体全体、何がどうなってんだよ。ここを襲った連中の話を盗み聞きしてみりゃ、貴族の当主どもがみんな死んじまったっていうじゃねぇか。王都で何が起ったってんだ!」
「……反乱です。確かに……夜会にいた貴族達は、みんな殺されてしまいました」
――当主ども。
ハンスさんはそう言ったが、それも決して間違いではない。
貴族の当主は等級AかBでなければ継承出来ない。すなわち、あそこにいたのは、この国の貴族の当主全員と、その子女のうち高等級の『恩寵』を持つ者。そう言いかえることも出来る。
「そうか……じゃあ、お嬢さんは?」
「一応、連れて帰ってきましたけど……」
僕がそう答えた途端、ハンスさんはニマ~ッと、脂っこい笑顔を浮かべた。
「恩寵持ちどもが、みんなやられたってのは、にわかには信じがてぇが……。どうやら俺にも、運が回って来たみてぇだな」
「運?」
僕が首を傾げた途端、
「……ハンスさんではありませんか」
すぐ後ろから、聞き慣れた声が聞こえて、僕は思わず硬直する。
恐る恐る振り向くと、先ほどの暴走の痕跡など全くない、いつもの完璧なメイド服のロジーさんの姿があった。
「いよぉ、ロジーちゃん! 会いたかったぜ!」
「私は、少しも会いたくありませんが?」
ロジーさんの声音に棘が混じっているのは、たぶん、ハンスさんが、僕をよく殴っていたのを知っているからだろう。
「相変わらず、ロジーちゃんは冷たいねぇ~。あれだ、ツンデレってヤツだ」
そう言って、ハンスさんはロジーさんの傍へ歩み寄って、その肩を抱こうとする。
無論、ロジーさんが大人しくしている筈などなく、伸びてきたハンスさんの手を振り払い、不愉快げに眉を顰めた。
「なんだよ、仲よくしようじゃねぇか。そうだ。ロジーちゃん、屋敷がこんなことになっちまったら、アンタも行き場が無ぇだろう? 俺が面倒見てやってもいいんだぜ?」
「お断りします」
「ははっ! 遠慮すんなって。金の事なら心配いらねぇ。これから大儲けしようってとこなんだからよぉ」
「大儲け?」
不快さを隠そうともせずに、ロジーさんが片方の眉を吊り上げる。
「ああ、そうさ。俺らもこれで職にあぶれちまった訳だ。退職金ぐらい貰っても、罰は当たるめぇよ」
「でも、屋敷には金目のものなんて、何も残っていませんよ?」
僕がそう問いかけると、ハンスさんは大笑いして言った。
「なに言ってやがる。とびっきりのお宝が残ってるじゃねぇか」
「お宝?」
「お嬢様だよ! お嬢様。……エルフリーデの奴をとっつかまえるのさ」
僕とロジーさんは互いに目を見合わせる。
だが、僕らの様子などお構いなしにハンスさんは、機嫌よさげに話を続ける。
「考えてもみろ、反乱を起こした連中にしてみりゃ、等級Aの貴族が逃げ延びてるってんなら、おちおち枕も高くして眠れねぇ。そのうち貴族狩りが始まるだろうし、懸賞金だってかかる筈だ。なぁに。等級Aったって、世間知らずの小娘よ。お前やロジーちゃんが薬でも盛れば、一発だろうさ」
エルフリーデの等級は最早AではなくEに落ちているが、わざわざそれを訂正してやる必要などない。
「いくら眠らせたって、後で目を覚ましたら殺されますよ?」
すると、ハンスさんは僕の鼻先に指を突きつけて言った。
「まったくバカだなぁ、テメェはよぉ!恩寵を使えなくしちまえばいいのさ。恩寵が宿るのは目だって聞くからな。目を潰しちまえばいい。それでダメなら、手足を斬り落としてやりゃあいいんだよ」
途端に、ロジーさんの眉間に皺がよるのが見えた。僕の方はというと……自分がどんな顔をしているのか、正直、良く分からない。
「……懸賞金なんて、出るかどうかも分からないのに」
「バーカ、懸賞金が出ねぇなら、娼館にでも売っぱらっちめえばいいのさ。傷もんでも多少の金にゃあなる。手足が無くったって、女には使い道があるんだからよ」
流石にこの物言いは下劣にも程がある。
「でも……」
僕が口を開こうとした途端、右のこめかみにハンスさんの拳が飛んできた。目の前で星が散る。ハンスさんは、フラフラと尻餅をついた僕を見下ろして、声を荒げた。
「四の五のうるせぇんだよ! 根性無しが! てめぇもエルフリーデの我儘にゃ、ひでぇ目にあわされたんだろ? てめぇは俺の言う通りにしてれば……ぶっ!?」
だが、その言葉の終わりを待たずに、ロジーさんがハンスさんの頬をひっぱたくのが見えた。
「坊ちゃまを……。坊ちゃまを殴ったな!」
ハンスさんを血走った目で睨みつけるロジーさん。だが、次の瞬間、そのロジーさんの頬をハンスさんがひっぱたき返す。パン! と破裂するような高い音が響いて、ロジーさんが吹っ飛んだ。
「ロジーさん!?」
僕が、ロジーさんの元へ駆け寄ると、ハンスさんは僕らを見下ろして凄んだ。
「こんのアマぁ……甘い顔してりゃあ、調子に乗りやがって! 力づくで言う事を聞かせることぐらい、いくらでもできるんだぞ! ステラブルクの荒くれもんにゃあ、ダチが山ほどいるんだ。そいつらみんな連れて来て、さっきの女やエルフリーデごと、お前も娼館に売り飛ばしてやっても良いんだぞ!」
……僕は静かに目を伏せる。
ああ……ダメだ。これはダメだ。
残念だけれども。とても残念だけれども。
こいつは、生かしておいちゃダメなヤツだ。
僕は、ハンスさんに微笑みかける。
「……ハンスさんって、ご家族いましたっけ?」
僕がそう問いかけると、ハンスさんは煩わしげに唇を歪めた。
「あん? いるわけねぇだろうがそんなもん」
「なら……安心しました」
僕がゆらりと立ち上がると、ロジーさんが僕を見上げて「坊ちゃま……」そう呟くのが聞こえた。
「まず最初に言っておくと、これは決して、エルフリーデのためなんかじゃありません。懸賞金が掛かる様な状況になったら、僕らがここに居たということを知られてるのは、マズいですし……。なにより、あなたはロジーさんを殴った。それがいけなかった……」
「なんだ? 坊主、打ちどころが悪かったか?」
「正直、こういう使い方はしたくなかったんですけどね」
僕は静かに微笑みながら、そっと指を伸ばして、彼の服、その袖口に触れた。
『生命の樹!』
「ん、なんだ坊主……? 目が光って……て、痛ってぇえええええええええ!」
途端にハンスさんは悲鳴を上げながら、地面を転げまわる。
「な、何しやがった! てめぇ! ぎゃぁああああああああ!」
必死の形相で、僕を睨みつけるハンスさん。
だが、僕は何も言わない。
もう、言葉を交わす必要もない。
彼の着ている服は、ゆっくりと赤く染まり始めている。無論、彼の血でだ。今、この下衆野郎は、自分の服に喰われているのだ。
僕は彼に背を向けると、ロジーさんに微笑み掛けた。
「ロジーさん、そろそろ出発しましょうか。みんなを呼んできてください。」
「はい、坊ちゃま」
「ま、まって! た、助けてくれ!」
ハンスさんがいくら声を上げても、もはやロジーさんも一顧だにしない。
「ぎゃあああああああああ、く、喰われる! た、助け……」
僕はハンスさんの悲鳴を背中で聞き流しながら、馬車の方へと向かった。
「ああ忘れてた、飲み水を入れた樽を積まなきゃ……」
車庫の前に停めたままの馬車。そこに辿り着く頃には、悲鳴も途切れて、あたりはすっかり静かになっていた。
用意しておいた、水を入れた樽を荷台に積みこんで、荷台の上で一休みしていると、幌の向こう側から皆の声が聞こえてきた。
僕は荷台から降りて、彼女達の方へと目を向ける。
そして、
「え……?」
固まった。
いつも通りのロジーさんとレナさんはともかく、あとの二人の姿を目にして、言葉を失ったのだ。
ロジーさんが、彼女にしては珍しく、してやったりという想いを、はっきりと表情に出して口を開いた。
「さあ、エルフリーデ、坊ちゃまにご挨拶なさい」
「はい、メイド長様」
メイド長?
エルフリーデが着ているのはメイド服。それも、ロジーさんとは違って、スカート丈の短いやつだ。
僕が思わず目を白黒させていると、エルフリーデが傍へと歩み寄ってくる。そして、彼女はスカートを摘まんでお辞儀をした。
「坊ちゃま、新人メイドのエルフリーデでございます。お役に立てるよう努力いたしますので、何なりとお申しつけください」
「え……ああ、うん」
呆気に取られて、僕がついつい普通に返事をしてしまうと、エルフリーデは目を見開いた後、蕩ける様な微笑みを浮かべた。
……なんだか負けた様な気がする。
思わず顔を顰める僕に、ロジーさんが微笑んだ。
「坊ちゃま。エルフリーデは、まだまだメイド力――五程度のゴミですが、私がメイド長として、これからビシバシしつけて参りますので、どうぞご安心を」
……ダメだ。ツッコみどころが多すぎる。
僕が頭を抱えていると、物凄く楽しそうに姫様が歩み寄って来た。彼女は、僕の前でくるりと一回転すると、はにかむように微笑んだ。
「いかがですか? リンツ」
「いや……いかがって言われても」
「似合いませんか?」
「そんなことはないですけど……」
僕の歯切れが悪くなるのも、しかたが無い事だと思う。
なにせ姫様が着ているのは、男物の服。僕と同じ様な、粗末な野良着だ。そして、なによりあの長く綺麗だった髪が、首筋が全て見えるぐらいに短くなっていた。
少なくとも、野良着が似合うなんていうのは、誉め言葉ではないだろう。
「……なんで男装なんです?」
確か、ロジーさんは、姫様に目立たないような地味目の女性物の服を用意してたはずだ。
「うふふ、驚かれました? 私がディートリンデであることを、簡単には悟られないようにする必要があるというのが一つ、あとは、決意表明ですわね。私は女を捨ててでも、必ず王都に戻らねばなりませんから」
「でも、せっかくの髪が……」
「髪はこの先、また伸びますわ。でも、掴まって首を落とされたら、首は伸びませんもの」
そう言ってクスクスと笑う姫様を、ロジーさんが窘める。
「姫様、言葉遣いも、ちゃんと男らしくされませんと」
「あ、そうですわね……。えーと、兄ちゃん! 俺っちのことはディートと呼んでくだ、ござる、くれなんだぜ!」
――語尾、ガバガバですけど……。
僕が、ツッコんでよいのかどうか悩んでいるのを他所に、姫様の背後では、レナさんが腹を抱えて爆笑していた。
「というわけで、坊ちゃま。この旅の間は、襲撃された貴族の屋敷から逃げ延びた使用人の一団ということで通したいと思います」
「ああ、なるほど。故郷へ帰るところだって言えば、信じてもらいやすいかもしれませんね」
「ええ。それぞれの役どころは、レナ様は途中で雇った用心棒。私とエルフリーデが、メイド長とメイド。坊ちゃまと姫様が下男の兄弟ということで、通してください」
「そういう訳なの……なんだぜ、兄さん!」
姫様がノリノリで僕の顔の前で親指を立てると、なぜか、エルフリーデの表情が少し曇ったような気がした。
「それでは、私とエルフリーデで御者を務めますので、皆さま、お早くお乗りください」
そう言ってロジーさんがパンパンと手を叩くと、僕らは追い立てられるように荷台の上に飛び乗る。
荷台に腰を下ろしてすぐに、
「そういや、あのおっさんはどうした?」
レナさんにそう尋ねられたので、「さあ?」と、笑ってごまかした。
「では参ります」
ロジーさんが振り向いて声を掛けると、すぐに馬車が走り出す。
襲撃で荒れ果てた庭先。そこに落ちている赤い服など誰も気には留めない。
だが、この時、僕は完全に失念していた。
あの服に掛けた『恩寵』を解除するのを忘れていたのだ。
僕らが人食いの化け物が住む館の噂を耳にするのは、随分後のことである。
ともかく、これが僕らの長い旅の始まり。
こんな状況にも拘わらず、残照に照らしだされた彼女達の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。
これにて第1章終了となります。
引き続き第2章もどうぞ、よろしくお願いします!