第三話:赤い目の子供
泣き声が聞こえて目を醒ました。明け方前の森は、ひどく静かで冷たい。
「なんでないてるの?」
木の陰で涙を流す精霊に、ラズリは不思議そうに尋ねた。精霊は、優しくラズリを引き寄せ、幼く小さい体を抱きしめる。
「ラズリ。…勇者を許さないでラズリ。…彼はあなたの母を、カミリアを殺してしまった…。」
とめどなく涙を流す精霊は、ラズリの赤い瞳を切なく見つめる。
赤い瞳が表すモノは、充分過ぎるほどわかっていた。
「あの男が憎いわ…。ラズリ…。ラズリ。何故、こんな事に…。」
ラズリは、精霊に手を伸ばす。温かい涙が手を伝った。
(…なかないで。…なかないで、お願い)
心の中でつぶやいた。
「あの男…。勇者、アドニスが…。憎い…。」
(なかないで…)
「…なんだ、…気絶してたのか。」
部屋を出てから数歩で気絶とは情けない。思わず苦笑して壁に手をかける。力を入れた途端に、全身に痛みが走った。
「そろそろ…限界だな。あの精霊は…まだあの森にいるのかな?」
幼いときから自分を育ててくれた精霊。自分が精霊と人の子だと教えてくれたのも、確かあの精霊だった。彼女は、夜になるとよくラズリの母を思って泣き、自分は時たま起きて側にいた。普段は優しそうに微笑む風の精霊が、涙を流し、押し殺した声で「憎い」という言葉を繰り返すのは、子供ながらに悲しかった。
「勇者さえいなければ…。」
何度も思った言葉を、あえて口にだす。この国の誰しもが思っていて、けれど望みが捨てきれず誰も言わない言葉。
「何をしている!」
鎧の音と、足音が駆けて来た。驚いたような瞳がこちらを見つめるのがわかった。
「まだ動けるが訳無いだろう!何故部屋を出た。死ぬつもりか!」
「どうせ死ぬ。肉体を持つ精霊は…、外では…長く生きられない。」
ルースの深い青色の瞳が、何故か困惑の色を浮かべた。
「精霊と人の間の子は…、赤い瞳になる。」
「だから、自分はもう死ぬと?」
ルースの問いに、ラズリは「わかるんだ」と、小さく答えた。泣きそうな顔だとルースは思った。よろけるラズリを手で支える。
「震えて…いる。」
「精霊が警告してるのだ。あいつはまだ王宮から出てないらしい。」
「…あいつ?」
「勇者アドニスだ。」
その言葉に、考えるより先に体が動いた。ルースの鎧を掴み怒鳴り付ける。
「何処だ!」
「それを知ってどうする。」
「…殺す!…あいつは、俺の母親を殺した。」
「そんなぼろぼろの体でか?足止めにもならないぞ。」
相手の正しい答えに、ラズリは唇を噛んだ。自分が勇者を殺せる可能性等、少しもありはしないのだ。ましてや、この体では尚更だろう。
「これを使え。」
差し出された短剣。それは王に使える将軍が持つには質素過ぎる、どこにでもある普通の短剣だった。受け取ると、その鉄の重みが伝わる。
「この廊下を真っ直ぐ進め。その先にある広い廊下を通らなければ、王宮からは出られない。そこで待てばいい。」
「何故…ここまでするんだ。俺を…助けたのが知れれば…、殺されるぞ。」
ルースは、笑う。懐かしそうに、今にも壊れそうに…。
「私にも、願いはあるんだ。行け。」
背中を向けて歩いて行くルースを見送り、ラズリは壁で体を支えながら歩き出した。川で助けてくれた精霊が、ただ心配そうに付いて来ている。次第に体の痛みが麻痺していき、床を歩く感覚があやふやになって来た。時たま離れそうになる意識は確かに前を見ているのに、体がそれに付いて行こうとしない。
(っくそ!後もう少しなのに!)
膝が、ラズリの意思とは関係なく折れた。目が霞み、息が切れ切れになる。汗が額から滑り落ち、付いた膝の前に落ちた。体を支える手が震える。
「おっ!どうしたガキ。迷子か?」
「アドニス様、寄り道は止めてください。」
上から降って来た言葉に驚き、顔を上げそうになり思い止まった。今、目の前にいるのがあの勇者。
「でも、このガキ今にも倒れそうだからさぁ。なぁ、大丈…」
握り締めた短剣が、屈んだ勇者の胸から生えたように刺さる。鎧がまるで紙で出来ているかのように、短剣はいとも簡単に刺さった。刃から血が伝わり、床に落ちて撥ねる。
「お前が、母様を殺した…!」
顔を上げた先に、勇者の大きく見開かれた黒い目があった。相手は何か言おうと口を開きかけ、歯を食いしばり方足を付いた。
「アドニス様!!」
「落ち着け、こんな傷すぐに直る。」
勇者の言った通に、短剣を引き抜かれた傷口はシュウシュウと音と煙をだし治りかけていた。しかし、それでも痛みはどうにもならないらしく、勇者は傷を押さえて顔を歪める。
「カミリアに、似ているな。名は?」
「…ラズリ。」
「そうか。」
勇者は手を伸ばした。殺されると思ったラズリは、きつく目を瞑る。しかし、その手は肩に置かれただけだった。身体の痛みが何故か和らいでゆく。そして。
肩に置かれた手が、床に落ちる音が聞こえ、目を開けた。
「アドニス様!!!」
自分の隣に倒れている勇者を、ラズリは呆然として見下ろした。倒れるはずが無い、傷などすでに治りきっていた。しかも、何故殺そうとしたラズリを助ける。
ラズリは、蒼白となったカーラインから後ずさった。もう、何が起こったのか全くわからなかった。
「この短剣!これは誰から渡された。」
静かな紅の怒気を孕んだカーラインが、言い放つ。しかし、ラズリは答えることに躊躇う、言ってはいけない気がした。
「どうせ…王からの贈り物だろう。気にするな…カーライン…」
「何をのんき…」
カーラインは、そこで言葉を止めた。相手が気を失ったのだ。もう、時間が無い事を自覚し、堅く手を握り怒りのままに壁を殴り付けた。
「この短剣には、咒が込められている。それも、一人や二人の者では無い。あの、腐り切った王が作らせたのだろう。」
ただ、黙って立ち尽くしていたラズリに向かって、カーラインは言った。そして暫く間を置いて、またはっきりとした声で話す。
「―アドニス様は誰一人殺していない。200年前の王ですら!」
「うっ嘘だ。王の首は国民の前に晒されたんだろ。」
「確かにそれは事実だ。アドニス様が王を討とうとした事も…。だか、王を殺したのはカミリアだ。人を殺すという禁忌を侵したカミリアは、それで結局死ぬことになった。お前は、間違えている!ラズリ。君がアドニス様の子でなかったら、私はお前を殺しているだろう。さっさと何処かへ行ってくれ!」
突然に力が抜け、ラズリは壁に手を付いた。わかっていたのかもしれない、声を聞いたとき、顔を見たとき自分は明らかに違和感を感じた。しかしそれは、自分の復讐には些細な事だったのだ。自分の愚かさが頬を伝って流れ落ちた。そして、その途端に走り出す。先程の短剣を拾い上げ、多少痛みの引いた足を叱咤して…。
国の痛みを一身に受けたような真紅の絨毯の上。そこを駆けた。勇者狩りのせいで、何処か閑散とした王宮は見張りが少ない。しかも、臆病な王は直属の三将軍しか近づけようとしなかった。途中でルースとすれ違う。しかし、相手は自分がまるでいないのかと思うくらい平然として通り過ぎた。
そして広い廊下の突き当たり、一際目立つ扉をゆっくり開け、椅子に座る王に遠慮無く近付いた。
「何者だ!ルー…。」
王が名前を呼ぶと同時に、ラズリは短剣を横に振り切る。自分が酷く落ち着いているのに驚いた。王は、庇った腕から血が流れるのを見て、「ギャアアアア!!」という不細工な悲鳴を上げる。
「そっその短剣は!!」
震える青白い手で短剣を指差した王は、またもや不細工な悲鳴を上げて、縺れる足で逃げていく。王の手が、段々と気味の悪い紫色へ変わっていくのが見えた。それは、あっという間に広がっていき、王は部屋の中で転げ回る。
(勇者がああならなかったのは、それだけの力があったからか。)
妙に納得したように、呟く。そして、見下した目で、何やら透き通る青色の丸い石に向かって懇願する王を見る。紫色に変わっていく体は、何やら気味悪くうごめき、関節があらぬ方に曲がっている。そして、石を持つ手はぶくぶくに膨らみ、目は飛び出そうなぐらいに見開かれ、涙を流していた。
「動いてくれ…。助けて…嫌だぁ!嫌だぁ!…死にたくないんだぁ!。助けてくれ…。」
「それで助かるんだな。」
ラズリは、問答無用でぶくぶくに膨らんだ手から石を奪い取った。王は、声にならない声を上げ、体は一気に膨らみそのまま床に潰れた。何処から現れたのかわからないようなどす黒い液体が、王の膨らんだ体から染み出し、湯気を上げる。
鼻につく悪臭が部屋の中に充満し、ラズリは顔を背け走り出す。あちらがこうなるのも、時間の問題だろう。広い部屋を走り抜ける。しかし今更、体の痛みを思い出した。足が震え、握る手から汗が絶えず出る。それでも、前に比べれば随分と楽なのだ。重い扉を開け、再び駆け出す。
「えっ。」
背中から冷たい感触が貫けていき、熱く燃えるような激痛に叫び声を上げる。ラズリの腹辺りから、金とも銀とも言えるような、美しい装飾の刃が生えていた。それが引き抜かれ、床に顔から倒れ込む。
「王を倒したようだな。これでお前が勇者だ。嬉しいか?私は嬉しいよ。これが私の長年の願いだからな。」
「ルース…。俺は…この傷で死ぬだろう。だから、このまま…行かしてくれ。」
ルースは、うっとり微笑みながら頷いた。ラズリは、よろけながら立ち上がり。傷を押さえ、引きずるように廊下を進む。
「これで終わった。私の復讐は…。弟を殺した王と勇者に、私は復讐をした。」
何者もいない廊下で、ルースは微笑みながらそういった。昔を思い出しながら…。
役人だった父、彼は私の前でまだ3歳になったばかりの弟を切った。抱き起こしたときの弟の血を見ながら、王と勇者に呪いの言葉を吐く自分を誰が止められただろうか?ルースの幸せそうな笑い声が広い廊下にこだました。
そして、そのルースによって付けられた傷で、ラズリはもう動けなかった。自分の温かい血の池の中で、自分の命が抜けていくのがわかる。
(なぁ、頼む。これをさっきの奴らに届けてくれ。わかるよな。)
必死に頷く精霊に向けてラズリは、「ありかとう」とだけ言って笑った。
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