鍵紛失 ②
101号室住民の知人(自称)の阿部が、鍵を無くしたとナロに電話し、業務担当の高橋が緊急出動として裏野ハイツに向かった。そして、その時の様子を伊藤に話すことになり・・・
二人は、本社ビルから数分歩いたところにある24時間営業のファミレスに入った。
伊藤はミネストローネを、高橋はメンチカツ定食を注文した。
「こんな時間に、ガッツリしたもの食べるわね」
「家帰ってから、何も食べてないんだよ」
高橋は少々緊張した面持ちで言った。
あまり待たずして、二人の前に、湯気立つ料理が置かれた。
「いただきまーす」
本当はこんな時間に食事をしたくないが、この後も仕事があるので伊藤は仕方なく食べることにした。
伊藤がゆっくりスープをすする中、高橋は貪るようにメンチカツや白米を頬張っている。
童顔で、伊藤よりも背が低い彼は、一浪の為、同期でも年は一つ上だ。
深夜の呼出で、身だしなみを整える暇などなかったのだろう。
鼻の下や顎の辺りの髭がポツポツ目立っていた。
こいつも男だったと、何となく伊藤は感じていた。
◇◆◇
「アベババァ、面倒臭かった?」
話を切り出したのは伊藤だった。
高橋は口に入れていたものを飲み込み、おしぼりで口元を拭いた。
「それがさ。
阿部緑瑚の奴、身分証持ってなかったんだ」
「え?!
でも、電話では『持ってる』って言ってたわよ」
「現地で聞いたら『やっぱり持ってなかった』って言い出して。
身分確認出来ないから開錠出来ないって伝えたら、キレ始めて・・・」
「だったら一度こっちに連絡してくれたら良かったのに。
まさか、身分確認無しで、開錠したの?」
伊藤は眉をしかめながら尋ねた。
「いいや。
丁度その時に、斉藤様が裏野ハイツに来たんだよ」
「101号室の斉藤様が・・・?」
「すげー、慌てた様子で来てさ。
でも、『自分も鍵を忘れて、今持ってないから、開けてほしい』って。
で、無事に開錠も出来たし、出張料も斉藤様が払ったと」
高橋はそう言った後、メンチカツを口に入れた。
モグモグと口を動かしながら、伊藤の手元を見た。
伊藤の右薬指には指輪がはめられている。
「なぁ、伊藤。
101号室は、本当に入居人数一人なのか?
阿部緑瑚は、同居家族じゃないのか?」
「食べながら話さないでよ。
そうよ。だから、事務が困っているんじゃない」
「でも、斉藤様、左薬指に指輪はめていたぞ。
阿部緑瑚の方は、でっかい指輪何個かはめてて、薬指にあったかは覚えてないけど。
あの二人、実は婚約してて、やっと最近結婚したんじゃないか?
俺の記憶だと、管理前の説明訪問で、斉藤様と話したけど、その時は指輪をはめてなかったんだ。
だから、独身一人暮らしだと思ったんだ。
まぁ、玄関先で話しただけだから、室内に他に人がいるかまでは確認してないけどな」
伊藤は黙ったまま、高橋の話を聞いていた。
彼女はもう一つの可能性を推測した。
「高橋、開錠の時、斉藤様の身分証見たわよね。
住所どうなってた? 裏野ハイツの住所だった?」
「いや、住所を変えてなかったんだよ。
引っ越し前の住所だと思う。
仕方ないから、生年月日で確認したよ。
一応、変えといてくださいってお願いしたけど」
高橋の返答に、伊藤は椅子の背もたれにもたれて考え込んだ。
「これは、あくまで私の推測だけど・・・。
てか、事務の皆や鈴木さんなんかも薄々感じてたけど。
やっぱりあの二人、愛人関係ぽいね」
「そうなのか?!」
高橋は、つぶらな目をぱちくりと開いた。
「斉藤様は、慌てて裏野ハイツに戻ってきたんでしょ。
その時、指輪をはめていて、前にハイツに居た時ははめていなかった。
つまり、裏野ハイツに居る時だけ、指輪を外していて、普段ははめているのよ。
それが今夜、阿部緑瑚が鍵を無くして呼び出されたから、外すのを忘れて駆け付けた。
身分証の住所も、契約当時から変えていないのは、裏野ハイツがセカンドハウスだから。
そして実際に住んでいるのは、斉藤様に囲われている存在の阿部緑瑚ってことね」
「なるほどね・・・」
「ちなみに、これも私の勝手な推測だけど、阿部緑瑚は本名じゃないかも。
今日、阿部緑瑚は仕事終わりって言っていたけど、服装は水商売ぽく派手だった?」
「確かに。
派手な柄ワンピースで、しかもめっちゃミニスカートだった」
「じゃあ、間違いないかもね。
大方、どっかのスナックのホステスやってて、その源氏名のまんま斉藤様と付き合っているのかも。
契約者じゃないし、裏野ハイツに住むにあたって、身分証を出すようなことをしてないのよ」
「ひぇー、怖ろしい話だな。
てか、斉藤様も何でまたあんな見た目も性格もかなりブスなおばさんを愛人にするのかね~?
まぁ、斉藤様は50代で、阿部緑瑚は見た目アラフォーって感じだし。
あんなんでも可愛く見えるのかな?」
「よっぽど、家庭や職場の方で、肩身の狭い思いをしているんじゃない?
ギャーギャーうるさくても、自分に構ってくれる女の存在が嬉しいのよ」
「ふむ・・・」
高橋は、腕を組んだ。
自分はなりたくないと思いつつも、心のどこかでなってしまうかもしれないという不安を感じていた。
◇◆◇
深夜のファミレスは、常に変わらぬ調子でBGMが流れ続けている。
「さ、まだ本題に入っていなかったわ。
202号室、どうだったの?」
伊藤がミネストローネを食べ終え、スプーンを置いた。
「うん。
合鍵使って101号室を開錠した後、斉藤様と阿部緑瑚はそのまま部屋に入ったんだ。
部屋にスペアキーあるから交換も要らないって言われて、101号室はそれで終わったんだ。
で、その後、何となく2階の方を見たんだ。
俺がハイツ行くと、大概紫野さんが、顔出して挨拶してくれるからさ。
ま、流石に今日はなかったけど。
そこで202号室だけ明かりが点いているのが分かったんだよ。
裏野ハイツは、玄関ドアの隣に台所の窓と換気扇があるからね。
前に言われていた水道メーター確認だけど、中々チャンスがなくて、今日やっと見て来たよ」
「で、どうだったの?
メーターは動いていたの?」
伊藤は身体を前に乗り出すようにして尋ねた。
「動いてた。
水道メーターは玄関ドア隣のパイプスペースにあるから、こっそり開いて見たんだけど、微かだけど室内から水を流す音っぽいのも聞こえたよ。
風呂なのか台所なのかは分からないけど」
※パイプスペース・・・共同住宅の各部屋のガスや水道のメーターや、元栓などを設置している場所。
物件にもよるが、各部屋の玄関ドア付近に設置されていることが多く、玄関ドア以外で取っ手付きの扉があれば、大体それがパイプスペース。メーターボックスとも言う。
「ちゃんと確認できたんだ・・・」
伊藤はどこか意外そうな反応を示した。
それを見た高橋は、少々ムッとした表情を見せた。
「ああ、ちゃんと小型ライトで目盛りのところを照らして見たんだから。
結構大変だったんだぞ。
いくら管理会社だからって、必要以上に入居者のプライバシーを探る行為はできないし。
他の住民にも気付かれないように、注意しながらやったんだぞ。
お前は、随分202号室を気にかけていたけど、多分入居者は、生活リズムが他の部屋と違うんだ。
伊藤だってそうだろ?
仕事が早朝とか深夜なら、日中居留守されても仕方ないよ。
これで、お前の疑念は一つ解消されたな」
「そうね、ありがとう・・・」
どこか納得できない部分もあったが、伊藤はとりあえず高橋に礼を述べた。
そして、腕時計に目をやり、立ち上がった。
「もうすぐ休憩時間も終わるから、先に出るわね。
緊急出動入ったから、今朝の出勤時間は、多少遅くなっても良いんでしょ。
ゆっくり休んでね」
「そうもいかないよ。
午前中にやろうと思っていた仕事も溜まっているし・・・」
「無理したら、効率悪くなって、かえって進まないわよ。
割り切って、しっかり休んだら?
じゃ、ここは私が出しとくから。
お疲れ様」
「え、良いよ・・・!」高橋は焦った様子で言った。
「メーター確認してくれたお礼よ。
じゃあね」
そう言って、伊藤はニッコリ微笑み、伝票を持ってレジの方に向かった。
パイプスペースについて、公式企画の間取りには表示がないのですが、この物語では各部屋玄関ドア隣に設置されているという設定にしています。
次回から第2章です。残り半分頑張ります。