独奏―始まりの音色―
朝から降り続いた雨もいつしか止んで、石畳の道の所々にある水溜りが、真昼の日差しを反射して眩しく輝いている。
「お姉さん、今日は一番大きな花束ください。」
少年は通い慣れた花屋でおばさんに声をかけると、数枚の金貨を両手でも抱えきれない程大きな花束と交換した。
前が見えないくらいに大きな花束を抱えて、真珠色した髪を揺らして石畳の道を駆けて行く少年の胸は、想いを伝えたい女性への期待と喜びに満ちていた。
芸術と文化の都クレクリンの中心地のあるラロード劇場には、開演前から多くの紳士淑女が集まって、劇場の案内者が丁重に接客にあたっていた。
大きな花束を抱えた少年も、ほかの貴婦人と共にその大きく開かれたラロード劇場の中に入っていく。
日の光の届かないエントランスホールは、貴重な火晶石の輝きで彩られて、壁一面に描かれた女神の姿が鮮やかに照らし出されていた。
「花束をお預かり致しましょうか。」
少年がエントランスホールの真紅の絨毯に足を踏み入れるとすぐに案内者が声をかけてきた。
「今日、出演するソアラさんへお願いします。」
「かしこまりました。
失礼ですが、ご主人様のお名前は?」
案内者は希少な花が数多く束ねられた高価な花束と、この劇場に来るにはまだ幼さの残る顔を見比べて何気なくそう言った。
少年をどこかの貴族の召使いだと思ったからだ。
「それは、僕からの花束です。」
不快感をあらわにした口調と鋭い視線に案内者の背中に冷や汗がにじみ出ていた。
もし、貴族の子供を従者扱いしてしまったのなら、クビどころの騒ぎではない。
「お名前を伺ってよろしいでしょうか?」
わずかに震える声で恐る恐る尋ねてみる。
「ソロ・レイム・ハバード。」
少年が答えたその名前に案内者の息が止まる。
ハバード公爵家と云えば、この大陸最大の都市クレクリンの大宮殿を居城にする大貴族で、ソロ・レイム・ハバードと云えば、まさにそのハバード家の御曹司だ。
目の前を闇が閉ざす、案内者の胸を重い空気が圧迫する。
下手すると、労役刑の覚悟はいるな。
なにしろ、世界一の御曹司を従者扱いしたのだから。
「でも、僕が来たことは、内緒にしてくださいね。」
自失呆然と立ち尽くす案内者に、ソロは明るく声をかけた。
「父様に知られると叱られるから。」
どこにでもある少年の言葉に、案内者の不安は消し飛んで、胸をなでおろした。
本人が来ていないことになれば、さっきの失言も問題になりようがない。
「かしこまりました。」
やっと落ち着きを取り戻した案内者は自分の幸運とソロの配慮に感謝しながら、ソロを二階の舞台ホールへ案内した。
重い木目の入った扉の向こうの舞台ホールは、蒼い絨毯が敷き詰められて、美しい木目の椅子には最高級のクッションが縫い付けられている。
黒く光る黒濁石の壁や柱には、素晴らしい彫刻が施されて、舞台に使う大量の火晶石の熱を逃がすための高い天井の天窓からは、日の光が白い帯となって降り注いでいる。
ソロは、すでに多くの観客が席についているざわめきの中を、一番隅の自分の席へと階段をおりていく。
「ソロ様、お席のほうをご用意させていただきました。」
突然、ソロに声をかけたのは、さっきの案内者だった。
案内者が用意した席は、客席の真ん中にある立役者たちの出入り口と舞台とを繋ぐブライトロードと呼ばれる花道のすぐわきだった。
「今日の舞台は、ソアラさんもこのブライトロードを使いますから、間近で姿を見れますよ。」
最後の案内者の言葉に高鳴る胸の鼓動と共に、ホールは闇に包まれてゆっくりと舞台の幕が上がっていく。




