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ごみ

 6月。

 どんより重い雲が、背の高いビル群の頭を掠める。

 全面ガラス張りの窓から見える限り、雨は降っていないようだ。


 薄暗い外とは対照的に、伊藤いとう 美紅みくがいる事務所は無駄に明るい。


 広いフロアの天井には、青白く光る蛍光灯がずらりと並んでいる。

 中央には、合計6台のパソコンデスクと電話があり、4人の女性がインカムを装着し座っている。

 それを取り囲むように、6~7台程のデスクの山が合計6つ配置され、入口から一番奥の角には、大きな机と上質そうな黒革の椅子が全体を見守っていた。


(今日は残業したくないから、裏野ハイツからはかかって来ないで・・・!)


 パソコンのキーボードを叩きながら、伊藤は祈った。


「はい、こちらナロ建物、賃貸マンション管理事業部です・・・」

「では、お客様がお住まいのマンションのお名前とお部屋番号をお願いいたします・・・」

「かしこまりました。修理の手配をいたします・・・」


 かかってくるほとんどの電話は、電話受付専門の事務サポーターが処理してくれる。

 だが、事務サポーターの対応範囲を越えるものは、こっちに振られてくる。


 ピピピピピ


(来た!?)


 伊藤は自分のデスクにある固定電話を見た。

 ライトが点滅しているのは、事務サポーターからの内線だった。

 ばれない様にため息をつき、受話器を取る。


「はい、伊藤です」


『伊藤さん、すみません。

 裏野ハイツ101号室のアベ様が、伊藤さんに替わってほしいと言っています。

 要件は教えてもらえませんでした』


 パソコン画面右下の時刻表示を見る。

 14時40分

 

(あと、20分で終わりなのにーー!!)

※事務担当は3交代制で、早番は15時終了。


「分かりました。繋いでください」

 伊藤はそう答えながら、素早く画面上に入居者情報ページを開く。


『よろしくお願いします』


 保留音が数秒流れ、プチッと切れた。


「お電話変わりました。

 賃貸マンション管理Aエリア事務担当のいと・・・・」


『ゴミが散らかってんじゃねーか!!

 さっさと片付けろよ!

 こっちは家賃払ってんだぞ!』


 受話器越しのキンキン声に、伊藤は慌てて音量を下げる。


「ご迷惑おかけして申し訳ございません。

 散らかっている場所は、裏野ハイツ前の道路ですか?」


『当たり前だろ!

 さっき捨てて、ちょっとしている間に、ネコがゴミ袋破って散らかしたんだよ!

 生ゴミなんだから、早くしろよ!』


(さっき・・・? 生ゴミ・・・?!)


 伊藤はマウスを動かし、予めダウンロード済みの裏野ハイツがある地域のゴミ収集カレンダーを開く。


「アベ様、恐れ入ります。

 今日は生ゴミの日ではありません。

 また、収集車回収は午前中ですので、当日朝8時までに出していただく必要がございます。

 道路や敷地に散らばったゴミは、業務担当が清掃いたします。

 ですが、まだゴミ置き場に残っている分につきましては、一旦お部屋に持ち帰っていただき、明日の燃えるゴミ回収日に出し直してくださいますか?」


『はぁぁー!?

 あんた、何、ふざけたことぬかしてんの!!?

 こんな汚いゴミを家に入れろって言うの!?

 部屋が汚れたり、肌がかぶれたりしたら、お前責任取れるのかよ!!?

 てか、ちょっと早く出しただけだろうが。

 何で、お前にそこまで言われなきゃいけねーんだよ!』


「では、新しいゴミ袋に移し変えるか、袋を2重にしていただきますでしょうか?」


『てめー、何様のつもりだよ? 入居者に命令するな、ボケ!

 何が、管理会社だよ。いっつもほったらかしのくせにさ。

 仕事しねーんだったら、家賃今までの分、全部倍にして返しやがれ!!

 てか、清掃の奴、来ないんだけど? チンタラしてんじゃねーよ!

 全く、前の管理人は、毎日掃除に来たし、こんなことがあったら、すぐ来たのによ。

 なのに、お前らときたら、金だけとって何もしないのかよ』


「業務担当には、これから連絡いたします」


『早く呼べよ!

 何やってんだよ、のろま! 

 家にいるから、そいつが来たら、顔出させろよ!』


「かしこまりました。

 清掃が終わりましたら、101号室へご挨拶するよう、伝えます。

 業務担当の高橋は現在、他のお客様対応をしていますので、約1時間後に到着予定です。

 恐れ入りますが、もうしばらくお待ちください」


『うるせーよ! 殺すぞ、このクソ女!!』


「はい、この後すぐに・・・」


 ツーツーツー


 伊藤が話し終える前に、向こうが電話を切った。

 通話時間、約10分


     ◇◆◇


(あー、もう!)


 苛立ちをぶつけるように、伊藤はガチャンと勢いよく受話器を戻した。


(そもそも! お前は誰なんだよ!?)


 裏野ハイツ101号室入居者情報のページには、次のように書かれている。


「借主:斉藤さいとう 黒康くろやす


2011年8月1日より契約開始


入居者:借主と同じ


入居人員:1人


職業:会社員」


 オーナーが持っていた契約書にも、ナロは回収した入居者自身が記入する情報確認シートにも、アベと名乗る女の存在はない。


 だが、このアベと名乗る女は「101号室の斉藤の知人だ」と称し、度々クレーム電話をかけてくる。

 4月から管理が始まったばかりだが、フロア内ではすっかり有名人だ。


「今、裏野ハイツに向かうよう携帯メール送ったから、高橋君に電話して、詳しい説明してあげて」


 伊藤の隣のデスクの田中が言った。


「ありがとうございます。助かります」


「いえいえ、本当いつも大変ね」


 伊藤の先輩で、事務担当のベテランである田中は、管理業務が始まるまでの手続きなどを行っていた。

 それ故に、裏野ハイツやアベの厄介さも十分把握していた。 


 伊藤が業務担当の高橋に電話を済ませると、ポンッと背後から肩を叩かれた。


「美紅ちゃん、お疲れ。

 今日もアベババアのお相手ご苦労様」


「うるさい、触らないでください」

 伊藤は肩に乗せられている手を振り払った。


 この鈴木という男は、Aエリアの営業担当だった。


 彼の仕事は、管理している物件の入居手続きを行ったり、物件管理業務の契約を取ったりすることだ。

 つまり、この男こそ、裏野ハイツという面倒な物件を管理するようになった元凶である。


 営業担当の鈴木は、入居者とほとんど接点を持たない。

 入居者との面倒事は、現地に向かう業務担当と電話受付の事務担当が対応する。


「裏野ハイツ、またゴミ置き場荒らされたんすか?

 高橋は、オーナーにカラス避けネットとかゴミボックス設置を提案してないんすか?」


 鈴木は賃貸管理Aエリアのリーダーである、エリア長の佐藤に話しかけた。

 彼の声は、隣のデスク山のメンバーにも聞こえる程大きい。


「何度も電話しているし、訪問もした。

 でも、断られた。

 壊すつもりでいる物件に金を使う気はないそうだ」


「だよなー、あの、オーナーじゃあ・・・。

 でも、せめてネットはつけないと、入居者も納得しないですよ。

 今度俺、アポとって、オーナーのところ行きましょうか?」


「そうだな。高橋と一緒に行ってみてくれ」


「その高橋ですけど、大丈夫ですかね?

 今、アベに会いに行ってるんでしょ?

 俺もこの間ハイツ訪問した時、たまたま向こうが顔出したから挨拶しましたけど。

 まー、ひでーブスのおばさん。

 すっぴんだったのもあるけど、タバコ臭いし、髪の毛ボサボサだったし、エグイよ」


「そんな言い方はやめろって。

 別に、高橋は関係ないだろ?」


「関係ありますよ!

 あのオバサン、絶対男好きっすよ!

 俺が挨拶してる時に、あからさまに女アピールし始めてさ。

 谷間見せてきたり、足くっつけてきたりしてきたんすよ。

 男なら誰でもOKなタイプなら、高橋、部屋に連れ込まれますよ!」


「いやいや、それはさすがに無いだろう・・・」


 伊藤は彼らの話を聞き流しながら、残りの作業を進めた。

 裏野ハイツの情報は速やかに画面から消した。


     ◇◆◇


 裏野ハイツ

 Aエリアにある、築30年の木造アパート2階建て。

 総戸数は6室。全て同じ1LDKの間取り。

 この5月で満室になったばかりだ。


 前オーナーの松本は、数年前に先立たれた妻と一緒に、裏野ハイツの管理人をしていた。

 自宅が近所で、毎日ハイツの清掃をしたり、修理手配をしたりと、非常に親身な対応をしていた。

 自分達の携帯番号と自宅電話の番号を伝えており、休日深夜関係なく、連絡があれば走った。

 家賃回収も、事前に入居者の都合を聞いてから訪問し、現金受取り後、お礼の粗品を渡す程だった。


 一方、松本の義理の甥で、新オーナーの林は、自分達では管理ができないということで、ナロに業務を依頼した。


 松本の通院が増えた為、今回のオーナー・管理人変更に至ったのだが、林はハイツに対して全く興味を持っていなかった。

 1部屋あたり5万円も取れないボロハイツを、一刻も早く手放したいと考えているが、前オーナーの強い要望で、実現できずに苛立っている。

 故に、管理会社にとっては、非常に困った「非協力的なオーナー」である。


 今までの甘やかされた対応から一変して、管理会社の機械的なシステムに変わった為、そのギャップが、更なるクレームを産む要因となっていた。


     ◇◆◇


 翌日、伊藤がデスクワークを進めていると、目の下にクマができた高橋が出社してきた。

 童顔でやや小柄な体躯。後頭部が寝癖ではねていた。


 ※営業担当と業務担当の勤務時間は、9~18時。


「高橋君、おはよー!

 昨日の裏野ハイツはどうだった?

 アベのオバサマと何かあった?」


 ヘアワックスでビシッと髪型を整えている鈴木が含みを持たせて尋ねた。


「いや、別に何も・・・。

 ゴミ袋の中身がほとんど散乱してて、全部俺が回収して捨てましたよ。

 101号室のアベ様に挨拶したけど、普通だった。

 礼は言われなかったけど」


「アベ様は、どんな格好してた?

 タンクトップで、レースのついたショートパンツだった?」


「普通に、Tシャツとジーパンでしたよ」

 高橋は少々困惑しながら答えた。


「うーむ、なるほど・・・」

 鈴木はそう言いながら、事務担当が並んでいるデスクの後ろに立った。


「アベのババアも、もっさい高橋君は、お断りのようだな」


 田中はプッと小さく吹き出した。

 だが、伊藤は昨日残業する羽目になった苛立ちが抜けず、笑顔を作る余裕が無かった。 


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