Chapter1-1
陽が昇ったばかりの頃、真夜中の雪山踏破を終えたポスター・アクロイドは、自身の拠点であるタチカワに帰ってきていた。
タチカワの街はシンジュクと比べればその規模は遥かに大きく、東西南北に大きな道が続く都市間の要所ともいえる街だった。
大昔、この惑星に起きた「再起動」と呼ばれる大災害によって国同士の繋がりは断たれ、人々はそれぞれの被災地に閉じ込められた。当時多くの観光資源を抱えていたこの国には世界中から観光客が集まっており、故郷への切符を永久に失ったそれらの人々は、観光で来たはずの国で生きていくことを余儀なくされた。
言葉や文化の違いなどから当時は多くの問題が発生したが、惑星の環境が大きく変わったことによる猛烈な自然災害や、再起動の後から現れた謎の感染症――後にグール化と呼ばれることになる――に各々の怒りがぶつけられることになり、次第に収束していった。
それから長い年月が経ち、多くの人種が混ざり合っていった。
街には彼らの子孫が行き交い、それぞれが違う目の色、髪の色、肌の色を持っている。今日に至り政府機能は縮小し、国の大部分は個人の集まりによって成り立つようになっていた。
◇
「キイチ、また診てもらえるか? 足がしもやけでちぎれそうだ」
木製の四角い扉を開けて中に入る。
ポスターはタチカワに帰ってきたその足で、繁華街の中に設けられた診療所を訪れていた。
受付に座っていた無精ひげが目立つ診療所の医師キイチ・クワインは、読んでいた朝刊から視線をポスターに移し、彼の全身を眺めると、呆れたようにため息をついた。
「ああもう、こんなになるまで働きやがって……」
「面目ない」
「お前じゃねえ」
キイチは丸めた新聞紙でポスターの頭を軽くはたいた。
紙の潰れる間抜けな音がした。
「毎度お前の無茶に付き合って働いてる、お前の体を労わってやってんだ」
キイチはそう言って棚からタライを取り出し、そこに湯を張り始めた。
タライに湯が溜まり、白い湯気がのぼるのを見ると、彼は雑にポスターの脚を掴み、裸足にしてタライの湯に浸からせた。その後、しもやけで真っ赤になってしまったポスターの脚を温めている間に、キイチは他の部分のマッサージを始めた。
「丈夫な体に産んでもらったことを感謝するんだな」
凍え固まった肉をほぐしながらキイチが言う。
「……ああ、そうだな」
ポスターは素直に返事をした。
「それで、今度はどこまで行ってきたんだ?」
キイチがポスターの脚をマッサージしながら尋ねた。
「ん? …ああ、ちょっとシンジュクまで医療品を届けに」
「ヒューバートのところか? あいつが備蓄を切らすなんて珍しいな」
「シンジュクの電信設備が不調で、補給の連絡が出せなかったみたいだな。ヒューバートが緊急無線を使っていくつかの無線キャンプを中継させて、ようやく繋がったみたいだ」
「外地に近い町は大変だな…、すぐに直ればいいがね」
「まあ…、恐らくどこかの電線がまた潰れてしまったんだろうな。今日にでも修理隊が派遣されるはずさ――あ、いたいたいたいたいっ!ああああっ!」
凝り固まったツボを押され、ポスターは激痛に身を悶えさせた。
◇
シンジュク―タチカワ間の地中には、山脈を迂回するように長い電信用ケーブルが敷かれており、都市同士は普段それを使って連絡を取り合っていた。
地上に電線を出そうものならばすぐに自然災害やグールによって破壊されてしまうため、安くないコストがかかりながらもこの方法を取らざるを得なかった。とはいえそれでも、地震による破損やグールに掘り起こされて破壊されてしまうことは完全には防げなかった。
再起動以降の世界における都市と都市の間の通信インフラはどこもこのようにして繋がり、毎日どこかで破損し、修理隊による作業が常に行われている。
ある面では需要の創造であったが、これら保守点検に少なくない予算が吸われ、結果福祉が割を食うことになった。
ケーブルは繋がりが確保されている間は比較的安定した連絡が取れるが、一度どこかで断線が起きればすぐに途絶えてしまうような代物だった。
無線通信の手段もあったが、これは通信可能範囲がそう広くなかった上、やりとりできる情報にも限られていたため、都市間の情報伝達としてはどうしても不向きだった。
ケーブルを介した電信連絡が使えなくなってしまった中、今回ヒューバートがとった方法は、本来ならばシンジュク付近で遭難した人間が出すSOSを受け取ってやり取りをする無線を、逆にシンジュク側から発信して都市間に点在する無線基地局に飛ばし、そこからタチカワに近い別の基地局へ飛ばし、またそ こから別の基地局へ、といったようにリレーさせる、かなりアクロバットなやり方だった。
最終的にタチカワ近郊の無線基地局から「急病人」を意味する信号と「シンジュク」を意味する単純な無線信号がタチカワギルドに届いたが、そこに至るまでには相当な手数が踏まえられていた。
◇
「あいっ、た、た、たーっ!!」
「痛くなーい、痛くなーい」
ポスターの絶叫が診察室に響き渡る。
キイチは表情一つ変えなかったが、その手にこもる力は一押しごとに強くなっていった。
「痛くなーい、痛くなー、いっ」
「嘘つけいたいいたいいたーいっ!あっづぁ!くひ…っ」
ポスターの太ももがごりごり音を立てて変形していくにつれ、彼はうまく言葉を発せなくなっていった。
「俺は痛くなーい、痛くなーい」
「くそ…っ、いつ僕が君の感想を聞いたよ!」
「口が悪いな?」
キイチの指に彼なりの真心がより強く込められていく。
「あだだだっ!ぼ、僕が、悪かった!…なあこれ、本当に治療か?」
「あぁ? 凍傷で切断するはめになるよかよっぽど痛くない処置だろうがよ。え?」
「あ、あ、すごい、真顔でそんなっ!いててててっ!」
二十分ほどかけて、ポスターの体は念入りに温められ、マッサージを施された。
「ほら。あとは自分でやんな」
「りょ、了解…。いててて…」
キイチは引き出しから油性クリームを取り出すと、それをそのままポスターに向かって放り投げた。ポスターは体を小刻みに震わせながら受け取った容器の蓋を開け、中のクリームを指に取り、手のひらを使って薄くのばしてから、それを足や腕といった部分に塗り込んでいく。
ぺたぺたと肌にクリームを浸透させながら、ポスターは思わず大きな欠伸をした。ヒューバートのところで仮眠をとった以外、ろくに眠っていなかったことを彼は思い出した。
「空いているベッドなら使っていいぞ」キイチがぶっきらぼうに言った。
「ふわ…、助かるよ」
ひとしきりクリームを塗り終えると、ポスターは診療所のベッドに横たわった。瞼を閉じると、すぐに意識が深いところへと沈んでいこうとするのがわかった。キイチによるマッサージの影響もあったのか、体の緊張が解けた途端にどっと疲れが押し寄せてきていた。
ポスターは深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。彼は肉体の欲求に抗うことなく、あっさりと意識を手放した。
◇
ポスターアクロイドは、タチカワのはずれの、街と外地との境目に近い場所にある小さな家に生まれた。
彼の両親は共に街のギルドに所属する中堅のトレイズだった。
トレイズとは、毎日決められた仕事をする政府職員や職人等とは違い、ギルドを介して政府や個人から任意の依頼を受けて生活する者たちの総称であり、この荒れ地だらけの世界ではごく一般的な生き方の一つだった。
再起動以降の過酷な環境において、政府はそれまでのように国民の生活を保障できなくなり、国体を維持することが困難な状態に陥っていた。
世の中を回していくということに関しては個の力に頼らざるを得なくなり、政府としてもその流れを止めることなく、少なくなった政府内のリソースをインフラや医療といった維持すべき限られた保障に充てるべきと考え、それ以外を手の空いた国民に依頼をする形で国を回すようになった。
ポスターの父は人よりも体が頑丈であったため、主に政府からの居住地開拓依頼を請けて生活しており、幼かったポスターは母と一緒に、開拓団のまとめ役として活躍する父やその下で開拓作業に従事する人々を支えて暮らした。
父は常に最前線に居を構えていたため、ポスターはもっぱら荒れ地や山中を遊び場としてその少年時代を過ごした。
開拓の最前線となる場所は人の生活ができる程度の整備がなされているだけであり、通信設備などはごく最低限の無線環境が揃えられているのみということも多かった。
ギルドがあるような拠点都市との連絡は十分に取れるわけではなく、そのため情報のやりとりなどは、最前線まで物資を輸送するリンク隊が窓口となって取り持っていた。
ここでいう情報とは、ギルドからの任務情報だけでなく、友人や恋人からなど個人間の手紙も含まれており、開拓の最前で暮らす人々にとって、リンクは人との繋がりを保つための重要な存在であった。
父は開拓団のまとめ役としてそこそこ名を馳せていたようで、最前線を訪れるリンクの人間の中にも、父のためなら何処へでも駆け付けると語ってくれる者が多かった。
特に、何日かごとに開拓地を訪れるリンク隊の中でもマードックという青年はポスターの父に心酔していたようで、何かとその息子であるポスターのことを気にかけてくれ、よく遊び相手にもなってくれた。 ポスター自身も、彼のことを兄のように慕っていた。
マードックは明るく気さくな男で、ポスターは彼が面白おかしく語る、リンクの仕事中に起きた出来事の話を聞くのが好きだった。
マードックが開拓地にやってくれば、ポスターはあちこちに散らばって開拓の仕事中のトレイズにマードックの代わりに手紙を届けるなどして彼の仕事を手伝ったりもしていた。
ポスターとマードックの友情は、二人が出会ってから五年間、マードックが命を落とすまで続いたのだった。
◇
二時間ほど経ってからポスターは目を覚ました。
ベッドから体を起こし、大きな欠伸を一つしてから伸びをした。こわばっていた体も熱を取り戻し、だいぶ調子は良くなっているようだった。
部屋に取り付けられた窓に目をやると、よく晴れた外の様子が見えた。
今日は任務のしやすそうな日だなと考えるうちに、今度は腹が鳴る。猛烈な空腹感がポスターに訪れた。
ギルドへ行って朝食をとり、ちょうどいい任務を探すことにしよう。
ポスターは今日のひとまずの方針を固めると、服を着替えて部屋を後にした。
Chapter1-1はここまで。
明日も投稿します。