ルール
「私はラッセル様を呼んで来るから、ここで待ってて」
転移魔法によってどこにあるとも知れない朽ちた廃城へと連れて来られた俺とティアさんは、アマギリの案内によって廃城の中にある王座の間へと案内された。
内部は廃城だけあって所々が崩れ落ちていて、下手な事をすると建物全体が崩れ落ちて来るんじゃないかと思う程に脆さを感じさせる。しかも内部は金目の物が全て取り払われているから、ここがかつて城であった事を思わせる様な物は何も存在しない。
「あっ、陽が落ちたみたいですね」
アマギリがラッセルを呼びに行って間もなく俺の性別が変化したので、それにより陽が完全に落ちた事を知った。ここからは完全に夜の時間だ。
城内には怪しげに揺らめく炎が灯った蝋燭が不規則に配置されていて、ゲームにおけるラストダンジョンの様な不気味な雰囲気を醸し出している。と言うか、これから魔王に会おうと言うのだから、あながち間違いな表現ではないだろう。
この不気味な雰囲気は、日本なら幽霊が出そうな雰囲気と言えばいいんだろうけど、この異世界ではアンデットが出現しそうな雰囲気とでも言えばいいのだろうか。そんな不気味な雰囲気の中で緊張しながら待つ事しばらく、魔王ラッセルを呼びに行ったアマギリが戻って来た。
「もうすぐラッセル様がやって来るから――って、あなた誰よっ!? どこから来たわけ!?」
いそいそと戻って来たアマギリは、俺の姿を見るなり慌てた様子でこちらへと駆け寄って来た。
女性化した俺を見るのは初めてだろうから、この反応は当然と言えば当然だろう。ちゃんと説明をすればいいんだろうけど、今は詳しく話しをしている時間がない。だから俺は端的に事情を話し、さっきまで居た男と同一人物である事を告げた。
もちろんアマギリはその話を聞いて信じられないと言った感じではあったけど、ティアさんがフォローを入れてくれた事により渋々な感じとは言え納得してくれた様子ではあった。
「それにしても、聞けば聞くほどおかしな人だね」
「あのねえ、自分自身の名誉の為に言っておくけど、俺は基本的に被害者だからね?」
「そうそう。ダーリンはあの自堕落女のせいで苦労してるだけなんだから」
「ふーん……あっ! ラッセル様がいらっしゃったわ!」
唐突に声のトーンを上げると、アマギリは白い薄布が垂れ下がった王座の方を向いてから片膝をつき、そのまま頭を垂れた。
そんなアマギリの様子を見て、忘れていた緊張感が一気に心の奥底から出てくる。
「ご苦労だったね、アマギリ。顔を上げてくれ」
「はいっ!」
王座の前にある薄布のせいで顔や姿は分からないけど、確かにあの薄布一枚を隔てた向こう側に人は居る。アマギリのこの態度からすれば、魔王ラッセルに間違いは無いのだろう。
「久しぶりだね、ティア。こんな所にまで来てもらって悪いね」
「久しぶりの再会が薄布一枚を隔てたままなんて、アンタもずいぶんと立派になったものね、ラッセル」
「ははっ。相変らずティアは言う事が手厳しいなあ。でも、ティアの言う事ももっともだよね」
そう言うと薄布の向こう側にある王座に座っていた影がスッと立ち上がるのが見え、その後で目の前にある薄布を払う様にして王座に座っていた人物が姿を現した。
――あれが魔王ラッセル……。
薄布の向こう側から姿を現したのは、高身長だが決して逞しいとは言えない細い身体つきに、優男をそのまま体現した様な顔つきの、ティアさんに以前見せてもらった映像記録そのままの魔王ラッセルだった。
ティアさんは以前、ラッセルが魔王として世界中に迷惑をかけているとは思えない――みたいな事を言っていたけど、どうやらそれはハズレだった様だ。実際にこうしてラッセル本人が目の前に出て来た以上、もう違うとは言えないだろう。
「これで話を聞いてもらえるかな? ティア」
以前の仲間が悪の魔王として活動し、世界に暗雲をもたらしている。そんな相手をこうして目の前にしているティアさんの心中は、察してもなお余りある。
そういう思いで隣に居るティアさんの顔を見たのだけど、俺のそんな思いに反してティアさんの表情は涼しげで、口元は薄く笑みすら浮かべていた。
「…………そうね。それじゃあとりあえず、久しぶりの再会を祝して握手といきましょうか?」
「もちろんいいとも」
ティアさんとラッセルは歩みを進め、ちょうど二人が最初に居た位置から半分くらいの所まで来ると、ティアさんは俺達から見て横を向いた状態になって立ち止まった。その様はまるで、俺とアマギリへこれから行われる行為を確認させる為と言った感じに見える。
横を向いたティアさんに合わせ、ラッセルも同じく横を向いてティアさんと向かい合う。するとラッセルは友好の為の握手をする為に、右手をスッとティアさんの前へと差し出した。
「……本当にいいのね?」
「もちろんだとも」
「そう。それじゃあ遠慮なく」
ラッセルから右手が差し出されると、ティアさんはとても真剣な表情で何とも不可思議な問い掛けをした。
そしてその短く不可思議な問い掛けにラッセルが同意を示すと、ティアさんは真剣だった表情を緩めてからラッセルの差し出した右手を握ったのだが、次の瞬間、ティアさんは俺が思ってもいなかった行動に出た。
「同意成立。それじゃあ遠慮なくいかせてもらうわよっ!」
「ぐへっ!?」
「ティ、ティアさん!?」
何を思ったのか、ティアさんは突然空いている方の左手を握り締め、その手で握手をしたままのラッセルの顎に思いっきりアッパーをかましたのだ。
身長差のあるティアさんから繰り出されたアッパーだが、ものの見事に顎に決まっていたから、ラッセルは相当のダメージを受けたと思う。なにせ握手で握られていた右手は瞬時に離れ、ラッセルは思いっきり上へと飛ばされてから地面に落ちたのだから。
「ちょ、ちょっと! ラッセル様に何をするの!?」
「そ、そうだよティア。いきなり殴るなんて酷いじゃないか」
アマギリが地面へと落ちたラッセルへ駆け寄って助け起こすと、ラッセルは攻撃を受けた顎を右手で擦りながらティアさんを非難してきた。悪の魔王が相手を非難するなんて何とも変な話ではあるけど、こればかりはさすがにティアさんの行動がおかしいと思った。
「私が酷い? それはないわよ。だって私は握手をする前に確認したじゃない。『本当にいいのね?』って」
「ああ。だから友好の為の握手を交わしたんじゃないか」
「そうよ! それなのに不意打ちをするなんて卑怯じゃない!」
アマギリとラッセルから非難の視線と言葉が向けられるが、ティアさんはその言葉にも視線にも一切動じた様子を見せない。俺にはその様子がとても奇異に写った。
「……結論から言わせてもらうけど、そいつはラッセルじゃないわ。姿はよく似てるけど、まったくの偽者よ」
「「えっ!?」」
思わずしてアマギリと驚きの声が被った。しかしそれも無理はない。だってティアさんが口にした事は、それだけ衝撃的な事だったのだから。
「ラッセル様が別人て……どういう事?」
「そうだよティア。昔の仲間を前にして偽者だなんて酷いじゃないか」
「いい加減にしなさい。あなたが何者かは知らないけど、私達のする握手の意味を知らない時点で、あなたはラッセルでもなければかつての仲間でもないのよ」
「どういう事です? ティアさん」
「それはね、ダーリン。私達はかつてラッセル達とつるんで色々な事をしていたんだけど、その中で沢山の取り決めを作ったの。集団としての統率をとる為のものや、争いを治める為のルール。遊びの為のルール。本当に色々なものをね。その中の一つがさっきの握手だったってわけ」
「そ、それじゃあさっきの握手はどういう意味だったって言うの?」
「あの握手はね、私達の間では『決闘開始』って意味よ。そしてそのルールを作ったのは他でもないラッセルなの。ラッセルは馬鹿でアホで単純な奴だったけど、作られたルールは一つ残らずちゃんと覚えていたわ。そんなラッセルが自分で作った最初のルールを知らないなんておかしいでしょ?」
この異世界には、俺が居た日本とは違った風習やルールも多く存在する。それは同じ日本国内でも地域が違えば色々な違いが出るのだから当たり前の事だろう。所変われば品変わるってやつだ。
つまりティアさんはかつての自分達が決めたルールとやらで、目の前に居るラッセルが本物かどうかを試したという事になる。目の前に現れたラッセルを最初っから偽者だと疑っていたのかは分からないけど、結果だけ見れば見事なやり方だと思える。
「嘘ですよね? ラッセル様。ちょっと昔の事を忘れていただけですよね?」
「どけっ!!」
「きゃっ!」
ティアさんの言葉に顔を伏せていたラッセルは、フォローを入れてくれたアマギリを突然突き飛ばして立ち上がった。その表情には先程まで見せていた優しさなど一片も見られない。
「まさか、かつての仲間内でそんなルールを作っていたなんて思ってもみなかったよ。ハハッ、これはとんだ誤算だった」
「ラ、ラッセル様?」
「ラッセル? フフッ、俺はラッセルではない!」
「やっぱりね。それで? 私をこんな所に連れて来させた目的は何なの?」
「我々は崇高な目的の為の準備をしている。いずれその時が来れば、世界は一つとなって統治されるだろう。その時の為にティア・ミーティル、お前の力が必要なのだ! 俺と一緒に来い!」
ラッセルの偽者は高らかにそう言うと、ティアさんに向かって再び右手を差し出した。
彼の言う崇高な目的とやらが何なのかは分からないけど、ティアさんがそんな事に乗っかるはずはない。それは俺もよく知っている。
「残念だけど、私には他にやる事が沢山あるの。その崇高な目的とやらが何かは知らないけど、私は一切興味が無いわ。他を当たってちょうだい」
「そうか……ならばしかたない。かつて魔王ラッセルの幹部として活躍したというティア・ミーティル。お前をこのまま野放しにしておけば、いずれ我々の障害となるだろう。だからお前達にはここで消えてもらおう! バースト!」
言うが早いか、ラッセルの偽者は右手をティアさんの方へと向けて無詠唱魔法を放ってきた。
無詠唱魔法は即時発動できる利点がある反面、詠唱魔法よりも格段に威力が落ちる。しかも放ったのが初級魔法のバーストとなれば、その威力は言うまでも無い程に落ちるのは明白。
だが、ティアさんに向かって放たれたバーストはティアさんに当たって大爆発を起こし、廃城を大きく揺らした。
「ゲホゲホッ! ヤバッ!」
予想外の威力を見せたバーストの爆発により、廃城のあちらこちらで崩落が起こる音が聞こえ始めた。
俺はティアさんの事が気になりつつも、一先ず廃城から脱出する事を考えた。バーストによる爆煙が立ち込める中で移動するのは危険極まりないけど、このままじっとしているのも同じくらいに危険だろう。
そう考えて移動を開始しようとした瞬間、さっきとは違う爆発音が少し遠くで響き、それと共に立ち込めていた爆煙がスーッと天に向かって引き始め、周りの視界を徐々に開いていく。すると崩落した瓦礫の下敷きになっているアマギリの姿が見え、俺はすぐにその場へと駆け寄った。
「おい! 大丈夫か?」
「いつつ……だ、大丈夫よ……」
「今助けるからな」
「何でよ。私はあなた達の敵なのよ? 放って置けばいいじゃない!」
「悪いがこの状況で敵味方の問答をするつもりはない。そんなのはここを無事に出た後にしてくれ。それにな、この状況で放置するなんて、俺の寝覚めが悪くなる。だから俺の為にお前を助けるんだよ」
俺はアマギリの拒否を完全に無視し、瓦礫からアマギリを助け出してから抱え上げ、ゴッドアイのスキルを発動させて出入口のある方へと急いで向かい始めた。
「あ、ありがとう……」
大きな音と共に崩落していく廃城内を走って出入口へと向かう途中、抱き抱えていたアマギリから小さくそんな言葉が聞こえてきたけど、今の俺にはそれに答えてあげられる余裕は無かった。
そして何とか無事に廃城の外へと逃れた俺は、アマギリを抱き抱えたままで崩れゆく廃城を見つめていた。
――大丈夫かな……ティアさん。
おそらく無事だろうとは思いつつも、やはりティアさんの事は気にかかる。だから俺は、この場でアマギリを下してからティアさんを捜しに行こうと思っていた。
「あっ、ダーリン無事だった?」
「ええっ、何とか。ティアさんこそ無事で良かったです」
「うん。まあ、ちょっとだけ驚きはしたけどね」
しかし俺の心配は杞憂だった様で、ティアさんは何事も無かったかの様にして俺達の前へと現れた。
月明かりに照らされているティアさんは、見た限りでは怪我はおろか汚れの一つすらついていない。あの魔法攻撃を受けてなぜ無事で居られるのかは分からないけど、本当に大したもんだ。流石は本物の魔王ラッセルよりも強いと妹のティナさんに言われるだけはある。
「まあ、それはそれで良いとして。アマギリ。あなたいつまでダーリンにそうしてもらっているつもり?」
「えっ!?」
「私だってダーリンにお姫様抱っこしてもらった事はないのよ!? 状況的に仕方なかったのは分かるけど、いつまでもダーリンに甘えないでよねっ!」
「まあまあティアさん、落ち着いて下さい」
いつもは冷静で頼もしいティアさんだけど、こんな時だけは相手が誰であろうとその嫉妬心を剥き出しにする。俺としては嬉しいと思いはするけど、こんな子供にまで嫉妬しなくてもとは思う。
とりあえずこれ以上ティアさんを刺激しない様にと、俺はアマギリをそっと地面へと下ろした。
「ところでティアさん。さっきの奴はどうしたんですか?」
「ん? さあ? さっきの一撃で私達三人を葬ったと思って帰ったんじゃないかしら? 何にしても、殺そうとした相手の生死も確認せずに居なくなるなんて、三流もいいところね」
ティアさんは興味無さそうにしながらあっけらかんとそう答えた。そんなところは実にティアさんらしいと思うけど、命を狙われたんだから少しくらいは気にしてほしいもんだ。
「さて……アマギリ、あなたはこれからどうする? 偽者だったラッセルの為に私と戦う?」
「…………」
ちょっと意地悪な聞き方だとは思うけど、アマギリの気持ちを知るにはこれ以上ない質問だと思った。
沈黙するアマギリが今回の事をどう思ったのかは分からないけど、少なくともティアさんの質問に対して敵対の意志を示さなかったのは良かったと思う。
「……まあ、結論を急ぐ事はないか。とりあえずアマギリ、私達を元の場所へ戻してくれないかしら? 今日は早めに寝ておかないと、明日のお仕事がきつくなっちゃうから」
「ですね。頼むよアマギリ」
「…………分かった」
複雑な表情を浮かべたままで頷きながら短くそう答え、アマギリは転移魔法を使って俺達を元の場所へと送ってくれた。
その後で落ち込んだ様子を見せるアマギリを気にしたのか、ティアさんは一緒に食事でも摂りに行こうと誘ってくれたが、俺はそれを断った。なぜなら今の状態の俺が一緒に行動すると、のんびり穏やかな食事なんてできないからだ。
ティアさんはそんな俺に対してちょっぴり残念そうな表情を見せながらも、『お土産持って来るから、楽しみに待っててね』っと言い残してからアマギリを連れて夜の街中へと姿を消した。
俺は去って行く二人を見送った後、街を出た時と同じ様に奇襲スキルを使って姿を消し、慎重に宿へと戻ってからティアさんがお土産を持って帰って来るのを待った。




