リミット
リリティアの街から遠く離れた解呪の神殿地下。そこでラビィの解呪を見守る生活が始まってから、早いものでもう九日目の朝がやってきた。
ミントの見立てでは、一週間もあれば十分に外せると思う――との事だったけど、その見立てから一日以上が過ぎたと言うのに、肝心のラビィにはまっている指輪の呪いが弱まった様子は未だ見られない。食料の残りもそろそろ底が見えてきたし、早いところ指輪を取り外して街に帰りたいもんだ。
「涼太さん、お待たせしました」
特に変わり映えしない地下空間。そこでいつもの様に道具袋へ背中を預けながらラビィを見守っていると、ミントと一緒に外へ水浴びをしに行っていたラビエールさんが戻って来た。
幸いと言うべきか、この神殿の裏には綺麗な水を湛えた大きな湖があり、俺達は朝と晩の計二回、バケツを使って湖の水を汲み、それを使って身を清めていた。さすがに水浴びも無しで長い泊まり込みは辛かったから、あの湖の近くにこの神殿を作ろうと言った人には感謝を述べたいところだ。
そんな事をしているところを誰かが見たら、バケツなんか使わずに湖に直接入ればいいじゃないかと思われそうだけど、何が潜んでいるか分からない湖の中に無防備で入るなんて恐くてできない。もしも凶暴な水棲モンスターが居たりして、湖の底に引きずり込まれたらかなわんからな。
ちなみにミント曰く、『この湖の水はぁ、飲み水として使用しても平気ですよぉ』との事だ。どうやってその安全性を確かめたのかは分からないけど、ミントがそう言うんだから本当に大丈夫なんだろう。まあ、ミントのその言葉がなければ、水浴びする事さえ躊躇していただろうけど。
「それじゃあちょっと行って来ますんで、ラビィをよろしくお願いしますね」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
俺は手早く厚手のタオルと着替えと予備のランプを持って神殿の外へと向かい始めた。ホント、この解呪を見守る生活にも慣れてきたもんだ。
ランプの光を頼りに暗い地下から地上の出入口へ向かい、いつも水浴びの時に使用しているお決まりの場所へと歩いて行く。
この神殿へ来てからは、ラビィの様子を見ている時以外はかなり暇な時間が増えた。だからよく通る通路上にある瓦礫をどかしたり、神殿の裏にある湖までスムーズに行ける様に草刈をしたりと、それなりに暇な時間を有効活用していた。
そしてそんな暇な時間を使った地道な作業のおかげもあり、神殿の周りも最初に比べたら結構綺麗に片付いたもんだ。
「おまたせ、ミント」
「お待ちしてましたぁ。今日も水質は上々でぇ、水浴びにはもってこいですよぉ」
いつもの場所へ着くと、ミントは湖の中でバシャバシャと小さな子供の様にはしゃぎながら遊んでいた。いつもの事ながら、その姿は本当に楽しそうだ。
俺は湖の畔でいつもの様に身体と服を乾かす為の焚き火が赤々と燃えるのを見ながら服を脱ぎ、バケツに水を汲んでから脱いだ服を丁寧に洗って服が燃えない程度の距離に洋服を置き、湖の水を再びバケツに汲んでからのんびりと水浴びを始めた。
こうやって水浴びをしていると、日本のお風呂がとても懐かしく感じる。こんな風にお風呂が恋しくなるって事は、異世界に転生して生活を重ねても、俺の日本人気質は変わってないって事だ。
水浴びをするのに適した水温の水を浴びつつ、心と身体がさっぱりしていくのを感じていたその時、俺はふとある事が気になった。
それは今更ながらの疑問だと思うけど、何で俺とラビエールさんは呪いの指輪の影響を受けていないんだろうか――と言う事だ。
「なあ、ミント。ちょっと聞きたいんだけどさ、ミントが呪いの影響を受けてないのはそういう力があるから分かるとして、何で俺とラビエールさんは呪いの影響を受けてないんだ?」
「リョータ君とラビエールちゃんが呪いの影響を受けていない理由ですかぁ? それはとても簡単な事なのですよぉ。まずあの呪いの指輪の影響はぁ、贈った人には作用しない様に出来てるんですよぉ」
ラビエールさんの場合は贈ったと言うよりラビィに強奪された様なもんだけど、きっとそんな細かい事は関係なく、誰かに渡ればそれを渡した人、取られた人には影響が出ない仕様になっているんだろう。
「まあ、理屈は分かった。でもさ、何でわざわざ贈った人には作用しないなんて作りにしたんだろうな?」
「それはですねぇ、最初にあの指輪を贈った国王の弟がぁ、変わり果てた兄の姿を見て楽しむ為だったと聞いていますよぉ。まぁ、本当のところはどうか分かりませんけどねぇ」
「ふーん」
仮にミントが言ってた内容が本当だとしたら、その弟とやらはどんだけサディスティックな野郎だったんだろうか。まあ、今回はそのサディスティックな趣味のおかげでラビエールさんは呪いの影響を受けないで済んだんだが、俺としては何とも微妙な気持ちになる。
「で、ラビエールさんの方の理由は分かったとして、俺が影響を受けていない理由は何なんだ?」
「リョータ君にはとても特殊な精霊がついていてですねぇ、そのおかげで呪いの影響を一切受け付けない様になっているのですよぉ」
「えっ!? 俺って精霊がついてるの!?」
いったいどんな理由が飛び出してくるのかと思ったけど、まさか呪いの影響を受けない理由が、精霊がついてるからとは思わなかった。これは思っていたよりも予想外な理由だ。
それにしても、辺りを見回しても俺には精霊どころか虫の一匹すら姿は見えない。ミントには見えていると言う精霊は、冬の精霊や雪の精霊の様に実体をもっている精霊ではないという事なのだろうか。
「そうなのですよぉ。あれぇ? もしかしてぇ、今まで気付いてなかったんですかぁ?」
「気付くも何も、見えてないんだから分かるわけないだろ?」
「そうなんですかぁ? へんですねぇ……精霊がつく人にはぁ、基本的にその精霊の姿が見えるはずなんですけどねぇ」
「へえー、そうなんだ。んで? 俺についてる精霊って何の精霊でどんな姿なんだ?」
「リョータ君についている精霊は原始の精霊と言ってぇ、あらゆる精霊の源になったと言われているとても珍しい精霊なのですよぉ。そして私にはぁ、大きな虹色の翼を持った鳥の姿に見えていますねぇ」
「私には? 原始の精霊って見る人で姿が違ったりするのか?」
「そうですねぇ。基本的にエネルギー体の精霊はぁ、固有の姿を持ち合わせていないんですぅ。だから精霊を見る事ができる人物の持っている潜在意識とかイメージとかぁ、果ては好みなんかでその姿が変わったりするのですよぉ」
ミントが嘘をつく事はないから、原始の精霊とやらが側に居るのは間違い無いんだろう。だとしたら、是非ともその精霊の姿を見てみたいもんだ。ただし、その姿がオッサンだったりしたら全力で見て見ぬ振りをするけど。
「へえー。それでさ、その精霊はどうやったら見る事ができるんだ?」
「エネルギー体の精霊を見る為にはぁ、生まれつきの素質があるかぁ、精霊を見る為の修行を積むかしかないのですよぉ。こちらでは冒険者になる際にぃ、どれだけの精霊を見る事ができるか検査をすると聞いたのですがぁ、リョータ君はその検査を受けなかったのですかぁ?」
「精霊を見る事ができるかの検査?」
――はて? 冒険者になる時にそんな検査を受けたか?
俺が冒険者登録をした際にやった事と言えば、三項目の書き込み書類に必要事項を記入した事と、変な水晶の前に立って十秒程待たせられた事、指紋をとられた事、そして妙な視力検査があったくらい。
その中でミントの言っている事に該当しそうなのはあの妙な視力検査だが、果たしてあんなのが精霊を見れるかどうかの適正診断だったのだろうか。
「それってさ、色んな色が見えるかどうかの視力検査的なやつか?」
「それですよそれぇ。ちゃんとやってるじゃないですかぁ。何で忘れちゃってたんですぅ?」
「あー、いや、あの時は色々とあってギルドのお姉さんの説明をちゃんと聞いていなかったと言うか何と言うか……」
そう、あの時はちょうど、異世界へ来たという期待と現実のギャップに打ちのめされ始めていたから、ギルドのお姉さんの話をほとんどまともに聞いていなかったのだ。
「リョータ君らしいですねぇ。ちなみにですがぁ、その検査ではどれくらいの色が見えていたんですかぁ?」
「えーっと、確か……赤色と青色と緑色と黄色、それから茶色だったかな。それと……黒と白と虹色だったと思う」
「わあぁー。人間で全属性の精霊を見る事ができる適正を持つ人はぁ、とてもとても珍しいのですよぉ。それで原始の精霊がリョータ君についてるんですねぇ」
「でもさあ、ミントが言う様に全属性の精霊を見る事ができる適正があるのに、何で俺には精霊の姿が見えないんだ?」
「それがとても不思議なのですよねぇ……。もしかしたらですけどぉ、原因はリョータ君が精霊に対してあまり関心を持っていないせいかもしれませんねぇ。意識するというのはとても大切な事ですからぁ」
「意識する事ねえ……」
てことは、俺が精霊に対してもっと興味を持ったりすれば、その姿を拝む事ができるって事だろうか。仮にそれで精霊の姿を拝む事ができるなら、今日から精霊って存在について色々と興味を持って考えてみる事にしよう。俺についているのは特殊な精霊らしいし、もしも話しができたりするなら話もしてみたいしな。
湖で遊ぶミントを見ながらバケツに汲んだ水をザバーっと浴びつつ、俺は精霊と呼ばれる存在について色々と考えてみる事にした。
× × × ×
「暇だな…………」
ミントに精霊についての話を聞いた夜。俺はいつもの様に道具袋に背を預けた状態で座り込み、すやすやと眠っているミントとラビエールさんを見た後で魔法陣の中心に居るラビィへと視線を移した。
あと数時間もすれば日付けも変わり、この解呪生活も十日目に突入する。ミントの予想では一週間もあれば解呪には十分だったはずなのに、未だにラビィのつけた指輪の呪いが弱まった合図は見られない。
ミントの言っている事が絶対的な事ではないとは思うけど、ラビィの様子はここへ来た時とあまり変わっていない様に見えるから、いよいよ何かあるんじゃないかと疑いたくもなる。
「まったく……いったいどうなってんだ? 誰か俺に説明してくれよ」
「だいぶ前から魔法陣に集まる力が乱れているのに気付いてないの? ホントにアンタってポンコツね。このままじゃこの子、近い内に死ぬわよ?」
燃料石の入ったランプが暗い地下室を小さく照らし出す中、ミントやラビエールさんとはまったく違った甲高くも可愛らしい声質の罵り声が聞こえてきた。
俺はその声に反応して頭を右往左往させるが、その声を発したと思われる人物を見つける事ができない。
「どこ見てんの? こっちよこっち」
再びその甲高い声が聞こえたのでその方向を見ると、ラビィが横たわっている魔法陣の中心、その上で金髪ポニーテールの妖精の様な風貌の虹色に輝く目をした小さな女の子がこちらを見ているのに気付いた。
「あ、あの、君は?」
「私はアンタの側に居た原始の精霊よ。べ、別に好きでアンタの側に居たわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」
「は、はあ……」
――勘違いも何も、勘違いをする要素すら垣間見てないんだが……。
ツンデレのお手本の様なテンプレセリフを吐いた精霊は、その場でプイッと顔を背けた。いったい何なんだと思いつつも、俺はとりあえず精霊の言っていた言葉の意味を聞こうと思った。
「それであの、『このままじゃこの子、近い内に死ぬわよ』って言ってたけど、どう言う事ですかね?」
「私の話をちゃんと聞いてなかったの?」
「あ、いや、そう言う訳じゃないけど、話しが突然過ぎてついて行けてないだけと言うか何と言うか」
「まったく……本当にアンタって世話が焼けるわね。いい? 一度しか言わないからよーっく聞きなさい。その魔法陣に集まっている聖なる力は、約四日くらい前から乱れ始めたの。原因はおそらく、聖なる力が集まって来るパワーライン上にそれを妨害する何かがあるから。だから早急にそれを解消しないと、この寝てる子は早ければ明日の夜明けには死んでしまうわね」
「あ、明日の夜明けぇ!?」
原始の精霊による唐突な死の宣告を聞いた俺は、慌ててミントとラビエールさんを起こし、事態の解決に向けて動き始めようとしていた。




