第九十六話 剣闘試合開始
大変、大変お待たせしました!
あっという間に、四日が経過した。
ついにやってきた剣闘試合当日。
流石に、たった四日間では、出来ることなどたかが知れている。
一応、レナさんに剣の指導をして貰いはしたのだけれど、四日やそこらで素人がどうこうできるものでもない。
どちらかというと僕は、剣術についての情報を頭に叩き込む時間だと割り切っていた。
レナさんによると、剣聖ハイネマンの剣技の極意は『突き』なのだそうだ。
考えてみれば、確かに機動甲冑を相手に戦っていた時、レナさんの攻撃の大半は『突き』だったような気がする。
ハイネマン門下にも、カストラートに繋がる者が幾人かいるそうで、もしかしたら、そのうちの誰かが出てくるかもしれないそうだ。
一方で、カストラート家にはカストラート家独自の剣術があるのだという。
どんなものかと尋ねてみれば、レナさん曰く――
「ありゃあ、臆病もんの生存戦略ってヤツだ」 と中々辛辣なコメント。
それと言うのも、戦場でパニックになると、人間というのはむやみに斜めに剣を振りかざしてしまうことが多いらしい。ならば、その剣筋を極限まで鍛え上げれば良いんじゃね? という、冗談みたいな経緯で成立した剣術だから。ということらしい。
経緯は冗談みたいだが、侮れないのが、その袈裟斬り。
カストラートの男子は物心ついた時から、成人するまでの間、ひたすらそれを繰り返し鍛えられるのだという。
その力任せの斬撃の凄まじさは、決して剣で受け止めてはいけないと言われるほど。
故にカストラートの男たちの腕力はすさまじく、ムキムキの筋肉ダルマが多いらしい。
「もし負けるとしても、ムキムキは勘弁してくれよ」
レナさんは冗談交じりに、そう言っていた。
「準備は良いな」
「はい!」
僕とレナさんは馬車に乗り込み、試合会場へと向かう。
試合会場はヒルフェン領の中心都市モリエントの中央闘技場。屋敷からならば一刻ほどでたどりつく、正にヒルフェン公のお膝元である。
余談ではあるが、この西クロイデルという国では、信じられないことに、どんな小さな村にも、必ず闘技場があるのだという。
もはや、僕には蛮族の国としか思えない。
「一応、ルールのおさらいをしとくからな、いいよな?」
「はい、お願いします」
「まず今回の剣闘試合の形式は異例中の異例だ。基本はお前対カストラート家につらなる五名。爵位、格式の低い者から順に、お前と戦うことになる。但し、もしお前が負けるようなことがあれば、そこからは残った者の総当たりで、オレを取り合うことになるんだそうだ。男たちが寄ってたかって一人の女を取り合うんだぜ? まったく美しさってのは罪だよなー、なあ?」
「なるほど、つまり五連勝しなくちゃいけない訳ですね 体力的には不利……か」
「おい」
「はい?」
「……冗談言ってんだから流すなよ。ツラくなるじゃねーか」
「で、次はなんでしたっけ」
「おいぃいい!」
……などというやり取りをしている間に、闘技場に到着した。
到着後、レナさんに先導されて、僕は控室に足を踏み入れる。
今回の試合においては、剣士一人につき付き添いは一人だけ。
ちょっとした作戦があるので、僕の付き添いはレナさんということになって、マグダレナさんは、ヒルフェン公やハイネマン翁と一緒に、貴賓席に入ることになった。
「試合まであんまり時間はねーな。準備はいいか?」
「はい、大丈夫です」
僕の出で立ちはフードこそ被っていないが、ローブを着込んだあまり剣士らしくないもの。
こんな格好なのはもちろん色々と仕込んでいるからなのだけれど、とにかく身に着けられるものには片っ端から、すでに生命を宿している。やろうと思えば、瞬時に全裸になることすら可能だ。やらないけど。
「今回は直接攻撃する類のものでない限り『恩寵』を使えることになってる。まあ、普通『恩寵』一つでそんな、色々できるとは思わねぇからな。で、武器も剣である必要もねぇ。弓矢とか投石機みてぇな飛び道具でさえなければ、誰も文句は言わねー」
「はい」
実際、僕も剣を腰に下げてはいるが、これを使うという状況になるのは、相当追い込まれた時だろう。
「なんか……すまねぇな。こんなことになっちまって」
「ほんとですよ」
「おい」
「はい?」
「そこは『そんなことありません! 僕もレナさんのことが大好きですから。あなたが誰かのモノになってしまうなんて、そんなの絶えられません!』とか、そういう感じの返しがあって、ちょっといい雰囲気になったりするもんじゃねーのか?」
「良い雰囲気って、レナさん相手に?」
「なんだよ、悪いかよ」
「だって、そういう話を振るだけ振って、いつも先に照れちゃうじゃないですか、レナさんが」
「むぅっ……」
むくれるレナさんに僕は思わず苦笑する。
「……でもまあ、レナさんが他の人の奥さんになるのはイヤかな」
「なっ!? お、おまえ、そ、そ、それってプロポーズじゃ……」
「ち、ちがいますよ。そういう意味じゃないですよ。こういう形で無理やりってことです」
強さで女性を奪い合うということだけを考えれば、どんな蛮族なのだとも思う。そこにはレナさんの意思は存在しない。それが僕には許せない。
「と、とりあえず! 一人目を瞬殺してこい。できるだけ手の内を見せずに済むなら、それに越したこたーねぇからな」
「わかりました。頑張ってみます」
「いくぞ!」
控室を出て、僕らは廊下へと歩み出る。石畳の長い廊下。レナさんの背中を眺めながら、先に進むと、薄暗い廊下の向こう側に四角の光が見えてくる。
あれが闘技場への出口か。
光の中に足を踏み出せば、一瞬目がくらんで視界が真っ白に。
途端に周囲から怒号のような歓声が上がった。
次第に目が慣れてくると、青空の下に巨大な円形の闘技場。周囲を取り巻く観客席には超満員の人の姿が目に飛び込んでくる。
「な、なに? これ?」
思わず、戸惑う僕を振り返って、レナさんがニッと笑った。
「呑まれてんじゃねぇぞ。この国じゃ剣闘試合の観戦は一番の娯楽だ。地位も何にも関係ありゃしねぇ。試合の告知があれば、どいつもこいつも仕事ほっぽり出して集まってきやがる」
「あはは……」
――もう……なんなのこの国。物騒過ぎるでしょ。
それが僕の心情である。
目を凝らしてみてみれば、闘技場の向こう側、向かいの入場口の前には、筋肉の塊みたいな髭面の男が、でっかい戦斧を担いで立っている。
ゴドフリートさんよりも頭一つ分ぐらい大きい。
上半身は裸で、短袴に、ごついブーツ。戦斧を除けば軽装過ぎるぐらい軽装である。
「えーと、レナさん…・・。あの人、貴族なんですよね。どうみても山賊みたいなんですけど」
「カストラートの傍流、ヴンド家の嫡男だな。オレも何回かやりあったことはあるが、そんな強いって訳じゃねぇ。だが、カストラート家の剣術の雛形みたいなヤツだ」
「斧みたいですけど?」
「刃がついてりゃ、剣みたいなもんだ」
――もうヤダ、この国の人たち。大雑把過ぎるでしょ。
思わず呆れていると、唐突に男の大きな声が闘技場に響き渡った。
「これより僭王リンツ・クロイデルと、ダダ・ヴンドの闘技を開始する!」
声のした方へ目を向けると、観客席のど真ん中、張り出し舞台みたいなところで、男が声を張り上げていた。
「この試合を取り仕切るのは、この戦いの勝者に与えられる花嫁、レナーダ・ヒルフェンの兄弟子である私、ターシュケンである」
なるほど、ハイネマン門下の人間も総動員されていると聞いていたが、こういう役割も担うのか。などと考えていると、
「尚、解説は――」
「ワシ、良い子の剣聖ハイネマンと」
「ワタクシ、謎の美女マグダレナ」
「――の三名でお送りします」
いつの間にか舞台の上にはテーブルとイスが設置されていて、先ほどのターシュケンとハイネマン翁、マグダレナさんが横並びに座っていた。
――ちょっと、待てやぁああああああああああああああ!
「レ、レナさん、あ、あ、あれ、どうなってんです!?」
「どうって? そりゃー解説の一つもないと、初見の人間にゃあ、何が何だか分からねぇだろうが」
「それが……普通なんですか」
「普通だ」
――もうやだ、この国!
思わず肩を落とす僕のことなど顧みることもなく、張り出し舞台の上からは三人の話声が響いてくる。
「さて、これから闘技がスタートするわけですが、僭王の方はあまり情報がありませんね。解説のハイネマン師匠、両者には、随分ウェイトに差があるようですが?」
「まあ、大きさがそのまま強さという訳ではないからの。とはいえ、ヴンドもデカいだけの男ではない。普通にやれば、ヴンドの勝ちじゃろうの」
「マグダレナさん、ハイネマン師匠はそう仰っていますが、僭主サイドとしては、いかがでしょう?」
「正直言って好みのタイプじゃありません」
「はい、ありがとうございました。それでは第一試合を開始します。両者前へ!」
マグダレナさんのアレは解説になっているのかとか、僭王呼ばわりはどうなんだとか、言いたいことは山ほどあるけれど、今はそれどころではない。
僕が前へと歩み出ようとすると、レナさんが突然、肩を掴む。
「おい、おい、忘れてんぞ。ちょっとでも勝率上げるために……その、やれって、言われてただろうが」
「え? 本気でやるつもりですか? 言った本人、あそこで遊んでますよ?」
「決まってんだろうが、勝つためなら何でもやってやる!」
そう言ってレナさんが顔を真っ赤にしながら、僕の頬にチュッと口づける。その瞬間、観客が一斉に歓声を上げた。
マグダレナさん曰く、『出来るだけいちゃいちゃして、相手が冷静でいられないようにしてください』とのこと。
これまで散々ほっぺにちゅーはこなしてきたのだ。今更こんなぐらいで、僕が浮足立つことはない。これが、本当に相手への挑発になるんだろうか?
前に歩み出て向かい合うと、相手はものすごく険悪な視線で僕を睨みつけてきた。
「まだ、お前のモンじゃねーんだろ! あの女はよぉ、イチャイチャしてんじゃねぇぞ、チビが!」
思いっきり、挑発されておられました。
なら、もっと挑発していくのが正解なのだろう。
「心配ありませんよ、出てくるのがアナタ程度なら、もう僕のモノだって決まったようなモンですから」
「てめぇええええ! ぶっ殺す!」
ヴンドが空に向かって咆哮を上げた途端、ターシュケンが掲げた二本の剣を打ち鳴らして、声を上げた。
「開戦!!」
これが試合開始の合図らしい。
「うぉおおおおおお!」
いきなりヴンドが、巨大な戦斧を振りかぶりながら突っ込んでくる。見るからに怒り任せ、力任せの突撃。一撃で決めるつもりなのだろう。
大きく戦斧を振りかぶれば、身体はがら空き。だが、僕は剣を抜いてもいない。剣を引き抜いて飛び込んでくるよりも早く、僕を真っ二つに出来る。そう思っているのだろう。
嘗められたものだ。武器はなにも剣でなくてはならない訳じゃないのに。
僕は突っ込んでくるヴンドに向けて右手を突き出す。その瞬間、ローブの袖口からシュルシュルと音を立てて、飛び出すものがあった。それは鎖。
右腕に巻き付けておいた鎖分銅がまるで蛇のように……いや、命を与えて本当に蛇と化した鎖分銅が、ヴンドの顔面目掛けて襲い掛かったのだ。
「な、なにぃ!?」
思わず目を見開くヴンド。次の瞬間、その眉間に鋼の分銅がめり込んだ。
ヴンドの黒目が上向きにひっくり返って、白目を剥く。その身体がぐらりと揺らいだかと思うと、頭上に掲げた戦斧もろとも、そのまま背後へと倒れこんだ。
巨体が地面を打つ重厚な音と、戦斧が石畳を叩く渇いた音が響き渡る。
観客席はしんと静まり返り、一体何が起こったのかと戸惑う人たちの息遣いがそこに居座っていた。
呆気にとられたような静寂の中で、レナさんが声を張り上げる。
「おい! ターシュケン兄! 勝ち名乗りだ!」
「あ、お、おう! 勝者! 僭王リンツ・クロイデルッ!」
ターシュケンが慌ててそう声を上げると、途端に怒号のような歓声が闘技場を包みこんだ。
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