災厄2
変調は気づかぬところから始まっていった。
まず、209年夏の収穫が前年と比べて明らかに悪く、前年の三分の二に届かなかったのである。気候に恵まれた年ではあったため、農耕者の間では「おかしなことがあるものだ」と話題になっていた。
しかし、収穫が減ったからすぐ暮らしぶりに影響があるというわけではない上、『法義の国と共に繁栄をするために』という名目で今後3年の間収穫に対する税率を軽減することが発表されていたため、さほど大きな問題にはならなかった。みな戦勝の報を聞くたびに山都の栄光に浮かれ、そのような些事は忘れいったのである。
だが、210年夏も同じようなことが発生してしまったため、事態は少し深刻さを増した。原因不明の不作。もし、これが続くようであれば減税が終わった後に影響が出てくる。
農耕者の間で不安は高まり、様々な調査が開始された。多くの農学者が調査に当たったものの原因は「日照時間と農業用水の関係性からくる一時的不作」であろう、という曖昧な結論が出るだけであった。
農耕関係者が漠然とした不安を抱える中、この年もう一つの大きな災害が起こった。大雨により山都の中心を流れる川が氾濫をきたし、多数の住民が被害を受けたのである。突然の大雨による増水は、通常は霊獣の加護があれば助かるはずであった多くの人々の命を奪っていった。死者だけで10余万を超え、ここに来て人々は不安に包まれるようになっていった。
「これはやはり侵攻のせいなのでは」喝采を挙げていたのが嘘のように静まり、人々の口から不安の声が漏れ始めた。「利光大主が言ったから従っただけなのに、なぜこんなことになるんだ」という非難めいた言葉も聞かれるようになった。
山都国の城も多大な被害は受けたものの、利光大主はなんとか助かり、執行機関を再建させると、河川の修復と人民に対する保障をいそぐよう命じた。そんな利光大主の胸にも不安がなかったわけではなかった。
しかし、自らの霊獣であるヤマリスの≪橙威≫を見るに、その橙色のリスは自分を静かに見返すばかりで、傷つける気配が見えないことに安堵したのであった。しかし、ここのところ続く天災を思うと心が完全に晴れることはなく、ゆっくりと「これは侵略ではないのだ。私欲のためでもない」と橙威に語りかける日々が続いた。
徐々に不安が収まっていくかのようにみえた211年春、遂に決定的な出来事が起こってしまう。
『利光大主の霊獣、病に倒れる』
霊獣急死の報は大衆紙を通じ、一気に世間に広まった。時を同じくして、法義の国に攻め入った兵士の霊獣も多数原因不明の病に倒れていることが明らかになった。
犬の姿をした霊獣が駆け回ることをしなくなり、鳥の姿をした霊獣が空を飛ぶことをやめた。そして、多くの霊獣たちがそのまま息を引き取ることになったのである。
『霊獣が人より先に死ぬ』
多くの人にこの事実は衝撃をもって迎えられた。このような事態は今まで聞いたことのなかったためである。通常、霊獣は霊獣同士で争って大きく傷つくことはあっても、数週間すれば自己治癒するものであり、主人である人が死なない限りは死ぬことはないものだと信じられていた。その霊獣が原因不明の病で死んだのである。
人々は驚き、戸惑った。病の原因は分からなくても、その大本が何に由来するかはもはや明白であった。
その戸惑いに拍車をかける事態が、その数週間後に発表された。
『利光大主、急死』
その報にはこう記されていた。
『霊獣である≪橙威≫の病死を受けた数日後、利光大主の体が徐々に動かなくなっていった。体が不自由になり寝込むようになった大主は、それからさらに数日経つと高熱と共にうなされるようになり、ついに昨日息を引き取った』
これを知った民衆は大きく動揺し、狂乱状態に陥った。『霊獣が死ぬと自分も死ぬ』。今まで露とも考えなかった事態に大きく心が乱された。そして「もしかしたら自分の霊獣も突然病死するのではないか」と不安は大きくなる一方であった。
そして、その不安は的中することになってしまう。
国民のほぼ全ての霊獣という霊獣が病になり始めたのだ。動揺し荒れ狂う者、子供を抱え国から逃げ出す者、神という神に拝む者。様々な人々が出るなか、ゆっくりと病魔は進行し、そして山都はゆっくりと沈んでいった。
しかし、一部病魔を逃れた者たちもいた。その多くが八歳に満たない子供たちであった。子供たちの霊獣はかの感染から免れ、その多くが生き残ったである。
後世の人々が「無垢の勝利」と呼んだこの不幸中の幸いの出来事であったが、子供たちにとっては苦難の歴史の幕開けでもあった。
親を失った悲痛、一人で生きていかなくてはならないという絶望、先の見えない辛さを抱え、自ら命を絶ったものや食料の充てがなく飢餓で死にゆくものも多かった。
そのような中で、団結し立ち上がるものもいた。
その中の一つが山都国の北東部にある連水群地区に出来た「連水地区同盟」であった。
連水地区は田舎であるが故、子供の頃から父母の手伝いから農業を学び、また狩猟。調理などを日常的に行っていた。またそのような状況であるため、自然と同年代の団結感が強まっており、助け合いの大切さを知っていたのである。
また、己の死を知った父母たちが集まり、亡くなる間際まで知りうる限りの知識を子供たちに与え、更に「皆で協力すること」の大切さを説いていたのも功を奏した。
そして、10年後。自らの力で生き延びた少年少女は、苦しみながらもなんとか助け合っていき、連水地区を復興させていったのである。
導入部おわり。




