11 正真正銘の王女様ってどうかしら?
「アンジェリカ・シェルクヴィストと申します。この度は王太子殿下の危機を救い、魔族四天王をすら打ち倒したと聞き及んでおります。王太子殿下の婚約者としてはもとより、ルステル王国の第一王女としても、深くお礼申しあげます」
そう言って、王太子様に寄り添うように立つ正真正銘の王女様は、ドレスの裾をつまみ、すこしだけ膝を屈めた。
腰まで伸びた、ゆるく波打つストロベリーブロンドの髪がふわっと揺れる。透き通るようなきめの細かな肌に、ふっくらとした艶のある唇。
バイオレットの瞳を輝かせ、たおやかに微笑みかけてくる王女様に、私の胸がチリっと疼ずく。ダメだダメだ。こんなにも可愛らしい王女様に嫉妬するなんて、どうかしてる。
それに、王太子様に、新たなというか二番目の婚約者がいるということは、今知ったことでもない。ただ、現実としてとらえられていなかったというだけだ。
ここは人生の先輩として、王太子様の元婚約者として、温かい目で見守らなくては。
「ハーモニー・モランデルと申します。私ごときにもったいないお言葉をいただき、まことにありがとうございます」
私はローブの胸に拳を当て、王女様に深々と頭を下げた。
その私を押しのけるように、ずいっとシーラが横から割り込んでくる。
ありがたい。満面の笑みを浮かべて王太子様と王女様に営業トークを炸裂させたシーラの陰に、私はスススッと身を隠した。
シーラに感謝するなんて、私は気が弱ってるのだろうかと思わないでもないけど、王太子様と王女様をそつなく接待するなんてことは、私にはとうていできそうもない。シーラの背中のうしろで、私は気を抜くとゆがみそうになる顔を、落ちつけ落ちつけ、と無表情に保たせた。
私はもうハムスターではないのだ。王太子様の肩に乗ることはできない。手のひらの上で、大好物のヒマワリの種を食べることだってできない。やわらかな手で頭をなでてもらうこともできない。他の誰でもない。私が選んだことだ。
でも、どこかで思ってたんだろうね。
その手が私の頭に乗せられて、お帰りって言ってもらえるんじゃないかって。王太子様の横に立って、幸せそうに微笑む自分の姿を、心の片隅で夢見てたんだろうね。
おかしな話だね。
ただ、つい先日ティトラン王国へ留学してきたアンジェリカ王女は、王太子様の婚約者とはいえ、名目上は将来の第二王妃候補だ。 同盟を結んでいるルステル王国の第一王女といえども、神の使いを差し置いて第一王妃となることはできない。あくまでも、テディ王太子殿下の第一王妃候補は、救国のハムスターであるハーミア・レンホルムなのだ。
そう考えると、なんというか複雑な心境だ。ハムスター時代の私が、王太子様の婚約者だなどと言いださなければ、アンジェリカ王女は第一王妃候補だったのだ。そもそも、ハムスターが婚約者だとか、第一王妃候補だとか、この世界はどうなっているんだ、と思う。もちろん、私のせいなのはわかっている。だけど、当時の私はハムスター脳だったので、何の疑問も持たなかった。
だって、しょうがないじゃない。ハムスター脳なんだもの。王様だって王妃様だって王太子様だって、私が婚約者になることに一切反対しなかった。喜んでもらえてると思っていた。
でもね、今ならわかる。
神の使いが白いものを黒と言ったら、王様だって黒と言うしかないのだ。そんな私に、アンジェリカ王女に嫉妬する資格なんてない。
午前中の対魔族四ヶ国合同攻戦の表彰式の時には、王女様の姿に気が付かなかった。緊張していたからかもしれない。自分の名前が呼ばれるのを聞き逃さないように集中していたし、王様や宰相閣下といったえらいさんが居並ぶ場でキョロキョロとあたりを見回すわけにもいかなかった。
攻戦の功績で、私は勲章を五つもらった。参加した褒美として一個。魔族四天王を倒した分が三個。魔術師イルヴァとふたりで受賞した最優秀賞の分が一個。王様からもお褒めの言葉をもらったし、満場の拍手ももらった。
その間ずっと、私は緊張のあまり、カチンコチンになって、カクカク動いていた。ハムスター時代には、居眠りをしたり大あくびをしたりしてたのに、変われば変わるものだ。今そんなことをしたら、不敬罪で捕まるかもしれない。
そういえば、救国のハムスターはいなかったね。新しいハムスターは式典には出ないのだろうか? まあ、ハムスターそれぞれなのだろう。ひきこもりタイプかもしれないね。人界のことにはあまり興味がないのかもしれない。ひょっとしたら、王太子様のことすら、どうでもいいのかもしれない。
私だったら、たとえ第二王妃候補だなどと言われても、アンジェリカ王女が王太子様の婚約者になることを許したりしなかっただろうに――
――いや、やめよう、もう私はハムスターじゃない。
私はシーラの背中のうしろで、お似合いの王太子様と王女様のことを考えまいと、無理やり他のことに意識を向けた。
……そうだ。
今日もらった報奨金は何に使おうかな? 攻戦で大活躍したとはいっても、ほとんどがシルフィーの功績だ。だけど、王国が精霊に褒美を与えることはないから、もらった報奨金でシルフィーに魔石を買ってあげようかな?
うんうん、いいね。
専属メイドのターニャにも何か買ってあげよう。何がいいかな?居候お嬢様という立場であった私は、一銭もお金を持っていなかった。初めての収入だ。ここはドーンと奮発して、お世話になりっぱなしの人たちに恩を返しておいたほうがいいだろう。
シーラのおかげでもあるけど、シーラに対しては感謝の気持ちがまったくわかなかった。
おそらく、今日着せられているローブや服のせいもあるだろう。上から下まで、モランデル家の紋章が、これでもかというほどびっしりと描かれているのだ。
私もシーラも魔術師ではないため、魔法陣をローブに刺繍する必要はない。だからといって、モランデル家を前面に押し出したデザインは、どうかと思う。ファッションというよりは広告と呼んだほうがしっくりくる。計算高いシーラにとって、私は広告塔なのだろう。
ハムスター時代にもよく聞かされたものだ。
私が隠居するまでには、モランデル家を最低でも侯爵まで押し上げるわよ、と。
うわの空でいた間に営業トークが終わっていたのだろう。シーラが私の耳元でささやいた。
「ねえ、あんた。王太子様が嫌いなの? 攻戦の時もそうだったけど、王太子様と目を合わせようともしないわよね? お礼を言われても無視してるみたいだし」
えっ? と目を瞬いた私に、ジトッと細めた金色の目が近づいてくる。
「まあ、いいわ。社交までは期待していないから。あんた、無表情だしね。めぼしいところには挨拶を済ませたし、何か食べてきたら?」
うーん。はた目にはそんなふうに見えるのか、と悩んでいる私を置き去りにして、シーラは次の営業先を探して歩き出した。
うーん、そうなのか……どうしても、王太子様を見ると緊張して目をそらしてしまうんだろうな。それに、今日はアンジェリカ王女もいるしね。よけいに、視線をそらしちゃうんだよね。
私はため息をつきながらも、ごちそうが並べられているテーブルへと向かった。
ハムスターだった頃はひたすらまっすぐ王太子様を見つめていられたけれど、人になってからはどうしても照れちゃうんだよね。
そんなことを思いながらも、私は手を伸ばしてサンドウィッチを掴み取り、ひょいっと口に放りこんだ。絶対結界のせいなのか、そもそも、私は大食らいなのだ。それに、朝早くから今までずっと何も食べていなかったせいもあるだろう。
思っていた以上にお腹をすかせていたことに気がついた私は、肉やらハムやらチーズやらパンやらをガツガツと食い散らかし、通りがかった給仕係を捕まえて飲み物を奪い取って胃に流し込んだ。
貴族の宴って訳じゃないし、攻戦の慰労会だから大丈夫だよね、と調子に乗って散々飲み食いしていると、目をまん丸にした男の子がすぐ傍で私を見つめていた。
えーっと、見覚えがある。まずいね。ニルス王子だ。王太子様と同い年の異母弟。体が弱くて温泉のあるウルネスの離宮で暮らしているはずだけど、元気そうだね。いやいや、そんなことより挨拶しないと。おえらいさんだ。シーラに怒られるよ。
私は食べていたものを強引に飲み込んで、口角をギュッと吊り上げた。シーラ直伝の営業スマイルの出番だ。
「これは、これは、ゴホン、ゴホン。ニルス殿下。ゴホン、ゲホン。ご機嫌麗しそうでなにより、ゴホン、ガホン、でございます」
あやうく食べた物が気管に入りそうになった。涙目になりながらも、私は何とか挨拶を終え、深々と下げた頭を起こした。
ニルス王子がまん丸の目をパシパシと瞬く。
淡い緑の髪に緑の瞳。亡くなった第二王妃に似ているらしく、王太子様とはあまり似ていない。病弱なためか、体の線がずいぶんと細いし、あごのラインもシャープだ。
「えーっと、僕のことを知ってるの?」
ニルス王子が不思議そうに問いかけて初めて、私は失敗したことに気がついた。
あっ! そうだった。うっかりしてた。
ハムスター時代には一年に二度ほど、王太子様と一緒にお見舞いに行ってたけど、ハーモニーとしては会ったことがない。
それで睫毛をパシパシさせてるのか。
まずいね。とはいえ、このまま押し切るしかないね。
「はい、ウルネスの離宮にお見舞いに伺ったことがございます。私はハーモニー・モランデルと申しますが、トール・レンホルム伯爵様の遠縁の者でございます」
レンホルム伯爵領はウルネスの離宮のすぐ近くだし、モランデル子爵家はローセンダール公爵家の分家に当たる。三つの貴族が絡めば、どれかひとつぐらい見舞いに行ったことがあるだろう。
私は自信満々でニルス王子に応えた。
「ふーん。じゃあ、手を出して」
ニルス王子は何を思ったか、差し出された私の手を取ると、目を閉じて顎をくいっと上げた。それから、遠い記憶を呼び覚まそうとするかのように、握った手に少しだけ力を込めた。
「ねえ、僕はお見舞いに来てくれた人を忘れたりしないよ。だって、数えるほどしか来ないからね」
そう言って、ニルス王子はゆっくりとまぶたを持ち上げ、緑の瞳で私の銀色の瞳をじーっとのぞき込んだ。
そして、私のことを気づかうような、優しげな声でささやきかけた。
「でも、姿が変わってたらさすがにわからないよね。どうしたの、ハーミア様? やっぱり、婚約者がふたりってまずかったの? じゃあ、王宮にいる救国のハムスター様って誰なの?」