6 私ではエサにならないのかしら?
太古、この世界はひとつだった。神から等しく愛された、人族、魔族、精霊、幻獣の四種族は同じ世界で協調して暮らしていた。しかし、創世より時を重ねるにつれ、魔族が次第に他種族を追い詰め、世界は徐々に多様性を失っていった。
そのことを憂えた神は世界を人界、魔界、精霊界、幻獣界の四つに分けた。それ以降、それぞれの種族はそれぞれの神の箱庭で、お互いを傷付けることなく多様性を育むこととなった。この世界では小さな子供でも知っている創世神話だ。
ただ、世界を四つに分けたとはいっても、物理的に四分割したわけではなく、世界を四層構造にして相互に行き来できないようにしたらしい。よくわからないけど、すごいね、神様。薄切りして四倍にしたってことかな?
しかし、平和な時代は永遠には続かなかった。魔族は四種族の頂点に立っていたかつての栄光を決して忘れなかった。長い年月をかけ、様々な研究を重ねた結果、魔界と人界を隔てる壁に亀裂を生じさせることに成功したのだ。すごいね、魔族。さすがは魔王。でも、神様に怒られるんじゃないの?
人界でもっとも繁栄していたカルルシェン大陸の中央にそびえる最高峰ケブネカイセ山。その山頂付近に生じた亀裂より人界に進出した魔族は瞬く間に人界を席巻し、人族は滅亡寸前まで追い詰められた。四種族の生みの親である神はこのことを深く憂い、人族を助けるために大天使を人界に遣わした。
大天使は人族に力を貸して魔族を追い払い、今後は自力で魔族を追い払えるようにと四本の聖剣を貸し与えた。ただ、魔族はこれに懲りることなく、何度も何度も人界へと攻め込んだ。今ではケブネカイセ山麓一帯は魔境と呼ばれるようになり、魔族と人族との絶え間のない争いの場となっている。
つまり、あれだね。神様的にはやんちゃな魔族に眉をひそめてはいるけど、自分の子供だから、あんまり厳しく怒ったりしないってことかな? 人族も同じくらいかわいいから、困ってると助けてくれるけど、兄弟げんかを仲裁する程度のことしかしてくれないんだね。
私は今、その四つの世界のひとつである精霊界を、まるで風にでもなったかのように、ふわふわと漂っている。さすがは精霊界。人界とはちがって手付かずの自然が眼下一面に広がっている。
浅緑や深緑ばかりではなく、赤や黄がこぼれた絵具のようにあちらこちらに散らばる原生林。ありとあらゆる色彩が満ち溢れ、その中に突如ぽっかりと穴が開いているかのような深い青。大きな湖だ。魚の群れがあちこちで小さなさざ波を起こし、魚を狙った鳥が湖面に波紋を広げる。
すっかり観光気分だ。何時間でもずっと見ていたい。どこを見ても、感動のあまり息をのんでしまうほどの絶景が広がっている。
とはいえ、私は実際に精霊界にいるのではない。シーラのお屋敷の庭にある、人界と精霊界をつなぐ精霊契約陣の真ん中部分に、四つん這いの姿で乗っかっているだけなのだ。精霊契約陣は精霊界に実際に浮かんでいるのだけど、私の体はあくまで人界にある。不思議な感覚だ。しかも、この陣の上では、前方に体重を傾ければ前に、右に体を倒せば右にといったぐあいに、まるで滑空する鳥のように精霊界を移動することができる。発動した精霊契約陣は透明なガラスのように直下の精霊界を透けて見せる。絶景を見ながら遊覧飛行を楽しんでいる観光客のような気分だ。
精霊契約陣――奇怪な文様が描かれた大きな丸い陣は本来、人族が魔族と戦うために編み出したものだ。
防御と治癒に特化した魔術しか使えない人族は、攻撃力では魔族に到底及ばない。この弱点をカバーするために精霊に力を借りようと創造されたのが精霊契約陣なのだ。
契約を結ぶことにより魂と魂を結びつけ、精霊界より人界に召喚した精霊に、攻撃力の乏しい人族に代わって魔族を攻撃してもらう。
後には人族同士の争いにも利用されるようになってしまったけれど、そもそもは魔族という共通の敵に対抗するためのものだ。長い年月を経てもなお、魔族は精霊や幻獣にとっても憎むべき敵として認識されているらしい。
あっ! 大きな湖の湖畔で水の精霊ウィンディーネと土の精霊ノームが仲良さそうに話している。よしっ! こちらから近づいて話しかけてみよう。そう思った私は大急ぎでその場所に向かった。
しかし、精霊たちは急接近してきた私を見つけると、あっという間に姿を消した。まずいね。まったく人気がないんですけど、と私は四つん這いのまま、がっくりとうなだれた。
私の背中に、シーラの冷たい視線が突き刺さっているのを感じる。精霊契約陣が発動して、私に精霊召喚能力があると判明した時には、よっしゃー! と大声を発して喜んでいたシーラだったけれど、私の近くにまったく精霊が寄ってこないので、イライラしてきているのだろう。あちらこちらへと飛び回っていたせいで、どれくらいの時間がたっているのかまったくわからないのだけど、ずいぶんと陽が傾いてきている。おそらく三時間以上はこうしているような気がする。気の短いシーラにとって、我慢の限界などとうに過ぎているだろう。
私としても、まあ、私ったら精霊にこんなに人気があるだなんて、みたいな入れ食い状態を期待していたので、けっこうショックだ。これが釣りだったら、エサが悪いのかしらと、竿を上げて確認してみるところだけど、精霊契約においては自分自身がエサなので、確認は不要だ。
精霊の姿自体はちらほらと見かけるのだけれど、私を見つけると脱兎のごとく逃げ去っていく。やはり、エサが悪いのだろうか。
精霊契約陣に乗る前のシーラの説明では、発動さえしてしまえば、僕と契約してよーみたいな感じで、営業スマイルを浮かべた精霊たちがいっぱい寄ってくるということだったのに。シーラよりも人気がないという現実は、地味にだが確実に私の精神力を削っていく。
「雑魚はいらないわ、雑魚は。精霊界で最強の精霊を捕まえてきなさいよ。あと、契約の時はきっちりと値切りなさいよ」
シーラは仁王立ちで私に何度も何度も繰り返し、そう言った。とくに、雑魚はいらないわ、の部分を何度も何度も。雑魚という表現はどうかと思うけど、こうなったら雑魚でもいいので近寄ってきてくれないかと、切実に思う。
私としても、この世界で生きていくために、精霊という力を是が非でも手に入れたいところではある。
というのも、この世界では、精霊術師、召喚獣術師、魔術師の三術師は地位も高いし高給取りだからだ。この三つの資格のうちどれかひとつでも持っていれば、就職先もバッチリだ。トールのお屋敷の居候お嬢様(仮)という不安定な身分から抜けだすことだってできるかもしれない。
ところがである。午前中の魔力量測定によって、魔術師への道はさくっと断たれてしまった。なんと、びっくり、魔力がないという判定を受けたのだ。
もちろん、魔法陣なしで第一位防御膜以上のもの、つまりは第十位結界すらも発動できるかもしれないのだから、わたし自身に魔力がないわけではない。そのことは、クレアも保証してくれた。
ただ、この世界における魔力持ちとは、魔法陣を発動させることができるという意味なのだ。防御系でも治癒系でもどちらでもいいのだけど、第十位魔法陣を発動させられなければ、魔力持ちとは認められない。だけど、私はいかなる魔法陣をも発動させることができなかった。基準に従えば、私は魔力なしということになるのだ。
これにはさすがの省エネクレアも驚いたようで、何度も何度も私の手に魔法陣を押しつけていたが、最後には緑の目を瞬かせながら、規定上魔力なしと判定せざるをえませんと呟いた。
魔力がないという判定を受けた私に残された道は、ただひとつ。精霊術師だ。召喚獣術師という選択肢は昨日の時点で、すでに無くなっている。トールは私に召喚獣契約陣を使わせたくないのだ。たしかに、私は召喚契約陣に巻き込まれたことになっている。それを思えば、召喚獣契約はやめておこうかという判断はやむをえない。私としても、あの陣を使う気は今ひとつ起きなかった。まちがって大天使のところに送り返されても困るしね。
そうはいっても、このままでは役立たず認定されてしまうなと、寄らない眉をギュッと寄せて考えこんでいると、ガコーーーン! という大きな音が真下から響いた。それと同時に、敵意に満ちた荒ぶる声が頭の中に響き渡った。
『何者だ、貴様は!? ここで何をしている!? まさか、魔族ではあるまいな!?』