災厄1
ここ、火の国山都は10年前まで、今となってみれば「とても平和」な世界だった。
貧しいといっても他国と比べると中流以上の生活は保障されており、山々は季節ごとに恵みを与えてくれ、またそこから流れ出る川を利用した農業も盛んだった。
山都にはそれ以外にも他国とは違う点があり、このことも生活水準に大きく影響を与えていた。
それが『霊獣』である。
霊獣は人が生まれるときに一緒に誕生し、その身の半身として生涯その人と共にあり続けるものである。姿は基本的には獣――犬、猫、鳥など――と同じであり、行動も概ねその獣と同様なものとなっている。食事は必要なく、一緒に生まれた者と共に成長・行動し、終生まで添い遂げるというのが一般的である。
姿かたちは大小様々ではあるが、小さいてんとう虫であるから劣っているということはなく、一度霊獣が力を発揮すると人では到底できないことでも軽々とやってのける。そのため山都では、昔から霊獣は自身を守る守護獣であるからと教わり、子供のころから大切な友として一緒に育っていくのである。
しかし、この霊獣は人類すべてに宿るわけではない。連れだって生まれてくる者もいれば、そうでない者もいるのだ。この守り神のような獣の誕生については、未だ解明が進んでいない。霊獣が生まれてくる割合はだいたい1万家族に1人生まれるか否かという具合なのだ。
ただし、山都はその例外であった。
山都の者はみなが霊獣を宿して生まれてくるのである。こちらの理由も不明であるが、他国から移住してきてある程度の年月が経つと、その子供にも霊獣が生まれることがあることから、ここ山都の土地に何かしらのかかわりがあることは間違いがないようである。
そのため、山都へ移り住む者も多く、移住者が増えれば経済は発展し、国はより豊かになっていく。そして、山都に住む者は霊獣の力もあるので、他国と比べ辺鄙ではあったものの、大いなる恩恵を受け続けてきたのである。
しかし、そのような平和な時代も突如として終わりを迎えた。
山都の主であった天高大主が突然亡くなり、新たなる王として利光大主がたったのである。
利光大主は「山都の恩恵を各地に届け、世界に大いなる繁栄を」という宣言を行い、他国への侵攻を企てた。
『他国への侵攻』
山都がもつ霊獣の力を以てして行えば、簡単に成るように思えるかもしれない。
しかし、山都でそれ――霊獣を他国との戦争に用いることは禁忌とされていた。
過去に猜疑王と呼ばれる山都の王が霊獣を使い、他国への侵略を始めたことがあった。圧倒的力を前に多くの小国を蹂躙し、大国を飲み込んでいく。うまくいけば世界を山都の色で塗りつくせるかもしれない。多くの者がそう信じ疑わなかった。
しかし、現実はそうはならなかった。
南に隣接する法義の国を攻めたとたんに、攻め入った者の霊獣が暴れだし、共に育って来た者を殺し始めたのである。或る者は霊獣に喉をかみ切られ、或る者は霊獣の放った光で体を四散させてしまった。そして、半身を失った霊獣は自らも光の渦の中へ消えていってしまったのである。
響く悲鳴の中で、圧倒的だと思われた猜疑王の軍隊は攻め入った直後に崩壊、王もまた自らの霊獣であるところの鷲の一撃を受け亡くなってしまった。
その後の調査でも確からしい理由は判明しなかったが、きっとこれは天から与えられし神聖なものであり、自らの欲のみで使うことは禁じられているのであろうということになった。
そして、この教訓があったため、後の山都の王は、防衛のみに力を使い、私欲での領土の拡大は行わなかったのである。
それ故に、突然の利光大主の宣言は民に大きな衝撃を与えた。
「王は歴史を学んでいない愚か者に違いない」「猜疑王の失態を知らないのか」「この宣言は間違いではないのか」と人々は口々に叫び、利光大主を非難した。
しかし、利光大主の次の発言で世論は一変した。
「猜疑王は霊獣の力を過信し、かの災厄を招いた。人は歴史に学ぶことができ、私は先王の愚を十分に理解している。二度同じ過ちを繰り返すことは人のすることではない。先の元凶は愚王の欲深さと霊獣という力そのものに頼ったのが原因である。
しかし、私は違う。我が国と他国を比べてみてほしい。我が国は霊獣の加護もあり長く繁栄を保っているが、他国は未だ貧困に喘ぐところも多い。これはいかがなものであろうか。
私が第一とするのは領土ではない。みなの、生きとし生けるものの幸福である。
幸せとは何か。私は熟考し、つまるところ、それは国が豊かであることに他ならぬのではないかと思い至った。そこで、私は自分の信念に従い、他国の繁栄を願うとともに、これを実行しようと決意したのである。
よりよき生活を拒むものはいないはずではある。そして、みなが幸福であることが、世界をよりよくし、回りまわってこの山都を豊かにしてくれると確信している。私の意見に異を唱えるものは多くないだろう。しかし、時に反対者は出てくるものである。その際に限り私は己の智で、それが可能でなければ武で栄光を授けるものである」
簡単に言えば、『霊獣を使わない』、『私欲で動くのではない』。よって、かの災厄が再び起こることはない。そう宣言したのである。
人々は当初こそ戸惑いはしたものの、利光大主の自信とその気概を見て、徐々にその主張に同化していった。しかし、一番の理由は、猜疑王の頃とは違い、国も豊かになって国力の差が大きくなっていること、そして、人口が増えたことで徴兵制から志願兵制に変わっていることであった。つまり、最悪の場合でも『自分が死ぬことはない』と考えたわけである。
大衆紙でも「利光王に栄光あれ」という見出しが並び始め、人々の盛り上がりも大きくなっていった。
このような国民の後押しを受け、山都歴209年(利光3年)春、総勢10万の軍勢を以て、利光大主は隣国法義の国へ侵攻したのである。
国力の差は大きく、また専属の軍隊であるという練度の高さから、秋も終わらない内に、山都の国は法義の国の大半を支配下に治めることに成功した。
利光王の支配は「繁栄を授ける」という宣言通りに行われ、厳しい規律に則り略奪や凌辱等を認めず、また自治形態も旧体系の自治を挟み、その上で王都の決裁を仰ぐという形式を取った。
当初こそ法義の国の反抗も根強かったものの、利光王が配下に治めた土地からの報告が届き始めると、利光王の通る道にあたる場所の民衆から率先して従順を示すようになった。
そして、山都歴210年春、法義の国は完全に山都の国の支配下となったのである。
山都の民は利光大主を「第二の建国王」と呼び、凱旋時には多くの人々が喝采を送った。兵士の中にはこの侵攻に不安を抱く者も当然いたが、凱旋して人々の喝采を浴び、更に家族の姿を目にすると、その不安も一瞬で過去のものと消えてしまった。
しかし、この国を挙げての祝賀の裏で、その病理は進行していたのである。




