昔々の仲間のお話
「お兄ちゃん、本当に良かったの?」
「何がだ?」
「ラビィさんをこっちのパーティーに入れなかった事だよ。ラビィさんてティアさんとあんまり折り合いが良くないんでしょ?」
「まあそうだけど、ティアさんはあれでもちゃんとした大人だから、そのへんは大丈夫だよ。それに、気兼ね無く何かを言い合える相手が側に居る方が良い事もあるからな」
「そっか。まあ、お兄ちゃんがそう言うならいいけどね」
「唯ねえやん、ラビィねえやんは大丈夫。みんなと仲良くできるよ」
「……うん、そうだね。ラッティちゃんの言うとおりだよ」
ラッティと手を繋いで歩いている唯が、ラッティの言葉に優しく微笑みながらそう答えた。
しかし、唯にはそれがただの理想論である事は分かっていると思う。人同士の確執や諍いなど、そう簡単に解消されるものではないからだ。それでも唯がラッティの言葉を肯定したのは、幼いラッティに対する唯なりの優しさだろう。
現実はいつだって厳しい。それを早く理解できれば、世の中も上手く渡って行ける様になるかもしれない。けど、遅かれ早かれ誰だってその現実には直面する。だったら幼い時くらいは有り得ないくらい純粋な事を口にしたっていいと思う。
「まあ、今はあっちの事はあっちに任せておこう。俺達は俺達でやる事をしっかりとやらなきゃだしな」
「「うん!」」
その言葉に元気良く頷く二人。なんだかそんな二人を見ていると、日本で唯とましろと一緒に散歩をしていた時の事を思い出す。今は記憶の中にだけ存在し、その姿を見る事ができない故郷。それを思うと少し寂しい気持ちになるけど、俺の今生きている世界は日本ではなくここなのだ。
俺は沈みそうになる気持ちをグッと堪え、今やるべき事に再び意識を集中させ始めた。
今日の俺達がやる事は、基本的にロマリアについての調査だ。
ミントが持って来た情報では、このアルフィーネの街からラグナ大陸へかけての海域に強力な魔法の力を持った催眠成分がばら撒かれている。それをロマリアの仕業かもしれないと思った俺は、大時化が始まる前にこの街でロマリアが何かをしていなかったかを調べる事にした。
つまり、俺と唯、ラッティのパーティーは大時化が始まる前のロマリアの動向調査を。ティアさんにアマギリ、ラビィのパーティーにはここアルフィーネでロマリアが取引をしていた物資などの調査を頼み、リュシカとラビエールさんには催眠成分を含んだ海水の調査分析を頼んだ。
残ったミントは海中にある催眠成分を受け付けないので、単独行動で海中を探ってもらい、催眠成分を放出したマジックアイテム的な物が無いかの調査をしてもらっている。
そしてそれぞれに調査を進め始めてから太陽が赤く染まり落ち始めた頃、俺達は予定通り一旦街の中心部にある広場へと集合し、そこでそれぞれの調査結果を報告しあった。
「――よし、これでみんなの調査報告は全部かな?」
不機嫌そうにしているラビィを除き、その場に居る全員が俺の言葉に頷いた。
そしてそろそろ陽が沈もうとしている事もあり、俺達はそのまま解散してそれぞれの宿へと戻る事にした。本当ならもう少しみんなで話をしたいところだったけど、俺の身体の事情が簡単にそれを許してはくれない。
面倒しい身体になってしまった事に今更ながらに溜息を吐きつつ、俺は不機嫌な様子のラビィと一緒にいつものボロ宿へと戻った。
俺とラビィが寝泊りしている宿屋へと戻ってすぐ、俺は外でタオル代わりにしている薄布を飲料水で濡らして絞り、それを持って部屋へと戻り全身を拭き始めた。本当なら街の銭湯に行ってさっぱりしたいところだけど、今の高騰した価格ではそれも難しい。だからと言って飲料水をこの様に使うのは勿体ないと思うけど、今のところは仕方ないと割り切っている。
そして身体を拭いている俺の後ろでは既にラビィがベッドに寝そべり、薄手の掛け布団を頭から被って寝ている。何が気に入らなくてふて腐れているのかは分からないけど、今のラビィに声をかけようとは思わない。構い過ぎると調子に乗らせるだけだから。
一通り身体を拭き終わった後、俺は再び外へ出て使ったタオルを軽く飲料水で洗ってから室内に干し、その後でみんなから聞いた情報を書き記したメモを道具袋から取り出してベッドに寝そべり、一からその情報に目を通し始めた。
そしてみんなが集めてくれた情報を見ていく内に、今回の騒動がやはりロマリアの仕業だろうという思いが強くなってきていた。もちろんそう思う理由はある。
今回俺達が調べたロマリアについての内容。そのいくつかにはちょっと引っかかる点があった。
その一つ目が、ロマリアが各分野の優秀な人物を集めている――と言う話だ。もちろん国が優秀な人材を集めようとするのは何ら不思議な話ではないのだけど、問題はその集め方だ。
基本的には理解を得た上でロマリアに移住してもらっているようだが、中には金銭での強引な取引を持ちかけたり、誘拐紛いの事をしているという噂も聞いた。もちろんその事実を確認したわけでも見たわけでもないから、そういった事を本当にロマリアがしているのかは分からない。しかし、火の無い所に煙は立たないと言うし、その噂の中には真実が含まれている可能性もある。
そしてロマリアが怪しく思える二つ目の理由は、大時化が始まる前に大量の保存食を含めた食料や飲料をロマリアが買い漁っていたという事だ。これは普段ロマリアと取引をしている人達も変に思っていたらしいから、案外詳しい話を聞く事ができた。
俺には国の運営とか食糧事情とかはよく分からないけど、その筋のプロからすればロマリアが買い込んで行った分量は明らかに多過ぎるらしく、保存食だけならロマリアの住民が二年間くらい生活できるだろう量だったとの事だ。この情報だけで考えると、ロマリアは戦争でも起こそうと企んでいるのだろうかと勘ぐってしまう。
だが、数多くある国の中では小国の位置付けにあるロマリアが、他国に対して戦争を仕掛けようと考えるだろうかという疑問はやはり浮かぶ。しかし、多過ぎる食糧の買い込みは事実。それの使い道を考えるとやっぱり怪しくは感じる。
それから海中にある催眠成分をリュシカとラビエールさんに調べてもらった結果、何かしらのマジックアイテムから放出された物であるのは間違い無いとの事だった。しかもその催眠成分の効果残留時間はかなり長く、コップ一杯に含まれる成分だけで少なくとも一ヶ月以上の催眠効果をもたらすだろうとリュシカは言っていた。
どうやってそんな分析をできたのかは分からないけど、その結果を裏付ける様な事をすぐにミントが口にした。それはミントがネプチュヌスに聞いた事らしいのだけど、少なくとも海中にある催眠成分を無効化するには、最低半年はかかると言っていたらしい。
伝説に謳われるアデュリケータードラゴンの力を以ってしても半年はかかると言うのだから、リュシカとラビエールさんの分析はそれなりに正確だったと言わざるを得ないだろう。
しかしそうなると、いよいよ困った事になる。だってネプチュヌスの力を以ってしても無効化に半年はかかると言うなら、俺達は少なくともその半年間はここで足止めをされる事になるのだから。
それにはっきり言って半年をここで暮らすのは無理があるし、このままの状態では後数週間も経たない内にこの街自体が経済的に壊滅して機能しなくなるだろう。それでは海の状況が改善してもラグナ大陸へ渡る手段が無くなる。それではまったく意味が無い。
俺はこの状況がかなりヤバイ状態である事を再認識し、何とか打開する手立てはないかと考えを巡らせた。
しかし、一人でいくら考えを巡らせても所詮は浅知恵止まり。これと言った打開策は浮かばない。その事が俺をかつて無い程に焦らせ、余計に思考の迷路に迷い込む結果になった。
――使われたマジックアイテムの効果を打ち消す事が出来るアイテムとかがあればなあ……。ん? アイテムか……。
ちょっと気になった事があった俺は、それを確かめる為に素早く出かける用意を済ませてから奇襲スキルを使って宿を後にし、ティアさんとアマギリが宿泊している宿屋へと向かった――。
「はーい。どちらさまですか?」
俺達が泊まっているボロ宿とは違い、綺麗な立て付けの良いしっかりとした作りの木製扉をコンコンと叩くと、中からいつもの聞き慣れた綺麗な声が聞こえてきた。
「あっ、遅くにすみません。リョータです」
「あら、今開けるわね」
俺の言葉に答えたティアさんの声域が、明るく弾む様に一つ高くなったのが分かった。
そんな明るい声音の後にパタパタとこちらへ向かって来るスリッパの音が聞こえると、扉の前でその足音が止まり、キイッという音と共にその扉が開かれた。
「いらっしゃい、ダーリン」
開かれた扉の向こう側から姿を見せたティアさんは白のネグリジェの様な格好をしていたが、身長の低さからかその姿が一瞬ミスマッチに見えた。
だが、彼女のグラマラスな身体つきがそれを補って余りある程に低身長をカバーしているおかげか、俺は女体化しているにもかかわらず、その色香に惑わされそうになった。
「あ、いやあの……こんな遅くにすみません。どうしてもティアさんと話したい事があって……」
「そうなの? プロポーズならいつでも歓迎するわよ?」
「あ、いや、プロポーズではないんですけど……」
「フフッ、ちょっとした冗談よ。でもまあ、プロポーズはいつでも歓迎するからね? さあ、とりあえず中へどうぞ」
「あ、はい。お邪魔します」
柔らかな笑顔を浮かべているティアさんに案内されて室内へと入り、部屋の中にあるしっかりとした作りの椅子に座るように促された俺は、言われるがままにその椅子へと腰を下した。
そしてそれを見たティアさんはウンウンと頷くと、お茶の用意をしてから俺の対面にある椅子へと座ってお茶を振舞ってくれた。
「あの、アマギリはどうしたんですか?」
「アマギリなら隣の寝室で寝てるわよ。今日は沢山歩いたから疲れたみたいだし」
「そうですか」
「それで? ダーリンは私にどんな話があるの?」
「それなんですが――」
俺は今回の件について集めてもらった情報を元に色々と考えを巡らせた事を話し、その中で疑問に思った事などを伝え、その上でティアさんに今回の件を解決出来るアイテムが無いかを尋ねてみた。
「――なるほど。確かにマジックアイテムが使われた事が確かなら、それを解消する手段を持つアイテムが存在するかもって考えに至るのは自然ね」
「ですよねっ!」
ティアさんが俺の考えに同調の意を示してくれた事に安堵し、思わずテンションが上がってしまった。だが、安心するのはまだ早い。
「でも問題は、それを解消できるアイテムがあるかどうかよね……」
「そうなんですよ。何か心当たりがあったりしませんかね?」
「うーん…………まあ、一つだけ効果がありそうなアイテムに心当たりはあるけど」
「本当ですか!?」
「ええ。そのアイテムは浄化の秘薬って言うんだけど、アレなら海中にある催眠成分を中和できると思うわ」
「それじゃあ明日、早速そのアイテムをみんなで探しましょう!」
「いいえ、その必要はないわ」
「えっ? どうしてです?」
「浄化の秘薬は、リリティアにある私達のお店に保管してあるからよ。でもあれは…………ううん、浄化の秘薬は私がどうにかするから、また明日、街の中央広場で会いましょう」
「あ、はい。分かりました」
一瞬見せたティアさんの悲しげな表情を俺は見逃さなかった。だが、俺にはその理由を尋ねる事はできなかった。
なぜならそれが、俺が尋ねていいような内容だとは思えなかったからだ。俺はティアさんに浄化の秘薬の件を任せ、そのまま宿を後にした。
× × × ×
ティアさんとアマギリが泊まる宿屋で話をしてから六日後のお昼頃、俺達はラグナ大陸へと向かう船に乗り込んでいた。
「一時はどうなるかと思ったけど、これでやっとラグナ大陸へ向かえるわね!」
出港前の船上から広大な海を眺めていたラビィが、清々したと言った感じで大声を上げる。
俺もやっと次へ進めるのかと思うとラビィと同じ様に大声で喜びたいところだけど、さすがに今はそんな気分にはなれない。その理由は乗船前にアマギリから手渡されたティナさんからの手紙を見たからだ。
今回の事件を解決する為に使われた浄化の秘薬は、ティアさんが同化と言う秘術を使ってリリティアの街に居るティナさんに連絡を取り、それをティナさんが使い魔を使って超特急で届けてくれた事により無事に解決をみた。本来ならそれでめでたしめでたしなのだが、ティナさんが俺宛に書いた手紙を見た以上、とてもそんな気分にはなれない。
「ダーリン。どうしたの? 浮かない顔をして」
心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでくるティアさん。本当なら俺がティアさんを気遣う立場じゃないといけないというのに、なんとも情けない。
しかし、ティナさんが送って来た手紙の内容を見れば、素直に喜べないのも分かってもらえると思う。
ティナさんが送って来た手紙の内容。それを俺は、短い時間とは言え一言一句間違えずに覚えてしまうほど何度も読み返した。そんな手紙の内容はこうだ。
『リョータさん。あの秘薬は昔、私やラッセル君、姉さんを含めた多くの仲間が陥った病気を治す為に作られた物で、当時私達がとても可愛がっていた年下の仲間が、自分の命と引き換えに作り上げた大切な物です。ですから姉さんも、このアイテムを使用するのはかなり悩んだと思います。でもきっと、姉さんは誰にもそんな事を話さないでしょう。ですが、あのアイテムには口では言い表せない仲間への強い想いがあるのです。だからと言うわけではありませんが、出来る限りで良いので、いい具合に姉さんを元気づけてあげて下さい。姉さんはきっと無理にでも明るく振舞うでしょうけど、あれで結構ナイーブな人なので。それに、私が側に居ない以上、こんな事を頼めるのはリョータさんしか居ません。よろしくお願いします』
これが俺に宛ててティナさんが書いた手紙の内容だ。
手紙を見るまで事情を知らなかったとは言え、事件が解決した直後に大喜びをしていた自分の事が悔やまれる。
だが、過ぎ去った事をいつまでも後悔していても仕方がないのは確かだ。それに俺がいつまでも沈んでいては、ティアさんに余計な心配をかけてしまう。それは俺の本意ではない。もしも俺が明るくしている事でティアさんの心が少しでも早く癒されるなら、俺はそうするべきだろう。
「そんなに浮かない顔をしてましたか?」
「うん。今までに見た事が無いくらいに暗い表情をしてたわよ? 何かあったの?」
「……いえ、ちょっとラグナ大陸に着いたらどうなるのかなって不安になっていただけですよ」
「そうなの? でも、先の事はその時になってみないと分からないものだから、そんなに心配してるとストレス溜まっちゃうよ?」
「ははっ、それもそうですね」
「そうそう。それに旅はもっと楽しまなきゃ。暗い表情で旅をしてると息苦しくなっちゃうよ?」
「ですね」
励ましたい相手から逆に励まされた俺は、自嘲気味に微笑みを浮かべながら青空を見上げて口を開いた。
「ティアさん。良かったらですけど、ラグナ大陸へ着いたら一緒に美味しい物でも食べに行きませんか? もちろん二人で」
「本当!? 行く行く! もちろん行くわよ!」
嬉しそうな笑顔でそう答えたティアさんとラグナ大陸でどんな物を食べようかと話を始めると、間も無く船が錨を上げ始め、徐々に港から船が離れ始めた。
今から二日後、俺達はラグナ大陸へと到着する予定だ。いったいラグナ大陸でどんな事が待ち受けているかは分からないけど、今まで以上に気を引き締めなければいけないのは確かだろう。
晴れ渡る空の下、穏やかな波に揺られる船上でまだ見ぬ大陸に期待と不安を抱きつつ、俺達はラグナ大陸へと向かった。




