解呪の選択
ラビエールさんや唯がお屋敷に来てくれた翌日の夜。月明かりが徐々にその明度を上げ始めた頃、俺は木組みの荷物載せに眠っているラビィを乗せて担ぎ、屋敷から出ようとしていた。
「さてと。それじゃあ行きましょうか」
「はい。すみませんがよろしくお願いします」
俺の隣で大量の携帯食料を詰め込んだ荷物を背負っているラビエールさんに声をかけ、一緒にラビィの部屋を出る。見た感じだけで言ってしまえば、俺達の姿はまるで夜逃げだ。
しかし当然ながら、俺達は夜逃げをするわけではない。目的はラビィの命を救う為に左手の小指にはめられた金色の指輪の呪いを解く為だけど、その道は決して楽ではない。
ちなみにだが、ラビィの小指にはまっている金色の指輪がミントの言っていたであろう呪いの指輪だろうという事は、ギルドを通して紹介してもらった能力者のアマテウスさんに見てもらったからほぼ間違い無いと思う。しかもそのアマテウスさんが言うには、今までに感じた事も無い程の凄まじい呪いの力を金色の指輪は発しているらしく、直接の解呪を行う事が出来る人物は居ないかもしれないとの事だった。
「あらぁ? こんな時分にどこかへ行くのですかぁ?」
屋敷を出て目的の場所へと向かおうとした俺達の前に、滅びをもたらす裁定者であるアデュリケータードラゴンのミントが現れた。
ミントはよく散歩と称して自由な時間で色々な場所をふらふらとしている事が多いけど、今回もきっと夜の街を散歩して回ってたんだろう。
「ちょっとした野暮用があってな」
「野暮用ですかぁ? それにしては随分と荷物が多いみたいですねぇ」
目ざといと言うか何と言うか、流石は滅びの裁定者と呼ばれているだけあってしっかりと観察をしている。これは下手な嘘や誤魔化しを重ねると、色々と裏目に出るかもしれない。
「まあ、ちょっと泊りがけでやる事があってさ」
「そうだったんですかぁ。だったら私も一緒について行く事にしますねぇ」
「えっ!? マジで?」
ミントからのついて来る宣言に対し、俺は少し焦っていた。本来なら事情を知っている俺とラビエールさんだけで目的の場所へと向かう予定だったからだ。
「あらぁ? 駄目なのですかぁ?」
「別にそう言う訳じゃないんだけどさ……」
「いいんじゃないですか? 一緒に来ていただいても」
「えっ? 本当にいいんですか? 身体はこんなにちっこいですけど、ミントはかなり食べますよ? 携帯食料がすぐに底をつくかもしれませんよ?」
「もぉ、リョータ君は失礼ですねぇ」
「あっ、わりい……」
「私はどちらかと言えば小食なので大丈夫ですよ。それにミントさんは通常のドラゴン種とはかなり違った異質な力を持っている様ですし、ついて来ていただければ心強いじゃないですか」
ミントがこの異世界において伝説となっているアデュリケータードラゴンだという話は、一度も唯やラビエールさんにはしていない。それにもかかわらず、ラビエールさんはこのちんまりとしたのんびり口調のドラゴンの力を見抜いている様な発言をした。こういった鋭さや洞察的なものは、流石に大天使と称されているだけはある。
まあ最初の計画の手前、ミントがついて来るのを渋るみたいな言い方はしたけど、個人的にはミントがついて来る事に関して反対の気持ちは無い。
何せ目的の場所はそれなりに遠いし、モンスター除けのアイテムを使っていく予定だとは言っても、まったく遭遇しない事は無いだろう。
加えて俺はラビィを背負った状態だし、ラビエールさんも大量の荷物を抱えている。故にモンスターに遭遇したら全て逃げを選択するつもりでいたけど、その全てを上手く逃げ切れる保証はどこにも無い。だからそれを考えれば、ミントについて来てもらって露払いを頼むのが一番安全で合理的ではある。
「分かりました。ラビエールさんがいいならそうしましょう。それじゃあミント、道中でモンスターに遭遇した時は露払いをお願いしていいか?」
「了解ですぅ。私にお任せなのですよぉ」
小躍りでもするかの様に身体を左右に揺らすミント。
ラビィが倒れてからはクエストもやっていなかったから暇でしょうがなかったのかもしれないし、単純な興味と好奇心だけでついて来ると言っただけかもしれない。けれど理由はどうあれミントは博学でもあるし、戦力としても申し分ない。当初の予定とは違ったけど、むしろ好都合だ。まあ、食料に関してだけは不安もあるけど。
こうしてミントを旅の仲間に加えた後、俺は女体化した事で面倒な事にならない様に奇襲スキルで自分とラビィの姿を消してから街中を歩き、無事にリリティアの街を出た。
「さっそくですけどぉ、ラビエールちゃんはどんな食べ物が好きなんですかぁ?」
「食べ物ですか? そうですね……私は基本的にお野菜が好きです」
「なるほどなるほどぉ。お野菜も色々あって美味しいですからねぇ」
リリティアの街を出てすぐ、先頭を飛んでいたお喋り好きのミントが口を開いてラビエールさんと話を始めた。
お喋り好きという一点だけで言えば、ミントは俺達のパーティーの中で一番のお喋り好きだろう。時にはそのお喋りが鬱陶しく思う事もあるけど、これは長い間あんな遺跡で地獄のゲートを閉じておく為に封印されていた反動なんだろうと思える。
聞くところによれば、ゲートを閉じておく為の封印として結界石に封じられた後もしばらくの間は意識がはっきりとしていたらしいから、その孤独感はとんでもないものだっただろう。
いったいどれだけの時間を孤独と共に過ごして居たのかは分からないけど、俺だったらきっと気が狂っていたと思う。そんな思いもあるせいか、ミントのお喋りに関しては強く言えないところもある。
ミントの楽しそうなお喋りを聞きながら、俺達は目的の場所へ向けて月明かりの照らす大地を進み続けた。
× × × ×
リリティアの街を出てから休憩を含めて歩くこと五時間くらいが経ち、太陽がその顔を遠くの山間から覗かせ始めた。リリティアの街に居る冒険者連中から聞いた情報によれば、そろそろ目的の場所が見え始める頃合だ。
体力的にもラビィを背負って進むのは相当きつかったから、露払いとしてミントについて来てもらったのは大正解だった。もしもミントに来てもらってなかったら、まだまだ時間がかかっていただろうし、下手をしたら無事では済まない状況だって何度かあった。
相変らずの止まらないお喋りを続けながらふわふわと先頭を飛んでいるミントを見て感謝の気持ちを抱く一方、俺にはちょっとおかしく思う事があった。それは、なぜミントはずっと先頭を行く事ができるのだろう――という単純な疑問だ。
この疑問を抱いたのは、目的の場所へ向かい始めてから二時間くらいが経った頃だが、もちろん俺達がどこに向かうのか説明はしていない。
本当なら行く場所の事も話しておこうと思ったんだけど、ミントがほぼ休み無く喋るから口を挟む暇が無かったのだ。それなのにミントは、正確に俺達が目指す方向へと進み続けた。これはどう考えても不思議だ。
「――やっと着きましたねぇ」
俺達が目指していた解呪の神殿跡にようやく辿り着くと、ミントは地面へと下りて神殿を見上げ始めた。
ラビィがはめている金色の指輪を外すには、解呪能力を持つ者に直接外してもらうか、聖なる力場が形成された場所で呪いの力を弱めて外すかの二択しかない。
直接的な解呪が出来る人物を捜すとなれば時間がかかるだろうし、居たとしてもあの指輪の解呪が出来るか分からない。ならば時間そのものを有効活用する方が得策と考え、聖なる力の集まる場所であると言われているこの解呪の神殿へと来たわけだ。
この神殿が建設されたのは古の時代。当時、呪術を用いて世界を支配しようとした呪術集団が居たらしく、自分達に従わない者達には老若男女、身分を問わずに呪術を使って苦しめると言った事が行われていた時があったらしい。
そんな当時、世界的に蔓延していた呪術集団の呪術による暴挙を解決する為、各国は自然界に存在する強い力場が集まる場所に解呪の神殿を作って回ったそうだ。古の文献によれば、その呪術集団によって数ある解呪の神殿が壊されたらしいのだが、俺達の前にある解呪の神殿だけは何とか守られたらしく、古の時代から現在まで現存している。
「想像してたのとはだいぶ違うな……」
遥か昔に作られた建物にしては、思ったよりも朽ちてはいない。それでも手入れがされていないせいか、神殿の周りには背丈の長い草が無造作に生い茂り、神殿を覆い包む勢いで蔦が絡みついて不気味だ。その不気味な雰囲気たるや、神殿の中から沢山の幽霊でも出て来そうな感じだが、今更そんな雰囲気に臆しても仕方がない。
生い茂る草を前にして腰に固定してある短剣入れに右手を伸ばし、短剣の持ち手部分を掴んで引き抜く。そして邪魔な草を短剣で切り払いながら神殿の出入口へと進み、侵入者を阻むかの様にして絡みついている蔦を大雑把に切り取る。
「――よしっ。それじゃあ行きますか」
「はい」
「了解なのですぅ」
出入口の蔦を切り払った後で持って来ていた燃料石入りのランプに明かりを灯し、薄暗い神殿の中へと足を踏み入れる。目指すは神殿の中心部から下った場所にある解呪の魔法陣。
陽が昇って間もなくとは言え、蔦などに覆われた神殿内は洞窟程ではないとは言え薄暗い。おそらくは明り取り用だと思われる部分からちょっとした光が見える中、壊れ落ちた瓦礫などを避けながら神殿の中心部に向かって進んで行く。
神殿はそれなりの大きさをしているとはいえ、洞窟や遺跡を探検する程広くはない。なので目的の地下へと続く階段は程無くして見つかり、俺達は予定通りに地下階段を下りて解呪の魔法陣が書かれた場所を発見した。
「とりあえず中心にラビィを寝かせればいいのかな?」
「そうですね。どうやらこの魔法陣の中心に一番パワーが集まる様ですから、とりあえず姉さんを寝かせて様子を見てみましょう」
「分かりました」
俺は背負っていたラビィを木組みの荷物載せから下し、魔法陣の中心に仰向けで寝かせた。そして解呪の魔法陣の力を発動させる手順を踏んだ後、俺達は魔法陣の外に出て様子を見守る事にした。後は呪いの力が弱まるまで待つだけだが、いったいどれくらいの時間がかかるのやら。
とりあえず旅の疲れもあった俺達は、静かな地下の中でゆっくりと休息を取りながら呪いの力が弱まるのを待つ事にした。話によれば、呪いのアイテムの力が弱まった時にはそのアイテムが輝き始めるそうなので、タイミングを見逃す事は無いだろう。
俺は疲れで凝り固まった肩や首を細かく動かした後で大きく伸びをし、そのまま道具袋を背もたれにして座り込んだ。暗い地下で唯一の光源であるランプの光で見える範囲を見渡しながら、大きな欠伸を一つ出す。
すると俺の欠伸につられる様にして、ラビエールさんも小さく欠伸をするのが見えた。
「ラビエールさん、お疲れでしょうからしばらく眠ってもらっていいですよ? ラビィの事は俺が見ておきますから」
「いいえ、そういうわけにはいきません。涼太さんは姉さんを背負ってここまで来たわけですし、涼太さんの方が疲れているはずですから」
「そんな事は気にしなくていいので休んで下さい。俺はラビエールさんがしっかりと休んだ後でのんびりと休ませてもらいますから」
「……分かりました。それではお言葉に甘えさせてもらいますね」
「ええ。ゆっくりと休んで下さい」
「はい。ありがとうございます」
持って来ていた道具袋から寝袋を取り出した後、ラビエールさんはいそいそとその寝袋に入った。するとものの五分も経たない内に小さな寝息がラビエールさんから聞こえ始めた。さっきは俺の事を心配してあんな事を言ってたみたいだけど、本当は凄く疲れていたんだろう。
そしてラビエールさんが眠ってしまったのを見た俺は、魔法陣の中心で眠るラビィを見つめいているミントに話しかけた。
「なあ、ミント。ちょっと聞いていいか?」
「何ですかぁ?」
「お前さあ、何で俺達がこの神殿を目指しているのを知ってたんだ?」
「その事ですかぁ。それなら簡単な事なのですよぉ。性格が変わったラビィちゃんを元に戻そうとしていたんでしょぉ? だったら解呪を行うのに適した場所はぁ、ここしか無いと思っただけなのですよぉ」
「なるほど。それじゃあその答えを聞いた上でもう一つ質問なんだが、お前、ラビィの性格が変わった事を認識できてるよな? 前にラビィの性格が変わった事について質問した時には、『何がおかしいんですかぁ?』とか言ってたが、それは何でだ?」
ミントがラビィについて正しい認識をしているであろう事に対し、俺はある意味で確信めいたものがあった。
なぜなら前にミント自身が言った事だが、ラビィがはめているあの呪いの指輪は、周りの人物達に対して激しい認識齟齬などを起こさせる効力があるからだ。なのになぜ、ミントがラビィの性格が変わった事をはっきりと認識できているのか、それが不思議でならない。
そしてその答えについてここからしばらくの間ミントの長い話が続いたわけだが、その長かった話を要約すると、まずミントが呪いの指輪の影響を受けていない理由は、ミント自身があらゆる呪いを一切受け付けない能力があるからだそうだ。流石は伝説に語り継がれているアデュリケータードラゴン。そのチートめかした能力には恐れ入る。
次にラビィの性格が変わった事について質問した時になぜすっ呆けたのかについてだが、『リョータ君が性格の変わったラビィちゃんの存在を望んでいたのが分かったからですよぉ』と言っていた。つまりミントは俺の思いに合わせ、あえて気付いていない振りをしていたんだそうだ。
「――まあ話は分かった。でもさあ、ラビィが呪いの指輪をつけていた事に気付いてたなら、その危険性くらいは教えてくれても良かったんじゃないか?」
「それについては謝るのですよぉ。あれから長い時間が経って呪いの力も衰えていると思っていたのでぇ、ラビィちゃんの性格変化も少しの間の事だと思っていたのですよぉ」
「呪いのアイテムって時間が経つと効力が落ちるものなのか?」
「基本的には使う者さえ居なければ効力は弱まりますねぇ。呪いのアイテムは使用者が居る限り呪いの力を強めていくものなのでぇ」
「そんじゃあ、あの指輪の呪いが今もこうしてバッチリと働くって事は、作られてから今までも誰かに使われてきたって事か」
「そう言う事になりますかねぇ」
あの指輪をはめてきたであろう人物達は、アレが呪われたアイテムだと知って使ってきたのだろうか。もしそうだとしたら嫌な話だが、知らずにはめてしまった人もそれなりに居ただろう。それはそれで悲劇としか言いようがない。
「なあ、ミント。指輪の呪いの力はどれくらいで弱まるか分かるか?」
「そうですねぇ。こういった場所で解呪を行う場合わぁ、その場所にある力場の強さで解呪の時間が変わってくるのですがぁ、ここは沢山あった解呪の神殿の中でも特に強い力場が構成されている場所のはずなのでぇ、一週間もあれば十分に外せると思いますよぉ?」
「一週間か……」
持って来ている食料は、二人で八日分程。三人で一週間過ごすには心もとないけど、その時はその時で何か食料を調達する手段を考えればいいだろう。
こうして暗い解呪の神殿地下で、ラビィの解呪を見守る生活が始まった。性格の良いラビィが悪魔のラビィに戻ってしまうのは嫌だけど、さすがに命がかかっているとなるとしょうがない。
俺は荷物から携帯食料を出して中身を袋から取り出し、それをかじりながら魔法陣の中心に居るラビィをしばらく見つめ続けた。




