Chapter3-9
グールを無力化したポスターたちはその後駅舎内部の他の部分を調べて回っていた。
入ってすぐにグールがいたことで中はそのねぐらと化しているのではという懸念が強まり、彼らは慎重に辺りを調べて回ったが、結論から言うとそれは杞憂であった。あの二体以外に他の生き物やグールの影はなく、またここしばらくの内にそういった存在がうろついているような痕跡もなかったのである。
駅舎の安全を一通り確認すると、彼らは内部に残っている使えそうなものや腰を落ち着けられそうな部屋を探すことにした。
三十分余り、一行は一塊になって薄暗い屋内をライトで照らしながら進んでいった。
いくつか崩落の痕跡はあったが、大規模な崩壊自体はだいぶ昔のことで、今となってはすっかり落ち着いているようであった。彼らは建物が自壊せずに保っているバランスを崩さぬように散乱する瓦礫の山をかき分けたり潜ったり、あるいは跨ぐなどしてあちこちを動いて回った。
「けっこう広いわね」
辺りを見回しながらセラフィーナが口を開いた。
「ねえ、ここを走っていたような電車、見たことある?」
「あるよ」
ライトを動かしながらポスターが答える。
「前に一度、外地で転がっているのを見つけたことがある」
「本当? ねえ、どうだった?」
「ただの残骸さ。ガワのほとんどは誰かに持っていかれてたし、残った部分もすっかり錆びついてたり…」
「それでも捨てられたままの当時の遺物を直接見たんでしょう? いいなあ」
「…そうかい?」
「やっぱり自分で直接見ないと感じられないこともあるのよ。こうやって街の外に出てみてわかったわ」
セラフィーナはそう言っている間も辺りを見回して観察を続けていた。
彼女の大きな瞳は周囲のわずかな変化も見逃すまいとせわしなく動き続け、たまに何かを見つけると彼女はそれについての情報を逐一手持ちのメモに書き込んでいた。
そんな二人の様子を後ろからウィリスとイーヴァが眺めていた。
「あいつら、よくしゃべるようになったな」
ウィリスが言う。彼は横にいるイーヴァに視線を向けた。
「意外です。てっきりセンパイは、省庁の人間が嫌いなのかと思っていました」
「嫌い? あいつがそんなことを?」
「嫌いというか…嫌いになってしまったというか……、ああ、いえ、表立って嫌いと言っていたわけではないですけど」
眉をしかめるウィリスにイーヴァは慌てて首を横に振った。
「ウィリスさん。センパイはセラフィーナさんと会った時からああいう接し方でしたか?」
イーヴァがウィリスに向かって尋ねた。
「普通だったと思うぞ?」
ウィリスが答える。
「とりわけ警戒心があったわけでもないし、かといってものすごくフランクだったわけでもない。まあ初対面の人間の依頼を受け付ける辺り、むしろ距離は近いのかもしれないがな」
「なるほど……」
――もしかして、心配のし過ぎかなー…。
ウィリスの言葉を受けたイーヴァは顎に手を当てて、何か考え込むような仕草をとった。
時たま何かをつぶやくような様子を見せたが、その言葉の中身は周囲の人間にはよくわからなかった。
「それにしても、さっきはよくやったな」
「え?」
ウィリスの言葉に思索の糸を切られたイーヴァは、彼の方を振り返った。
「この建物に入ってすぐの、グールの件さ。ポスターと一緒に奴らの首を折ってみせただろう。それも二体同時に。リンクの人間ってのはみんなああいうことができるのか?」
「ああ、そのことでしたか」
ウィリスの言葉の意図を理解したイーヴァは小さく頷いて応えた。
「リンクは大量の荷物を持って外地を往復するのが仕事ですからね。重量によって身動きを制限された上でなお生還できる人間であることが求められるわけです。だからこそ、対グールの戦闘術もばっちり備わっていますよ」
「へえ、そりゃあ頼もしい」
「…と、言いたいところなんですけどねー」
胸を張ってリンクについて語るイーヴァであったが、すぐに態度を変えて前言を撤回するように苦笑いをした。
「流石に素手でグールをどうにかする人間は少ないです。…というか、そんなことをするのは、リンク時代のセンパイと同じ隊にいたことがある人間くらいですよ」
「そうなのか?」
首を傾げるウィリスにイーヴァは深く頷いた。
「だって考えてもみてください、素手でグールに触れるなんてそもそも噛まれてグール化する危険性がダントツに高くなるわけですよ。リンクの仕事はあくまで荷物を届けることなので、グールを無力化することじゃないんです。もちろん荷を守るための戦闘訓練はしていますが、こちらからグールを見つけたのならそれを避けて、別のルートから目的地に行けばいい。その時にどんなルートでも活用できるというのが良く出来たリンクなので、戦闘になってしまっている時点でなんらかの失敗が起きているんです」
「なるほどな。…じゃあポスターのやつは、模範的なリンクというわけではなかったということか?」
「模範…ではなかったかもしれません。ただ、間違いなく優れたリンクでした」
「どういうことだ?」
「センパイの考えはこうです。“邪魔なグールをどかして最短ルートを進むのが一番早い” ……つまり、リンクとしての目的遂行の最適解としてグールとの戦闘があったんです。もちろん、荷物への損害が無いことが前提ですが」
「ああ…、あいつのそういうところ、わかる気がする。素手でっていうのは、荷物を増やさないためか?」
「その通りです。それと、音が立たないからですね。…そういうわけで、センパイの隊では必須のスキルでした」
イーヴァは当時の様子を振り返ってでもいるのか、少し苦い顔で笑った。
ポスターは昔からああだったのかもしれないな、とウィリスは胸中で呟いた。自分に出来ることならやる、ポスターという男としばらく行動をともにしてきたウィリスは、彼の行動指針を客観的にそう推測していた。きっとリンクだった頃のポスターも、素手でグールを倒すことなどそれほど特別なことだとは思っていないのだろう。任務遂行のための手段としてやり方が確立できる事柄であり、自分以外の人間でも実行できるのだから。
あいつほど自己への評価と周囲の認識がズレている人間も珍しいのではないか、とウィリスは思った。
ウィリスはイーヴァに視線をやった。
イケブクロで偶然出会い、半ば強引にこちらの輪に入って来たリンクの女性。
この女性は何か彼女なりの理由があってこの調査隊に同行することにしたのだろう。先ほどの自分への質問から察するに、きっと何かポスターに対して用があるのだ。そして恐らく彼女は何かを遠慮してそれをまだ打ち明けられないでいる。
「何かポスターに用があって、一緒に来たんだろう?」
「え、ええ!? なんのことでしょう!?」
「……まさか、隠しておくような内容なのか?」
「あーいえ、その、そういうわけではー……あははー…」
イーヴァにとって予想外の追求だったのか、彼女はしどろもどろになりながら口をまごつかせた。
「――はっ! い、いや、何も隠してませんから! 私、別に怪しくなんかありませんからー!」
「わかったわかった……。隠しているんじゃなくて、まだ言ってないだけなんだな」
「あう……」
彼女の焦りようがどこか可哀そうになり、ウィリスはそれ以上追及するのを控えることにした。
「何を考えているのかはわからないが、あいつに対しての話ならさっさと打ち明けてしまってもいいような気がするがね。どうもあいつは周囲の人間から勘違いされるきらいがある。さっきあんたが俺に尋ねたあいつの好き嫌いみたいなものも、実際のところ見当違いな懸念かもしれないぜ。あいつは周りが思うよりずっと裏表の無い人間なんじゃないか?」
ウィリスが言う。先ほどまで焦っていたイーヴァは、彼を見つめていつしかその言葉をじっと聞いていた。
「――そう、なんでしょうか?」
「しばらくの間一緒に生活をして感じた感想さ。気になるなら自分ももっと話してみればいい」
セラフィーナはしばらく考え込んでから、「ありがとうございます」とウィリスに言った。
礼を言われるのも変な話だと思ったが、ウィリスは素直にその言葉を受け取ることにした。
こんな風に偉そうな講釈を垂れてはいるものの、目の前にいる彼女の方が自分よりも長くポスターという男に接しているはずで、人間関係の上ではきっと自分にはわからぬ領域があるのだろう。しかしそんな彼女が礼を言うのであれば、よくわからぬとはいえ自分の言葉がきっと何かの役には立ったのだ。
いささか自分に都合の良い解釈に過ぎるかもしれないが、ウィリスはそう考えることにした。
「…ウィリスさん」
「おう」
「あのー……ええと、その」
イーヴァが神妙な顔つきでウィリスの名前を呼んだ。彼女は何か逡巡する様子で目を泳がせている。
「せ、センパイと暮らしているんですかっ!?」
「…あぁ?」
イーヴァはどこか目を輝かせながらウィリスに詰め寄った。わずかに息まで荒くした彼女に思わず後ずさる。
「センパイの家で…? 共同生活…!?」
「おい、落ち着け。どうしたんだ急に」
「あああ…すみません、落ち着いてます。ああでも、なんてうらやま――いえ、大丈夫です、落ち着いてますから」
ウィリスは無理やりイーヴァを引きはがした。彼女は我に返ると、深く息を吐いて吸ってを繰り返し、落ち着きを取り戻そうと努めた。
「フー…、すみません…取り乱しました…。急なカミングアウトだったので、あらぬことを色々考えてしまいました」
「お、おう」
「あの…」
「なんだよ」
「センパイの家のものを共有して使って暮らしているんですよね?」
「…おう、今のところは」
「…寝床も?」
「別に決まってんだろ!」
ウィリスは思わず大声を出してしまった。
彼はあらぬことの内容については聞かないことにした。
ちょうどその時、前方を歩いていたポスターが彼らの方を振り返る。
といってもウィリスの声に驚いたためではなかった。彼はウィリスたちを呼びながら手招きをしていた。
ウィリスは自分を呼ぶ声に気が付くと、ポスターの方を振り返った。
「おいポスター、お前のコーハイはちょっとヘンだぞ」
「何があったんだ? さっきから。いや、そんなことより、ちょっと手を貸してほしいんだよ」
そう言ってポスターはウィリスの言葉を軽く流して、ある一角を指さした。その方向には古ぼけた扉があった。
どうやら彼はその扉を開けたいようである。
「オーケー、今行くよ。…ああ、喋っている間に随分と離れてたな」
ウィリスはそう言って、横にいたイーヴァにも顎をしゃくって前へ進もうと促した。二人は空いてしまっていた前方との距離を詰めるように瓦礫をまたいで進んでいった。
次回更新日が固まり次第追記します。
11月22日追記:
23日の午前2時ごろ更新します




