表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/42

28 ニルス王子の想い その2

 王都の人混みに目を丸くし、巨大な王宮に目を丸くし、広大な庭園に目を丸くし、そこで開かれていた催しに潜り込んで、また目を丸くした。


 真っ白なローブに金糸で刺繍された、数え切れないほどの紋章。魔法陣と見まちがえそうな、たくさんの光の輝きに目を奪われた後、その光を纏った主に僕は心までも奪われそうになっていた。


 僕の視線の先で、紋章だらけのローブを着た精霊が、手当たり次第にガツガツと食べ物を口に放りこんでいた。


 ローブの中に滑り込んでいる銀色の髪が、せわしなく食べ物に伸ばされる手の動きに合わせて、キラキラときらめく。


 華奢な白い喉元が、ゴクンと食べ物を飲み込む度に、大きく上下する。


 それに合わせて、大きな銀色の目がキュッと閉じられては、また大きく見開かれる。


 魅入られたように、僕はふらふらとその美しい精霊に吸い寄せられた。


 すぐ傍に立ちつくして、この世のものとは思えない光景に目を瞬いた。


 離宮にも精霊術師はいたし、何度となく精霊を見たことはあった。でも、これほどまでに美しい精霊を見たことはなかった。

 それに、服を着た精霊なんてものを見たことがなかったし、食事をしている精霊も見たことがなかった。


 やっぱり、王都は何もかもがちがうんだ。息をとめたまま、時を忘れてじーっと見入っている僕に、ふと精霊が視線を返した。


 大きな目をさらに見開いて、慌てて食べていたものを飲み込んだ。そして、ととのった顔をギュッとゆがめて、笑みのようなものを作った。


「これは、これは、ゴホン、ゴホン。ニルス殿下。ゴホン、ゲホン。ご機嫌麗しそうでなにより、ゴホン、ガホン、でございます」

 

 精霊がしゃべったことにも驚いたけど、ずっと離宮で暮らしていた僕のことを知っているのには、もっと驚いた。

 僕が王宮に着いたのはついさっきだし、予定より一日早く着いた。

 僕が今日、王宮にいるだなんて伝わってないはずだ。ということは、この精霊と僕は会ったことがあるんだろうか? 

 でも、こんなに美しい精霊に会ったことを、忘れてしまうなんて考えられなかった。


 僕のことを知ってるの? って聞いたら、精霊は名前を名乗って、離宮にお見舞いに来たことがあるって応えた。

 ますます、ありえなかった。離宮は王都から遠く離れているし、そもそも、僕に会いに来てくれる人なんて数えるほどしかいない。


 でも、精霊はウソをつけないって聞いたことがある。じゃあ、どういうことだろう? 

 えーっと……そもそも、この子は精霊なんだろうか? ひょっとして、人なのかもしれないって思い当たった。

 そうか。そうだよね。だって、精霊にしてはおかしいことだらけだ。


 僕は精霊みたいな女の子に手を出してって頼んだ。精霊と人は触れ合えないって聞いたことがある。触れれば人だし、触れなければ精霊だ。僕は女の子の手を取った。


 女の子に触れたとたん、懐かしい温もりが僕を包み込んだ。亡くなったお母様のことを思い出した。目の奥がジーンと痺れて、思わず天を仰いで目を閉じた。同時に、僕はもうひとつの温もりを思い出した。


 ハーミア様だ。どうして、こんなところに……ううん、どうして、こんな姿で。目の奥からじわーっと広がってくる涙を押し込めて、僕は必死に考えた。


 いや、ハーミア様は神の使いだから、姿ぐらい変えられても不思議じゃない。たぶん、この姿が本来の姿なんだ。

 ――わかった。ハーミア様は天使なんだ。大天使様がいて、天使がいないなんてことはない。天使の加護を持った人だっている。


 創世神話にも王国史にも、天使については書かれてなかった。人とよく似た姿をしてるから、誰も天使だとは気づかないんだ。


 でも、いったい、いつからなんだろう? 兄上は知ってるんだろうか? いや、知らないはずだ。ハーミア様が兄上と一緒にいないことが、そもそもおかしい。

 やっぱり、新しい婚約者のせいなんだろう。それで、ハーミア様は兄上に内緒で、姿を変えたんだ。

 だから、お見舞いにも来なかった? じゃあ、王宮にいる救国のハムスター様って誰なんだろう? 他の天使なのかな?


 僕は思い切って、どうしたの、ハーミア様って聞いてみた。そのとたん、ハーミア様の纏っている雰囲気が、すっと重いものに変わった。

 ああ、やっぱり、と僕は思った。聞いちゃダメだったんだ。迂闊なことを聞いた自分にも、ハーミア様を悲しませた兄上にも、怒りがわいた。


 ハーミア様は遠くを見つめて、ハーモニーだって言った。ハーモニー? そういえば、さっきもそんな名前を名乗ってた。ハッとした。

 そうだ。ハーミア様の名前は兄上が付けたものだった。ハムちゃんという愛称で呼べるようにって聞いたことがある。ハーミア様なんて呼んだら、兄上のことを思い起こして気分が沈むのかもしれない。


 僕はしばらく考えた後、ハーモニー様って声に出した。そうすると、ハーミア様は慌てて、ハーモニーですって言った。呼び捨てにしていいってことみたいだった。兄上には悪いけど、うれしかった。距離が縮まった気がした。僕とハーミア様が仲良しだって、認めてもらえた気がした。


 ハーミア様は人の姿をしてても、やっぱりすごかった。王都に入る前の街で噂に聞いた、大天使の加護を持った精霊術師が人の姿をしたハーミア様だった。魔族四天王を倒して、勲章をいっぱいもらってた。兄上の危機も救ったって、あとから王宮で聞かされた。


 ハーミア様は人の姿に変わっても、やっぱり優しかった。他の国の王女様と婚約した兄上もちゃんと助けてくれるだなんて、さすがはハーミア様だった。


 王都に来てよかった。ハーミア様の無事な姿も拝めた。それに、王立学園にハーミア様が一緒に通うって聞いて、僕は舞い上がるほどうれしかった。王都に知り合いがいないっていうのもあるけど、ハーミア様と一緒にいられる時間が増えるのが何よりもうれしかった。


 それに、時間をかければ、僕にだってハーミア様の沈んだ心を解きほぐして、笑顔を取り戻すことができるかもしれない。そう思った。ハーミア様は昔と違って、表情を失くしてしまっていた。きっと、兄上のことを想って、いつも心が泣いているんだと思う。


 僕の心の中のハーミア様は、いつもコロコロと楽しそうに笑っていた。なんとかしなくちゃ。僕はハーミア様じゃなくなったハーモニーに、精一杯の笑みを浮かべて手を振った。




 王都にやってきて、ようやくいろいろなことがわかってきた。兄上がハーモニーのことに気が付いていないこと。新しい救国のハムスター様はハムスター仲間と暮らしていて、部屋から一歩も外に出ないこと。ハーモニーがずいぶん前からハムスターじゃなくなっていたこと。


 ハーモニーはまだ笑ってくれないけど、学園での生活は楽しかった。ハーモニーはずっと僕と一緒にいてくれた。ユリウスっていう子がハーモニーの絶対結界に弾かれたり、兄上と婚約者の王女様と一緒に昼食をとることになったりと、いろいろあったけど、うまくいっていたと思う。


 精霊祭ではハーモニーと一緒の馬車に乗って、パレードに出ることになった。ハーモニーと一緒にお祭りに行って、同じ景色を見るっていう夢が叶った。

 でも、兄上にハーモニーのことがばれてしまった。最初はなぜだろうって思ったけど、精霊宮殿の深部にハーモニーが入れてもらえなかった時に、そういうことかって気が付いた。


 ハーモニーが僕に話してくれたことは、ぜんぶ兄上と一緒に経験したことだった。子爵家の養女が知ってるはずのないことを、ハーモニーは知ってた。兄上がそのことに気が付かないはずがなかった。


 兄上がハーモニーに、君は人なのかって聞いた時、僕はとっさにハーモニーを隠そうとした。だって、兄上には他に婚約者がいるんだ。ハーモニーは渡せないって思った。今の兄上では、ハーモニーを幸せにできない。そんなこと、兄上だってわかってるはずだ。


 精霊祭ではいいこともいっぱいあった。ハーモニーが笑うのを初めて見た。僕に笑いかけたんじゃなくて、護衛の人にだったから、ちょっと妬けたけど。


 すごく小さな声だったけど、笑い声も聞いた。僕の顔は真っ赤になってたんじゃないかって思う。ハーモニーの笑顔は心をとろけさせる力を持っていた。やっぱり、天使だった。誰だってあの笑顔を見たら、一目で恋に落ちるって思った。


 あと、シーラ様が僕をハーモニーの婚約者にしてくださるって、おっしゃった。思いもよらなかったシーラ様の申し出に、僕は大喜びで跳びついた。兄上がハーモニーを幸せにできないんだったら、僕が幸せにしたらいい。僕にとってハーモニーは唯一の存在だ。絶対に悲しませたりしないって、ハーモニーに約束した。


 シーラ様が出した条件は、僕にとって難なくクリアできることだった。ハーモニーがモランデル家を継いで、僕が婿養子となること。モランデル家はこの先もずっと、王国一の精霊術師が後を継ぐこと。シーラ様のおっしゃることは単純明快だった。モランデル家を王国を守る盾とすること。ただ、それだけだった。


 僕とハーモニーにはピッタリだと思った。ハーミア様だった頃のハーモニーは、シーラ様を褒めることはなかったけど、今では養女になるほどの間柄だ。きっとお互い信頼してるんだろう。僕はシーラ様の手をとって、ぜひお願いしますって頭を下げた。


 そこまではよかった。でも、気が付いた時には、兄上がハーモニーに詰め寄っていた。


 兄上の身勝手な行動を許すわけにはいかなかった。僕だって、ついさっきハーモニーに婚約を申し込んだときに、護衛の人の助言で気づかされたばかりだ。

 ハーモニーを悲しませないことがいちばん大切なんだって。父上の許しを得て、すべての障害を取り除いた後じゃないと、ダメなんだって。

 兄上はまちがっている。ハーモニーを大切に思うなら、兄上だって先にやるべきことがあるはずだって、僕は思った。


 それ以来、僕と兄上は口をきかなくなった。僕がまちがっているんだろうかって思うこともある。ハーモニーは今でも兄上のことが大好きだ。あの護衛の人だって、シーラ様だってわかってるみたいだった。


 それでも、僕は兄上をハーモニーに近寄らせる気はなかった。僕はシーラ様と一緒に父上に頭を下げた。ハーモニーと一緒にいられるようにって、できるかぎりのことをした。シルフィーみたいに飛ぶことはできないけど、お姫様抱っこぐらいはできるようにならなくちゃって、体を少しずつだけど鍛えるようにした。


 新年の行事や建国祭では、すぐ傍にはいられなかったけど、ハーモニーと同じ空気を吸って、同じ時間を感じることができた。ハーモニーが前に話してくれてたことを、実際に目で見て、耳で聞いて、同じ体験をして、また、学園でその話をした。離宮で夢見てたよりも、ずっとずっと楽しい毎日が過ぎていった。


 でも、ハーモニーは最強の精霊と契約するために、王都から遠く離れたところに行ってしまった。シーラ様に尋ねても、もう少ししたら戻ってまいりますって、いつ帰ってくるかは教えてくださらなかった。王国のために、力を手に入れて帰ってきますって、シーラ様はおっしゃってくださったけど、僕は不安だった。


 そして、ハーモニーがいない時を見計らったように、あの事件が起きた。でも、勇者様がいよいよ処刑台に上がろうかという時に、ハーモニーは帰ってきた。さすがはハーモニーだった。大天使様と話をして、勇者様の命を助けて、新しい聖剣も貰った。


 父上も大喜びで、なんと僕をハーモニーの婚約者として認めてくださった。


 でも、僕自身が婚約を申し込んで、ハーモニーに許してもらったわけじゃない。次の日、僕は朝早くに学園に来て、今か今かとハーモニーが来るのを待っていた。ちゃんと自分の言葉で婚約を申し込もうって思ってた。でも、待ちに待ったハーモニーを目の前にして、僕は何にも言えなくなった。


 馬車から下りたハーモニーは、昨日までのハーモニーじゃなかった。昨日見た、優しいほうの大天使様のように、やわらかな春の風を纏っていた。いつもの精霊のような硬い表情じゃなく、春の陽だまりを思わせる温かな微笑みを浮かべていた。


 おはようございます、ニルス殿下、ってハーモニーは僕に笑いかけてくれた。危うく膝からくずれ落ちそうになった。


 まさしく、天使そのものだった。まわりにいた人たちも、ハーモニーを見てとろけそうな、しまりのない顔をしていた。あとから馬車を下りてきた、精霊マニアのユリウスだけが、つまらなそうにムスッとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ