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33 テディ王太子の想い その5

「つい先日のことなのですけどぉー、母方の従兄弟のシモンが水の精霊と契約したのですがぁー、なんとこの精霊、羽を持っているとのことでぇー、ひょっとして、水の精霊と風の精霊のハーフなのではないかと話題になりましてぇー……」


 いつもながらのユリウスの精霊ネタが、右の耳から入って左の耳へと抜け出ていく。平穏な日々が戻ってきた証しだろう。ハーモニー・モランデル子爵――ハムちゃんのおかげだ。今やその名前を知らないものは、ティトラン王国にはいない。大天使様から直々に聖剣を賜り、勇者のみならずティトラン王国の存亡の危機を救った新たな神の使い。噂は瞬く間に広まり、周辺諸国は手のひらを返したように王国に擦り寄ってくるようになった。プルッキア帝国ですら出兵準備を取りやめ、今のところ慇懃な態度をとっている。


 もし、あのまま勇者の処刑が執り行われていたらと思うと、ぞっとする。たとえ、大天使様が聖剣を折った償いを受け入れてくれたとしても、周辺諸国はティトラン王国をそっとしておいてくれなかっただろう。救国のハムスターはその姿を消し、勇者と聖剣を失い、さらには大天使様の勘気をこうむった国。よくて、どこかの国の属領にでもなるか、さもなければ滅びへの道を歩むことになっていただろう。


 あの日以来、すべてが変わった。ユリウスですら変わった。ずっとハーモニー嬢の右側の席を独占していたユリウスは、彼女と距離を置くようになった。王族専用の食堂では、ハーモニー嬢ではなく僕の隣りに座っている。精霊マニアであるユリウスは、今のハーモニー嬢がお気に召さないのだ、というまことしやかな噂が流れている。噂どおり、一目で相手の心を蕩かせるほどの完璧な微笑みを浮かべるようになったハーモニー嬢に、ユリウスが視線を向けることはなくなった。ハーモニー嬢の婚約者に選ばれなかったから拗ねているのだ、とも囁かれている。


 だけど、実際には、そんな単純な理由だけではない。おそらくは、ユリウスは役目を終えたのだ。明らかに、以前のユリウスは、ニルスとハーモニー嬢に近寄ってくる旧王族派を遠ざけるように動いていた。


 勇者であった僕の曽祖父は、聖剣を手に他国の支配下から独立を勝ち取り、ティトラン王国を建国した。その時に、かつてこの地にあった旧王国の王族も一緒に戦った。ただ、国を取り戻したにもかかわらず、旧王族に与えられた地位は、彼らにとって満足できるものではなかった。


 小国であるがゆえに、国力が他国に劣るがゆえに、曽祖父は新しい王家に権力を集中させた。国王の一声ですべて動かせるようにしなければ、周辺諸国と渡りあっていけないと考えたからだ。当然のことながら、旧王族は不満をくすぶらせた。王国内の様々な思惑が絡み合い、三代目の国王である父上の第二王妃には旧王族の血をひく女性が選ばれた。ニルスの母親だ。ニルスは旧王族派の期待を一身に背負って、この世に生を受けた。


 だけど、ニルスは生まれながらに病弱で、第二正妃も若くして亡くなってしまった。ニルスは誰からも顧みられることがなくなり、ウルネスの離宮で寂しく暮らすことになった。旧王族派はニルスを見舞うことすらしなくなった。


 そのまま忘れ去られるはずだった第二王子。だけど、ハーモニー嬢が現われたことによって、ニルスは再び旧王族派の希望の星へと返り咲いた。初めて公の場に姿を現した第二王子は、神の加護を持ち、魔族四天王を倒した精霊術師に守護されていた。旧王族派は色めきたった。旧王族派の復権はニルスによって為される。そう信じるには充分だった。


 学園に通っている旧王族派の子弟たちは、ニルスとハーモニー嬢に盛んに接触を図った。だが、それらはすべてユリウスによって密かに追い払われた。現王家の血を引くローセンダール公爵家は王族派の筆頭であり、末弟に裏から指示を出しているであろうシーラが、旧王族派の台頭を許すはずがなかった。


 さらに、シーラはハーモニー嬢をモランデル家の後継者にして、ニルスを婿養子に迎えるという答えを導き出した。旧王族派を取り込むと同時に、ニルスが王位を継ぐことがないようにするためだろう。王族派にとっても旧王族派にとっても悪くない妥協点なのかもしれない。父上がそのことを認めた今となっては、ユリウスが旧王族派を牽制する必要もなくなった。ユリウスはハーモニー嬢から離れて、精霊オタク道を邁進している。


 もちろん、純粋なニルスはそんなことに気が付いていないだろう。いや、気が付いていたところで、ニルスにとってはどうでもいいことだろう。ハーモニー嬢の左側の席に陣取るニルスの目は、ただひたすら初恋の相手を追っている。以前のようにベッタリとハーモニー嬢にくっつくことはなくなった。おそらく、というか、まちがいなく、ニルスはハーモニー嬢に恋をしている。


 今となっては、かつてニルスがハーモニー嬢に寄せていた想いが、母親を慕う小さな子供の独占欲みたいなものだったことが、よくわかる。ニルスの恋する瞳は、ハーモニー嬢をまっすぐに、片時もそらされることなく捉えている。ベタベタとハーモニー嬢に触れなくなったのは、異性として彼女を意識してしまったからだろう。以前は絶え間なく話しかけていたその口も、ほぅー、という溜め息を吐き出していることが多い。恋の病、というものだろうか?


 ただ、ニルスの口数が少なくなっている原因は、もうひとつある。アンジェリカ王女だ。あの日以来、ユリウスに代わってハーモニー嬢の右側の席を独占し続ける、ルステル王国の第一王女。カルルシェン大陸で最も長い歴史と最も広い領土を持つ大国の第一王女。本来なら、歴史の浅い小国であるティトラン王国の第二正妃候補、などという立場に甘んじることなど絶対にありえない、高貴な血を引く大陸随一の王女。


 ティトラン王国に留学してきて、もう一年近くになる。大陸随一の王女様がなぜ、ここにいるのか? もちろん決まっている。ハムちゃんだ。アンジェリカ王女の目的は神の使いと親交を結ぶことだ。そのためだけに、ティトラン王国にやってきた。ティトラン王国は、ハムちゃんがいなくなったことを隠したまま、王女と僕の婚約を推し進めた。本来なら、ハムちゃんに会えなかった時点で、アンジェリカ王女は怒って帰っても不思議ではなかった。にもかかわらず、大陸随一の王女様は常にたおやかな笑みを浮かべていた。


 だけど、もし、あの時、ハーモニー嬢が大天使様から聖剣を授からなかったら? もちろん、王女はルステル王国に帰っていただろう。たおやかな笑みを浮かべたままで。僕の脳裏にはその未来がはっきりと浮かんでいた。実際にもう少しで、それは現実となっていただろう。でも、そうはならなかった。ハーモニー嬢が――ハムちゃんが、帰ってきてくれた。

 

 そして、たおやかな笑みを浮かべ続けた王女は、聖剣を授かったハーモニー嬢を見て、今まで決して見せなかった猟奇的な笑みを浮かべた。誰もが大天使様の姿に圧倒されている中で、アンジェリカ王女だけは獲物を見つけた狩人のように、まっすぐに狙い澄ました目で、ハーモニー嬢を見つめていた。


 それから、ハーモニー嬢の右側の席はアンジェリカ王女が占めるようになった。春学期の授業選択に遅れたハーモニー嬢が、受講する授業を選ぶ際に、当然のようにニルスと王女が一緒に乗っかったのだ。神の使いの婚約者である第二王子に大国の王女様。無理を通したというほどでもなく、あっさりと認められたらしい。


 それ以来、王女は絶え間なくハーモニー嬢に話しかけ、自分のことをお姉様と呼ぶように仕向けている。初恋をこじらせたニルスでは、アンジェリカ王女の話術に太刀打ちできない。アンジェリカ王女は水を得た魚のように生き生きと、ハーモニー嬢との仲を育んでいる。


 正直言って、ふたりがうらやましい。ニルスは純粋に心のおもむくままにハーモニー嬢を見つめ、王女はただひたすら、ルステル王国のために王族としての務めを果たしている。ハムちゃんに嫌われるのを恐れ、ハムちゃんを失うのを恐れて動けなくなってしまった僕とは違う。まったく正反対の基準ではあるけど、ふたりの目的ははっきりと決まっている。


 僕はどうすればいい? ハーモニー嬢にどう接すればいい? 今の僕は、彼女を視界の隅で捉えることしかできない。ハムちゃんが亡くなる前、僕は何度もハムちゃんに天界に帰るように言った。ひょっとして、ハーモニー嬢はそれを怒っているのだろうか? だから、僕のところに帰ってこなかったのだろうか? 


 僕はニルスに嫉妬したのだろうか。ニルスのことでハーモニー嬢を責めた。ハムちゃんが僕ではなく、ニルスを選ぶだなんて考えられなかった。でも、ニルスはハーモニー嬢がハムちゃんであることを知っていた。僕が気が付くよりも早くにだ。僕には内緒にしていたのに? なぜ? それほどまでに、僕はハムちゃんを悲しませたのだろうか? 僕は途方に暮れた。


 ハーモニー嬢が聖剣を授けられた後、彼女を召喚したのがトールであるということが明らかになった。なぜ、今までそのことを隠していたのか? アグレル宰相だけではなく父上からも睨まれたトールは、顔中を汗でいっぱいにして、蚊の泣くような声で応えた。内密にするように頼まれていたのだ、と。ハーモニー嬢は優しいほうの大天使様によって人界に送り出されていた。大天使様から与えられた指示についても詮索しないように釘を刺された、とトールは弁明した。


 大天使様の指示って何だろう? ニルスを守ることなんだろうか? ひょっとして、僕のことはもう気にかけていないのだろうか? トールですら、ハーモニー嬢がハムちゃんであるとは気づいていないようだ。ニルスだけが知っていた? ニルスだけが特別だった?


 いや、ハムちゃんに聞けばいい。そうすれば、はっきりする。でも、聞くのが恐い。僕はいつからこんなにうじうじと思い悩むようになったんだろうか? いや、わかっている。ハムちゃんがいなくなって、どれだけの夜を眠れずに過ごしたことか。それを思えば、ハムちゃんが近くにいてくれると思うだけで、僕は満足なのだ。今のままでも、以前よりははるかにいい。そう思うと、何にもできなくなる。ハムちゃんを見ていられるだけで、充分なんだと思ってしまう。僕の口は固く閉じられたまま、時だけが過ぎていく。


 気を抜くと何度も何度も陥る思考のループに、僕はまたしてもとらわれていた。


「ほら、ハーモニー。唇の横にソースが付いてるわよ。ふふっ。はい、これで綺麗になった」


 アンジェリカ王女が優しげな笑みを浮かべ、ハーモニー嬢の口をハンカチで拭う。


「あ、はい。アンジェリカお、いえ、お姉様、ありがとうございます」


 ハーモニー嬢が照れたように、白い肌をほのかに赤く染めた。ニルスもその様子を見て、顔を真っ赤に染めた。


「――で、ですね。結局、その羽は飛ぶ能力とはまったく関係がなかったのですよ。水の精霊は飛ぶというより、体を置き換えて空中を移動しますが……」


 お姉様か。奇しくもアンジェリカ王女にとっては、最適なポジションを手に入れたということだろうか。将来的なこととはいえ、神の使いの姉という立場は、ルステル王家にとっては願ってもないことなのかもしれない。長すぎる歴史を持つがゆえに、ルステル王家は何ひとつ国家のことを決められなくなっている。王領より広い領地を持つ公爵家が七つもあり、公爵家だけで百を数える迷える大国。プルッキア帝国がじわじわと領土を拡大し、境界線では争いが絶えないとも聞く。


 純粋にハーモニー嬢に恋い焦がれるニルス。純粋に? 神の使いにルステル王家の後ろ盾となって欲しいアンジェリカ王女。僕はふたりとハーモニー嬢を視界に入れながら、また、同じ思考のループに戻りそうになる自分に溜め息をついた。

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