プロローグ #1
細かい知識に関してはうのみにしないでください。
午前零時。荒涼とした岩山を強い風が吹き抜ける。
硬い肌を隠すように辺りには雪が厚く積もっていた。
見渡す限り続く真っ白な傾斜の中で、休むことなく足を運び続けていた、防寒具に身を包んだ一団の先頭が、頭を上げて周囲を見渡した。
「どこを向いても白、白、白…。こりゃあまいったね」
視界が白く染まっていく。
隊列の先頭を進んでいたポスター・アクロイドはゴーグルについた雪を乱暴に拭った。
「さすがに、ここまで雪が強くなるなんて聞いてないぞ」 苛立つように彼はつぶやいた。
山に入ってから、風は強まる一方だった。
ギルドの予測よりも降雪の勢いは増していた。これでは一時間もしないうちに吹雪になるだろう、そう判断したポスターは、風の音を聞きながら目的地までのルートと時間を再計算していた。
歴戦のギルド長たるアラハバキ爺が、自分が掴んでいる情報を任務へ向かう者に伝え忘れるとは思えず、ポスターは、これが突発的で局地的な天候悪化だろうとひとまず結論付けた。
次に彼は任務内容とこの先の状況悪化を天秤にかけた。
今回の任務は僻地にある町への医療品の運搬。ギルドに届けられた救急無線報告を受けての出動だった。引き返すわけにはいかず、町への到着が遅れればそれだけ向こうの状況は悪くなるが……。
「センパイ!」
ポスターの思考は、隊列の最後尾にいた女性、イーヴァ・ウォルシューのよく通る声によって中断させられた。
「風、強くなってます!ペース上げた方がいいですか!」
後方からイーヴァが声を張り上げて尋ねてきた。
センパイと呼ばれたポスターが、背後の二名の隊員とその後ろを歩く、最後尾のイーヴァをちらりと確認する。今のところ彼女らは隊列を乱すこともなくついてきているようだった。
「イーヴァ!ギルドの予測よりもずっと風が強くなってる。もう少し急ぎたいが、きみの隊はまだついてこれそうか?」
ポスターが尋ねると、イーヴァは親指を上げてアピールをした。
「これくらいの雪ならまだまだ大丈夫です!」
鍛えてますから、とイーヴァは胸を張って言った。それを見て、ポスターは頷いた。
「わかった。なら、もう少し普段の僕のペースに近づけて進もう。荷の入ったザックは落とすなよ!」
「了解です!」
イーヴァはそう言うと他の仲間に檄を飛ばし始めた。
ふうっ、と一つ息を吐くと、ポスターは今までよりもずっと早いペースで足を進めていく。
一行は今までの倍近い速さで雪山を進んでいった。凍った岩を踏み越え、ワイヤーを使って崖のような斜面を乗り越えていく。
◇
イーヴァ・ウォルシュ―は、主に都市間の輸送任務を担う公的組織、「リンク」に所属する二十一歳になったばかりの小柄な若い女性だった。
この職に就いて三年が経つ彼女は、半年ほど前から、自らを隊長とする若手で構成された輸送隊を任されるようになり、同世代の仲間たちよりも多くの任務をこなす若手有望株の筆頭だった。
今回の任務は、僻地にある町からギルドに届けられた、医療品補充の緊急無線を発端としていた。
ちょうど待機中だったイーヴァ隊に街のギルド長であるアラハバキ爺から中継された情報が入り、その場で受理されたものの、深夜の雪山を踏破する必要があるルートは若手で構成された輸送隊にはいささか難度の高い内容だった。
日々の訓練を欠かさない正規の輸送隊とはいえ、貴重な医療品を極力急いで、かつ無事に届けなければならないとなると、彼女らとしても万全をもって引き受けるには踏破ルートの設計など多少の準備時間が欲しかった。
とはいえ準備の時間はそう長くは取れない。多少の準備不足でも強行するという選択肢もあったが、それで失敗した場合のことを考えると、イーヴァは任務を強行することもできなかった。
その旨をアラハバキ爺に折り返し、ギルドにいる民間協力者(トレイズ)の中に目的地までのルートに明るい者がいたら手を貸してくれるよう頼みたいと相談した。そうしてアラハバキ爺がよこしてくれたのが、今、隊を先導して歩いてる、元リンク所属のポスター・アクロイドという男だった。
イーヴァは彼のことをよく知っていた。
彼はイーヴァがリンクとして最初に配属された隊の隊長であり、よく面倒を見てくれた先輩だった。
風が強さを増し、先へ進むほど雪は深くなっていく。
最前を進むポスターは、足下の地形をすべて把握しているかのように、雪で隠れた穴や岩の間を縫って足跡を敷いていた。後ろに続くイーヴァ隊の面々は、彼の足跡を踏むように辿っていく。
「山岳踏破とルート設計がここまで上手な人、リンクでも見たことはないですね、たいちょ」
ポスターの足跡を辿りながら、イーヴァのひとつ前を歩いていたコルという若い隊員が感心するように唸った。
「イーヴァたいちょ。あのトレイズの人、どういった知り合いで?」
コルが振り返って尋ねる。
さて、何か話を聞き出すまで引かなそうな様子だが、どこまで話したものだろう。イーヴァは思案した。
「センパイはね、元々私たちと同じようにリンクに所属してたの。私が最初に入った部隊の隊長が、センパイ…ポスターさんの率いる輸送隊だったってわけ」
「ああ、同業だったわけですか。通りで…」
歩きながらイーヴァが答えると、コルは納得したような様子で頷いた。
彼は前方に伸びたポスターの足跡に目をやると、少し顔をしかめた。
「どうかした?」イーヴァがコルに尋ねた。
「いや、俺も一応リンクなんで、山岳踏破は本職じゃないですか? ただこう綺麗に歩かれると、つい自分が歩いた場合と比較しちゃいまして。…なーんか俺のルート設計なんて目隠しされた酔っ払いが歩いているようなもんだったなあ、と」悔しそうにコルは言った。
「何かコツでもあるんですかねー? たいちょ」
コルがそう言うとイーヴァは残念そうに首を横に振った。
「センパイの山岳踏破は私たち全リンクの目標だけど、そう簡単には真似できないと思う」
「はあ、やっぱり特別な訓練かなんかが必要なんで?」
「一緒の隊にいたころ、私もどうやって歩いてるのか気になって聞いたの。…そうしたら、自分が歩いた地形の感覚を足裏で全部覚えておけば迷う必要がない、って答えが返ってきたわ」
イーヴァがそう言うと、コルは信じられないというような様子で顔をしかめた。
「ひとつでも多くの任務をこなすためには一度の任務にかける時間を短くしていくことになるでしょ? センパイは、リンクとして大勢の人を助けるためには、目的地まで迷わず、足を止めずにたどり着くかを極める必要があるって考えたわけ。そのために効率化と練習を突き詰めていった結果、できるようになったそうよ」
「…ちょーっと意味が分かりませんねえ」
コルがそう言うと、そうだよねえ、とイーヴァは頭を掻いた。
――センパイと一緒の任務って、久しぶりだなあ。
イーヴァはポスターの背中を見つめてひとり微笑んだ。
街に着いたら、リンクに戻ってきてくれないか聞いてみようかな。そんなことを彼女は考えていた。
一行は雪の中をまっすぐに進んでいく。
降雪の度合いは、もはや吹雪と呼んで差し支えない勢いとなっていた。
風の中で、何かが軋むような音がした。
プロローグはもうしばらく続きます…。
明日も投稿します。
1月17日追記:
段落分けや改行をしてみました。
ちょっとは読みやすくなったでしょうか?