Chapter3-11
扉が外れ、壁にはぽっかりと穴が開いた。一行は部屋の中へと入ると、散乱する瓦礫をかき分けながら辺りを調べて回った。手分けして探さなければならないほどの広さは無かったが、それぞれが視線をあちこちに走らせた。
駅職員達の事務室にあたる部屋だろう、というポスターの予測は恐らく当たっていた。部屋の中にはロッカーや作業中のまま放棄されたと思われるデスクなどが並んでおり、この場所で何らかの作業ややり取りが日常的に行われていたような痕跡が見られた。あたりには大量の書類や事務用品が散乱しており、当時この部屋は物で溢れていたのだろうということがうかがえる。
散らばっている書類などはどれも保存状態が非常に悪く、風化によりそこに書かれた内容はさっぱりわからなくなっている。<再起動>時の様子などがわかるものがあるかもしれないと期待していたのか、セラフィーナは近くの遺物を片っ端から物色しては、その顔に落胆の色を浮かべるといったことを繰り返していた。部屋にあるほとんどのものは、がらくたにしかならなかった。
目ぼしいものとしては、この駅周辺について詳細に書かれた地図が見つかった。
この発見を大いに喜んだのはポスターである。駅前の商店街や主要な道路、近隣の避難経路の構造といったローカルな情報は、調査隊を先導する彼にルートの選択肢を多くもたらすこととなったのだ。
一行はこの駅舎より先にも続く未踏地を歩くことに備え、今日のところはこの部屋に留まり体を休めることにした。また、ポスターの提案によりこの部屋を今回の調査の第一拠点とすることとなった。
これから先の未踏地を進むにあたっては、不測の事態に陥る可能性というのが常につきまとうため、何かの要因により体勢を立て直さざるを得ない場合、それが可能な場所を用意する必要があった。彼らが見つけたこの駅舎はそういった用途に非常に適した場所だったのである。
部屋に散乱した瓦礫や遺物をどかし、机やロッカーを部屋の端や外へ移動させると事務室の中に寝床になりそうなスペースを確保することができた。それからは、わずかに割り当てられたそれぞれの領域に寝袋などを広げて、一番体を休めることのできる環境作りに各自腐心した。また、夜の間の見張りに関しては、ポスター、ウィリス、イーヴァの三人が交代で番をすることとなった。
駅事務室内部を拠点として使えるように模様替えをしてから、さらに数時間後。事務室の入り口を拡張して作られたバリケードの内側にポスターは立っていた。彼は静かに息を吐きながら壁にもたれて辺りの様子を窺っている。
外ではすっかり日も落ち、崩落して穴だらけになった天井からは月が昇っているのが見えた。冷えた空気がポスターの意識を適度に冴えさせている。窓の方に視線をやると、わずかに感じられる屋外の木々の輪郭の他は全て黒色に塗りつぶされていた。あたりに音はなく、とても静かな夜だった。
彼は周囲に張っている意識とは別に、ある考え事をしていた。
アサカ開拓団のボス、アンドリュー・ヘイズ。彼は何故、アサカを守ろうとしているのか――
一人きりになり自身の思考を冷静に振り返るようになって、目下彼の思考の中で一番の話題というのは、今朝までいた開拓地のことであった。
アンドリュー率いる開拓団は、少なくない時間をかけてイケブクロ以北の開拓に取り組んだ。時間、人、物資、様々な投資を行い、彼はついにイケブクロ以来の北方面のコロニーとなりうるアサカを確保したのだ。
しかしその目と鼻の先には大規模なグールの巣が存在していた。それはアサカ以北の開拓を即時断念するほどのものだという。
アンドリューはアサカに強固な壁を築き、グールたちの侵入を防ごうとしている。ポスターはアサカでのアンドリューとのやりとりやウィリスとイーヴァが持ち帰ってきた情報を振り返っていた。アサカで進められている壁の建造――ポスターが引っかかるような感覚を覚えたのはそこであった。
壁を作るということは、アサカを確保し続けるということで、それはつまりは守るということだ。では、あの男は何故アサカを守りたいのだろうか。
せっかく取り戻した土地だからだろうか?
北部開拓へ寄せられた投資のそれなりの部分がフイになってしまうということを懸念しているのか?
ポスターはそんな推測を試しに浮かべては、すぐに掻き消した。彼の知るアンドリューという男は、途中まで出来上がった成果物を前にして物事を判断する際に“もったいない”という感情を持ち込むということを嫌う人間だった。そういった感情に縛られることで思考を曇らせるくらいならば半端な物を捨てて別のアプローチをとることで投資を回収する道を探すというのが、あの男のやり方であった。
普段の彼ならば開拓が出来ないと悟った時点で別の開拓ルートを探しそうなものである。だが、彼はそれをしていない。つまりあの土地を手中に収めておく方が得であると判断したのだろうか。
しかしそれならば、グールの巣を駆除するつもりがなくてはならないはずだ。すぐそばにグールの巣がある状態では食糧の自給も難しく、外部から運び入れる物資も非常に限られた量となる。また、人間が常駐していることを嗅ぎつけたグールが押し寄せてくるだろう。そんな状態では到底そこに人が根付き、暮らしていくことなどできはしないのだ。
ポスターはアンドリューの様子を思い返してみる。しかし何度思い返してみても、あの時の彼からはグールを排除しようという意思を感じることはできなかった。それどころか彼はグールを刺激することを嫌っていたのだ。寝た子を起こさず、寝返りを打たれた場合には強固な壁でもってやり過ごそう…どちらかといえばアンドリューのとっている対グールの行動は消極的なものである。
もちろん現時点では攻勢に出ず、準備を整えてからグールの巣を壊滅させるつもりという可能性もある。アンドリューには何か駆除のあてがあるのかもしれない。現時点での消極的な理由はそれからくるものだろうか。
ポスターは頭を掻いた。推測からアサカ開拓地で行われていることに筋の通りそうな理由を見出すのは簡単だが、その推測を前提に考えを膨らませすぎるのも良くないだろうとも彼は思った。
まず、アンドリューはグールの巣に近いアサカ開拓地を捨てる気はないということ。そして現時点ではグールを刺激すること望まず、彼らに対してはアサカに壁を作ることで対応しようとしている。現時点ではっきりしているのはその二つだろう。
――実はそこに矛盾は無いのか?
ポスターは一見食い違って見える事象を、それらが並び成立しうるものと認識してみることにした。そこに至るアンドリューの思考はわからなくとも、結果は自分の側からも見ることが出来ているのだから。つまりは何かそうなるべくしてなった理由は存在しているのだ。そう考えることで何か引っかかっているものがほぐされるような気がした。
そんな時、ポスターの下へやってくる人影があった。
「おつかれさん、交代の時間だぜ」
暗がりから現れたのはウィリスであった。
「もうそんな時間か?」
「ああ、もうそんな時間だよ」
ポスターは持ち場をウィリスに譲るべくその場からどこうとした。
「そういえばなんだけれど」
ポスターはウィリスに話しかけた。声に反応したウィリスが振り返る。
「アサカで会った男、覚えてるかい?」
「見張りをしていた奴か?」
「いや、その男たちのボスの方」
「ああ。あのアンドリューとかいう…。あいつがどうした?」
「彼の行動が少し気になった。どうしてすぐそばにグールの巣があるのに、あそこを守っているのだろうってね」
ポスターが言うと、ウィリスは眉を顰めた。
「まあ、あのおっさんも大変だよな。あそこの酒場にいた連中から話を聞くに、けっこうな苦労をしてあの場所を取ったらしいんだが、そうしたらすぐそばにグールの巣だものな。本音を言やあさっさと引き払っちまいたいんじゃないのかね」
「やっぱりそう思うか?」
「そりゃあ誰だって穏やかな場所で暮らしたいだろう」
ウィリスはそう言って肩をすくめて見せた。
「もしかすると、後に引けないってのもあるのかもしれないぜ。ここまで長く開拓をやってきてるんだろう?」
「僕もそれは考えた。けれど、ううん、あの男のこれまでの行いから考えるとどうもそういった方針の取り方とは無縁なように思えてね」
「ふうん…。ま、心変わりでもしたのかもしれんよ。何かのきっかけで性格が変わっちまうことだって聞かない話ってわけじゃないだろう。それか、あとは引くに引けない理由があるか…だ」
「引くに引けない?」
「本当はこんな場所捨てたい!けど、捨てられない…っていう気持ち?」
ウィリスが言う。彼は自分で言いながらもよくわかっていないのか首を傾げていた。一方でポスターは、まばたきをするのも忘れて固まっていた。
――守ろうとしているのは、アサカではない?
ポスターが脳裏に浮かんだ自身の思考を呟いた。
なるほど、ウィリスの言葉は正鵠を射ているようにも感じられる。アサカの地を放棄したいという思考があったとしても、もし状況がそれを許さないのであれば、もしアサカに居座り続けなければならない状況があるとすれば、その先に現在のアンドリューと同じ行動も起こりうるわけなのだろう。
彼がそうせざるを得ない要因とは、なんだ。
しばらくポスターは無言で考え続けて、それから意図的に考えを打ち切った。
“アサカ駐屯地”
彼はウィリスが言った言葉を、かつてあの地が呼ばれていた名前に結び付けていた。
次回更新日が固まり次第追記します。
11月30日追記:今度の土日頃に更新の予定です。




