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迷惑電話 ①

「202号室住民から壁を叩く音がする」203号室住民のクレームをきっかけに、伊藤は202号室に対して疑念を抱くようになる・・・

 6月

 湿度を多く含んだ空気と風が、雨が止んだ夜を乾かすことを許さなかった。


 周辺のビル群の明かりが、ポツポツと消えようとする中、ナロ建物管理株式会社賃貸マンション管理事業部フロアは、不死鳥のごとく明るさをビルから放っていた。


 個室から出た伊藤美紅は、トイレの鏡の前で軽く化粧を直し、大きく伸びをした。


 夜の22時を過ぎた頃だ。

 あと、もう1時間踏ん張れば、仕事は終わる。


 電話受付業務をメインとしない伊藤は、基本的に早番が多い。

 しかし、メンバーとのシフト調整の都合で、月に何度かは、中番・遅番にも入る。

 時間のリズムが崩れてしまうので、気持ちや体調を維持するのは大変だった。


 おまけに、中番(14~23時)の時間帯は、取引会社・入居者共、最も電話の数が多い時間帯だ。

 事務サポーターも人数が多くなる時間帯だが、それでもこちらに振られる電話も少なくなかった。


「おかえりなさい、伊藤さん」


 デスクに戻ると、隣(田中とは反対側の)にいる木村が言った。

 木村は、入社2年目だが、1年目からこの業務をしているので、事務担当キャリアは伊藤より長い。

 スポーツをして細いと言うより、小食で筋肉がないから細いという身体を、黒いロングガーディガンで包んでいる。

 カラーリングもパーマしていない、伸ばしっぱなしの黒髪を黒ゴムで束ねていた。


「別に、ただのトイレだから・・・」


 アイロンを使って、ウェーブを作った毛先を揺らしながら、伊藤は着席した。

 自他共に夜型人間と認める木村は、自ら志願して、中番・遅番に積極的に入っている。

 故に、同じチームとはいえ、会話する機会が少ない社員に、伊藤は少々気まずさを感じていた。


「伊藤さん、『ヘルプチャット』を開いていた方が良いですよ。

 あと、今は計算とか、重要な書類作成などは控えた方が」


「どうして?」


「事務サポーターの井上さんが、もう10分近く通話しています。

 電話受付リーダーも、通話を聞いて指示出ししていますが、上手くいかないようです。

 五分五分の割合で、超大型クレームか、迷惑電話です。

 緊急事態として『ヘルプチャット』画面が、賃貸管理職員のパソコンに強制的に出てくる可能性が高いので、作業中のものは保存しといた方がベターです」


「なるほど・・・」


 伊藤は素直に、データ保存をし、書類整理といった簡単な作業を先に始めた。

 この場合、経験のある木村の考えの方が、納得できる。


「あと会話の雰囲気からして、電話先は裏野ハイツ住民かと・・・」


(ふざんけんなよ・・・)


 伊藤は、心の中で悪態をつき、ため息をついた。


     ◇◆◇


《電話リーダー:賃貸管理フロア各位、至急返答ください

 現在、2番井上にて、セクハラ電話対応中。

 各チーム、男性社員状況を教えてください》


(セクハラ!?)

 予め開いていたチャット画面に、電話受付リーダーからメッセージが入ってきた。

 伊藤は一目で不快感を抱いた。


《木村:Aエリアチーム、本日男性社員在籍なし》


 木村がカタカタと素早く返信した。


《Bエリアチーム、本日男性社員在籍なし》


 同様の返答が他チームからも瞬時に表示された。


《Eエリアチーム、男性社員が現在休憩中。呼んできます》


 このチャットのあと、Eエリアのデスク山から、ガタガタとフロアを出る女性社員を見かけた。


 事務サポーターの井上は、背中を小さく丸め、半泣きの状態で受け答えしていた。


《電話リーダー:Eエリアチーム、お願いします。

 現在の電話状況を説明します。

 電話先、裏野ハイツ102号室入居者、清水様。

 「音の件で相談がある」と入電されました。

 その後、井上がAエリア担当に繋ごうとすると、セクハラ発言を始めました。

 私が指示を出し保留にすると、清水様から切電され、その後すぐ再入電されました。

 井上が電話に出ると、非常にお怒りの状態で話し始め、現在に至ります》


(裏野ハイツ102号室・・・)


 伊藤は、パソコン画面に102号室住民の情報を開いた。

 ここも202号室並みに反応がない部屋だ。

 電話番号が契約書にも記載が無く、訪問しても反応がなかった。

 なぜか、返送依頼していた書類については、スキャンしたデータをメールで送ってきた。

 そこには、無職と書かれていたが、毎月振込みで賃料は支払っている。


(何の用で、電話してきたのかしら?)


 伊藤は、フロア中央で辛そうにしている井上を見る。

 Eエリアの男性社員はまだ戻ってこない。


(このまま待たせて、裏野ハイツについて知らない奴が出ても二次クレームになるだけだわ)


 伊藤は椅子から立ち上がった。


「Aフロア、伊藤に繋いでください!」


 電話受付リーダー他、フロアに居る者が伊藤を見る。


「駄目です。セクハラ電話は、男性社員が対応することになっています。

 他の女性が出ても、火に油を注ぐだけですよ」

 木村が小声で言う。


「私は、裏野ハイツ担当です!

 清水様と話させてください!」

 伊藤は、木村の助言を無視して発言した。


「分かったわ。そちらに振ると、強制保留やチャット指示が出来なくなるから気をつけてくださいね」

 電話受付リーダーが立ち上がり、伊藤の方を見て言った。そしてすぐに着席した。


《電話リーダー:5秒後に、強制保留をかけ、伊藤さんに繋ぎます。

 すみませんが、ご対応よろしくお願いいたします》


《伊藤:了解しました》


ピピピピピ


 内線ランプが光った。

 既に保留にしているということは、受話器を取れば、すぐに清水と繋がるということか。


 伊藤は左手で受話器を掴み、内線ボタンを押した。


     ◇◆◇


『おい、てめぇ、こらぁ! 勝手に保留するんじゃねえ!

 ブチ殺すぞぉー! ああ!?』


 野太い男の声が、受話器からガツンと響いてきた。

 覚悟していたはずだが、心臓をギュッと掴まれた感覚になる。


「清水様、突然の対応、大変失礼いたしました。

 お電話替わらせていただきました。

 裏野ハイツ事務担当の伊藤と申します」


 伊藤は努めて冷静に話した。


『女・・・?』

 電話の向こうの男は、意外にもすぐに静かになった。


『イトウ・・・。漢字はよくあるやつか?』


「左様でございます」


『下の名前は? 漢字も言え』


(何で、そんなこと聞いてくるんだ?)

 訝しく思いながら、伊藤は「美紅みく」の名を伝えた。


『ふぅーん・・・。美紅ちゃんかぁ。


 ズズズズズ・・・・。クチャクチャクチャ・・・。カタカタカタ・・・』


 清水は、電話をしながら、カップラーメンをすすっているのだろうか、嫌な音をわざとらしく響かせる。

 その音に混じって、キーボードを叩くような音も聞こえてきた。


『へぇぇぇ、へぇぇぇぇ。

 美紅ちゃん、可愛いね~。水着、最高に似合っているよ。

 おっぱいも大きいね』


(こいつ何見て話してやがるんだ?

 きっと、私と同姓同名のグラビアアイドルでも見つけたんだろうな)


「清水様、恐れ入ります。

 本日のご用件は、お住まいの裏野ハイツの音についてご相談と伺いましたが、詳しく教えてくださいますでしょうか?」


『ねぇ、スリーサイズ、教えてよ。

 この画像とか見る限り、最低Eカップはあるんじゃない?

 サイズは88センチとか・・・?』


「恐れ入ります、清水様。

 ご用件をお話しください。

 これ以上、関係のないお話をされる場合は、業務妨害と判断させていただきます」


 伊藤は語尾を強めて言った。


『白いビキニが似合っているね~。

 隣のショートカットの女の子もスレンダーで可愛いね。

 海に遊びに来た記念で、お揃いのブレスレットを買ったんだね?

 それって、今も持ってるの?』


「なっ・・・!?」


 伊藤は思わず、声を発してしまった。


 心臓の鼓動が一気に加速する。


 白いビキニ

 ショートカットの女友達

 お揃いのブレスレット


 どれも、昨年の夏休みに海に出かけた時の内容だ。

 その時撮影し、SNSで友人限定公開した写真が、脳内に浮かんでくる。


 親しい友人にしか公開していないはずの写真を、なぜ、この男は見ているのだ?


『俺も記念に何枚かダウンロードしたよ。

 この電話も録音しているし。

 後で、画像と音を加工して、たっぷり活用・・させてもらうよ。

 ハァハァ、大丈夫。個人的にしか使わないから・・・』


「・・・・・」


 ネットリと熱を帯びた男の声に、伊藤は心臓と首筋を鷲掴みされた心地になった。

 左耳の奥がむず痒く気持ち悪い。

 返す言葉が見つからず、ただただ沈黙していた。


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