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訪問

伊藤は、裏野ハイツのオーナー林を怒らせてしまった・・・

 伊藤の大暴走(と言われた)が原因で、佐藤と鈴木と賃貸マンション管理事業部部長の3人が、翌日林の家へ謝罪訪問することになった。


 伊藤は自分も行くと申し出たが「駄目に決まってるだろ!」と佐藤に一蹴された。


「林様は、君が裏野ハイツの嘘の悪評を流していると言っていた。

 もちろん、俺は君がそんなことするはずはないと思っている。

 俺はそう伝えたんたが、林様は聞かなかった。

 だから、とりあえず電話に出て、謝罪だけしろと言ったつもりだったんだが・・・」


 佐藤は頭を抱えた。

 猫背のせいで、長い手足と長身が目立たなくなっていた。


 伊藤は、林とのやり取りを報告し終え、デスクに戻る。

 既に19時を過ぎていたが、鈴木と高橋もまだ残っていた。


「お疲れ様です。大変でしたね」

 木村が優しく声をかける。


「ご苦労様。

 美紅ちゃんの言ったことが本当なら、ムカつくのは当然だな。

 だからって、言葉に出す出さないは別の話で」


 鈴木の嫌味に、伊藤はギッと睨み返したが、正論なので言い返せなかった。


 高橋は何か言いたげな表情で伊藤を見ていた。

 伊藤はそれに構う気がなく、黙ったまま業務に戻った。


「でも美紅ちゃんのおかげで、松本様にも会えることになった」

 鈴木は鞄を持ち、伊藤の背後で立ち止まって言った。


「どういうことですか?」


「俺がアポ取りした時に、松本様にも謝罪したいって伝えたんだ。

 そうしたら、林様が松本様も家に呼んで話し合おうって言ってくれたわけ。

 林様は松本様も一緒に言いくるめて、裏野ハイツを手離そうとしているんじゃないかな。

 ナロに損害賠償とか言って、ハイツを買い取らせようとしているんだぜ。

 でなきゃ、あんな極端に美紅ちゃんに攻撃しないよ。

 多少痛い目に遭っただろうけど、結果的に林様は最高の口実と機会を得たわけだ」


 鈴木の話を聞き、伊藤は事の重大さを知った。

 自分の振舞いが原因で、ナロに大きな損失を与えてしまうかもしれないのだ。


 伊藤はデスクの上に置いた自分を手を見た。


「そんなに気を落とすなよ。

 明日の訪問はきっと大きな収穫になるはずだ。

 今まで俺達は、オーナーからロクな情報をもらえないまま管理を始めたんだ。

 分譲管理側で世話になってるクライアントからの紹介だったから、あんなボロ物件を無理矢理管理することになったんだ。

 引き継ぎ不足で情報がなかったのは、裏野ハイツを最もよく知る前オーナーの松本様が、一切俺達と会おうとしなかったからだ。

 明日は色々聞いてくるよ。

 それじゃあ、お疲れさん」


 鈴木は相変わらず軽いノリでフロアを出た。


※ナロには、分譲マンションを管理する部署がある。

 分譲マンションとは、一室を借りるのではなく、購入して住むマンションのことである。


     ◇◆◇


 少しして、伊藤が休憩の為にフロアを離れた。

 それに合わせて、高橋もフロアを出た。


「伊藤」

「何?」

「あ、その、気を落とすなよ」


「それさっき鈴木さんも言ってたけど」

 苛立ちから伊藤は、高橋に対する理不尽な態度を隠さなかった。


「伊藤が余計な噂を立てたとかみたいになってるけど、誰もそんなこと言ってないからな。

 てか・・・」


 高橋は声を小さくした。


「田中さんなんだよ、きっと。

 裏野ハイツや事故のことは社外秘なのに、外でベラベラ愚痴をこぼしてるみたいで。

 たまたま昼飯一緒に外で食べることになって、その時は本当にひどくて、流石に俺も止めたよ」


「そう・・・」

 伊藤は納得したようなしないような気持ちになった。


「明日の訪問で、池田透厘について聞いてもらうよう、鈴木さんに頼んでるんだ。

 事故直後、警察も202号室を尋ねたんだけど、本当に留守みたいだったんだ。

 紫野さんも、その日の朝に出掛けたのを見たって言ってた。

 単なる事故だし、102号室みたいに強制的に開けようとはしなかったな。

 102号室は居留守が分かったから警察も怪しいと思ったみたいだ・・・。


 ・・・伊藤は今回の事故に、池田透厘が関係してると思っているのか?」


 高橋の問いに、伊藤は黙ったまま頷いた。

 だが、それは誰も聞き入ってくれなかった。

 警察からの資料提出依頼も、橋本桃に関する情報だけだった。


「そっかぁ・・・。

 なら尚更、池田透厘と接触しないといけないな。

 明日、裏野ハイツに行ってみるよ。

 202号室のチャイム鳴らして、反応がなかったら、書面投函してくるよ」


「ありがとう」

 伊藤はほんの少し微笑んだ。


「ただの思い込みや、気にしすぎで済むと良いな。

 それから、お前最近顔色悪いから、しばらくこれを持っとけ」

 

 高橋はズボンのポケットから数珠を取り出した。


「え、いらないわよ。こんなの」

 伊藤は遠慮ではなく本心で答えた。


「騙されたと思って暫く持ってろ。

 意外と馬鹿に出来ないもんだぞ。

 お前、変なことに関わりすぎてるから、運気が悪くなっているんだよ。

 この数珠は、前にいた部署の上司からもらったんだ。

 これ持ってると、運転ミスも減ったし、きっとご利益あるからさ」


「一体、何の勧誘よ?」伊藤は眉をひそめた。


「そんなんじゃ無いって。

 俺だって別に信心深い訳じゃないし」


 高橋は数珠を強引に伊藤の手に押し付けながら言った。


「それじゃあ、お疲れ。

 休憩時間なのに呼び止めて悪かったな」


 高橋はフロアに戻った。


 伊藤は自分の手に残された、透明無色の水晶の数珠を見ながら溜め息をついた。


 ◇◆◇


 翌日昼前の電車内。

 ヘアアイロンで巻いた明るい茶髪を耳にかけ、イヤホンを挿す。

 ふんわりした白いシフォンブラウスに、水色のタイトスカート。

 白く長い脚に溶け込んだベージュ色のハイヒール。


 近くの乗客達は、華やかな雰囲気をまとった女性が、スマートフォンで何を見ているのか気になった。

 

 周囲の期待とは裏腹に、伊藤はアニメの公式無料動画を見ていた。


 以前、清水が言っていたのをきっかけに、声優ちゅるたんについて調べていた。

 謹慎中も、他者との接触は避けたが、ネットサーフィンは度が過ぎない程度に行った。

 そこで見つけた動画を、伊藤は何度も繰り返し再生した。

 だが、橋本桃との通話以降、ある女の子キャラが出てくると、反射的に動画を停止する自分がいた。


 今日も試してみたが、やはり駄目だった。

 あの妙に甲高い、可愛い声を聞くと、背骨の中に氷水を流されたような感覚に陥る。


 中番だが、いつもより早く出社した。

 佐藤達が、昼過ぎに林宅へ訪問するので、それに合わせて会社にいたかった。


 早番の田中が驚いたような顔で伊藤を見た。


「おはようございます」

「おはよう、早いわね・・・」


 伊藤は平静を装いながら席についた。


 脂肪が溜まり、顎と首のラインがぼやけている田中の横顔を見ながら、昨日高橋が言っていたことを伊藤は思い出した。


 仕事を教えてくれる先輩に対して、流石に反発する気はないので、何も言わずにパソコンを立ち上げた。


 掲示板を見ながら、伊藤は時計を見る。

 今頃、鈴木達は林宅で色々話をしている頃だろうか。


 プルルル


 Aエリア直通の電話が鳴り、伊藤は受話器をとった。

 固定電話の小さな画面には、デジタル文字で「高橋 黄一」と表示されていた。


「伊藤です。お疲れ」


『あ、伊藤。出社してたか。

 今さ、裏野ハイツの202号室の池田様から連絡があったんだ』


「ホント?!」

 思わず大きな声を出してしまい、伊藤は慌てて口を手で塞ぐ。


『紫野さんに俺の携帯番号を伝えていただろう。

 直接、俺のケータイにかかってきたんだ。

 洋室の物入れの修理依頼でさ。

 扉が開けにくいのと、黒い煤みたいなゴミがボロボロ出るんだと。

 メンテ部に依頼する前に、一旦俺が部屋を見てくるよ。

 ボロハイツだし、建て付け悪くなったり、古い埃が出るのは当たり前だろうけどな。

 

 良かったな、伊藤。

 お前の心配し過ぎで済みそうだぞ』


※メンテ部とは、ナロ内にあるメンテナンス事業部のこと。

 管理物件の修理はここが対応する。


 高橋の声はいつになくハツラツとしていた。

 伊藤は、何となく次の質問をしてみた。


「ねぇ、池田様の声って、どんな感じだった?」


『え?

 うん、何かアニメキャラみたいな可愛い声って感じだったかな。

 あんまり日常で聞くことはないな。

 悪いけど、もう切るぞ。

 早く来てほしいって、言われているんだ。

 車を運転するから、しばらく電話出れないぞ』


 高橋の方から、通話が切れた。


 伊藤は深く息を吐いた。


 オーナーの方はまだ気になる部分もあるが、まずは一つ疑念が消えそうだ。


     ◇◆◇ 


 中番の木村が出社した。

 早番の田中の定時まであと一時間もない。

 

 Aエリア事務担当3人がそろうのは、あまり多くないことだった。


 プルルルル


 Aエリア直通電話が鳴った。

 固定電話の画面には「鈴木 橙助」と表示されている。


 伊藤はパッと木村よりも早く受話器をとった。


「はい、伊藤です」


『伊藤か。

 今、Aエリアには誰がいる?』


 鈴木の声は、普段の軽い調子が消えていた。


「事務担当3人だけですが」


『スタッフスケジュールを見てくれ。

 高橋がどこで何しているか、分かるか?

 電話かけても出ねーんだよ、あの馬鹿』


※掲示板には、社員全員のその日のスケジュールが互いに見られる機能がある。


「高橋は車で裏野ハイツに向かっています。

 恐らく、もうすぐ到着する頃だと思います。」


 伊藤はスケジュールと、先程かかってきた電話の時間を思い出しながら答えた。


『何だって!? 今すぐ止めさせろ!

 ナロに戻って、警察とハイツに行かせるんだ!』


「どうしてですか?」


『202号室には誰も住んでいなかった。

 池田透厘は4年前に死んでいたんだ!』


次回で最終話です。

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