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2 これって、お嬢様扱いかしら?

「おはようございます、お嬢様。昨夜はずいぶんと冷え込みましたけど、寒くはなかったですか?」


 専属侍女であるターニャが、布団の隙間から愛らしい顔を潜り込ませて、私に微笑みかけてくる。肩先で切り揃えられた赤い髪に、茶と白を基調としたメイド服がよく似合っている。たれ目気味の大きな黒い瞳にアヒル口という、かわいい系の女の子だ。お屋敷の侍女の中ではおそらく最年少と思われ、十代半ばといったところだろうか。


 カーテンを勢いよく引っ張って、朝の陽射しを部屋いっぱいに呼び込んでいるのは、専属護衛のクレアだ。金糸で刺繍された魔法陣がびっしりと並んだ黒いローブを着込んだ、二十歳過ぎと思われる女性の魔術師。トールのお屋敷にいるのだから、ひょっとしたら召喚獣術師かもしれない。


 切れ長の緑の目に薄い一直線の唇を持つクレアは、コロコロと表情を変えるターニャと違って常に沈着冷静で、所作といい顔の表情といい一切の無駄がない。自分から話すということはなく、ターニャが話しかけても短い返事を返すのみという、徹底した省エネっぷりだ。


 冬真っただ中と思われる寒さに、布団を頭から被っていた私を、朗らかな笑みを浮かべたまま起き上がらせるターニャ。心の友である布団をひっぺがされた私は、毛皮でできたモコモコの室内着を羽織らされ、手を引かれて鏡台の前まで連れて行かれる。毎朝のことだ。大きな一枚鏡の前に座らされた私は、鈴を転がすようなターニャの声を聞きながら、髪をブラシで梳かれる。


「お嬢様の髪は本当に美しくてサラサラでございますね。滑らかで艶があって、さっとブラシが通って、本当にうらやましく思います。私なんてゴワゴワのくせっ毛でございましょう? 朝起きると、一番に櫛を通すのですが、固くて固くて、いつも涙目になりながらガシガシこすってるんです」


 というようなことを言っているのだろうと、私はいつものように、ターニャの発した声に勝手に意味を当てはめていく。トールに召喚されて三カ月ほどたったと思われるのだけど、いまだにこの世界の言葉は理解不能だ。実際にターニャが私のことをどのように呼んでいるのかは不明なのだけれど、私がどう思おうと勝手なので、強引にお嬢様ということにした。


 ターニャという名前も、ひょっとしたらまちがっているかもしれない。クレアに関してはターニャ(推定)が呼びかけるときに使っているので、まずまちがいなく彼女の名前だと思う。ただ、クレアが私の専属護衛であると考えるのは、限りなく黒に近いグレーだろう。どちらかと言えば、護衛ではなく監視役のような気がする。とはいえ、私に敵対的な行動をとることはないので、ポジティブシンキングで護衛と思うことにした。


 この世界の人間の魔術は防御と治癒に特化されており、魔術による攻撃というものは基本的には存在しない。だから、クレアが私を魔法で攻撃してくるということはない。しかし、クレアのローブに刺繍された魔法陣を見れば、単なる護衛役でないことは明らかだ。範囲指定を何段階にも変えた恐ろしく強力な防御膜の魔法陣が、これでもかというほどびっしりと並んでいる。ハムスター時代に王太子様と学んだ魔法陣の知識は、人間に転生した今も生きている。その知識から判断するに、クレアは国家一級魔術師だ。たしかティトラン王国では二十人ぐらいしかいなかったエリート中のエリート魔術師。どこの馬の骨だかわからない女の子の護衛につくような存在ではない。


 要するに、トールは私のことを疑っているのだろう。まあ、それはそうだろうと思う。召喚獣契約陣から人間が出てきたのだ。びっくりだ。はたして、こいつは本当に人間なのか? それとも召喚獣なのか? ひょっとしたら魔族? まさか神の使い? 恐らくは、そんなところだろう。トールは判断しかねているのだと思う。神の使いと呼ばれるハムスターを二度召喚した実績があるだけに、私のことをぞんざいには扱えない。それに、本当に人間の女の子である可能性も捨てきれないだろう。


 今でも二、三日に一度は現われて、調子はどうだ? みたいなことを聞いて、何の返事もしない私を悲しそうな目で見て去っていく。トールの気持ちはわからないでもないが、どうしようもない。ターニャが毎日欠かさずしてくれるマッサージや散歩で次第に筋肉が付き、日常生活には支障がなくなったとはいうものの、いまだに声は掠れ声で発声できる音は限られている。この世界の言葉はわからない。お手上げだ。


 おそらく、私がハムスターだった時は、色々な情報を魔力を使って収集していたのだろう。ハムスターの頭脳、視覚、聴覚、嗅覚、触覚どれをとっても人間とはちがう。人間の言葉なんてわからず、違う仕組みで言葉を理解していたのだろう。周囲の情報も目で見ていたわけではなく、耳で聞いていたわけでもなく、鼻で嗅いでいたわけでもないのだと思う。実際に、トールの声はハムスター時代と今では、ずいぶん違って聞こえる。トールという名前すら、思っていた音とはちがうのだろう。この状況では、私が元ハムスターだという説明もできないし、言葉にできたところで説得できる自信はない。


 というわけで、今の私にできることは毎日の適度な運動と、人の会話に耳を傾けることと、ボイストレーニング。そんなところだろうか。


 トールのおかげというか、ターニャのおかげというか、快適な毎日を送らせてもらっている。この世界の住み込みの侍女には定休日というものはない。たしか、長期休暇はあって、まとめてどーんと休むような仕組みだったと思う。今のところ、ターニャは一日中傍にいてくれて、かいがいしく私の世話を焼いてくれている。


 朝起きてから夜眠るまでではなく、就寝中も私の部屋の片隅に仕切られた空間で、寝起きしているターニャ。本当にありがたい。そこまでしてくれなくともと思うのだが、とめる術もないので、されるがままにしている。私が元の地位を取り戻したら、いっぱいお休みをあげて楽をさせてあげるからね、と思いながらも甘えっきりだ。


 いや、本当に、この子がいなかったら、私は何にもできないからね。


 クレアの方はたまに姿が見えなくなって、知らない人が代わりに立っていたりするので、少しは休んでいるのだろう。結構なことだ。どんどん休んでくれと思う。


「お嬢様、お召し物を替えますので立ち上がっていただけますか?」


 たぶんそんなことを言われたんだと思う。ボーッと考え事をしていたせいで、髪を整え終えたことに気が付かなかった。私は慌てて立ち上がって、ターニャが服を着替えさせてくれるのに身を任せた。この後は、朝食をとって散歩といういつものコースになるんだろうなと思いながら、私は鏡に映る人形のように無機質な顔が少しでも可愛らしく見えるようにと、いーっと意識しながら口角を上げて笑ってみた。


 とたんにターニャの表情が蕾がほころぶように笑顔に変わる。鏡に映るターニャの笑顔を見て、今度は私の顔に自然な笑みがこぼれた。よしっ! この笑顔を忘れないようにしよう、と私はもう一度、鏡の中のターニャに精一杯の笑顔を向けた。日頃の感謝が伝わりますように、と。

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