事件は誰も知らないところで起きていた。
空は西に太陽の紅の残映を残して、徐々に深蒼に染まり始め、遥か彼方には星々が輝き始めていた。
クレクリンに向かうロアール街道には、ただ、一台の貴馬車とそれを護衛する騎士たちの馬の蹄の音が先を急ぐばかりで、あたりにはもう人影もなく、闇に染まった草原の遠方にはクレクリンの街の灯が揺らめいていた。
「もうすぐクレクリンだ!日も暮れた!急ぐぞ!!」
聖都ハーブから、二十を超える昼と夜を旅して疲れの見える一団に先頭を行く騎士が声を揚げる。
オウ!!
その声に貴馬車を護衛する騎士たちが勝鬨の声にも似た喚声を揚げる。
クレクリンへの長旅はあと数時間で終わろうとしていた、
月に照らされた草原を凪ぐ一陣の風に乗って、どこからともなく詩人の吟声が聞こえ始める。
「敵襲!!!」
わずかに詩人の吟声に耳を傾け、心を開放した剣士に緊張が走り、
一団の後方からは、刃を交える乾いた金属音が鳴り響く。
「侯爵様をお守りしろ!!」
剣を抜き踵を返し加勢に向かおうとする男に、女が獣のように素早く切りかかる。
-おんな?
風に乗って香る甘い香りに、ほんの一瞬判断が遅れ、女は豹のように間合いを詰めていく。
「遅いんだよ!!」
風のように素早く雨のように切りかかってくる女の剣撃を、男は致命傷をかわすのが精一杯で、腕、足が血に染まっていく。
「シーディオ!何をしておる!!早く、早く、片付けんか!!」
―簡単に言ってくれる!!
貴馬車の中からの震えたバリア侯爵の声にシーディオが舌打ちする。
ほんの十人ほどの敵、大陸屈指の実力を持つ聖騎士団から選ばれた護衛兵達の敵ではない。
普通ならば…。
獣のような、人わざ離れた素早さで、一団に襲い掛かってくる彼女たちは剣撃を放つとすぐに間合いを離れ、護衛兵達は一人また一人と彼女たちの前に力尽き果てていく。
―気創強化…して…やがる。
月明かりの中、彼女たちは血の海の中で舞うように剣撃を放っていた。
気創術を唱える吟声の中、髪をなびかせて、それは舞台の踊りのように…。
見とれる間も息をつく間もなく、百戦錬磨の強兵たちが次々と血の海に沈んでいく。
「テフ!レーゴッド!!」
シーディオの戦友が力尽きるたびに、シーディオに襲い掛かる刃の数も増えていく。
「これまでか…」
夜空に吟声が響く中、シーディオもまた声もなく血の海の中に沈んでいった。
「さて、残ったのはバリオ侯爵、あんただけだね。」
貴馬車から引きずり出されたバリオ侯爵の喉元に、鮮血が滴り落ちる剣の切っ先を突きつけて、女の一人が冷たく言った。
すでにバリオの護衛兵達は皆力尽き、血の海になった大地に無残に転がっていた。
「こんなことをしても、もうあの事は決まった事。何の意味もないぞ!!」
「いや、止めてみせるさ、どんな手を使ってでもね。
例え、貴族全員を皆殺しにしてでも…。」
「民草どもが図に乗りおって!!儂を殺そうと、何をしようと貴様らなんぞが望むような世界など来るものか!!」
声は震えていた、強く握り締めた拳も震えていた。
それでもバリオは貴族たる威厳を失うことなく声高く叫んだ。
「手にしてみせるさ、あんた達貴族のいない世界を。
たとえ、この剣が血に染まっても。」
シーディオが気を取り戻した時には、すでに彼女たちの姿はなかった。
シーディオは、立ち上がることもできずに、無数の骸が横たわる中を這っていた。
無事にクレクリンに着けば、浴びるほどにラスベースを飲むと言っていたテフ。
子供がお土産を楽しみにしていると言っていたレーゴッド。
初めての任務に緊張しながらも恋人への土産話にするといっていたディーフ。
もう、息もすることのなくなった戦友の中を、涙を流しながらシーディオはバリオ侯爵の乗っていた貴馬車へ這っていった。
―せめて、侯爵だけでも無事にいてくれ!
祈るような気持ちで、ようやく貴馬車にたどり着いたシーディオの目に、喉に剣を貫かれたバリオの惨たらしい屍骸が映った。
ウォオオオオオーーー!!!
地面に爪を立て、シーディオはしぼりだすような唸り声をあげた。




