18 王子様は白馬に乗ってやってくるのかしら?
ダメだよ、ニルス王子。何がダメかって、私がダメだ。衝撃が大きすぎる。シーラの罠だとわかってるのに、クラクラする。私は一直線の好意に弱いのだ。
それに、ニルス王子はとってもいい子だ。性格もまっすぐで、私を一心に慕ってくれている。たぶん、今の私は愛するよりも愛されたい派だ。とはいっても、ユリウスは全身全霊でお断りだけどね。
これがお見合いなら、超優良物件だ。こちらこそ喜んで、と言いたいところだ。
でも、何かが私の頭の中で警鐘を鳴らしている。まず、ニルス王子は大きな勘違いをしているのだ。
ウルネスの離宮で暮らしていたニルス王子は、救国のハムスターが亡くなったことを知らない。
私という婚約者がいるにもかかわらず、王太子様がアンジェリカ王女様と婚約した。そう、ニルス王子は思っている。そして、そのことに腹を立てた私が、ハムスターの体を抜け出して、人の姿で暮らしていると思っているのだ。
だから、王太子様を責めた。兄上にはアンジェリカ王女様がいるじゃないか、と。
そして、私に言ってくれた。僕はハーモニーを悲しませたりなんてしないよ、と。
でも、実際は逆だ。私が先にいなくなったのだ。私が王太子様を悲しませたのだ。
ティトラン王国は神の使いという後ろ盾を失った。だから、同盟国との関係を強化するために、王太子様に新たな婚約者を迎え入れることにしたのだろう。
それでも、私が亡くなってからアンジェリカ王女が王太子様の婚約者になるまで、ずいぶんと時間がかかっている。
もし、私が亡くなった一カ月後にハムスターとして召喚獣契約陣から現われていたら? おそらく何事もなかったかのように、私は再び前のポジションに座っていただろう。
ひょっとしたら、王太子様は私を待っていてくれたのかもしれない。
でも、私は帰ってこなかった。ティトラン王国を守るためには、いつまでも私を待ち続けるわけにはいかない。おそらくは、そういうことだろう。
王太子様は何ひとつ悪くない。だけど、王太子様は私が帰るべき場所ではなくなった。
ティトラン王国を守れないから? ハムスターじゃなくなったから? アンジェリカ王女様がいるから? 人に生まれ変わったから?
うん、知恵熱が出そうだ。複雑すぎて、頭から煙が出る。
でも、ちょっと待って。ニルス王子にとって、私はあくまでハーミアだ。ひょっとして、王太子様の代わりに私をティトラン王国に引き留めようとしている? ううん。ニルス王子はまっすぐ私に好意を向けている。それは疑いようがない。私を笑顔にしてくれるって言った。それだけで充分だ。
人になった私では、ティトラン王国は守れない。でも、シルフィーのおかげで、ニルス王子ひとりぐらいなら守れるようになった。ニルス王子が白馬に乗っていなくても、私が白馬に乗ってニルス王子を乗せればいい。うん? 意味がよくわからないけど、そういうことかな?
じゃあ、このままニルス王子の婚約者になればいい? ハムスター時代の私なら、玉の輿だねってまっしぐらにニルス王子に飛びついたかな? ううん。ハムスター時代の私なら、とっくに王太子様に飛びついている。迷うことなんてなかっただろう。
だけど、今の私はハムスター脳を持っていない。人に生まれ変わった私は考えてしまうのだ。王太子様は本当の意味で、私の婚約者だったのだろうか、と。
神の使いが白いものを黒といえば、王様だって黒と言わざるを得ない。王太子様だってそうだ。
たしかに、王太子様と私は仲が良かった。それは、まちがいない。でも、私が王太子様の婚約者になるのに、王太子様の同意はあっただろうか?
可愛がっている飼い犬が、人に生まれ変わって結婚してと言ってきたら、飼い主はどう思うだろうか?
結婚するのだろうか? 婚約者がいるのに? 私に向けられていた王太子様の気持ちは、本当はどう呼ぶべきものだったのだろう。
ダメだダメだ。おかしなことを考えだしている。王太子様は関係ない。今はニルス王子だ。
私は今か今かと返事を待っているニルス王子に意識を戻した。ダメだ。期待に胸を膨らませているニルス王子を目の前にして、断るなんてことはできない。
じゃあ、うなずいたらいいの? それでいいのかな? どうしたらいいんだろう? 返事って、今しないとダメなのかな?
私は思わずシーラに視線を送った。
「まさか、ユリウスのほうがいい、なんていうことはないわよね、ハーモニー?」
シーラは驚いたような顔をしてみせた。さすがはシーラだ。絶対に選べない選択肢を、わざわざ放りこんできた。二択と思わせるための罠だ。私は助けを求めて、クレアの目にすがった。
「おそれながら、ニルス殿下。順序がちがっております」
クレアは即座にニルス王子に向かって頭を下げた。そして、ニルス王子に小声で話しかけた。
「すべての障壁を取り除いた後でなければ、男性は女性に求婚してはなりません。そうしなければ、相手の女性に恥をかかすことになります」
ニルス王子が大きく目を見開いて、クレアに耳を寄せる。
「慣例に従えば、第二王子でいらっしゃるニルス殿下は、いずれ公爵位を賜り、新しく家を興すことになります。おふたりがご結婚されれば、ハーモニー様は公爵夫人となり、モランデル家を継ぐことはできなくなるのです。それでは困ると、モランデル子爵様はおっしゃっておいでなのです」
「えーっと、じゃあ、僕はどうしたらいいの?」
「モランデル子爵様がうまく取り計らって下さるでしょう。ただ、国王陛下のお許しが出るまでは、ハーモニー様に思いを伝えてはなりません。もし、お許しが出なかった場合、ハーモニー様を悲しませることになるからです。今、殿下がなすことは、モランデル子爵様に気持ちを伝えることです」
クレアは私の手をとった。すすっと私をニルス王子から引き離す。
「あとはニルス殿下とモランデル子爵様でお話し下さい」
ニルス王子に軽く頭を下げたクレアは、私をふたりから離れた場所へと誘導してくれる。
さすがはクレアだ。ひょっとしたら、私の王子様はクレアなんじゃじゃないの?
舞い上がる気持ちを抑えつつ、私を導くクレアの手をちょっとだけ揺すった。
「ねえ、クレア。クレアの契約してる召喚獣に白い馬っている?」
「馬はおりませんが、白いペガサスなら契約しております」
おー、さすがはクレア。白馬どころか、白いペガサスとは。飛んでるよ。
この世界では、王子様は白いペガサスに乗ってやってくるんだねと、私は感嘆の息をもらした。
「そうなんだ。一度でいいから乗ってみたいな」
「おっしゃっていただければ、いつでも呼び出します」
クレアは端正な顔に、私にだけ見せる笑みを浮かべた。
うんうん。もう、クレアでいいんじゃないの。私の婚約相手って。私だけ特別扱いしてくれるし、助けてくれるし、言うことないよね。
そう思いながら、ポーッとクレアを見つめている私の視界の隅に、こちらにつかつかと歩み寄ってくる王太子様の姿が映り込んだ。
王太子様は私とクレアの前で立ち止まると、すっとニルス王子のほうに視線をやった。それから、ゆっくりと視線を私に移し、空色の目を細めた。
「君はニルスを甘やかしすぎじゃないのか?」
咎めるような王太子様の口調に、私は思わず後ずさった。
「君と離れてから、ぼーっとうわの空だし、昼食会を勝手に抜け出してこんなところで油を売っている。王族としての務めを果たしているとは到底思えない。君はどうしてこんなことをしているんだ?」
普段、苛立ちを表に出すことのない王太子様が、眉を寄せて私に厳しい眼差しを送ってくる。思いもよらぬ事態に、私はまたしてもすがるような目でクレアを見た。
「おそれながら――」
「口をはさまないでくれないかな」
即座に動いたクレアを、恐るべき速さで王太子様が遮った。口調は穏やかだが、その言葉には強い意志が込められている。ああ、私の王子様も王太子様にはかなわないんだね、と私はひそかに悲しみにくれた。
「答えてくれないかな? いったい何のために、君はこんなことをしているのかな?」
どういうことだろう? 王太子様の頭の中では、私はニルス王子の教育係になっているのだろうか? たしかに、ニルス王子は私にべったりだけど、それって私のせいなの?
「それは、わたしのせいなのですか? わたしが悪いのですか?」
私は勇気を振り絞って、王太子様にきっぱりと応えた。食事会を抜け出したのが悪いことなら、ニルス王子を責めるべきだ。私を悪者にするのはどうかと思うよ。
「君が悪いなどとは、一言も言っていない。ただ、ニルスに好意があるかのように振る舞うのは、やめてくれないかな?」
カチンときた。まちがいなく、王太子様は私を魔族だと思っている。私がニルス王子のご機嫌をとって、騙そうとしていると思っているのだ。魔族四天王を倒して勲章まで貰った臣下を魔族認定する王太子様こそ、どうかしている。
「まさか王太子であれば、何を言っても許されると思っていらっしゃるのですか? 私のやったことを何ひとつ評価せず、人ではないなどとおっしゃって、私が怒らないとでも思っているのですか?」
さすがに、私の能面顔にも怒りが浮かんでいたのだろう。いや、ひょっとしたら般若の面のように、怒りがありありと見えたのかもしれない。王太子様は真っ青な顔をして、急におどおどし始めた。
「私が何か……その……気に障るようなことを言ったのか? 何を……私は言ったのか、教えてくれないか? そんなにひどいことを言った覚えはないのだが……」
たしかに、はっきりと私を魔族だとは言っていない。だけど、遠回しに言ったからといって、言っていないと開き直るのはどうかと思うよ。反抗期なのか、王太子様は?
「いえいえ、言い逃れをしても無駄ですよ。この際、はっきりと言わせていただきます。私は人です。他のなにものでもありません」
「う、うん。そうだね。人……だね。うん。ずいぶん美しくなったと思うよ。その……笑顔を見せてくれれば、もっと美しいと思うのだけど、怒ってたから……なのかな?」
「今さら褒めても手遅れですよ。怒ってないなどと考えるほうがどうかしてます」
「そう……なのか。しかし、この前の攻戦でも私を助けてくれた。怒っていたのにも関わらずに。その……何がいけなかったのかな? 本当にわからないんだ。いや、もちろん私が悪いに決まっている。しかし、わからなければ謝りようがない。よかったら、教えてくれないかな?」
「言いましたよ。ニルス殿下が食事会を抜け出したのは私のせいではないですし、私は魔族ではありません」
「うんうん、そうだね。もちろん、そのとおりだね。その他には……」
「それだけです」
「いやいや、あるだろう? 言いにくいことであれば、人払いをして、ゆっくりとふたりで――」
「兄上! ハーモニーから離れてください! 私のハーモニーに何をおっしゃっているのですか!?」
ニルス王子の声がしたと思ったら、私はまたしても王子の突撃を受けて、倒れそうになっていた。すかさず、クレアが私を包み込むようにクッションになってくれる。さすがは私の王子様だね、とウルウルとクレアを見つめる私のすぐ傍で、なにやら不穏な空気が渦巻いていた。