名前を変えて心新たに
パリアは喜んでいた。
自分を『貴族の子』ではなく『一人の人間として』として見てくれる。人に出会えたことに。
へつらうことなく、媚びることなく、想いの詰った言葉を語りかけてくれる人と出会えたことに。
そして、パリアは恐れていた。
自分が貴族の子だと分かった時に、その人が他の人と同じように嘘と飾りにまみれた言葉を語ることを。
心を言葉にしてくれる大切な人を失うことを。
昨日の、貴族の自分を否定したい気持ちはほとんど姿を消していた。
それでもパリアは本当の名前を言えずにいた。
生まれて初めて初めて手に入れた大切なものを守るために。
「どうしたんだ、パリア?
そんな難しい顔をして?」
パーラスは黙々と朝食を食べているパリアに不意に話し掛けた。
「なんでも相談してくれよ、宿代まで出してもらってんだしよ。」
野菜を頬張りながら言うパーラスに自然とパリアの口が開く。
踊り子のソアラを好きになったこと、それが原因で家を飛び出したこと。
自分が貴族であることだけを隠して、素直に自分の気持ちを言葉にかえていく。
「じゃ、行くか。」
不意にパーラスが立ち上がる。
「どこへ?」
「決まってんだろ。
その娘に会いに行くのさ。」
「今から!?」
ボロボロになった鞄を片手に部屋を出るパーラスをパリアはあわてて追いかける。
昨夜の雨を忘れたように、夏の雲が青空に浮いている。
眩しい朝日の街の中を二人は駆け抜けていく。
「パーラス、ちょっといいかな?」
「うん?」
「花を買っていきたいんだ。」
「ああ、手ぶらじゃなんだからな。」
いつもの通りのいつもの花屋にパリアは入っていく。
「でっかい花屋だな。」
周りをキョロキョロ見回しながらパリアも中に入っていく。
「貴族御用達のみせだからね。」
店の中には、パーラスが今まで見たこともない花が数多く並んで、甘い香りを漂わせている。
パリアはなれた様子で1輪1輪花を眺めると、店員を呼び寄せる。
「サニアとクラン、シルビ、パージェを五輪づつ…」
「ちょっと待て!!!」
テキパキと店員に高価な花を次々と注文するパリアをパーラスがあわてて止める。
「お前なぁ、初めて会う相手にこんな高価な花束をプレゼントしても、かえって気を遣わすだけだろ。
このぐらいの花1輪の方がいいんだよ。」
店頭に並んだ花を1輪だけを綺麗にラッピングしてもらうと、パリアはそれを大切に持って店を出た。
クレクリンの中心地近く、華の街と呼ばれる娯楽街。
多くの着飾った貴族たちが行き交う中、見劣りする服を着たパリアとパーラスは目的の劇場へと歩いて行く。
「だから、そんなにキョロキョロしないでって。」
昨日の雨で濡れ汚れた服から、宿で借りた服に着替えたパリアが気恥ずかしそうに、パーラスの袖を引っ張る。
悪くない服だけど、この街を歩くのには少しヤボったいと感じるパリアとは対照的に、そんなことには少しも気にかけないパーラスは、おのぼりさん丸出しに辺りを見渡しては歓声を上げている。
「ちょっと、もう少しおとなしくしてよ。」
「気にするなよ、それより着いたぜ。」
パーラスが目的のラロード劇場の前で足を止める。
今日は休演日なのか入り口には警備員のほか人影は見えない。
「残念だな。今日は帰るか。」
「ちょっと待って、警備の人と話ししてみる。」
劇場の観客、貴族たちの好奇の視線を気にしなくて済んだパリアは生き生きと劇場の階段を駆け上がっていく。
「パーラス!中の練習、見てもいいって。」
しばらく警備員と話をしていたパリアが、飛び上がりそうなほど嬉しそうな大声でパーラスに声をかけて、早速誰もいない劇場の中に入って行く。
パーラスの視線が警備員と目が合うと、昨日ソロを客席に案内をした警備員が深々と頭を下げた。
劇場の中は明かりが消されて薄暗く人影もなかった。
2階の舞台ホールからは、稽古にはげむ劇団員の透き通った声が遠く聞こえる。
「こっから入るのか?」
パーラスは見たこともない豪華な扉に手をかけてパリアの顔を見る。
「そっちからだと舞台の正面になっちゃうから、邪魔にならないように端の入り口から入ろう。」
こいつかなり通い詰てるな。
無言でパーラスはパリアの後について緩やかな階段を下りていく。
遠かった劇団員の声も段々と大きく聞こえて、パリアは高鳴る胸に手を添えて、そっと扉を開ける。
誰もいない客席に、天窓から日の光が差し込んでいる。
舞台からはっきりと聞こえる声にパリアの足が止まる。
「なにしてんだ?早く入れ!」
「だって、恥ずかしいよ。」
小声でせっつくパーラスに、パリアも小声で答える。
その時、練習が一息ついたのか、舞台の台詞が途切れて何人かの笑い声が聞こえてくる。
「今だ!」
パーラスに背中を思いっきり押されたパリアは、おもわず客席の前までよろける。
「どなたですか?練習中は誰も入れないはずですが。」
若い団長の声が誰もいない客席に響き渡る。
「わたくし、パリアと申します。
練習中に失礼かと存知ましたが…。」
パリアのその容姿から想像もできない丁寧な言葉づかいで話し始めたパリアが一番大事なところで言葉に詰まる。
「2羽の鳥が美しい歌声に魅せられて、こうして翼を休めに来ました。」
頬を真っ赤に染めているパリアの後ろから聞こえた歌劇の台詞のようなパーラスの言葉に団長の顔に笑みがこぼれる。
「2羽の鳥は誰の声に引かれたのかしら?」
パーラスの調子に合わせて、舞台から透き通る声が響き渡る。
「もちろん貴方の歌声です。
けれでも、世間を知らぬこの小鳥はソアラ様の声がよいと申します。」
「ソアラ、あんたの王子様が来たってさ!」
後ろを振り返り、笑い声と共に奥にいるソアラを引き出す。
「あら、昨日の花束の…。ありがとう、あの花束は劇団一の女優のユーリアさんが貰った花束より大きかったのよ。」
「数じゃはるかに勝ってるよ!」
パーラスとやりとりした女優が、芝居に使う扇子でソアラの肩を軽くはたく。
「ねぇ、団長。この人たちなんだけど、練習を見学しててもいいかしら?」
少し言葉を濁しながら上目遣いに団長に尋ねてみる。
「ソアラの初めてのファンでしょ、大切にしてあげなさい。
今日の練習は観客つきです、中途半端な練習はできませんよ!」
団長の役者のようなかん高い声がホールに鳴り響く。
パリアとパーラスは、この日一番の特等席で夢の舞台を眺めていた。
「いやぁ、長かったなぁ。」
大きなあくびをして、パーラスは背を伸ばし体を反らせる。
「嘘、ずっと寝てたくせに。」
「え、もしかして、怒ってる?」
身をかがめて聞くパーラスを横目で睨めつけるパリア。
「無理やり頼んで中に入れてもらったのに、イビキかいて寝たぐらいで怒らないよ!」
怒りを押し殺して平静を装う声がさらに怒りを伝える。
「まぁ、パリア君の怒るのもわかるけど、それぐらいでね!」
「あ、ソアラさん、終わりの打ち合わせはもういいのですか?」
急に現われたソアラさんにドキドキしながら、つい話し方も難くなってしまう。
「ええ、無理言って早めに切り上げてもらったの。」
「なぁソアラさん、パリアの奴が俺をいじめるんだ。」
「あれは、パーラスさんが悪い!
寝言が舞台まで聞こえてきたもの。」
ソアラの一言にパリアが腹をかかえて笑う。
「そんなことはどうでもいいだろ。それよりあれ。」
さすがに恥ずかしかったのか、早口で話題を変えたパーラスにせかされて、パリアは手にもっていた一輪の花をソアラに手渡す。
「綺麗な花ね、ありがとう、早速部屋に飾るね。いつものお礼もしたいから家に一緒においでよ。」
「おい!やったな。ソッコウでご招待だぜ?」
「うん!」
パリアはパーラスの言った言葉の意味もよくわからないまま、こぼれそうな笑顔で頷いた。
カーテンごしに暖かな光が差し込んでくる。
ラロード劇場を見下ろせる窓から風が吹き込んで、パリアのプレゼントした花の香りを運んでくる。
「急に押しかけたみたいになって申し訳ない。」
「私が呼んだんだから気にしないで、リラックスしてくれていいのよ。」
部屋の隅でガチガチになっているパリアに気軽に話し掛ける。
「それにね、私のお芝居を好きになってくれる人と話ができるってすごく嬉しいの!」
奥の台所から届くソアラの軽やかな声とトーロウ茶の香り。
「ここからだと劇場ってよく見えるんだね。」
髪をなびかせながらパリアが窓の外に目を移す。
「いい所に住んでるよなぁ、確かに。
ここからだと寝坊しても大丈夫だ。」
「ここはね、ラロード劇場の宿舎で、私たちは部屋を借りてるだけなの。」
テーブルに出したトーロウ茶に少し口をつける。
「そうなんだ、それじゃぁ、ソアラさんの家はどこにあるの。」
「レクエスタ湖の北のアルカ王国にあるのよ。」
すこし傾いた太陽の光がパリアとソアラを包み込む。
「そこから、このクレクリンまでか、長い道のりだな。」
「ええ…、本当に…。」
不意に雲が太陽を覆い隠す。
パーラスの何気ない言葉に、ソアラは唇をかみ締めて広がっていく雲の陰を目で追う。
「でもよ!このクレクリンで貴族にでも惚れられたらよ、玉のコ…」
「やめて!!!」
気まずくなった場を陽気に取り繕うとしたパーラスの言葉をソアラの悲鳴にも似た声が遮る。
「私ね、貴族が嫌いなの。」
わずかに震える声で、小さな声で言ったソアラの一言に、一瞬パリアの目の前が真っ白になる。
「どうして!ねぇ、どうして?」
貴族というものに縛られたソロの胸が締め付けられる。
消えかけたロウソクの炎のようにうつむいて小さくなっているソアラに、ソロは追い討ちをかけるように鋭い声で質問する。
「父が貴族に殺されたの…。」
消えそうな、感情を押し殺した声が周囲に染み渡る。
無言の部屋に外からの陽気に行き交う人々の声がとどく。
「ごめんね、せっかく来てもらったのにこんな話になっちゃって。
外に行こうか?」
音のない部屋に椅子をひく音が響く。
無言のまま、部屋を出るソアラとパリアの肩をパーラスがいきなり抱きかかえる。
「じゃぁよ、俺のおすすめの店にいかないか?」
「おすすめもなにも、フラロアさんのお店しか知らないじゃないか。」
パリアのとっさのツッコミにやっとソアラに微笑が戻る。
「じゃ、パーラスさんのおすすめの店にいきましょ!」




