第一話 義妹の求婚
「お義兄さま! こ、婚約なさられたというのは、本当ですの!?」
家庭教師のボヴァリ夫人がお帰りになった後のこと。
僕が居間でくつろいでいると、一つ歳下の義妹――エルフリーデが、けたたましい音を立てて、部屋へと飛び込んできた。
「ははっ、エルフリーデは耳が早いね」
「何を呑気なことを仰っているんです!」
エルフリーデが、頭の左右で結わえた金色の髪を揺らしながら、只でさえ釣り目がちの目を、クワッ! と見開いて詰め寄ってくる。
思わずソファーの上で身を反らす僕と、義妹の間に、専属メイドのロジーさんが、スッと身体を入れて立ちはだかった。
「お嬢さま。坊ちゃまは、勉学に励まれてお疲れですので……もう少し落ち着いてくださいませ」
ロジーさんは僕より三つ年上の十八歳。肩までの銀髪に褐色の肌の物静かな女性だ。
物静か……というかほとんど表情に変化がない。だが、最近ようやく、喜んでるのか、怒っているのかぐらいは分かる様になってきた。
だが、そのロジーさんの冷静さがエルフリーデの癇に障ったようで、彼女はますます興奮気味に声を荒げる。
「これが落ち着いていられますか! しかも、お相手はボルツ伯爵家のアデルハイド様だというじゃありませんか!」
「うん、そうらしいね」
「らしいって……。アデルハイド様といえば、等級Cの『恩寵』しか発現出来なかった、出来損ないじゃありませんか!」
「うーん、エルフリーデ。その言い方は良くないんじゃないかな。僕もお会いしたことは無いけれども、温厚でとても善い方だと聞いているよ」
「性格なんてどうでも良いのです! アデルハイド様は伯爵家の継承権もお持ちではありませんし、将来を約束されたお義兄さまには、どう考えても不釣り合いですわ」
「そう言われても……ね。お義父さまがお決めになったことだし。不釣り合いというなら、むしろ、こちらが申し訳ない気がするけどね。僕は半年前までは、庶民だった訳だから……」
そうなのだ。
僕――リンツ・ラッツエルはつい半年前まで、庶民だった。
庶民とは言っても、それなりに裕福な商家の一人息子だった僕は、ある日突然、馬車の事故で両親を失った。
そこからは、酷いものだった。
親戚を名乗る者が引っ切り無しに訪ねて来て、ああだ、こうだと理由をつけては、家財をむしり取っていく。
情けないことだけれども、僕は何も知らなかったし、何も出来なかった。
最後には家からも追い出され、僕はただ、途方に暮れた。
そんな僕に、手を差し伸べてくださったのが、領主のラッツエル男爵様だ。
「私の息子になれば良い。領民は全て、家族も同然なのだから」
蒼い髭が印象的な男爵様の慈悲深いその一言に、僕はただただ涙した。
……とはいえ、街中には、孤児などはいて捨てるほどいる。僕よりひどい境遇の者も少なくはない。
その中で、男爵様がなぜ、僕にだけ手を差し伸べてくださったか。その理由は、貴族として過ごしていく内に、徐々に分かってきた。
それは、僕が『虹彩異色』だからだ。
順を追って話そう。
はるか昔には一つの国であった三つの国。そのうちの一つ、この中央クロイデル王国には、東西のクロイデル王国とは異なる、大きな特徴がある。
それは貴族達が持つ『恩寵』と呼ばれる特殊な能力だ。ある者は炎を操り、ある者は宙を舞う。貴族はそんな超常の力である『恩寵』を持って生まれてくる。
いや、庶民たちは頑なにそう信じているが、事実はそうではない。
貴族の子女は十五の成人の儀式において、王族の所持する『イラストリアスの魔鏡』と呼ばれる手鏡に姿を映すことを許され、それによって『恩寵』を発現させるのだ。
聞いた話によれば、『恩寵』はAからEまでの五等級に格付けされており、この国においてはその等級こそが、人の価値を決める。
『恩寵』を発現させる機会の与えられぬ庶民は、家畜も同然。貴族においてもABの上位二等級を発現した者にしか、継承権は与えられないらしい。
僕が『虹彩異色』であることが、そこで重要な意味を持つ。
この国のこれまでの歴史において、『虹彩異色』の人間が『恩寵』を発現した際には、もれなく最上級の『恩寵』を発現しているそうだ。
故に庶民は全く知らないことだが、貴族の間では『虹彩異色』は『神の恩寵を得る者』。そう呼ばれているらしい。
高い等級の『恩寵』を持つ子女を多く抱えていれば、それは貴族としての力となり、爵位も加爵されるのだという。
つまり、男爵様が手を差し伸べてくださったのは打算でしかない訳だが、がっかりしたかと言われれば、答えは否。
幼い頃から、さんざん揶揄れてきたこの目が、役に立つなんて、本当に得難い幸運だったと思う。
かくして僕は男爵様の第四婦人マルティナ様の屋敷に預けられ、男爵様とマルティナ様の娘、エルフリーデの義兄という位置づけを与えられた。
理由はマルティナ様の出自も庶民だからだろう。男爵様がその美しさを見初めて第四婦人として迎え入れられたそうだ。
義理の母がマルティナ様だというのは、これもまた僕にとっては得難い幸運だった。
マルティナ様はいつも優しげな微笑みを湛えていて、庶民上がりの僕にも何の偏見も無く、とても大切にしてくださったからだ。
一方、その娘のエルフリーデはというと、本当に貴族らしい女の子で『恩寵』の等級こそが、価値観の中核にあるように見える。だから、僕の事も最初の方は、すごく警戒するような目で見ていた。
ところが、次第に慣れて来たのか、最近ではお義兄さま、お義兄さまと、とても甘えてくるようになった。
今では本当に可愛い義妹だ。
ただ、甘えるのも行き過ぎて、彼女は最近、ちょっと困った事を言い始めている。
「お義兄さまからも、お父さまに仰ってください! エルフリーデを妻に欲しいと!」
「いやいやいや! 無茶言わないで! 義理とはいえ、僕らは兄妹な訳だし……」
「もしかして、お義兄さまは、エルフリーデがお嫌いですの?」
「そんなはずないだろ! エルフリーデは僕のかわいい義妹だよ」
「でしたら!」
興奮気味のエルフリーデが更に僕の方へと歩み寄ろうとしたところで、ロジーさんが再びそれを遮った。
「お嬢さま。坊ちゃまがお困りです。今日のところはその辺りで」
「むぅう、ロジー……あなたお義兄さまのお気にいりだからって、調子に乗ってるんじゃないの!」
「お気に入りと仰っていただけるのは光栄ですが、私を坊ちゃまの専属とお決めになられたのは奥様ですが?」
無表情ながらもどこか勝ち誇った様子のロジーさん。エルフリーデはそれを不満げに睨みつけると、次の瞬間、一瞬の隙を衝いて、良家のお嬢様らしからぬ素早さでロジーさんの脇を擦り抜けると、僕の方へと飛びついてくる。
そして彼女は思わず仰け反った僕に覆いかぶさるように、自らの唇を僕の唇へと押し付けた。
「な!?」
ロジーさんの驚く声が頭の上から降ってくる。エルフリーデは静かに唇を離すと、ソファーの上、僕の上に馬乗りになった状態で、恥じらう様に微笑んだ。
「……エ、エルフリーデ?」
「えへへぇ……予約です! これでお義兄さまは私のものですわよ!」
その途端、ロジーさんがエルフリーデを羽交い絞めにして力任せに引きはがす。
「ちょ! ちょっと! ロジー! 放しなさいよ!」
「坊ちゃま! キスの一つや二つは挨拶みたいなものです。何の予約にもなりませんのでご安心を! ですが、お腹を壊すといけません。すぐに口をすすいでくださいませ」
「ちょっとぉ! 汚いものみたいに言わないでくださる!? と、とにかく! お義兄さまの初めての相手は私ですからね!」
そう言って、エルフリーデは、ロジーさんを振りほどくと、顔を真っ赤に染めたまま部屋を飛び出して行った。
「困ったやつだなぁ……」
「はい」
僕の呟きにロジーさんが溜息混じりに応じる。そして、彼女は僕の顔をじっと見つめた。
「で、初めてだったのですか? 坊ちゃま」
「は? え……まあ、そ、そうだけど……」
「なるほど、それはいけませんね。坊ちゃま。それでは消毒代わりに、私がキスしてさしあげます」
「え、えっ!? ちょ、ちょっと待って!?」
僕が盛大に慌てふためくと、ロジーさんはさっと顔を背けた。
「冗談のつもりだったのですけど……そんなに慌てられると恥ずかしくなります」
「あ、冗談。あはは……そ、そうだよね。冗談だよね」
ロジーさんは表情に乏しいので、正直、冗談かどうかの判断がつかなかった。けれど、顔を背けた彼女の耳は少し赤くなっていた。
僕が十五になるのは来月。
その誕生日に、『イラストリアスの魔鏡』に身を映す機会が与えられ、『恩寵』が発現する。
その後もこんな幸せな日々がずっと続くのだと、この時、僕はそう思っていた。
そして、一か月後。
――僕は『最低等級の恩寵』を発現した。
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※二話以降、少しヘイトを溜める展開が続きますが、気持ちよく逆転するためにご容赦ください。