16 一難去って、また一難かしら?
「はぁーあぁーあぁー! これがシルフィーさまぁ! なんとぉ、なんとぉ、すばらしいぃー! あぁー、天にも昇る気持ちとはこのことぉー! 紹介してぇ! 紹介してぇー! 今すぐ、紹介してぇー!」
ユリウスの、狂喜というよりは狂気のような大声が響き渡る。できれば、今すぐ天に昇っていただきたい。ついでに、大天使によろしく伝えておいてね。
「うわー、かっこいいねー。ものすごく大きいし、まるでハーモニーと親子みたいだね」
ニルス王子がキラキラと目を輝かせながら、シルフィーに憧れの眼差しを向ける。髪と瞳の色に合わせた、淡い緑を基調としたきらびやかな礼装を身に纏ったニルス王子は、私に絡めていた腕をぶんぶんと大きく振った。
早く早く、とうるさく急かしてくるユリウスにうんざりしながら、私はシルフィーにふたりを紹介した。まわりにいる精霊術師や精霊たちも、みんなシルフィーを見つめている。精霊祭のために召喚された精霊たちがずらっと居並ぶ中でも、シルフィーの存在感は群を抜いている。これで、少しでも優しければ文句ないのにね、と思わざるを得ない。
まったく興味がなさそうに、生返事しかしなかったシルフィーだったけど、ユリウスが魔石を差し出すと、ものすごい速さで受け取って、ぽいっと口に放りこんだ。
『ほーおぅ。これは上質な魔石だな。この前、そなたより貰ったものよりもいいものだぞ』
シルフィーはユリウスに向かって、ふむふむと満足気に頷いた。イラッとしている私の目の前で、ユリウスは恍惚の表情を浮かべ、シルフィーさまー! と叫びながら、シルフィーに抱きついた。しかし、その瞬間、ユリウスは竜巻に巻き込まれたかのように、ぐるんっとシルフィーのまわりを宙に浮いたまま一周した。そして、放り投げられたかのように、ドサッと地面に落ちた。
すぐさま、近くにいた魔術師が走ってきて、倒れているユリウスの容体を確認する。
『えーっと、何やってんの、シルフィー?』
『うむ、油断していたな。まさか、飛びかかってくるとは思わなくてな』
『だからって、投げ飛ばすことはないでしょう? やりすぎじゃない?』
『何を言っている。人族が我に触れれば、こうなるに決まっている。投げ飛ばしたわけではないぞ』
テディ王太子も足早にやってきた。すぐさま、ユリウスの胸に手を当てて、治癒魔術を発動させる。魔法陣を使った治癒魔術は、どの魔法陣を使うかを判断するのに時間がかかる。医師が患者の症状から最適な治療法を見つけ出すのと同じだ。だけど、王太子様は大天使の加護を持った治癒魔術のエキスパートだ。救急救命の分野に限れば、大陸一の治癒魔術師と言ってもいいだろう。
『えっ? そうなの? でも、私はそんなことには――』
『以前に言ったであろう。精霊と人族は厳密には接触できんのだと。人と精霊は違うのだ。そなたがおかしいのだ』
そうは言っても、こんなことになるだなんて!? と茫然としている傍で、ユリウスが弾かれたように上半身を起こした。
「や、やりましたぁー! さ、触りましたよぉー! 最速最強のシルフィー様にぃー! もう、一生、手を洗いませんよぉー!」
「気を付けたほうがいいよ、ユリウス。去年は水の精霊に手を出して、おぼれかけたよね。そのうち精霊祭に出られなくなるよ」
王太子様がやれやれといった様子で、ユリウスの手を引いて立ち上がらせる。いつの間にかやってきていたシーラが、ユリウスの髪の毛をむんずと掴んだ。シーラは王太子様にお礼を言いつつ、ユリウスを引きずるようにして、もと来たほうへと去っていった。
「ユリウスは去年も同じことをしてね。困ったものだけど、今回は役に立ったかな。君の精霊に人が触れればどういうことになるかわかったからね」
王太子様がシルフィーに微笑を送りながら、私に話しかけてきた。風の精霊と同じ空色の瞳が、ゆっくりとこちらに向けられる。普段の魔術師用のローブではなく、大きく前が開いた紫紺のコートを着た王太子様に、私はふとハムスター時代のことを思い出した。
ゆったりとした服とローブが好きな王太子様は、ティトラン王国の正装であるベストやキュロットが苦手だし、豪華な装飾の入ったコートも好きではなかった。式典の前には、いつも私に愚痴をこぼしたものだった。
ねえ、ハムちゃん。僕は魔術師なんだから、いつもローブでいいのにね。正装なんて、何の役にも立たないのにね、と。
初めて会った頃に比べて、王太子様はずいぶん背が高くなった。顔つきだって、ずいぶん大人びてきた。特に、会えなかった一年の間が、ちょうど成長期真っただ中だったのだろう。もう、かわいいとは言えない。凛々しいといったほうがぴったりくる。目線の位置も、私やニルス王子より頭ひとつぶん上にある。きらびやかな衣装だって、着せられているというよりは、着こなしていると言ったほうがいいだろう。
「ねえ、ハーモニー・モランデル嬢。君は本当に人なの? 人が精霊に乗れたりするものなのかな? それとも――」
「兄上! ハーモニーは私にとって大切な人です! 妙なことはおっしゃらないでください!」
昔の思い出に浸ってる間に、目の前にニルス王子の頭があった。手を握ったまま、私を庇うかのように一歩前に踏み出している。
うん? どうなってるの? 王太子様は私のことを人族とは思ってないのかな? シルフィーに勇者と続いて、これで三人に魔族疑惑を受けたってことかな? 優しいほうの大天使め。疑われるような体を作るなよ、まったく。
「ねえ、ニルス。私が言っているのは、そういうことではないよ」
困ったような笑みを浮かべた王太子様が、やわらかな声を返した。
「いえ、そういうことです。兄上は私からハーモニーを引き離そうとしているのです」
ニルス王子の声が震えている。握られている手に、ギュッと力が込められた。
どういうことだろう? シルフィーに乗れるのって、やっぱりまずかったのかな?
一難去って、また一難。ハムスター問題が解決したと思ったら、今度は王太子様に疑われてるのか。
ニルス王子が大きく息を吸って、ふーぅぅー、と威嚇するかのように吐き出した。
「兄上には、アンジェリカ王女様がいらっしゃるではありませんか!」
ニルス王子の頭の向こうで、王太子様が私に何か言おうと体を大きく動かしたけど、それを隠すかのように、ニルス王子が私の目の前で動いた。王太子様の空色の瞳が、一瞬だけ私の視界に映り込む。その目はどこか泣き出しそうな色をしていた。
その時、ふたりのケンカの仲裁に入るかのように、私たちのすぐ傍にパレード用の馬車がやってきた。クレアが馬車から下りてきて、深々と頭を下げる。
「ニルス殿下、ハーモニー様。おふたりはこの馬車にお乗りください。ハーモニー様の風の精霊様も、この馬車の近くにいてください」
さすがはクレア。昨日の約束どおり、さっそく助けに来てくれたよ。王太子と王子のケンカに割って入るなんてステキすぎる。惚れちゃいそうだね。
「クレアも一緒に行ってくれるの?」
「今日一日、私がおふたりの護衛を務めさせていただきます」
クレアは馬車の入り口の扉を手で示しながら、笑みを見せた。
「そうなんだー! クレアが守ってくれるなら安心だね。ニルス殿下、行きますよ」
クレアの笑みに私も笑みを返し、ニルス王子の手を引っ張って馬車へと向かう。私と王太子様は三年間ずっと一緒に暮らしていた。その気になれば、魔族疑惑なんていつでも晴らすことができる。今はふたりを引き離したほうがいい。そう思った私に、グイグイと馬車の二階まで引っ張り上げられたニルス王子だったが、不意に拗ねたような声を出した。
「ひどいよね、ハーモニー。護衛には笑顔を見せるのに、僕には笑いかけてくれないんだ」
「うん? そうですか? でも、クレアはニルス殿下も守ってくれるんですよ。さあ、ニルス殿下も笑って笑って」
ニルス王子は省エネクレアのことを知らないから、クレアの笑顔がどれだけ貴重か知らないのだ。私はニルス王子の背中をポンと叩いて、クレアに向かって押し出した。
「うーん……よろしくね、クレア」
ニルス王子がもじもじしながら、クレアににへらっと笑いかけた。クレアは省エネモードに戻って、深々と頭を下げた。笑顔が返ってくると思っていたのだろう。ニルス王子は、えっ!? という顔をした。そして、目をパチパチと瞬きながら私を見た。
そんなふたりのやりとりがなぜかおかしくて、私はくすっと声を出して笑った。
とたんに、ニルス王子が顔を真っ赤にして、私の顔をまじまじと見つめた。
私たちが乗った馬車は王宮の正門を出て、精霊宮殿へと向かった。沿道からの大勢の人の歓声や拍手が、私たちを包み込む。ニルス王子はようやく視線をまわりに向け、いつものように私の腕にぎゅっとしがみついた。