無情ノ剣 (2)
耳がおかしくなりそうなほどの男の絶叫が辺りに響き渡る中、東真はふたつのことで我が目を疑っていた。
まずは切断された耳。
状況からして、斬人と名乗る少女の仕業と考えて間違いは無いだろうが、その場面を、ふたりの相対していたその場面を目の当たりにしながら、少女の抜刀する瞬間も、斬りつける瞬間も、刀を収める瞬間も、どれひとつとして目に捉えられなかった。
唯一、男の絶叫が上がる一瞬前、少女の手にある刀が大きな鍔鳴りをさせたことぐらい。
それ以外には少女の動きはひとつとして確認できなかった。
また、もうひとつ。
確かにこの男は士道に外れ、許されざる行為に走った。
それはよく分かる。
しかしそれの代償がここまで過酷なものである必要があるのだろうか?
刃引きされた刀で瞬時に相手の両耳を切断する手並みは驚嘆に値するが、それよりもこの厳しすぎる処罰が疑問を抱かせる。
「坊主頭にはちょうどいいだろう。耳無し芳一の一丁上がりでござい、だ」
鼻で笑いながらそう言い捨てる斬人に、途端、憤然とした東真が怒鳴る。
「おい、お前!」
男の叫び声も止まぬ中、飛んできた怒声に斬人が振り返る。
表情は目からしか判断できないが、変わらず、ぞっとするほど鋭い眼光。
それが東真を見据える。
「どうした怪我人。傷でも痛むのか?」
「私の浅手などどうでもいい。それより、そいつの怪我のほうがよほど重症だろうが!」
「ああ、これか。対して変わらんだろ。今日日、たかが耳のひとつやふたつ、無くしたところで簡単に治せる。お前さんが浅手というなら、こいつも十分浅手だ」
「屁理屈を聞いてるんじゃない。私が言ってるのはいくらなんでも耳を落とすまでしなくても良かったろうと言ってるんだ!」
そこまで言った瞬間、
平生でも見られただけでひるみそうな目をした少女が、ふと目を細め、すごい睨みを東真に向けた。
さしものこれには怒りに我を忘れかけていた東真も、背筋にぞくりとするものを感じ、急に押し黙ってしまった。
と、代わりに少女が続ける。
「この悪たれ坊主は罪を犯した。私はそれを罰した。単純な話だ。それのどこが理解できない?」
予想外に質問が来た。
考えてもいなかったせいと、先ほどの凄まじい睨みに臆してしまったせいで、頭の中が真っ白になっていた東真は、しばらく口をぱくつかせていたが、ようやくに一言、
「……しかし、何もそこまで……」
「お前さんの言いたいことは分かる。だがね、この世の中にゃ二通りの人間しかいない。想像力のある人間と、無い人間だ。そして想像力の無い人間は実際に痛みを感じなければ人の痛みを理解出来ん。そうした手合いにゃどうしたって必要になるんだ。こうした行為がね」
「……」
「むやみに暴力を使うことはよろしくない。それは正しい。しかし同じく、むやみに情をかけすぎるのもまたよろしくない。何が結局は人のためになるのか。そういうものは簡単にゃ答えの出せないもんだ。だから私のような人間がいる」
「……必要悪だとでも、言いたいのか?」
「自分ではそのつもりでやってる。どうやらお前さんは気に入らんみたいだがな」
ふっ、と鼻で笑う音が漏れる。
耳に付く、嫌な笑いだった。
だが、言われた内容は悔しいが理解出来る。
正道や綺麗事だけで世の中が動けばそれこそ苦労は無い。
実際には清濁併せ呑む必要があるのが現実だ。
夢見るお姫様でもあるまいし、そこまで現実を飾り立てて認識してはいないが、それでも真実を目の前に突き付けられると迷いが生じる。
果たしてこれしか方法は無かったのか。
他に何か別の手段があったのではないか。
甘い考えが次々に沸く。
簡単に言ってしまえば、自分はまだまだ大人になれていないということなのだろう。
納得出来ない。しかし納得するしかない現実を目の前に置かれ、東真はただ苦虫を噛み潰したような顔で斬人を見つめるしかなかった。
「元場の連中はこれで全員、病院送りだな。この坊主頭以外も、ほぼ間違い無く骨の二、三本は折れてる。さて、骨は折っても正しくて、耳は切り落としたら間違いだとはこれいかにってな」
「……」
「たかがつまらん冗談ひとつで怖い顔をするな。別にお前さんを責めてるわけじゃない。意見の相違は人がふたり以上いれば必ず起こるってことを言いたかっただけだ」
無意識に少女を睨みつけていた東真が言われて気づく。
はっとして目を逸らした。
今は自分の意思で感情をコントロールできそうもない。
ひどい八つ当たりをする前にどうか斬人と名乗る少女には去って欲しい。
そんなことを目を伏せ、願う。
すると、
「お前さんもとりあえず病院行きだ。手配はこっちでしておく。そのまま大人しくここで待ってるといい」
言い終えると、少女はすっと背中を向け、校舎へと引き上げてゆく。
浅薄な願いが天に通じたのか。
それとも単なる偶然か。
理由自体はどうでもいい。
少なくとも、
もう目の前から斬人が去った。
それ以上に今の東真が望むことは何ひとつ無い。
少なくとも今は。
重要なことはそれだけだった。




