Chapter1-11
『 八日目その二。
第三管理室に人がいた。
(より正確に書くなら、倒れていた、とするのが正しいんだけど…。)
順を追って書こう。僕は飲み物を確保するために商店街の中を歩き回っていた。それで、二階にある酒屋を漁っていた時にふと、「コップが無いな」って思ったんだ。(容器から直接飲むってのも豪快で悪くないけど…この暮らしをいつまで続けることになるかわからい以上、飲み口に直接口を付けるよりコップに注いで飲んだ方が色々と長持ちしそうだろ?)
飲み物の付属品みたいなちゃちなやつじゃなくて、もっと気分がよくなるようなものを求めて、僕は天井の穴を通ってパイロに行き、そこから三階にある店を見て回った。
僕は二リットルサイズのボトルに入った飲み物を片手に持って、色んなコップを試してみた。冗談みたいな値札のついたグラスを使った時はたまげたね。それは手に吸い付くように馴染んで、口をつける部分(リムって呼ぶらしい)は信じられないくらい薄かった。飲み物がそこを伝って僕の口に入ってくるときは、まるで違う味のように感じるほどだった。
それでいくつか目星をつけていた頃に、何か物音がした。何かが崩れた音かと思ったんだけど、僕はひどく驚いてしまったもんで、音は一度鳴ったきりだったんだけど、どうしても気になって音の出どころを探しに行った。
大きなものが崩れたような音ではなかったし、それで聞こえたってことは、そう遠くない場所で鳴った音だろうと思った。けれど近くの部屋を覗きまわっていっても、何か変わったような様子はどこもなかった。
それで、最後に入ったのが、第三管理室。(よく考えてみれば、四階へのエレベーターとは真逆の場所にある部屋だったから被災後に入るのはこれが初めてだった。)
瓦礫だらけの部屋の真ん中に人が倒れていた!
部屋に入ってそれを見つけた時の僕は、思わず呼吸をするのも忘れてしまった。(冗談だと思う? でも僕の感じていた絶望感を知ってくれた人なら、きっと納得してくれるだろう)
僕はすぐに駆け寄って声をかけてみた。けど気を失っているのか、返事はなかった。
見たところ、中年の男性のようだった。作業服姿ということは、もしかすると当直で残っていた工事の人間なのかもしれない。僕はひとまず彼を担ぎ上げて、この部屋まで運んできた。これがまた重かった。おかげでこの部屋に戻ってくるのがだいぶ遅い時間になっちゃった。
それで、彼をソファに寝かせて、今に至るというわけ。
非常に長々と書いてみたけど、まだ彼は目を覚まさない。
声をかけても、何も反応はない。呼吸はしているみたいだけどね。
僕のいる管理室って部屋は、何の音もないんだ。眠ろうとすると、ひどい耳鳴りがするような感じ。ここ数日は、体力を使い果たすか、夜通し映画を観るかして意識を失わないと眠れないような状態だった。
それが、今この部屋には僕以外の寝息が聞こえてきている。
間違いなく、彼は生きている人間だ。
もう誰とも会えないんじゃないかって覚悟をしてたんだ。
彼はどんな人間なんだろうか。
趣味は合うだろうか。
今の僕なら、彼がキャラメル味のポップコーンを食べていたとしても隣で笑って映画を観れる自信があるよ。
彼と協力すれば、ここから脱出することだってできるかもしれない。
明日、彼が目を覚ましたら相談したいことが山のようにあるな。
今日のところは、ベッド代わりのソファは彼に譲ってやることにする。 』
『九日目。
彼はまだ目を覚まさない。
疲れていたのと薄暗かったのとで気が付かなかったけれど、彼はひどい怪我をしているようだ。作業服はぼろぼろだし、皮も擦り剝けている…。露出した肉が痛々しい。
規則正しく呼吸をしているみたいだけど、このまま放っておくわけにはいかないだろう。
今日はこれから薬を探しに行く。消毒液にガーゼ、それに清潔な水が必要だ。 』
『 九日目、夜。
帰ってきたら、彼がいなくなっていた。
こんなのってないよ!
僕が薬を探しにここを出た時から部屋の中の様子は何も変わっていないのに、ソファで寝ていたはずの彼だけが消えている。まるで初めからこの部屋に誰もいなかったみたいに。
僕はたしかに彼を担いでここに運んだはずなのに…。
ここ何日か紛れていた疲れがどっと押し寄せるようだ。
すごく眠くて…、今は何も考えられそうにない。 』
『 十日目。
目が覚めてから少し考えてみたんだけれど、これって不自然じゃないか?
部屋の様子の通りなら、彼はこの部屋で目を覚まして、何も触らずにこの部屋を出ていったことになる。被災して商店街に閉じ込められて、見知らぬ場所で目を覚まして、まず最初にすることは? 今の自分の状況を確認することだろう?
明らかに人が生活している場所で目を覚まして、周囲をまったく調べずにどこかへ行ってしまうなんてことがあるだろうか。
…まあ、一人でずっと考えていてもしょうがないことだけど。
なんにせよ彼は目を覚まして一人で歩ける程度には元気だということはわかったんだ。どこかで会ったら挨拶でもすればいいのさ。
今日のところはまた食糧を探しに行くことにする。 』
ポスターは読み終えたファイルを閉じて、ソートされた日付を追って次の更新内容を探す。どうやら、十日目の日付のファイルはこれだけであった。また、その翌日も、翌々日も日記の主はファイルを残していなかった。
更新が途絶えてから一番最初に再開された日記には、被災から数えて十三日目の日付が記録されていた。
更新が途絶えてしまった理由は、そのファイルを読んでみてすぐにわかった。彼は商店街の探索中に何かに襲われ、その追跡を振り切るためにしばらくこの管理室へ戻れなかったようだ。
日記の主は混乱しているのか、ひどく慌てたように内容を書き綴っていた。
『 何が起きたのか、未だに整理がついていない。
あれを振り切ることができて、こうして生きているのは運が良かったとしか言えない。
ちくしょう、あれは人間だったのか?
この部屋、第二管理室には商店街の中に取り付けられた警備用カメラの情報が入ってくる。薬を探しに行く前にモニターをつけて、どこかに彼がいないか探そうと思ったんだ。そうしたら、ちょうど三階にあるカメラの前を通る彼の姿をモニターで見つけた。彼は第三管理室の方に向かって歩いているようだった。
今にしてみれば、おかしな歩き方をしていたと思う。でもあの時の僕には、それは彼が負傷しているから足を引きずっている、という風に見えた。
僕は急いで三階へ向かい、第三管理室でうずくまっている「彼」を見つけた。
そこは異様な雰囲気に包まれていて、僕は何故か隠れるように部屋の中を覗いていた。
もぞもぞと動く彼の下には、別の人間が倒れていた。
彼はそいつを襲っていた。
見間違いじゃなければ、彼は、そいつを喰っていた。
彼が大振りな動きで腕を振り下ろした後、倒れている人間の頭がひしゃげて潰れるのが見えた。彼は血と肉片にまみれた自分の手のひらをすすって、大きくのどを鳴らした…。
目の前で起きた殺人と、止まることのない死体の損壊行為の様子は、完全に僕の常識の範疇を超えてしまっていた。だから、立ち上がって扉のガラス越しに中を見ていた僕は、彼がこちらを振り返ったことに理解が追い付かなかった。
彼はめちゃくちゃな走り方で僕に迫った。扉に激突し、取り付けられたガラスから彼の腕が飛び出した。
ガラスは彼の腕をずたずたに引き裂いていた。にもかかわらず、彼はそれを気にするそぶりもなかった。めちゃくちゃに振り回される腕を見て、ようやく僕は自分に危機が迫ってることを理解した。
急いで僕はその場を離れた。
走って逃げる際中、背中の方で大きな音がした。彼が僕を追ってきているのがわかった。
何処へ行っても彼の気配を感じて、とてもこの部屋に戻ることはできなかった。二日ほどかけて慎重に彼を振り切り、やっとの思いでこの部屋に戻った。
部屋の入り口は椅子や机を積み重ねて開けないようにした。幸いだったのは、彼の手当て用の薬を探すときに、一緒に食糧も用意しておいたことだ。しばらくはこの部屋で様子を窺っている方がいいかもしれない…。
この商店街の中で今、何が起きているんだ?
彼はいったい何者なんだ? 』
それから続く何日か、日記の主はこの部屋の中で隠れていたようだ。
極力音を立てず、備蓄した食糧を消費して毎日をやり過ごしいく様子が綴られている。
さらに五日ほど経って、食糧の残りも少なくなっていった。
『 十八日目。
きっと助けは来ない。
ここに閉じ込められてからだいぶ日にちが経った。外からこの場所に向かうことができない状況だとすれば、恐らく捜索も打ち切られているのだろう。
だとすれば、僕の方から直接SOSの信号を出すほかない。
ここ何日かモニターに映る彼を観察してわかったのは、彼がとてつもない力の持ち主で、捕まってしまえば僕は簡単に「解体」されてしまうだろうということ。
でも、それだけの力があれば歪んで開かなくなってしまったエレベーターの扉も破ることができるかもしれない。そうすればエレベーターの中から天井の上に出て、ワイヤーを伝って登れば、四階に行ける。四階ある第四管理室へ辿り着ければ、外と連絡がとれるんだ。
もっとクールなアイデアが浮かべばよかったけど、そんな都合の良いことはなかった。彼の力の強さや狂気を思い出すだけで足がすくむ。けど、その力強さに頼らなければいけない。
覚悟を決めてやるしかない。 』
次回は3/15(水)の午前0時過ぎに更新予定です。




