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30 テディ王太子の想い その2

「――で、ハムスターの様子はどうですか?」


 精霊省の執務室のドアが驚くべき速さで閉じられる。シーラは僕の腕をがっしりと掴んだまま、薄情な笑みを浮かべた。大声を出して警護を呼ぼうかとも思ったけど、騒ぎを起こすのもシーラの計算に入っているのかもしれない。僕は笑みに見えるよう口角を上げて、シーラのつり上がった目を見つめ返した。


「ハムちゃんに会いたいのなら、前もって王宮親衛室長に書面でもって――」


「大太子様! 私とハムスターは親友ですわ! 心配するのは当たり前ではありませんか!?」


 どう見ても、親友を気にかけているような表情じゃない。未知数をできるだけ減らして、一刻も早く計算式を解きたいだけだ。幼かった頃のユリウスの口癖が、ふと頭をよぎった。シーラ姉様はとてもお優しいのです。そうだね、ユリウス。たしかに、昔はそうだったかもしれない。だけど、目の前にいるのは大戦前までのシーラじゃない。


「先日、アグレル宰相が会ったらしいよ。聞いてみたらどう?」


「ええ、伺いましたわ。ハーミア様はとてもご機嫌だった、とおっしゃっておりましたわ。さすがは宰相閣下です。言葉遊びがお上手でいらっしゃいますこと」


 ハムちゃんの公式行事への参加は少しずつ減らされ、今では外に姿を現すことはない。すっかり部屋に引きこもってハムスター仲間と遊ぶようになった、という噂が流されている。新たに設けられたハムスター部屋には厳重な警備体制が敷かれ、許可のない者が近寄ることはできない。


 許可が必要とは言っても、実際には、誰にも許可が出ることはない。だから、シーラはわざわざ僕を捕まえて、執務室に引きずってきたのだ。ハムちゃんとシーラは仲がいいわけじゃない。だけど、シーラはハムちゃんのことをよくわかっている。それに、計算高いシーラが神の使いについて調べていないわけがない。ハムちゃんがいなくなる可能性を考えたのは、シーラがいちばん早いのかもしれない。


 僕はシーラの作り笑顔を見ながら、思いを巡らせた。シーラは目つきが鋭すぎる。唇を吊り上げたら笑顔に見えると思っているんだろうか? 僕はシーラを反面教師として、目尻を下げた。


「じゃあ、そのとおり――」


「お仲間に入れていただきたい、と私は申しているのです。私だけ蚊帳の外とは冷たすぎませんか?」


 僕の真似をしたのか、シーラも少しだけ目尻を下げた。でも、受ける印象は同じだった。目がきついというよりも、目が冷たいのかもしれない。ひょっとして、ハムちゃんを失えば、僕もシーラのような冷えた目をするようになるんだろうか? そう思うと、心がすーっと寒くなった。


 たしか、スレッテゴード男爵だ。婚期を逃してまで、シーラが一途に慕い続けた想い人。早くに夫人を亡くした男爵は、それ以来ずっと独り身を通していた。シーラの長い長い想いはようやく実を結び、一ヶ月後には結婚式が挙げられることになっていた。


 でも、式を挙げることはできなかった。魔王率いる魔族の侵攻が始まり、最前線にいた王国一の精霊術師は、砦の陥落とともに帰らぬ人となった。それ以来、シーラの目はつり上がったままだし、笑顔はひどくゆがんだままだ。


「もし、何かあれば……シーラにいちばんに教えるよ」


「何かある前に、伝言を伝えていただいてよろしいですか?」


 ハムちゃんは今でも僕の部屋で暮らしている。おそらく、シーラにはわかっている。ただ、ハムちゃんが目覚めている時間は、ほんのちょっとだけだ。伝えられるだろうか? それとも、伝言だなんて言って、僕の反応をうかがおうとしているだけなのだろうか?


「代わりをよこせと、お伝えください」


 返事はいらなかったらしい。僕が一呼吸置いただけで、シーラは少しだけ下げていた目尻を、再びつり上げた。


「代わり……?」


「ええ、代わりです。代わりの神の使いを寄こすように、ハムスターに伝えてください」


「……何を言っているんだ? ハムちゃんの代わりなんて――」


「ハムスターの代わりではありません。神の使いの代わりです。神の使い抜きでは、どう計算しても、戦力が足りません。プルッキアに攻め込まれたら、王国は一ヶ月と持たないでしょう」


 シーラの言っていることは、父上も危惧されていることだ。でも、神様や大天使様がティトラン王国だけに、特別に力を貸してくれるなんてことがあるのだろうか?


「代わりの神の使いなんて、遣わされるはずが――」


「本当に代わりが来る必要はありません。王国が危機に陥った時に、代わりの神の使いを送り込むように、ハムスターに伝えるだけで結構です」


「ハムちゃんが大天使様にそれを伝えてくれると?」


「いえ、私はそのような楽観的なことは思っておりません。じきに、ハムスターは死ぬのでしょう? 私はハムスターが死ねば、すぐ国葬にすべきだと思っております。そして、大々的に宣伝するのです。ティトラン王国に何かあれば、新たな神の使いが遣わされる。そう、ハムスターが約束したと。ハムスターの死は隠したところで、いずれはばれます。ばれてからつくウソは誰にも信じてもらえません。ハムスターが死んだという事実にウソを混ぜるのです」


 このまま扉に押しつけんばかりに、シーラの顔が僕の顔に近づいた。金色の瞳がいっそう冷たさを増し、唇が自信満々に吊り上げられた。


「まさか、神の使いが……死ぬと、シーラは思っているのか?」


「私が調べた限りにおいては、いなくなった神の使いが戻ってきた例はありません。ハムスターを例外だと考える根拠はありません」


「でも、魔王を倒した後いなくなったハムちゃんが、プルッキアとの決戦の前に戻ってきた。それは、どう考えているんだい?」


「大太子様。私がどう考えるかなどは、どうでもいいのです。神の使いはしばらくの間は主を守った、といずれの伝承にもあります。プルッキアに限らずどの国も、消えたハムスターが帰ってきたなどとは信じていないでしょう。一度消えれば、帰ってこない。そう考えていることはまちがいありません」


「でも、ハムちゃんは命を――」


 命を三つ持っていると言いかけて、胸がザワッとうごめいた。ハムちゃんが戻ってきて三年近い。寿命が三年だとすると、ハムちゃんが戻ってきてくれても、三年後にはまた亡くなるのだろうか? その命はひょっとして、三つ目なのだろうか? その後、ハムちゃんは天界で暮らすのだろうか? それとも――


 命って何なんだろう? 天界にいる間は死なないのだろうか? 人界に来れば命の灯が短くなっていくのだろうか?


 決して答えの出ない自問を、シーラが歯切れよく切り裂いた。


「神の使いはいずれいなくなります。その後、その国がどうなったか。当然のことながら、周辺の国は調べ上げていることでしょう。その裏をかいたほうがいいのでは、と思うのですが、国王陛下や宰相閣下は私の案には否定的です。それ以前に、ハムスターは元気だと言い張っておられますしね。しかし、ハムスターに伝言するぶんにはかまわないでしょう。後で、わざわざウソをつく必要もなくなります。なにせ、本当に王太子様がおっしゃったことですから。ハムスターは王太子様の頼みを断ったりはしないでしょうしね」


 僕が頼めば? じゃあ、僕が頼めばハムちゃんは帰ってきてくれるだろうか? 三つ目の命を使って? 最後の命を使って? 僕は……そうすべきなのだろうか?


「王国が元の力を取り戻すのに、あと何年ぐらいかかると思う?」


「そうですね。あと十年はかかるでしょうね」


「もしも、あと三年ハムちゃんが王国を守ってくれたとして、その後いなくなったとしたらどうかな?」


 僕の声は震えていたかもしれない。シーラの眉がピクリと動き、考えこむように顎に手を添えた。


「三年ですか? まあ、時間は一分一秒でも長いほうがいいでしょうね。ただ、三年後になったとしても、私は同じ案を出します。十年後であれば、考えを変えるかもしれませんが」

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