Opening Game
忙しい一日が目覚まし時計のベルから始まった。ピピッと煩く鳴り響くそれに、右ストレートをかまして止める。俺の朝は、いつもそんなものだ。
「今日も気持良く入った……何か良い日になりそうだな♪」
身支度を数十分で済ませると、朝食にありついた。アパートで一人暮らしをしている俺は、彼女いない歴二十四年。自分の年になる悲しさは二の次で、今は生活に必死こいている新米教師だ。
「お、焼けた」
トースターに入れたパンが二枚とも焼けたらしい。出てきたトーストを皿に置き、フライパンで焼いていた卵をその上へと乗せる。冷蔵庫から数種類の野菜を取り出して刻み、小皿に盛ればミニサラダの出来上がりだ。
「いただきます」
きちんと手を合わせて、パンを一口齧る。若干甘い珈琲を飲み、時計に目を向けた。
――7時25分。
そこから三十分近くかかって学校へと向かうのだ。HRは八時三十分から。余裕で間に合う時間である。
「ごちそうさまでした」
我ながら小さい頃のくせではあるが、最近は故意的にしている礼儀。憧れの教師となった喜びからか、苦労は感じても苦痛とは思わない。
「いってきまーす」
子どもの頃は恥ずかしさから、あまり好きではなかったが、今は一教師。例え、新米でも生活の一つ一つには気をつけないと。
家の戸締りを確認し、車へと乗った。車で三十分程の道のりは近いとは言いがたいけれど、結構真っ直ぐな道のりをしている。校門を通り、指定された場所に車を止めた。
まだ学生が来るには早い時刻だが、校門からは数人の学生が登校してきている。ここに配属されてから数日。まだまだ新米な俺は、色々と忙しい日々に追われているが、それなりに充実した教師生活を送っている。
「おはようございます、森本先生」
「おはようございます、東藤先生」
自分の座席へと座ると、隣席の同僚が挨拶をしてくれた。それに笑顔で返し、今日の用意を机の上へと取り出す。
隣の同僚は、俺とともに同じクラスへと割り当てられた人物だった。しかし、共に新米のはずだが、物静かな性格と端整な顔立ちのせいか。同じ新米とは思えないほど器量がよく、助けられてばかりいる。同い年であり、同じく新米教師。しかし、俺とは正反対な存在だった。
「ん?」
そんな隣人の席にある黒い物体が視界に映った。目を向けてみると、それはいつも東藤が持ってきている黒い鞄だった。普通のサイズより大きく、がっしりとした素材の鞄は、教師の姿とは少し場違いな物のように思えた。サラリーマンなら、特に気にするような鞄ではないのだろうが。
「そういえば、東藤先生。いつも持ってきているその鞄、何が入っているんですか?」
ちょっとした疑問だった。ほんの少し、胸の奥で疼いた好奇心。
「これですか? これは……」
「これは?」
思わせぶりな口調に、思わず身を乗り出して東藤を見る。
「秘密です、森本先生」
しかし、そう簡単に教えてくれるはずもなく、この副担任はニッコリと笑ってばっさりと切り捨てた。それ以上の追求をさせないほど、すっぱりと。
けれど、往生際悪く追求しようと口を開く俺に、東藤はスッと時計を指した。
「あ、早く行かないとHRが始まりますよ」
そう言われ、反射的に時計へと目を向けてしまった。話を逸らされてしまったが、彼が言ったことは本当だった。時計はHR開始五分前を差している。その時刻に慌て、俺は机上にばら撒いた資料をまとめて教員室を出て行った。その後ろを、なおもにこやかな表情で東藤も付いてくる。
幸いなことに、教室は教員室からさほど遠くなく、同じ階にあった。鐘が鳴り響く中、教室へと慌てて入れば、生徒たちから爆笑された。歳が近いせいか、教師という感覚を時折忘れてしまいそうになる。けれど、俺の後ろから現れた東藤を見るなり、生徒の声は静まり返った。これほどまでにある貫禄の差は何なのだろうか。
「さ、森本先生。ホームルームを始めましょう」
爽やかに微笑んで言う東藤の言葉を聞いて、ハッと我に返った。そうして、わざとらしい咳払いをしてから最初のお役目であるHRを始めた。それからはあっという間に時は過ぎていった。目くるめくように時間は過ぎ、気付けば放課後となっている場合が多い。けれど、新米教師としては中々順調に日々を送っていると思う。もちろん、忙しさは半端無いけれど。それでも、憧れていた教師へとなった今、泣き言なんて言ってられない。
「……あと、これとこの資料を準備して……この書類を書けば、今日は帰れるな」
ぶつぶつと言葉を吐きながら、机上に紙の山が出来ていく。その量の多さにため息をつきたくなる。
「あと少しです。頑張りましょう、森本先生」
隣にいる副担任に励まされてしまった。その姿を見ると、自分の力のなさを嘆きたくなる。しかし、そればかりに気を逸らしている暇はない。
両頬を叩いて気合を入れなおし、俺は作業へと取り掛かった。けれど、時は残酷にも過ぎていき、フッと集中が切れた。チラッと時計を見ると午後十時を差している。
「げっ……もうそんな時間かよ! すみません、東藤先生……て、あれ?」
隣で作業していると思っていた副担任へと目を向けると、そこには誰もいなかった。彼の席を見回して見ると荷物はまだある、ということは帰ってしまったわけでもなさそうだ。
「東藤先生?」
室内を見回すが、誰一人いない。他の教員たちはすでに帰路へとついたのだろう。窓から見える外は暗く、誰もいない教員室。たった一人ということから、気味悪さが体を突き抜ける。ブルッと震える体を片手で抱きしめながら、俺は彼を捜そうを席を立った。
「?」
けれど、ふと隣にある彼の大きな鞄が俺の足を止めた。彼がいつも持ってくる大きな黒い鞄。今朝にも何が入っているのか聞いてみたが、結局何も教えてくれなかった。
それほどまでに大切な物が入ってくるのだろうか。
好奇心がウズウズと心の奥底から溢れてくる。理性では制止する声が聞えているのだが、好奇心のほうが勝ってしまったようだ。
「す、少しだけなら――……」
恐る恐る手をやって鞄を開けた。けれど、そこに入っているのは大切な物などではなく、まして必需品とはかけ離れた代物だった。
「え?」
そこにあるのはほぼ黒一色に埋め尽くされた様々な銃の数々。小さなものから中くらいの大きさのものが丁寧にも、それぞれの型に当てはまった場所に点在している。それは、まるでどこかの洋画のような光景。教職であるはずの彼が、手にする事などありはしないはずの物。
「……」
言葉が出なかった。嘘だと思いたかった。けれど、一つだけ持ち上げてみれば、その重さが現実であることを突きつけてくる。
「ほ、んもの?」
ようやく搾り出せ声。その声は震え、喉がごくりと鳴る。取り上げた一つを握りしめると、俺は東藤を捜しに教員室から走り出した。
「東藤!」
人影を見つけ、俺は彼の名を叫んだ。東藤はゆっくりと振り向き、俺を見つめてくる。その瞳はどこか冷たさを感じさせた。
「おや、どうしました? 森本先生」
爽やかに微笑むその表情が、今では偽りの仮面のように見えた。けれど、そんなことに怯えるわけにもいかず、俺は東藤へと詰め寄り持ってきた物を突きつける。
「これは何だよ? こんなもの、俺たち教師には必要はないだろ」
「……」
「何なんだよ、あんた。何で……何で拳銃なんて持ってるんだよ!?」
そう、俺が東藤の鞄から見つけた、本来なら一般でも持つようなことのない物。
拳銃。
どんな型とか、どんな種類かなんて知るわけない。けれど、持った感触や重さは、レプリカと思うにはあまりにも現実味がなく、むしろ本物だと言われれば納得してしまえるほど。
だからこそ、これを突きつければ多少の動揺が出るはずだと思っていた。けれど、東藤は呆れたような表情をするだけで、特に動揺している風には見えなかった。
「アンタ、俺の鞄を勝手に開けたのか」
「そ、それは……」
「ま、いいけどな。別に、アンタ一人に見られて困るような物でもないし」
「なっ!」
東藤の台詞に、頭に血が昇ってくる。日本という国で、まさか本物の拳銃を見るとは思わなかった。平和な国、それが日本。もちろん、警察などが持つことはあるが、市民であるはずの俺たちが持てる物ではない。
「警察、て柄でもなさそうだしな。あんた、一体何者なんだよ?」
「……何者、か。俺は依頼を受けてここの生徒を殺しに来た。そのために教師になりすましているだけの、単なる暗殺者、だよ」
「は?」
あっさりと俺の問いに答えたことと、彼の口から出た言葉に、俺は間抜けな声が出た。こうもあっさり答えられると、本当のことを言っているのか判断できない。そもそも、暗殺者など聞いたことがない。そんなものが存在するのはどこかの外国だけだと思っていた。けれど、目の前にいる東藤は余裕の笑みをこぼし、俺の反応を楽しんでいるような顔をしている。嘘でも警察だと言ったほうがまだマシだ。
「な、何だよ、暗殺者って……そんなもの……」
「この日本にいるはずがない。いや、居るんだよ。現に今、アンタの前にいるだろ」
「だ、だったら余計に! なんでそう簡単に自分の正体をバラすんだよ!? おかしいだろ!?」
「おかしい、ね。問われたから答えただけ。それ以上に何かあるのか?」
「いや、だって……」
あまりにも平然とする東藤の態度に、俺は困惑するしかなかった。答えた全てを受け入れるなら、東藤はある生徒を殺す依頼を受けて教師の振りをしてまで来た暗殺者。けれど、それをあっさりと答えるのはどう考えても不自然だった。
「理由が欲しいのか? 何でこうもあっさりと答えるのか、の」
「……」
「何の支障もないからだよ、アンタに喋ったところで」
「な、に?」
「そうだろ? アンタは一教師。日本という国は防衛手段でも市民は銃器を持つことが許されていない、そんな平和ボケした国だ。おまけに、アンタがさっきの反応をしたように、この国に暗殺者の類が存在することなど真に受けない。警察だってそれは一緒だ。何かが起きなければ警察は動かない。そして、アンタに俺の正体を喋ったところで、俺の仕事を邪魔は出来ない。ここで何も見なかった、知らなかったことにすればアンタは今の日常を生きていける」
「そ、そんなことできるか! あんた、さっき生徒を殺すって言っただろ! そんなこと言われて、ほっとけるか!」
「じゃあ、どうする? ろくに拳銃の扱い方も知らないド素人に、何が出来る?」
「……それは……」
「あぁ、邪魔をするってのも有りか」
「は?」
言い淀んだ俺に、東藤は何か思いついたように言葉を吐いた。その台詞に、不吉な予感がしてくる。
「事が簡単に進むのは退屈なんだ。それに、相手はガキ一人。森本先生、アンタ、俺を邪魔してみろよ」
「はぁぁぁ!?」
さらっと言われた台詞に、驚くなという方が無理だ。何せ、さっきまで俺には邪魔など出来ない、などといってきた奴が、あっさりと掌返したように自分を邪魔しろ、と言う。邪魔をしてやるつもりはあったが、それでも一般人の俺が出来ることなどあるはずもない。それなのに、東藤はさらっと言ってのけたのだ。
「邪魔って……」
「その持ってる拳銃を貸してやるよ。ちょうど手にも合ってるみたいだしな。なに、ルールは簡単。俺は生徒を狙う、アンタは俺を止める――……それだけだ」
「だから! 拳銃貸されても、扱い方なんて分かるはずもないだろ!」
「ま、それはそうだな。じゃあ、まず引き金を引いてみろ」
「は?」
「ほら、そこのだよ」
反論している最中に言われ、俺は引き金と言われた部分を探す。東藤にその部分を教えられ、引き金を引くとカチャッと音がした。
「いいか、打つときは必ずそこを引け。それから腕を伸ばし、的を正確に見る。一瞬足りとも目を離さず、ここを押せば発砲出来る。やってみろ」
「え、ちょっと……」
「打て!」
「うわっ!」
声に驚き、俺は現状を理解できずに銃を打ってしまった。アニメや映画であるような発砲音が響き、弾が壁を貫く。
「……ふん、筋は良さそうだな。ま、あとはゲーム中に感覚を掴むだろ」
「な……な……」
初めて拳銃を撃った感触が、未だに両手を震わせる。そのためか、上手く声が出なかった。
「ピストルなんだから、そこまで驚くことじゃないだろ。衝撃だってそれほど強くはない。普段持ってれば、手に馴染んでくるから少しでもいい。一日欠かさず持ってろ。あと、ちゃんとここにも持って来いよ。俺は、いつでもガキを狙ってんだからさ」
そう言って冷徹な笑みを見せた東藤はカツカツと歩いていってしまった。暫く放心していた俺だったが、ハッと我に返ったあと、俺は逃げるように学校を去った。
こうして、人生最悪のゲームが始まってしまった。