スエロの理不尽と猜疑
当作品のコンセプトはアンチ・チート転生です。
作者の批判的なイメージがかなりストレートに落とし込まれてます。鬱展開も待っているので、苦手な方はご注意ください。
──ふざけている。
涙を流し、しっかりと抱き合っている母娘の姿を前にして、俺は心の中で唾棄した。
母親の方が幼い娘を片腕に抱いたまま、体をこちらに向き直した。
「ありがとうございます……娘を生き返らせてくれて……ありがとうございます、タロウ様!」
母親は深々と頭を下げ、娘もそれを真似た。
二人の前に立つ、無精髭の生えた若い男──タロウはいかにも得意げに胸を張り、
「いえいえそれほどでも。人を生き返らすくらいお茶の子っすから」
当然のように言い放った。
途端、俺の両脇をすり抜けて、二人の女がタロウに駆け寄り「さすが!」「すてき!」と口々に言いながら寄り添った。
俺の実の妹と、一度は将来を誓ったはずの女をはべらせて、タロウはへらりと締まりのない笑顔を浮かべる。
そんなタロウの姿に、なぜか群衆たちが拍手喝采を送る。
──ふざけている。
俺は再度、静かに唾棄して、拳をぎりぎりと握りしめた。
ノソトロス──それが俺たちが暮らす「世界」の名前。
魔術が発達し、それを会得したものは魔術師として尊ばれる世界。
一方で魔物が横行し、人々の生活を脅かす世界。
田舎町で拾われ、「スエロ」という名を与えられ、一人前の魔法剣士に育てられた俺が生きる世界。
優しくて、残酷で、美しくて、醜くくて、それゆえに愛しい、俺が何よりも守りたい世界。
しかし、俺の生まれ故郷は突如として魔物に滅ぼされた。
大昔に封印された魔王が蘇り、魔物たちを束ねて、ノソトロスの侵略を始めたのだ。
俺の生まれ故郷は見せしめとして、抗う間もなく犠牲となった。
復讐を誓った俺は、育て親が遺した剣を手に旅へ出る。
仲間に出会い、助け合い、猛威を振るう魔王への対抗勢力として着々と力を付けていった。
そうして巡り合った一人の女・ヨヴェンと最初は衝突したが、徐々に絆が生まれ、気付いた時には惚れていた。
命がけで守った。復讐なんかよりも、こいつのために死にたいと思った。
やがてヨヴェンも俺の気持ちを受け入れ、この戦いが終わったとき、一緒になろうと誓ってくれた。
さらには、形見だった剣を手掛かりにして、生き別れた実の妹・ルマナにも会えた。
喪ったと思っていた家族──
守りたいものが増えて、最初はなりふり構わなかった俺も、「世界を守ること」を意識するようになっていった。
その心に仲間達も同調し、共に前線に並んでくれた。
だが強力な魔王の手下に、その仲間達もあえなく散っていき、俺の心は何度も折れそうになった。
それでも、残る仲間達や、ヨヴェンやルマナの励ましと支えを得て、俺は立ち上がる。
いつしか、俺が魔王討伐勢力の筆頭となっていた。
俺の肩にノソトロスの未来が賭けられている。俺の大事な奴らの命運が託されている。
恐ろしい重みだった。
だけど、立ち止まって投げ出せば、死んだ同胞達に顔向けできない。怖気づいて引き返すことなど許されない。
俺は進み続けた。どんどん強くなっていく魔物たちを討ち払い、か弱い国々の民を救い──
そんな矢先に、あの男・タロウが現れたのだ。
タロウは見たこともないような作りの衣服を着て、森の中に唐突に降り立った。
すぐさま示し合わせたように襲い掛かってきた巨大な魔物を、まるで赤子の手でもひねるかのように容易く倒してしまった。
見たこともない魔術と体術を使い、見たこともない武器を振るい、見たこともない鎧を呼び出して変身し、いっそ魔物の方が気の毒にすら思えてくるほどの猛攻で、圧倒的優位に立ち、魔物を消し飛ばした。
俺は唖然とした。
生まれ故郷を滅ぼされてから十数年、俺が死に物狂いで鍛え上げてきた以上の力を、この男は簡単に使いこなしてみせたのだ。
どう見ても風体は貧弱、話してみても思考パターンはまるで庶民で、振るわれる絶対的な力量とのギャップが困惑に拍車をかけた。
それどころか、切迫した俺たちの戦場を「ああそうなんだ」と軽く捉え、演劇を見届ける観衆のごとく面白がって揶揄するような節すら見えた。
まるで、戦いの中で生き抜いた俺と違い、平凡な心身に誰かから超絶的な能力だけを与えられて、このノソトロスに放り込まれてしまったかのような──
しかし、タロウの力は、接戦を強いられている魔王討伐においては喉から手が出るほど欲しい戦力だった。
俺はすぐさまタロウを仲間に勧誘し、タロウはどういうわけかこちらが説明する前に状況を知っていたようで、二つ返事で「いいよ」と了承してくれた。
──このノソトロスという世界が「おかしくなり始めた」のは、それからだ。
今までの苦戦と多くの犠牲の数々の重みが嘘のように、俺たちはトントン拍子に魔王を追い詰め、あっという間に倒してしまった。
タロウのおかげだ。タロウは「救世主」と呼ばれ、讃えられた。
俺は守りたいものを守り抜けた。
だがその結果に、心のどこかで首をひねっている自分がいた。
すると、ずっと俺に寄り添ってくれていたヨヴェンが離れ、タロウと親しくするようになった。
ルマナは当たり前のようにタロウにくっついて歩いている。
魔王が倒される前から二人ともタロウとよく話していたが、その奇妙な親しさが一気に顕著になった。
やがて、魔物に荒らされたノソトロスの復興のために新体制を整え、指導者が必要だという声が人々の間から上がり始める。
その候補の名前を挙げる時、仲間達全員の意見は一致していた。
──こうして、救世主・タロウがノソトロスの中心となった。
十数年という月日を費やして魔王の膝元まで攻め込もうと必死に戦った俺は、タロウの補佐の一角に放り出された。
無論、不満はあった。救世主・タロウの功績が大きいとはいえ、仲間の誰一人として俺の今までの苦労を毛ほども評価してくれなかったことに。
実際、タロウはノソトロスについて外観は知っていたが深い内部事情についてはてんで無知だった。
そのくせ「どこでそんな知識を」と思えるような、魔王一派の裏事情だけは言い当てたりして俺たちを驚かせた。しかし魔王一派が滅んだ今となっては無意味。
タロウは力はあるが、客観的に見て「指導者の器」としてはてんで不向きだった。
だが俺も何故か、当たり前のようにタロウが指導者となることを受け入れていた。
あたかもそれが「最初から決まっていた粗筋」であるかのように。
頭では反論の言葉と根拠がいくつもいくつも浮かんでいるのに、表面上の言動がそれを発信することを激しく拒否して押しとどめる。
そして、ろくに指揮もとらず観光客のようにはしゃいでふらつくタロウを指導者においたノソトロスがどうなったかというと、気味が悪いほど順調に復興していき、ものの一年で、あるべき平和な姿を取り戻した。
当たり前のように、新たな指導者としての救世主・タロウは民から尊敬された。
さらには、タロウはパフォーマンスのように「死者を生き返らせる術」を披露し、そのために各地から死人の遺骸を集めさせた。
──俺も仲間を蘇らせてもらいたいと思った。
だが、過去に喪った仲間たちの亡骸はすでに大地の一部として還り、あるいは敵の魔物にむごたらしく吹き飛ばされたりして、持ち込むことも不可能だった。
失くした仲間たちの死に際の満足そうな笑顔と、無念さで一杯の悔し涙と、事切れた彼らの冷たい四肢の重みは、今でも俺の脳裏に焼き付いている。
そんな俺の目の前でタロウは次々と死人の命を呼び戻していく。
俺と同じ前線で、同じ仲間たちの死を目の当たりにしたはずのヨヴェンとルマナは、屈託のない笑顔で、当然のようにタロウを囃し立てる。
──「二度と戻らない大事な仲間たちとの絆」など、最初から無かったかのように。
俺自身もそうだ。
人の命は途絶えてしまえばそれっきり、復活など出来ない。だからこそ「死」は哀しいのだ。だからこそ「生」は有意義でなければならないのだ。だからこそ「命」は重いのだ。
タロウがやっているのは、そんな切実な「人の想い」を踏みにじる行いだ。
以前の俺だったら怒りに任せて真っ先にタロウを殴り飛ばしていただろう。
なのに、タロウへの反感を糧に行動しようとすると、ブレーキがかかったように体と思考回路がぴたりと止まり、全く逆の事をやっている。
「はいよー、次だよ次ー」
タロウが手招きすると、待ちかねたように若い男が老婆を背負って歩み寄ってきた。老婆の遺骸はすでに日が経っているのか、特有の腐臭を放っている。
タロウはそれで不愉快そうに鼻を摘まんだりして──すぐ蘇るとはいえ、随分と図々しい仕草だ──足元に寝かせられた老婆に掌を向けて、不思議な光を当てる。
その様子を、横からヨヴェンとルマナが興味津々に見ている。
戦いが終わったら一緒になる、というヨヴェンとの約束はとっくに反故になっていた。一昨日の夜、たまたま彼女とタロウが抱き合って口付けしているのを目撃してしまった。
兄妹と分かったとき、大泣きして縋り付いてきたルマナは、もう兄の俺に目もくれない。今朝「タロウに結婚すると約束してもらった」と自慢された。思わずヨヴェンとタロウの関係を口走ると「別にいいんじゃない」とあっさり受け流した。
俺も彼女の反応に「そうか」としか答えなかった。
──何もかもが、「おかしく」なっていた。
──ヨヴェンも、ルマナも、他の仲間も、俺も……このノソトロスという「世界」も。
タロウが来てから、何もかもが彼にとって好都合になるように、全ての事象と摂理が捻じ曲げられていっている。
一時は、何か長くて悪い夢でも見てるんじゃないかと考えもしたが、行き場のない反感を握る拳に込めた時、指の食い込む掌底からじりじりと神経を焦がす確かな痛みがそれを否定した。
……きっと、俺だけじゃない。
ひょっとしたら、ヨヴェンやルマナ自身も違和感を覚えているのかもしれない。
力がすごいだけで人間性は平々凡々以外の何者でもないタロウへ、「そうあるべきだ」とでも言うかのように好意を示さずにいられない自分達の言動に。
──タロウ……お前は、俺達に何をした?
──俺達を自分の都合のいいように仕立てあげて、お前は何がしたい?
老婆へ面倒くさそうに光を当て続けるタロウへ、無言で問いかける。
──いつまでもこんなのが続くと思うなよ。
──たとえ、この世界の理すらも操り人形同然に手玉に取っていようと、俺達の心までは傀儡にはできない……いつか必ず、お前の化けの皮を剥がしてやる。
光が消えると同時に、むくりと起き上がった老婆を眺めながら俺は密かに誓った。
「はあーあ、平和だねえー」
「……そうだな」
「あー……次は、いつになるんだろうな」
「……"次"?」
指導者の玉座に座ったままぼやいたタロウの言葉に、俺は眉根を寄せた。
「そうだよ、次だよ、つ・ぎ。こういうマンガってさあ、大体ラスボスを倒して一通り落ち着いた後に、『新たな脅威が!』みたいな感じで新章が始まったりするじゃん。さっさと侵攻してくれればいいものを……」
まただ、と思った。
タロウは時々、こんなふうに意味不明な言葉を独り言のように呟く。
マンガ、ラスボス、という単語は何度も耳にした。尋ね返そうとしたが、その度に唇が誰かに引っ張られるかのように、ぎゅっと結ばれてしまう。
「──ま、最強チートの転生主人公である俺には痛くもかゆくもないからねー。早くしてよー世界の平和を脅かしに来てくださいよー活躍の場を下さいなー」
けらけらと笑って、縁起でもないことを口にするタロウに、俺は心の底からぞっとした。
──こいつは、俺が全てを賭けて取り戻そうとした平穏を、遊び飽きたオモチャ程度にしか思ってないのか。
──ふざけている……!!
倒された魔王に代わるどころか、魔王以上に残酷に君臨した最強の救世主に、俺ははっきりと、どす黒い殺意を覚えた。