Chapter3-13
「ウィリスさん!?」
崩れ落ちるような音の後、イーヴァの叫ぶ声が響いた。
その声を耳にしたポスターが振り返って彼女の方へと視線をやると、地面にうずくまっているウィリスの姿が目に映った。彼は低いうめき声をあげながら、頭を押さえているようだった。
「おい、大丈夫か!? ――イーヴァ! 何があった?」
「わかりません、急に倒れて…!」
イーヴァは地面にしゃがみこみ、ウィリスを介抱しようと試みた。
しかし彼女の呼びかけにもウィリスは反応せず、ただ苦しそうに声を漏らすのみであった。
そうしている間にも、辺りの霧はますます濃くなっていく。先ほどまでうっすらと見えていた景色がすっかり白いもやの中に隠れてしまうと、彼らの居場所を示すものは既に足下に伸びる線路だけになってしまっていた。
「ねえ、影が大きくなってるわ!」
「ああ…、見えてるとも」
セラフィーナが指さす方へポスターも視線をやる。霧の中に浮かぶ影は先ほどよりも大きくなっていた。人型のそのシルエットは何か動いた様子はなく、ただゆらめいているに過ぎない。しかしその姿は確実に大きくなっており、その様はこちらへと近づいてきているようにも思えた。
その時、辺りを漂う空気がわずかに振動し、霧の向こうでは何か地響きのような音が発せられた。短く一度、そして少し間を置いてから二度三度と繰り返される。それは次第に低く長く響くような音へと変わっていった。
「まったく、いったい何が起きてるっていうのさ…」
ポスターが一人悪態をつく。彼は徐々に近づいてくる影を睨め付け、そして周囲の視線を走らせる。それからの彼の判断は早かった。
「皆! さっきから地響きがこっちに近づいてきている。このまま巨影の近くにいたら大変なことになるぞ」
ポスターは今彼らが進んできた方角を指さして言った。
「線路を辿って今来た道を戻ろう。一度体勢を立て直すんだ。――イーヴァ。セラフィーナが僕たちから離れないよう注意しておいてくれ。僕はそこでのびてる大男を担いでいく」
「わかりました。セラフィーナさん、走れます?」
「ええ、もちろん。…転んだらごめんね?」
セラフィーナが肩をすくめる。その様子をポスターが見る限り、この女流科学者は巨影を目の当たりにしてもそれほど動揺もしていないようだった。自分達への信頼か、科学者として未知を体験することに対する好意的な感情か。いずれにせよ、取り乱さず冷静でいてくれるということはありがたいことだった。
ポスターは地面に転がりうずくまるウィリスに近寄った。何度か声をかけてみたが、彼は荒い呼吸を繰り返すばかりでポスターの言葉に返事ができる状況ではなさそうだった。ポスターはウィリスを抱えて起こすと、自身の身の丈を超す大きさの彼を強引におぶってみせた。
ウィリスは体に力を入れることができないのか手足をだらりと伸ばしてしまっており、彼の体重が深くポスターに圧し掛かった。
「…っと、っと。ああ、ちくしょう。重いなあ」
悪態をつきながらもポスターはなんとかウィリスの重心を探り、彼をおぶった状態でのバランスがとれるような姿勢をとった。ポスターが受ける重みは、背中におぶさっているウィリスの見かけよりもさらに重いように思えた。
「よい…っしょっと! よし、行こう。――走れ!」
ポスターの合図で一行は線路を逆走し始めた。
彼らは霧の中ではぐれないようにお互いに注意しながら、ひたすら線路を辿り前へ前へと駆けていく。もし彼らのうちの誰かが少しでも振り返れば、巨大な影は自分たちのことをまるで見下ろしているかのように見えたことだろう。影は霧の中でその色を濃くし、また一回りほど大きくなっていた。
ポスターたちが巨影から離れようと全力で駆け抜けていったにもかかわらず、彼らの耳に入る地響きは段々と大きくなっていった。
すると突然どこか上の方で破砕音と何かの崩落音が響いた。細かな石の破片が頭上から転がり落ちてくる。
ポスターは走りながら石の落ちてきた方に視線をやると、また続けて石が落ちてくるのが見えた。今度は先ほどよりも大きな塊であった。
「崩落――!? 山でも崩れてるのか?」
彼がそう呟いた時、一行が向かう前方、霧の中へ伸びる線路の奥でまた何かが崩れ落ちるような音が響いた。大きな落下物。霧のすぐ向こう側に巨大な岩がばらばらとなだれ落ちてくるのがちらりと見えた。
「止まれ!」
ポスターが手を横に広げてイーヴァ達を制止する。
その直後、爆発のような破砕音と共に彼らの目の前に巨大な岩の塊が落ちてきた。
霧の中に大量の煙が立ち込める。あと数秒走り続けていたら、下敷きになっていたであろうというところであった。巨岩は線路を完全に圧し潰して道を塞いでしまった。
「センパイ、上からまだ落ちてきます!」
イーヴァの声が響く。地響きはなおも強くなっていた。
ポスターは目の前に落ちてきた岩を見た。
道は完全に塞がっているわけではなく、岩の脇を抜ければ先へ進むことはできそうである。しかし、進めば今度こそ落石に巻き込まれてしまうのではないか。あたりを満ちる霧によって頭上の様子はまったくわからない。わずかな間、ポスターは進むべき方向を決めるのを躊躇した。
その時、彼の背中におぶさっていたウィリスがもぞもぞと体を動かした。
「う…、ああ、くそ……。頭いてえ……」
背後から小さなうめき声が聞こえる。
「ウィリス、気が付いたのか?」
ポスターは首をよじってウィリスに話しかけた。
ウィリスは何度か目をしばたかせ、意識を覚醒させるように頭を横に振った。
「…ポスター、西だ。西へ向かって走れ…」
苦しそうな声でウィリスが言った。
「なんだって?」
「いいから、早く…。死にたくないだろ……」
ウィリスはそう言うとまた頭を落とし、ポスターの背中に身を預けるように脱力してしまった。
「おい、おいウィリス!……ええい、まったく、西に何があるのさ!?」
ポスターは背中を動かしてウィリスを揺すってみたが、ウィリスはうめき声をあげるだけで返事はよこさなかった。
こうしている間にも地響きは近づいている。ポスターは彼の言葉の真意を解明をするのをいったん諦めた。
「わかったよ、確かに死にたくは無い。言う通りにしてみるよ…。 イーヴァ!」
「え? あ、はい!」
「線路を追うのは中止だ。西へ向かって走ろう」
「西って…霧で何も見えませんよ!?」
「このまままっすぐ行けば今度こそ岩に潰されかねないだろう。――はぐれないように頼むよ」
ポスターはそう言って線路を外れて霧の中へ駆けていった。駆けだしたポスターを慌ててイーヴァとセラフィーナが追いかける。
幸いなことに、西へ進むにつれて霧は徐々に薄れていった。
「…う…ああ、違う、もう少し右に修正するんだ」
「了解。もしまた何かあれば教えてくれよ…っと!」
霧の中を走るポスターの背中で、時たまウィリスが指示を出す。ポスターはそれに応えるように走る軌道を修正し、また先へと進んでいく。その背中を追ってイーヴァとセラフィーナが続いた。
道はいつのまにか下り坂になっていた。はじめは緩い坂だったのが、段々と急な勾配へと変化していく。
霧はもうほとんど晴れていた。
一行の目の前には開けた景色が広がる。
「わ、わ、わ」
急斜面を慌ただしく降るセラフィーナの声がする。
ポスターとイーヴァは自分たちがいる場所を把握せんとあちこちに視線を走らせた。
「あれは…アサカじゃないか!」
ポスターが言う。遠くに向けた彼の視界には、数日前に足を運んだアサカ開拓地の輪郭がうっすらと入っていた。
西へ西へと進んだ彼らはいつの間にかアサカ近辺までやってきていた。
道はさらに急な坂になり、最早山の斜面を駆け下りているような様相を呈している。
「センパイ!前!前!」
イーヴァが叫ぶ。
彼らが走る先にはあるところを境に道が見えなくなっていた。勾配どころではない、その先はもはや崖のような角度になっている。
迂回できる道は無いか――そんな考えがポスターの頭をよぎり、次の瞬間には轟音によって掻き消された。
ポスター背後を振り返ると、上の方から土砂崩れとともに巨大な岩が大量に転がってくるのが見えた。
次回更新日が固まり次第追記します。




